断言する人ほど注目される時代に、どう話すか
番組の冒頭で、中里さんは前から桜林さんに聞いてみたかったことを切り出します。話すときやSNSに投稿するときに、断言したほうがいいのか、しないほうがいいのかという迷いです。
中里さんによると、問いに対して「何々です」と言い切る人のほうが、今のSNSでは注目を浴びやすい印象があります。言い切る人には、従っていればいいと思わせる力強さや説得力があるというのです。
(僕は)ブランチを始めてから特に、断言どんどんできなくなってるマンなんですよ。
中里さんが断言できない理由は、立場によって考え方が変わるからです。この人の立場ならこう、別の人の立場ならこうと、いろいろな可能性があるため、答えは1つだと言いにくくなり、「何とかだと思います」というふわっとした言い方になりがちだと話します。
この迷いに対して、桜林さんは自分も「かなり断言しない派」だと答えます。一時期は、自分の考えを書いたうえで、それを柴犬の言葉にしていたそうです。
断言しなさすぎて、一時期は自分の考えたことを書いた上で、「何々だよって通りすがりの柴犬が言ってました」って書いてた。
桜林さんは柴犬の書き方を、漫才の「マックの男子高生が言ってました」と同じような、「そうらしいよ」くらいのニュアンスにぼかす工夫だと説明します。自分の中で確信があることでも、外に出すときは確信のまま出さないことが多いといいます。
ポッドキャストが「断言しない人」に向いている理由とは
中里さんは、断言が好まれる背景にメディアの変化があるのではないかと考えています。TikTokのように尺がどんどん短くなり、展開の速い動画をたくさん見る環境では、断言のほうが向いているのかもしれないというのです。
いろいろなメディアを自分には向いていないと感じてきた中里さんですが、ポッドキャストだけは「まだいけるかも」と思えたそうです。尺が長いので、いろいろな立場の人の話をしても聞いてもらえ、断言しなくてもいいからではないかと振り返ります。
桜林さんも、1本の中でいろいろな意見を言ってもいいポッドキャストのあり方が好きだと応じます。本も同じで、たくさん書けるからこそ、読み手が自分で受け取る部分を選べると話します。
短く言い切るとかじゃないものの方が、読んだ人とか聞いた人が勝手に引っかかった部分を勝手に大事にしてくれる感じがするから。
こっちが太字のでかいテロップとかってつけなくても、その人、その人が引っかかってくれるっていう方が好きですから。
中里さんも、長く話して、どこに反応するか、何を覚えてもらうかは聞き手に委ねるという考えに同意します。桜林さんは、たとえ「あの発言はちょっと嫌だった」という批判があったとしても、そういうものだと受け止めていると話します。
尺の短い動画やSNSで注目されやすい。力強さや説得力を感じさせる
いろいろな立場や意見を1本の中で話せる。どこが刺さるかは受け手に委ねる
太字テロップにしなくても、記憶に残るエピソードがある
「委ねる」話の流れで、中里さんは以前の回の反響を思い出します。雨の中で傘がなく、びちゃびちゃになって帰った桜林さんのエピソードが刺さったようで、すでに3通ほどお便りが届いているそうです。
桜林さんは、その雨の話はエッセイ的なエピソードで、映像が浮かぶようなところがあったのかもしれないと話します。中里さんも、聞いていて映像が浮かんだと振り返ります。
なんか(雨の話は)太字テロップではないよね。
一方で桜林さんは、ビジネス系の記事などで本や発言の一部だけを切り取り、太字のタイトルを付けて紹介されることには抵抗があると明かします。そうした記事は、確認の段階でかなり直すことになるそうです。
そんなこと言ってませんっていうこととか、そこだけ切り抜かないでくださいっていうこととか結構あるから。それが求められてるのもわかるけど、結構嫌かもしれない。
中里さんは、2人にとってポッドキャストは「生きやすいメディア」なのかもしれないとまとめます。いろいろな考え方を内包しながらコミュニケーションを取るほうが好きだという点で、2人の感覚は重なっていました。
野球の強豪チームで焦る親。いちごさんからの相談
ここから本題に入ります。この回のテーマは「子どもの人生にレールを敷いてしまう」という呪いで、桜林さんがラジオネームいちごさんからのお便りを読み上げます。
小学生の兄弟を持つ40代の女性です。子どもの人生にレールを敷いてしまうことについてご相談させてください。長男が小1の時に野球にハマり、近所の野球チームに入りました。現在は小学5年生です。
最初はこんなに熱中できることができて嬉しいと思い、とにかく楽しく通えればいいと思っていたのですが、入ってみると保護者にも意識が高い方が多く、競争も激しいチームでした。そんな中にいると、自分の子もチームに貢献できるようになってほしい、周りの子は努力しているのに、うちの子は、などと私も夫も焦る気持ちが強くなってきました。
