向き不向きがわかるタイミングは、なぜ揃わない?
この回の収録日は強い雷が鳴っており、冒頭で中里さんが、音声に雷の音が入って聞きづらい箇所があることをお詫びしています。
番組は、前回の「勉強しなきゃ、勉強させるべき」という呪いの振り返りから始まります。桜林さんは、勉強が苦にならない子と興味を持てない子がいて、そのタイミングがいつ来るかはわからないという前回の話が、勉強だけに限らないと指摘します。
なんかこう、全てにおいて向き不向きがわかるタイミングみたいなのっていつ来るかわからない問題あるよね。
中里さんは、小学1年生になると全員が一斉に教科学習を始めるため、一人ひとりにずれが生じるのは避けられないと応じます。未就学のうちはほとんどなかった評価が、教科学習の開始と同時に始まり、点数で差が見えてしまうことも難しさの一つだといいます。
桜林さんも、小学校が始まった段階で、先生の話をすっと飲み込める子と、何をしているのかよくわからない子の差はかなり大きいと話します。そのうえで、全員が同時に船出するからこそ親は「最初が肝心」と焦りやすいものの、能力がいつ開くかは結局人によるとまとめています。
「何か一つでも才能を」と追い詰められた母親の便り
今回取り上げる呪いは「習い事で才能を伸ばさなきゃ」です。桜林さんが、ラジオネーム「ゆめママ」さんからの便りを読み上げます。
私の息子は小学校4年生です。幼いころから何かに夢中になることがなく、遊び方もお友達とは少し違う気がして、私ばかりがこのままで大丈夫だろうかと不安でした。周りのママ友が子供の才能を伸ばすために様々な習い事をさせている話を聞くたびに、私も焦り、息子に何か一つでも将来の武器になるような才能を見つけてあげたくて毎日必死です。
ピアノ、スイミング、サッカー、プログラミング教室。週末は朝から晩まで習い事の送迎に追われ、子供は車の中で居眠りするほど疲れています。息子が続けているものだけなので、以前はもっとやっていました。
最初は楽しんでいたものの、どれも最近は熱中しているように見えず、練習も嫌々やっているように感じます。最近は「ママもう疲れたよ」と言われてしまい、無理にさせていることはわかっているのですが、このままだと何にも才能がない子になってしまうのではと不安でいっぱいです。
SNSで同級生の子が大会でいい成績を残したりしているのを見ると、親がもっと頑張って才能を伸ばしてあげていればうちの子もと自分を責めてしまいます。送迎や月謝で金銭的にも大変なのに、成果が出ないと私の努力不足だという焦りが止まりません。
この親が才能を見つけて伸ばしてあげなきゃという呪いから、どうすれば解放されるんでしょうか。そして、息子が自分らしく楽しく生きていけるように、親としてどう接してあげればいいか教えていただきたいです。
便りを読み終えた桜林さんは、「あるある」と言ってはいけないと断りつつも、こうした悩みはやはり多いのだろうと受け止めます。中里さんも、このような状況は結構あるかもしれないと応じています。
「うちの子はロボットが好き」は本当か?
中里さんは、収録場所でもある渋谷区代官山のフリースクール「ブランチルーム」で6年ほど前に経験した具体例を話します。ブランチルームは、子どもと1対1で、その子の好きなことをする場所です。
そのとき、熱心な保護者から「うちの子はロボットやプログラミングが大好きなので、多分そういうことをやると思います」と先に言われていたといいます。ところが保護者が部屋を出て5分ほど経つと、子ども本人は違うことを口にしました。
5分ぐらい経ってからお子さんが、いや、全然ロボットとかプログラミング好きじゃないんだよねとか言って。
その日、子どもはサッカーのボードゲームやタブレットのゲームなど、自分の好きそうなものを選んで遊んだそうです。中里さんは、このことを保護者に伝えるかどうか迷った末、伝えなかったと振り返ります。
この経験から中里さんは、ゆめママさんの便りにある習い事のうち、いくつが息子さん自身の「これやりたい」から始まったものなのかと問いかけます。本人発信ではないものが嫌々になってしまうのは、自然なことかもしれないという見方です。
桜林さんは、疲れすぎて楽しめなくなれば元も子もないと続けます。楽しめたかもしれない習い事でも、ヘトヘトなら行きたくなくなりますし、月謝・時間・送迎の負担は家族全員にのしかかります。
(習い事は)息子のためであり、自分の不安もそれで解消したいっていうのがあるから、辞めるって難しいと思うんだよね、結構。
桜林さんは、子どもが「疲れちゃったよ」と言っている以上、「子どものため」は度が過ぎているか、やり方が違っている可能性が高いと指摘します。それでもやり方を変えるのが怖い、変え方がわからないという点に、親の不安が呪いの元になっている構図があるといいます。
中里さんは、その不安を「才能が開花して仕事やいい学校に結びつく道筋を立ててあげたいのに、その種になる才能がまだ見つかっていない」ことへの怖さではないかと言葉にしています。
やりたくないサッカーを、どうやめた?
