呪いはどこから来るのか?
第22回の冒頭で、中里祐次さんは、休日に「自分にも呪いはかかっているのか」と考えたことを話します。番組ではこれまで、親が子どもにかけてしまう呪いを多く扱ってきました。親のさらに上には祖父母がいる、という点に中里さんは気づいたといいます。
中里さんは、子どもの頃は放任気味に育ったため、自分には呪いがあまりないと思っていました。ただ、中里さんの家では、父親は仕事をせず家で過ごし、仕事をしていた母親が家事と育児も担っていました。
(うちの家では)女性が家事をしているのが当たり前みたいな価値観とか、今はないですけど、あったなと思うし。
中里さんは最近、コテンラジオ ── 歴史をテーマにした人気Podcast番組。1つのテーマを複数回のシリーズで深く掘り下げる構成が特徴ですの女性の社会進出の回を聴いています。そこでは、家事や育児を男性がどれだけ担うかという点で、西洋に比べて日本と韓国は差が大きいと語られていたそうです。
中里さんは、もし22歳で西洋の人と結婚していたら、母親を見て身についた「家では家事育児をしなくていい」という感覚が表に出て、相手とぶつかっていたかもしれないと想像します。
めっちゃぶつかるだろうね。
この想像から中里さんは、呪いは社会の常識から生まれ、人と交流したときに表に出てくるのではないか、と考えたといいます。
呪いを生むのは価値観の「組み合わせ」
中里さんの話を受けて、桜林直子さんは、生まれ育った環境の「当たり前」から来る思い込みは、呪いにも良い習慣にもなりうると話します。最初からすべてが呪いだったわけではない、という見方です。
呪いになる瞬間や組み合わせが(あるよね)。
中里さんは「組み合わせ」という言葉に共感し、Netflixで見たインドの婚活番組を例に挙げます。インドでは結婚相手を選ぶとき、最初に同じ宗教かどうかが見られるそうです。日本では呪いにならない価値観でも、インドでは結婚の壁になっている、と中里さんは整理します。
桜林さんは、子育ても同じだといいます。それまで不思議に思わなかった価値観が、親と子という組み合わせになった途端に呪いとして出てくることがあるからです。中里さんも、一人で生きていたり友達と遊んでいたりするだけなら表に出ない価値観が、配偶者や祖父母も関わる子育てでは急に出てくると補足します。
さらに桜林さんは、呪いになってしまった側も呪おうと思っていたわけではなく、それが呪いになるかどうかは後にならないとわからないと話します。二人は、だからこそ呪いは「無限にある」と確かめ合いました。
「平等に愛せない」母親からのお便り
今回取り上げる呪いは「兄弟を平等に愛さなければならないが、愛せない」です。桜林さんが、2人の男の子を育てる母親からのお便りを読み上げました。
長男は3歳から去年6歳半まで癇癪が非常にひどく、暴れ出すと20〜30分泣き続けるだけでなく、私や弟に暴力を振るう状況が続いていました。最近は少しだけ落ち着きました。
また、長男は全ての感情を怒りで表現するタイプです。例えば、次男が折り紙で困った時はママ助けてと穏やかに話しかけてきますが、長男はもうやだと急に発狂して折り紙を破り、無関係の私や弟に当たり散らして暴言を吐き出すといった行動に出ます。
こうした日々を過ごすうちに、私は無意識に長男と関わることを怖い、面倒くさいと感じるようになり、結果として兄弟間で愛情の差が生まれてしまっています。夫からも次男ばかり可愛がっていると指摘されます。
頭では兄弟平等に扱わないといけない、平等に愛さなければならないと強く思っているのに、それができない自分が情けなく、親として一番してはいけないことをしているという自覚に苦しんでいます。どうしたらこの感情の偏りを克服し、長男に対しても次男と同じように心から愛情を注ぐことができるようになるのでしょうか。
長男の癇癪の裏にある「一次感情」とは?
