自分の中に「鬼コーチ」がいる人たち
番組『親の「のろい」をとくラジオ』の第2回は、前回の自己紹介と「呪いってあるよね」という話を受けて、べき思考が普段の会話でどう現れるかから始まります。
桜林さんは雑談の人として、月に50人以上、年代も性別もさまざまな人の話を1対1で聞いています。桜林さんによると、べき思考はよく出てくる話題でありながら、本人は当たり前すぎて自分にあると気づいていないことが多いそうです。
べき思考と並んで多いのが、自分に厳しくなってしまう人の話です。桜林さんはそうした人を「自分の中に鬼コーチがいる人たち」と呼んでいます。
自分の中の自分の声がすごい厳しい。自分に。そんなんじゃダメだとか、もっとこうしないとこうなるぞみたいな。
桜林さんの実感では、こうした思考の癖は年齢を重ねても消えるわけではなく、むしろ強くなることもあるといいます。だからこそ、自分の当たり前を疑う作業は雑談の中でしょっちゅう行われています。
べき思考はどこで身につくのか
中里さんは、べき思考には自分が生きてきたコミュニティや環境が強く関わっていると考えています。例として挙げたのが、新卒で入ったサイバーエージェント ── インターネット広告やメディア、ゲーム事業などを手がける日本のIT企業。成果主義の社風で知られますでの経験です。
中里さんにとってサイバーエージェントは「すごくいい会社」でしたが、社会人はこうあるべきという感覚もそこで作られました。たとえば「成果を出すまでやり続けろ」という考え方です。
中里さんが振り返って違ったと感じているのは、その考えを自分に向けるだけでなく、他人にも当たり前のように求めていたことです。別の環境に移ってみて、初めて「あれだけじゃないんだな」と気づけたといいます。
桜林さんもこれに同意し、べき思考は「ほぼ環境」だと話します。自分が少数派になる場所に身を置くと、信じてきたものを疑えるようになるからです。
信じるにはまずやっぱり環境を変えたり、広げたり、増やしたりする必要があると思うから、同じ環境でずっと考え続けてもなかなか難しいよね。
さらに桜林さんは、新卒の会社よりもっと手前にある環境として「家」を挙げます。家は外から見えない密室のような場所なので、そこで身についた考え方や人の扱い方を疑うのはかなり難しいといいます。
それでも家の環境まで立ち戻り、「あの環境だからこう考えてしまうんだ」と理解できると、生まれつきではなく環境によってついた癖だと受け止められます。桜林さんはそれを環境によってついた癖だと思えることとして、とても大事だと話しています。
家庭や職場という環境
その場で正しいとされる考え方が当たり前として身につく
当たり前すぎて気づかない
自分にも他人にも「べき」を向けてしまう
別の環境や少数派の立場を知る
「あれだけじゃないんだな」と疑えるようになる
環境まで立ち戻る
生まれつきではなく、環境でついた癖だと受け止められる
桜林さんの「ずっとドローン」な客観視はどこから来たか
中里さんは、桜林さんが自分の考えを上から眺めるように客観視するのが得意だと感じていて、その理由を尋ねます。
桜林さんによると、客観視は子どもの頃からの癖でした。学校でも、自分がどう思うかより「この集団の中で自分はこういう役割で、こう動いていれば大丈夫」と考えていたそうです。
ずっとドローン。
桜林さんはこの癖の成り立ちを、育った家の環境にあると考えています。家はのびのびと受け入れられる場所ではなく、何をすると怒られるかわからない、親の機嫌次第で同じことでも怒られる、という緊張感がありました。
(家で)自分がしたいからするっていうよりは、ちょっと相手を探るみたいな癖がついたのはあるかもしれない。
大人になってからの桜林さんは、俯瞰して客観視する力を役に立つ方向で使ってきました。今は悪いものだとあまり思っていないものの、もともとは悪い癖だったといいます。
緊張感のある家で、相手の機嫌を探るために身についた癖
大人になってから、俯瞰して物事を見る力として役立てている
「みんな行ってるんだから」と言い続けた母親からのお便り
後半は、リスナーからのお便りをもとに、今回のテーマ「学校は通わなきゃいけない/休まず登校するべき」という呪いを扱います。中里さんがお便りを読み上げました。