桜林さんは、娘さんが小学生だった頃の習い事の話をします。娘さんが通っていたのは、週に1回、開放されたアトリエで好きなことをしてよいという場所で、絵画教室とも少し違うものでした。
小学1年生のとき、娘さんはいつも一緒に遊ぶ男の子たちがサッカーチームに入ったため、自分もサッカーをやりたいと言い出しました。桜林さんは「本当に?」と確かめたうえで入れてみたといいます。
何ヶ月かやったんだけど、明らかに全然やりたくないわけ、本人は。なんか一緒に遊びたいんだけど、サッカーがやりたいわけじゃない。
練習中、娘さんはサッカーには加わらず、グラウンドの端で砂の山を作っていたそうです。桜林さんは、道具代や付き添いの時間もかかることから、「あなたの時間を、もっとやりたいと思うことに使ったほうがいいんじゃない?」と声をかけました。
アトリエと同じ曜日だったこともあり、「絵を描くのとどっちがいい?」と聞くと、娘さんは迷わず絵を選び、サッカーをやめました。誰が見てもやりたくないことが明らかだったため、本人もすんなりやめられたといいます。
一方で桜林さんは、習い事をやめることに罪悪感を抱く親の声もよく聞くと話します。可能性を閉ざすことにならないか、頑張り続ける経験をさせたほうがいいのではないか、といった理由で、途中でやめさせにくいというのです。
SNSを見て焦るのか、本人を見て決めるのか
中里さんは、桜林さんの娘さんの例と便りとの違いに注目します。桜林さんは、娘さんがサッカーに興味がありそうかを、本人の行動を見て判断していました。
その本人が興味ありそうかどうかとかっていう視点、本人の観察から来ているものなのか(が大事だと思う)。
ただし上のQは、中里さんの発言を読みやすく区切ったもので、括弧部分は文脈から補っています。中里さんは、便りでは同級生がSNSで好成績を残しているのを見て「親ももっと頑張らなきゃ」となっており、SNSの中で比較が起きていると指摘します。
比較の目を外に向けるほど不安は大きくなります。とはいえSNSを一切見ないのも難しい時代なので、観察の目を外ではなく子ども本人に向けられるかが大切なポイントだと中里さんは話しています。
子どもの行動を見て、興味がありそうか、楽しめているかで判断する
同級生の成績などと比べ、親がもっと頑張らなきゃと焦る。不安が大きくなりやすい
桜林さんは、心配も本来は子ども本人のものだと続けます。子どもが何も心配していないのに親だけが将来を心配していると、ずれが生まれ、それが子どもに伝わってしまうといいます。
親の期待は必ず子供が応えちゃうから、あんまりこう期待をかけないみたいなのもなんかすごく難しいけど、この習い事たくさんさせてることへの期待って絶対子供に伝わってると思うんだよね。
桜林さんは、ブランチルームの「ロボットが好き」という子の例も、母親の期待に応えたい気持ちの表れかもしれないと見ています。そうなると、子どもの本来の姿がますます見えにくくなるという悪循環があるといいます。
中里さんも、子どもは親との関係を悪くしたくないため、我慢できるうちは我慢してしまうと話します。中里さんは、便りの息子さんの「疲れたよ」という言葉は、すでにかなり我慢を重ねたあとに出てきたものではないかと見ています。
習い事を絞るのは、可能性を閉じることか?