お便りを読んだ桜林さんは、まず長男と次男の生まれ持った性質があまりに違うと指摘します。中里さんも「だいぶ違いますよね」と同意しました。
中里さんは、暴力を受けている状況で母親が防御反応のように距離をとるのは自然なことだとして、相談者に自分を追い詰めないでほしいと伝えます。そのうえで、長男については医師に診てもらうことも検討してよいのではないかと話しました。
これって本人(長男)も困ってんじゃないかな。したくてしてるわけじゃないと思うんだよね。
中里さんによると、癇癪や怒りは二次感情 ── 怒りの前に、悲しみ・不安・悔しさなどの別の感情(一次感情)があり、それが怒りとして表に出るという考え方。心理学や子育ての支援でよく使われますと呼ばれ、その前に別の感情があるといいます。折り紙の場面を例に、中里さんは次のように説明しました。
見通し
こう折ればこうなるはず、というイメージを持つ
見通しが外れる
思ったとおりに折れない
一次感情
嫌だ、悲しい、悔しい
二次感情
怒りとして爆発し、折り紙を破る
中里さんは、一次感情が生まれにくいように環境を調整するなど、うまくやっていく方法は多いと話します。そのため、療育 ── 発達に特性のある子どもに対して、その子に合った支援や訓練を行い、生活しやすくする取り組み。専門の施設や支援者が関わりますの専門家の手助けを受けてもよいのではないか、というのが中里さんの考えです。
「平等に愛する」より「対等に接する」
桜林さんは、性質の違う2人の子どもを家庭の中で比べれば、扱いやすい子と扱いづらい子という差が出るのは避けられないと話します。比べるのであれば、長男と同じ困り事を抱える他の親子と比べたほうがよい、という提案です。
その二人(長男と次男)で比べるの酷じゃない?
そして桜林さんが一番気になったのは、相談者の「平等に愛さなければならない」という思い込みそのものでした。
私はあなたを愛さなければならないから頑張ってますって言われたらさ。
桜林さんは、愛情のように内側から湧いてくるものに「べき」をつけるのはとても難しいと話します。平等にしたい気持ちはわかるけれど、平等に愛することは目的にしないほうがいい、というのが桜林さんの考えです。
中里さんも、平等という言葉は完全に同じであることを求めてしまうため、多少のアンバランスさや雑さは自分に許してよいと応じました。
内側から湧く感情を揃えようとするので、無理があり自分を責めやすい
態度や関わり方のほうを揃えるので、意識して取り組みやすい
中里さんは、平等への強迫観念を和らげたうえで、暴力がある長男への関わりは怖くて当然だとします。そのため、夫に療育施設へ一緒に行ってもらうなど、相談しながら進めることを勧めました。
三姉妹の真ん中だった桜林さんの実感
桜林さんは三姉妹の真ん中で、親の扱いはまったく平等ではなかったといいます。真ん中の子は「放っておかれた」と感じがちだ、と桜林さんは話します。
| 立場 | 親の関わり方 | 子どもの感じ方 |
|---|---|---|
| 長女 | 何もかも初めてなので一生懸命 | — |
| 真ん中 | 放っておかれがち | 自由と感じる子も、寂しい子もいる |
| 末っ子 | 小さくてできないので世話を焼かれる | — |
ただし桜林さんの家では、親が桜林さんにだけ異様に厳しかったそうです。以前の回で話した「自分のようになるな」という父親の考えから要注意と見られ、母親も父親が怒らないように桜林さんに厳しく接していました。
(子どもは)同じだけ愛されてるかとかっていうのを気にするよりも、なんかやっぱり不公平とか、なんで私だけダメなの?とか。
桜林さんは中学生ぐらいで、これは父親との相性が悪いのだと気づいたといいます。相性が悪いのに一番干渉してくるから大変だった、と振り返ります。