うちの子は小学2年生ですが、学校に行くのが怖いと言って、毎朝泣きながら玄関に座り込んでしまいます。私はいつもみんな行ってるんだから頑張っていこうと言い続けてきました。でも本当は私も苦しかったんです。ちゃんとした親なのに、どうして学校に行かせられないんだろうって自分を責めていました。ラジオで呪いという言葉を聞いて、まさに自分のことだと思いました。どうすればこの呪いを解くことができるのでしょうか。
桜林さんはお便りの中にある呪いを、「学校に行かせるべき、なぜなら親はちゃんとしないといけないから」と言い換えて、そのしんどさに寄り添います。
ただし桜林さんは、共感する人が多い悩みでも、親子の組み合わせが100通りあれば状況はみんな違うと強調します。単純に「行かなくていいよ」と言えば済む話でもないので、親は迷うのだと話しています。
それこそ、え、行かなくていいよみたいなっていうわけでもないじゃないですか。単純に。だから迷うんだよね。
すぐ「行かなくていい」と言える親は1割もいない
中里さんが多くの保護者と接してきた実感では、子どもの行き渋りに対してすぐ「行かなくていいよ」と言えた親は、10人に1人か20人に1人ほどだといいます。
そうした親の多くは、幼稚園の頃から行き渋りがあったり、早い段階で発達の特性を指摘されて診断を受けていたりして、前もって学んでいた人たちです。ほとんどの親は準備がなく、まず驚いてしまいます。
中里さんは、ななこママさんも、その親世代も学校に通うのが当たり前だったはずなので、「なんで行かないの?」と驚くのはとても自然な反応だと話します。
桜林さんは時代の変化にも触れます。かつては蹴飛ばしてでも家から出されるような時代で、学校に来られなくなる子も少なかったといいます。今はその当たり前が変わり、行けない子がいたときにどうするかを、ようやく考え始めた段階だと桜林さんは見ています。
学校に行くのが当たり前で、蹴っ飛ばしてでも家から出されることもあった
行くのが本当に当たり前か、行けない子がいたらどうするかを考え始めている
どっちがいいとかじゃなくて、変わったんだなっていうことは。
学校より家がつらかった桜林さんの小学生時代
桜林さんが中里さんに「学校行きたくないって思ったことありますか?」と尋ねると、中里さんは小中学校ではあまりなかったものの、高校は行きたくなかったと答えます。高校では休むか遅刻するかを自分で決めていました。
桜林さんはそこから、小学生の場合は事情が違うと指摘します。中里さんも、小学生では親がどう対応するかによって子どもの動きが変わると話しています。
桜林さん自身は、小学生の頃は学校が全然好きではありませんでした。「みんな」という単位が苦手で、大勢の他人を警戒してしまい、全員が同じ授業を受け、決まった時間に遊ばなければならないことも難しかったといいます。
家よりマシという理由で学校に行ってて。だから学校にどんなに行きたくなくても、家よりマシだから行ってた派なんですよ。
この経験から桜林さんは、子どもが学校に行かず家にいたいと思えるのは、家が安全な場所だという意味でもあると話しています。
子どもは「なんかやだ」の理由を言葉にできない
中里さんは桜林さんの話にヒントがあると感じます。小学2年生の子どもが学校に行かないとき、親は原因を知りたくて理由を聞きますが、子どもは理由を言わなかったり、言えなかったりすることが多いのです。
たとえば桜林さんの子ども時代の事情も、小学2年生では複雑すぎて言葉にできなかったかもしれませんし、家に緊張感があれば言わなかったかもしれません。桜林さん自身も「言わないと思う」と答えています。
桜林さんは、はっきり嫌なことがあった場合のほうがむしろ言えるかもしれず、本人もわからないまま「ただなんかやだ」という状態なのだろうと話します。
中里さんによれば、成長した子どもが後から振り返って理由を言語化してくれることはあります。ただ、小さい頃にそれを説明するのはとても難しかっただろうと思うことがたくさんあるそうです。
二人の話をまとめると、子どもが理由を言わない背景にはいくつかの可能性があります。
- 本人にも本当にわからない
- 言いたくない
- 言葉にするのがとても難しい
- 自分でも向き合うのが怖くて見たくない