桜林さんは、まず習い事の数を減らし、そのときに子ども自身に選ばせる方法を挙げます。たとえば5つあるなら2つに絞り、どれを残すかを子どもが選べればとても良いといいます。
本当は5個可能性があるのに、2つにするのは可能性を閉じてることって思っちゃうこともあるのかなと思って。
中里さんは視点を変え、一つのことに向ける集中力の大切さを挙げます。疲れていたり嫌々やっていたりすることは、なかなか身につかないからです。
中里さん自身、子どもの頃に剣道を習っていましたが、嫌いだったのに親にやらされていた面があり、今は全く身についておらず、やりたくもないといいます。反対に、本人が自分から始めたことなら、大人になっても続いたり、自分の成長のために頑張れたりするのではないかと話し、絞ってもいいと考えています。
桜林さんは、今の習い事が英才教育やスタートダッシュのように捉えられていることに触れ、自分たちが子どもの頃はそうではなかったと振り返ります。
水泳なんてよくさ、体が弱くてさ、外で走るのとかできない子が肺活量を強くするためにやってたり、喘息持ちの子とかがやってたり、習字とかもまあ字が汚いよりは綺麗な方がいいでしょうぐらいの感じでやってた。
体を丈夫にする、字をきれいにする、姿勢を正す、約束の時間座っているなど。才能を伸ばすプレッシャーは感じなかった
子どもの頃から始めて才能を伸ばす、スタートを早くするといった英才教育的なもの
桜林さんは、才能を伸ばすプレッシャーを子どもの頃に受けた覚えがないといいます。今の子どもたちがそれをどう感じているのかは想像するしかない、とも話しています。
天気予報のアイコンが好き、は才能の種になる?
中里さんは、Branchの初期によく話したり記事に書いたりしていたテーマとして、子どもの好きなことの成長を妨げてしまうものを紹介します。その一つが、教科学習に近くないものを「好き」と認めないことです。
たとえば数字が好きな子の場合、数学に近いため、親は「うちの子は数字が好き」と積極的に伝えてくれます。一方で、道端の石をじっと見ている、カサカサした音が好きといった、勉強や習い事から遠い「好き」は認められにくいといいます。
僕があったやつだと、天気予報のアイコン、雪のマークとか雨のマークが異常に好きとか(いう子がいた)。
こうした「好き」は、親から見ると好きというラベルをつけにくいものです。けれど中里さんは、天気のマークからアイコン全般が好きになったり、天気予報の観察が好きになったりと、そこから才能へ膨らむ可能性もあると話します。
逆に、サッカーやピアノ、スイミングといった決まった選択肢の中からしか才能の種を探さないと、かえって可能性が狭まってしまうというのが中里さんの見方です。
桜林さんは、娘さんが放っておいてもいつも絵を描いていたので、自分は邪魔をしなかっただけだと話します。ただ娘さんの「好き」は、絵という一点に特化したものではありませんでした。
娘さんは、絵が好きなことに、食べ物や動物が好きなことを自分で組み合わせていったといいます。だんだん食べ物の絵ばかり描くようになり、何百色もあるペンに食べ物の名前を付けていったそうです。
桜林さんは、そうした娘さんを見て、絵画教室で入賞を目指す方向は合わなさそうだと感じたといいます。「そんなの好きでどうするの?」と思えることも組み合わせれば何かになるので、数字が好きだから数学、と無理に決めつけないほうが、どこに伸びるかを楽しめると話しています。
子どもの「好き」は、親がコントロールできる?
