現場への配慮が行き届いた一冊
今回取り上げるのは、立命館宇治中学校・高等学校の酒井淳平先生による『誤解だらけの探究学習 「手応えがない」ときの25のヒント』です。
読み終えてまず気になったのは、内容そのものよりも書き方だったと話されています。
学校現場の先生に対して、とても配慮して書かれた本だという印象を受けたそうです。
現場の先生がどれだけ苦しみ、困りごとを抱えているかを分かった上で、それでも探究を手放さず前に進めようとする覚悟が、書きぶりから感じられたといいます。
現場の先生がどれだけ苦しんでいて、どれだけ困りごとを抱えているか、それを分かった上で、それでもなお探究を手放すのではなくて、話を前に進めなければいけないという、そんな覚悟を持って書かれた本なんだろうな。
その細かな目配り、気配りに感心し、感動したとまで振り返っています。
序章が突きつける職員室の「あるある」
本の序章は、架空の職員室での探究をめぐるやりとりから始まります。ロールプレイングのような構成です。
この序章が強烈で、「うちの学校の話ですか」と感じる先生が多いのではないかと話されています。
酒井先生自身が現場を持ち、勤務校で探究に取り組んでいるからこそ書ける文章だといいます。
現場を持たないで、上から目線であれやこれやとものを言う人には書けないような、そういう文章ですね。
ただ、あまりに解像度が高いため、体調やメンタルの調子が良い時に読まないと心が苦しくなるかもしれない、と注意も添えられています。
これは脅かしたいわけではなく、分断されているように感じて苦しむ先生の気持ちに寄り添うところから本書が始まっている表れだと解釈されています。
「誤解」の反対は正解ではなく本質の理解
本書を貫くテーマは、20ページにはっきり書かれています。
現場を苦しくしているのは探究への無関心ではなく、探究をめぐる様々な誤解なのです。
よくある語られ方では、先生にやる気がないから探究がうまくいかない、という話になりがちです。
しかし実際は違うと話されています。今の社会情勢や学校に与えられた条件を考えると、先生方は相当な苦労をして探究に取り組んでいるからです。
その苦労している探究に誤解がつきものであり、それが苦しさの原因ではないか、と本書は論じています。
本書は全部で25の誤解を項目立て、一つずつ「本質はこうだ」と解説する構成です。
そのコンセプトがよくわかるのが40ページで、誤解とは何かという問いが示されます。
そこで「誤解の反対は正解ではなく、本質の理解だ」と述べられており、この言葉を押さえると本の読み方が変わるといいます。
正解を現場に配って回るような、そういうタイプの本じゃないんですよ。それやっちゃうと自分のやり方が正しいという教材販売みたいになっちゃいますからね。
現場でよく聞く「あるある」な誤解
25の誤解のうち、SNSなどでよく見かけるものがいくつか挙げられています。
例えば2番の「探究は優秀な生徒だけができるもの」。基礎基本ができていない生徒に探究をやらせるな、という声はよく聞くと話されています。
他にも、4番の「探究は社会の役に立つ成果や提案が出されなければならない」、16番の「教師はすべてを教え込むべき、教えない方が良い」、20番の「探究では教師は見守るだけで良い」などが挙がりました。
探究では、先生が最も得意とする「教える」という技をある意味で封印される部分があるため、生徒との関わり方に迷う先生が多いといいます。
さらに23番の「教科でも無理にでも探究をしなければならない」、24番の「総合と教科の接続は題材を関連させること」も、よく出るテーマだと指摘されています。
これらへの本書の回答は、著者や出版社への配慮から読み上げずに、ぜひ自分で読んでほしいと話されています。
無理しなくて大丈夫、と繰り返す本
本書のメッセージを一言で抽象化すると、先生たちが自分でハードルを上げすぎているところを、肩の荷を下ろして誰も苦しくならずに進めるにはどうするか、という点に気を遣っている、と話されています。
実際、本の中で繰り返し出てくるのが「無理しなくて大丈夫ですよ」という趣旨の言葉だといいます。体感では10ページに一度ほど出てくるそうです。
読んでいると二つの気持ちが同時に湧いてくると振り返っています。
一つは、うちの学校でも理解されずに大変だから先生方に伝えてほしいというネガティブな気持ちです。
もう一つは、こういう伝え方なら探究に後ろ向きな先生や生徒にも届くかもしれない、という期待です。
主語はどこまでも「子供たちの学び」
共感できた一番の理由は、どこまで行っても主語が子供たちの学びだからだと話されています。
最上位の目的として、子供たちの成長をどう考えるかから議論が始まっているといいます。
これは子供に好きなことばかりやらせていい、という話ではありません。放任していればOKだとは本書は言っていない、と強調されています。
キーワードになっているのが「問いを育てる」という表現です。
問いが育つのは、人と関わることで生徒が自分を見つめ直し、問いが変質していくプロセスの中だといいます。
大人の関わり方についても教え込みかどうかということではなくて、その関わり方で問いが育つのかという観点でのアドバイスになってるなと感じます。
もう一つ共感できるのは、社会の要請や大学入試という外的圧力のために仕方なく探究をやる、という書き方になっていない点です。