- 単純に気分の問題
気持ちとかさ、気分みたいなものを言葉にするって大人でも難しいじゃないですか。
泣いて座り込むのは「最終段階」のサイン
中里さんは、お便りにある「毎朝泣きながら玄関で座り込んでしまう」という状況に注目します。「学校に行かなきゃ」という前提を外して見れば、それは「ここから動きたくない」という強い意思表示だからです。
中里さんは、ななこママさんを責めたいわけではないと断ったうえで、行かせ続けた結果、子どもが強い拒否反応を示して初めて親が事態の深刻さに気づく、という話も聞いてきたと話します。
中里さんは、尊敬する信州大学の本田秀夫 ── 信州大学の精神科医で、発達障害を専門とする医師。発達障害や子どもの心に関する一般向けの著書も多く手がけています先生が最近出した『不登校大全』の内容を紹介します。子どもが「学校に行きたくない」と口にするのは、ずっともやもやしていて、勇気が出ないまま最後に親に打ち明ける最終段階だというものです。
その見方に立つと、泣きながら玄関に座り込む小学2年生の子どもは、かなり最終段階にいると中里さんは考えています。
もやもや
嫌だな、行きたくないなと感じ続ける
言えない期間
勇気が出ず、親には伝えられない
最終段階
初めて親に打ち明ける、泣いて座り込む
中里さんは、何でも学校を休めとか、不登校がいいと言いたいわけではありません。子どもの健康やメンタルを天秤にかけて、休んだほうがよさそうなら、大人が有給を取るような感覚で一度ライトに休んでみてはどうか、という提案です。
桜林さんもこれを受けて、学校に行くべきかどうかを議論するより、今子どもがどういう状態なのかを考えることが先なのだろうと話しています。
そんなことより、今子供がどういう状態なのかを考えるみたいなことなのかな。
呪いを解くには「鎧を脱いでいる人」に会いに行く
中里さんは、前半で話した「べき思考は環境がつくる」という話を、ななこママさんの状況に当てはめます。ママ友やパパ友の子どもがみんな学校に通っているコミュニティにいれば、学校に行くのが当たり前だと思うのは普通のことです。
そのため中里さんは、学校に行くべきだと思っている環境に居続けると、呪いから抜けにくいのではないかと考えています。そうではないと思っている人たちの環境に行くほうが、鎧を脱ぎやすくなるかもしれません。
平気なんだね。あれ、しかもお子さんたちめちゃくちゃ元気そうだねみたいな。なったりすると、え、でもどう考えても子供がなんかこんな楽しそうにしてる方がいいよなぁみたいな。
学校に行かないことを受け入れている家庭の子どもが楽しそうにしている姿を見ると、毎日泣いているよりそのほうがいいと思えてくる、というのが二人の見立てです。
「ないなら何がある?」と考える桜林さんの癖
桜林さんには、できないことに直面したとき「それができないなら何があるんだろう」と考える癖があります。学校をはじめ、みんなが当たり前にできることが自分にはできない、という経験が多かったからです。
たとえば桜林さんは、将来やりたいことが昔からまったくありませんでした。30代半ばに、やりたいことが「ない側」で終わらせず「ないなら何があるのか」と考えたところ、やりたい気持ちが出てくるのを邪魔しているものがあると気づいたといいます。
ない側の人間ですとかやると、もうそれで終わっちゃうから、あれができないなら何ならできるんだろうとか、無いものから考えてあるものを見るみたいな癖があるんですよ。
桜林さんはこの考え方を不登校に当てはめます。学校に行けない理由や原因を探すより、「何なら平気なのか」「学校のどの部分が嫌なのか」「行かないなら何をしようか」と考えるということです。
ここで桜林さんの言う「あるもの」とは、原因ではなく、子どもの特性や癖、好みのことです。「この子は昔からこういうことが無理だった」「これを邪魔されるから嫌なんだ」といった手がかりを探すイメージです。
行けない理由や原因、できないことばかりを探して、つらくなる
何なら平気か、どこが嫌か、特性や好みは何かを探す
桜林さん自身は、これも偏った癖で、できない部分を無視しすぎるのもよくないと認めています。それでも、ないものばかり見ているとどうしてもつらくなるので、あるものを見つける視点が役に立つと話しています。