一方で桜林さんは、相談者の長男の場合は相性の問題ではなく、どの親が育てても大変な特性なのだろうと話します。中里さんも同意し、平等に愛することを一旦諦めて次へ進むほうがいいと応じました。
中里さんは、療育を学ぶと、なぜその行動をとるのか、次にどう対応し、どう予防すればいいのかという多くの打ち手がわかり、楽になる面があると話します。桜林さんは、扱いやすい次男を正解として長男にそこを目指させる構造は作らないでほしいと付け加えました。
「ずるい」の感覚と1対1の時間
中里さんは「平等より対等」という話から、不登校の家庭の例を思い出します。弟が不登校で母親とずっと家にいると、学校に通う兄は「ずるい」と感じることがあるそうです。
あるワークショップで、母親が長男と2人で出かけたときに「弟には内緒ね」とアイスを買い、こっそりバランスを取っていたという話が出たといいます。中里さんは、子どもは愛情の量より、対等に接してもらえているかに気づきやすいのかもしれないと話します。
お兄ちゃんなんだから我慢しなさいが一番良くないと思うけど、やっぱマンツーマンじゃない?兄弟だとしても。
桜林さんは、次男と自分、長男と自分という関係を切り分けたいと話し、マンツーマンで関わることが対等であるための第一歩だとします。中里さんも、気持ちの上でも物理的にも1対1の場を作ることが大事だと応じました。
中里さんによると、Branchでも1対1で1時間半ほど、その子がやりたいことを好きなだけやる時間を作っています。早ければ3ヶ月、場合によってはその日のうちに癇癪が消えることもあるそうです。
自分がやりたいことを何でもやらせてくれる場がこの世界にあるんだっていうのに、なんか気づくと結構減ったりしますけどね。
桜林さんは、怒りや暴力が相手を振り向かせる手段になっている可能性にも触れます。中里さんは、そうした学習をしている場合もあり、逆の学習もできると話しました。桜林さんはそれを「希望だ」と受け止めています。
感情と行動を切り離すという選択
中里さんは、平等に愛さなければならないという考えを少し崩すこと、そして長男については母親自身のためにも他者を頼ることを、この回のポイントとして挙げます。
桜林さんは、自分の親を振り返って、一番きつかったのは親の感情を知ってしまうことだったと話します。嫌いという感情が湧くのは仕方がない、そのうえで態度には出さず普通に接してほしかった、というのが桜林さんの実感です。
嫌いでいいから普通にして欲しかったとか、なんか態度、なんだろう、思ってなくていいから同じにして欲しかったなとかって結構あって。
桜林さんは、感情は感情として認めたまま、子どもには感情ではない部分で接する練習をしてほしいと話します。子どもの側からは親の感情はコントロールできず、好かれようとする行動が裏目に出る子もいるからです。
桜林さんは、感情と行動を切り離すことが今後必要になるかもしれないとしながら、一人で全部やろうとしないでほしいと念を押しました。愛するべきかどうかではなく、もう少しタスクやシステムとして関わってもよいのではないか、という提案です。
中里さんは、相談の時点から難しいテーマだと感じていたと述べ、次回は「子供に親と同じ失敗をしてほしくない」という呪いを扱うと予告して回を締めました。
まとめ
兄弟を平等に愛せないと悩む母親に対して、中里さんと桜林さんは、愛情を揃えることより、長男の困り事を個別に見て対等に関わること、そして一人で抱え込まないことを提案しました。
- 呪いは、社会や家庭の「当たり前」が、子育てなどの新しい組み合わせの中で表に出たときに生まれる
- 癇癪は二次感情で、その前にある悔しさや悲しさに目を向けると、環境の調整や療育という打ち手が見えてくる
- 平等に愛することを目的にせず、態度として対等に接することを大切にする
- 兄弟でもマンツーマンの時間を作ることが、対等な関わりの第一歩になる
- 感情は認めたまま行動と切り離し、夫や専門家など他者を頼りながら進める