子供の成長や学びから考えたときに探究の価値が結果として社会的に認められてきた、という順番なのだと話されています。
もちろん人口減少という外的圧力は無視できず、高校段階で探究に求められる水準は高くならざるを得ないのも事実だといいます。
それでも、学校外の理屈だけで子供の学びを決めてしまえば、先生たちの自律性や専門性が無視されるので、それは違うと考えられています。
「探究妨害」という言葉への違和感
本書の最終章である第4章では、文部科学省の教科調査官が探究について述べており、201ページからは近年の「探究妨害」に関する意見が扱われています。
この「探究妨害」という言葉に、Kasaharaさんは心底嫌悪感を持つと語ります。
理由の一つは、「妨害」という言葉が日本の近現代史で持つ意味の重さを考えると、安易に比喩として使う感性は批判的に見ざるを得ないという点です。
一方で、今の高校の探究のあり方に問題がないとは思っていないとも話されています。
例えば、いきなり専門家にメールを打つ、生成AIに答えを聞けばわかることを丁寧なメールにさせて質問する、といった行為は失礼で迷惑なのでやめた方がいい、と述べられています。
子ども食堂のような現場に土足で踏み込み、実績やアリバイ作りのために踏み荒らすようなことも良くないと指摘されています。
それでも、子供が社会の一員として育つには社会の中で学ぶ文脈が必要であり、否定はできないといいます。
本書203ページには、探究は自分だけで完結させる学びではなく、他者の知恵を借りることも重要な力だと書かれています。
204ページでは、探究妨害と言われる状況は探究そのものの問題というより、学校と外部の関わり方が整理されないまま協力を求めることで双方の負担になるときに生まれるのではないか、と書かれています。
その通りなんですよ。まあ、文科省の方がこの意見書いてるのでもっともであるんですけど、わかってるんだったらもうちょっとどうにかしてくれという気持ちがないわけではないですが。
大学入試と晒し上げへの怒り
「探究妨害」という言葉の発信元が大学教員側であることには、強い怒りがあると語られています。
背景には、大学の総合型選抜で年内に定員を確保したいという思惑や、評価基準がまだうまく作られていない事情があるのではないか、と推察されています。
その結果、外部のコンテストや活動実績といったわかりやすいもので評価しようとし、それを察知した高校や保護者、塾などが過熱していったのではないかと分析されています。
だからこそ、一方的に高校の指導不足のせいにされるのは違うのではないか、と話されています。
大学の先生には、SNSで学校や子供を晒し上げるのではなく、正当なルートで該当校に抗議した方が絶対にプラスになるはずだと述べられています。
大学の先生方には高校が悪いとか子供が悪いとか、わざわざSNSで悪辣に晒し上げするよりも、抗議するのであれば、該当の学校に正当なルートでしっかりと抗議していただいた方が絶対にプラスになるはずなんですよ。
一方で、探究によって地域と学校が新しく結び直され、地域が活性化したり、子供が自分の生活する場所に愛着を持てるようになるケースも多いといいます。
地方の学校では探究と地域に切実なつながりがあり、若い人と関わりたい地域の人もたくさんいると話されています。
だからこそ、探究がうまくハブとして機能する必要があり、接続がうまくいっていない部分を今後の課題として狙っていくべきだとまとめられています。
探究を難しくしているのは何か
話を本のレビューに戻し、この『誤解だらけの探究学習』が一番言いたいことがまとめられます。
誤解が解ければすべてうまくいく、という甘い本ではないといいます。
それでも、苦しさの正体である誤解に名前がつくだけで、現場のあり方や考え方は随分変わり、楽になることが増えるのではないかと話されています。
最後に、この本の使い方として、生徒と一緒に読んでみてはどうかという提案が示されました。
先生だけが読んで正解みたいに握っておくよりも、こういうふうに子供たちに開いて話していく方が、この本の趣旨に合ってるような気もします。
そして、探究で苦しくなっている先生ほど早めに読んだ方がよく、二学期が始まる前の夏休みのうちに読むことがすすめられています。
苦しくなってから読むより、夏休みのうちに読んでおく方が絶対にいいです。二学期が始まってしまうと、この本を開く体力すら残らない人も多いんじゃないかなと思いますね。
まとめ
書評回として取り上げた『誤解だらけの探究学習』は、現場を苦しくしているのは探究そのものではなく、それをめぐる誤解だという視点を軸にした一冊です。誤解に名前がつくだけでも現場は少し楽になるかもしれません。
- 本書は現場の先生への配慮が行き届き、「無理しなくて大丈夫」と繰り返す一冊です。
- コンセプトは「誤解の反対は正解ではなく、本質の理解」で、正解を配る本ではありません。
- 主語はどこまでも子供たちの学びで、放任でも教え込みでもなく「問いを育てる」関わりが重視されています。
- 「探究妨害」という言葉には、安易なレッテル貼りと晒し上げへの強い違和感が示されました。
- 探究で苦しくなっている先生ほど、元気なうちに、できれば夏休みに読むことがすすめられています。