不登校の時間で何かを突き詰める子どもたち
中里さんは、桜林さんの「何ならできるか」という視点を、Branchの子どもたちの姿と結びつけます。行き渋りが始まったばかりの頃は難しいものの、長く不登校が続き、家で安心できて元気を取り戻した子どもは、やりたいことをとことん突き詰めることがあるそうです。
Branchを小学校高学年や中学生の頃から利用し、高校生になった今はスタッフとして働いている子も何人もいます。中里さんによると、そうした子たちの多くは何かしらのスキルが高いといいます。
具体例として中里さんは、マイクラ ── ブロックを組み合わせて建物や世界を自由に作れるゲーム「マインクラフト」の略称。子どもに人気で、動画制作の題材にもよく使われますを使った動画制作や、3DプリンターでNゲージ ── 線路の幅が9mmの鉄道模型の規格。日本で最も普及している鉄道模型の規格の1つですのような列車を自作して動かす子を挙げています。
行き渋りが始まったばかりの保護者には、そうした姿はまったく想像できず、不安しかないかもしれません。それでも中里さんは、学校に行かない時間を何かに費やして力をつけることは、長い目で見ると実際にあると話しています。
桜林さんは、Branchのように「学校に行かないならこっちに行こうか」と言える場所がもっと増えれば、学校に行かないことがもうダメだという話にはならないと話します。中里さんも、家庭のお金の問題などはあるものの、いろいろな種類の場所があることはとてもいいことだと応じています。
親の「余裕」が試される
桜林さんは、学校を休んでいいとなった後の難しさにも触れます。体調が悪くなければ時間ができるので、何をして過ごすかという問題が出てきます。
一方で、1週間行きたがらなかったのに、気づいたらまた通っていたという子もいます。桜林さんは、どちらになるかわからないから親は不安になるのだろうと話しています。
いや、だからなんだろう。本当に試されるよね。親の。余裕を。
中里さんは「余裕」という言葉を受けて、親が仕事をしている場合の現実を挙げます。毎朝泣いて玄関に座り込む子どもを前に、自分の仕事の始業時間も迫ってくるので、余裕を持つのはとても大変です。
桜林さんは、そうした状況では、自分の仕事のこと、子どもの学校のこと、体調のこと、気分のことを分類して分解する必要があるかもしれないと話します。ただし、分解するにも余裕が必要だという難しさも認めています。
正解ではなく、自分で方針を決める
最後に中里さんは、自分は学校に行くべきだとも、不登校になるべきだとも思っていないと前置きしたうえで、ななこママさんへの考えを伝えます。
ななこママさんの周りには、学校に行くのが当たり前だと思っている人が多いのが自然です。だからこそ、そうではない人の話も聞き、いろいろな意見を知ったうえで、正解を探すのではなく、自分の中で選択肢を増やしていくことが大切だと中里さんは話します。
他の人から答えをもらうんじゃなくて、自分で方針を決めるっていう風にするしかないのかなと。
桜林さんは、どんな呪いも一気に解けることはないと話します。少しずつ視野を広げ、選択肢を増やしていくことが呪いを解く道だという考えです。
番組の最後には、次回のテーマが「ゲーム時間を制限しなきゃ」という呪いであることが予告され、リスナーからの呪いエピソードも募集されました。
まとめ
今回は、べき思考が家庭や職場といった環境で身につくという雑談を入り口に、毎朝泣いて玄関に座り込む小学2年生の母親の悩みを扱いました。中里さんと桜林さんは、学校に行くべきかを議論するより、今の子どもの状態を見ること、そして別の環境や考え方に触れて親自身の選択肢を少しずつ増やすことを提案しています。
- べき思考は「ほぼ環境」でつくられ、家庭のような密室で身についた癖ほど疑いにくい
- 泣いて座り込むのは、もやもやを抱え続けた子どもの「最終段階」のサインかもしれない
- 休んだほうがよさそうなら、大人が有給を取るような感覚でライトに休んでみる選択肢がある
- 理由探しより「何なら平気か」「何ならできるか」という、あるものを見る視点も役に立つ
- 呪いは一気には解けず、正解を探すより、視野と選択肢を少しずつ広げて自分で方針を決めていく