中里さんは、桜林さんの話のポイントを、親は子どもの「好き」をコントロールできないという点にあると整理します。絵画教室に通わせたから絵が好きになったわけではなく、賞を喜ぶ子にさせることもできない、というのです。
桜林さんは、もし親が誘導すれば、子どもは期待に沿おうとしてしまうかもしれないと応じます。中里さんも、「描きなさい」と言えば描くかもしれないが、こだわりを持って続けられるかどうかは内発的なもの次第だと話しています。
これでも描いてみたらって。ツールを渡すみたいなことは結構やってたかな。
桜林さんが親としてしてきたのは、邪魔をしないことに加えて、クレヨンの次にペンの数を増やす、違う画材や紙を用意するといった「次のツール」を渡すことだったといいます。
中里さんは、この関わり方を娘さんの側から見ると、「お母さんは自分のやりたいことをやらせてくれる」という学習になり、信頼が生まれると話します。その信頼が、今後もお母さんとコミュニケーションを取り続けようという気持ちにつながるといいます。
観察する
子どもが何に夢中になっているかを見る
ツールを渡す
画材や紙など、やりたいことの次の道具を用意する
信頼が生まれる
お母さんは自分のやりたいことをやらせてくれる、と子どもが学ぶ
相談が続く
思春期に入っても、子どもが親に相談してくる
反対に中里さんは、思春期を過ぎた子どもに「どうせわかってくれない」と言われて話を聞いてもらえない、という保護者の相談をよく受けるといいます。そうした家庭では、本人が望まない方向へ強引に進ませるようなコミュニケーションが思春期前に取られていたことがあるそうです。
Branchには小学校低学年から中学・高校まで長く利用する家庭も多く、中里さんは、丁寧に関わってきた家庭ほど思春期に入っても子どもが母親に相談していると感じています。本人を観察し、本人のやりたいことを支援することは、才能を見つけるうえでも、親子のコミュニケーションのうえでも大切だという見方です。
桜林さんは、「習い事は親がさせるもの」「子どもの才能は親が伸ばすもの」という見方を少し変えたほうがいいかもしれないと続けています。
「遅かれ早かれ、できることはできるようになる」
中里さんは最後に、参考資料として一つのインタビュー記事を紹介します。慶應大学医学部小児科の主任教授、高橋隆雄さんへのインタビューで、恵まれた家庭の子どもの精神科受診が増えているという内容です。
記事では、摂食障害や不登校、原因不明のめまいや痛みを抱える子どもの多くが、経済的に恵まれた家庭に育ち、幼少期からスポーツ、塾、英会話、音楽など複数の習い事をしていたと紹介されています。
さらに記事は、子どもの能力は「必要な時に自然と花咲く」ものだとして、親が躍起になって習い事で能力を探し回らなくてもよいと伝えています。「遅かれ早かれ必要な時にできることはできるようになる」という一節が、この記事の軸です。
記事の中で高橋さんは、子どもが自分を好きでいられる自己肯定感、自分で決める意思決定力、他者をいたわる共感力を、親に伸ばしてあげてほしいと話しています。また、親が望むものでなくても、夢中になっている様子があれば少し放っておくこと、ネット上で称賛される子と比べて焦らないことも挙げられています。
心強いね。言い切ってくれるの助かるね。
中里さんは、この記事が今回の相談への回答にほぼなっていると話します。息子さんはまだ体の不調を訴えているわけではないものの、「疲れたよ」と口にしている以上、いつか何かを訴えるときが来るかもしれないと懸念しています。
そのうえで中里さんは、本人の好きなことから自己肯定感を育て、本人の「やりたい」を尊重することで意思決定力も育てられると話します。桜林さんも、心配する必要はないという言葉を信じてみるといいと締めくくりました。
次回は「子どもの将来を自分のエゴと重ねてしまう」という呪いを取り上げる予定です。
まとめ
習い事で才能を伸ばさなきゃという焦りの元には、親自身の将来への不安があります。中里さんと桜林さんは、SNSの比較や習い事という枠から探すのではなく、子ども本人を観察し、本人の「好き」を支える順番に変えることを提案しています。
- 子どもの「疲れたよ」は、我慢を重ねたあとに出てきた言葉かもしれない
- 習い事を判断する視点は、SNSの比較ではなく本人の行動の観察に向ける
- 数を絞るときは子どもに選ばせる。嫌々やることは身につきにくい
- 石や天気のアイコンのような勉強から遠い「好き」も、組み合わせ次第で才能の種になる
- 親にできるのは、邪魔をせず次のツールを渡すこと。その関わりが思春期以降の信頼にもつながる