特に夫は、子供は情報が少ないのだから、ある程度は大人がレールを敷いてやるべきという考えで、いろいろ調べて、平日には隣町のスクールにも通わせています。肝心の長男はといえば、野球も好きだけれど、友達と遊ぶことも自分の時間も大事。頑張ればもっと高いレベルでやれるのかもしれないけど、そこまでではないといった様子です。
私は自分の父親がお堅い職業に就いていたことから、「あなたの言動がお父さんの仕事にも影響するのよ」と言われて育ち、それが常に模範的な自分を求められているような気がしてすごく苦しかったので、子供たちには自分たちのことは自分で決めていいと伝えてきました。
ですが、家族の会話の中心が野球のことになることも多く、本人はかなり親の期待を感じていると思います。親の顔色を見て行動しているなと感じることも多いです。そう思うならプレッシャーをかける言動をやめればいいと思うのですが、私自身、チームの保護者や監督から期待する言葉をかけられると、子供にもつい「練習したの?」などと言ってしまいます。
長男は昔から穏やかで、自分で物事を決めていくよりも、与えられた環境でどう生きるかを大切にしているように見えます。それは私が一番避けたかったことです。私がそうさせてしまったのではないか。最近では、私の言動が子供に影響を及ぼすことへの恐怖も感じています。
読み終えた2人は、「絶妙ですね」「あるんだろうな」と反応します。桜林さんは、いちごさんの家庭はたまたま入ったチームが厳しかったのだろうと受け止めます。
小5から中1へ。子どもが「休みたい」と言い出したらどうするか
中里さんが相談を「絶妙」だと感じたのは、長男が小学5年生という時期だからです。思春期に入りかけ、自我が芽生えてくると、友達と遊ぶことと野球をすることのどちらがいいかを、子ども自身が主張し始めるのではないかと考えています。
そのため中里さんは、これからどうするかを、今のうちに両親の間ですり合わせておいたほうがいい年頃だと話します。桜林さんも、今までのやり方をずっと続けるより、どこかで切り替えたほうがいいのかもしれないと応じます。
中里さんが挙げたのは、1年後に長男が中学1年生になり、「今日は友達と遊びたいから野球休むわ」と言ってきた場面です。このままいけば、父親は「野球やりなさい」と言うかもしれません。
(子どもの主張を退けたら、)僕がいちごさんだとしたら、ちょっと戦うなっていう。いや、遊ばせていいじゃんって。子供がこう言ってるんだからって。
中里さんの考えでは、友達と遊びたいというのは、子どもが自分の主義主張を言ってくれている状態です。それを退けて野球に戻すことこそが、相談にある「レール」の意味ではないかと話します。
桜林さんは少し視点をずらし、中学進学を1つの区切りにする案を出します。中学に上がるときに「もっと厳しくなるけど、それでも続ける?」と聞き、選択を子どもに委ねるというものです。
いまの状態
小5の長男は野球も好きだが、友達と遊ぶ時間や自分の時間も大事にしている
思春期の入り口
友達と遊ぶか野球をするか、子どもが自分の主張をし始める可能性がある
中学進学の区切り
もっと厳しくなっても続けるかどうか、選択を子どもに委ねる
親の備え
子どもの主張を退けそうなときに備え、両親で方針をすり合わせておく
好きでのびのびやる子に、無理してレールに乗る子はかなうのか
桜林さんが抱いたのは、親の言うことを聞いて無理して野球を続けた子が、好きで続けている子と同じように伸びるのかという疑問です。
お父さんが言うようなレール通りに行く子って、レールなくても勝手にやる子じゃん。きっと。
桜林さんによると、ただ楽しいから、もっと上手になりたいからと自然に思っている子は、レールがなくても勝手にその道を進みます。一方で、本当は嫌なのに無理してきつい練習を重ねる子が同じように伸びるのかは疑問だといいます。
そのため桜林さんは、野球でなくても、子どもが好きでのびのびできることをやらせたほうがいいと考えます。レールを引くことより、それ1本しかないことが苦しいのではないかと話します。
さらに桜林さんは、放っておいてもずっと練習する野球好きの子と比べられ、その子と戦い続けることの苦しさにも触れます。ただし、勉強や野球はやって損したということはないため、嫌々でもやってよかったと言えるのかは自分にもわからないと率直に語ります。
中里さんは、野球には体格などの才能の要素も大きいと話します。都立青山高校に通っていた中里さんは、目の前の神宮球場の周りをプロ野球選手がよく走っていて、みんな180〜190センチの大柄な人ばかりだったと振り返ります。
楽しく続けられるかどうかに加え、体格も含めて、どこかで残る・残らないの取捨選択が出てくると中里さんは考えます。そのうえで、楽しくもなく体格も向いていない子が続けた場合に何が残るのかを問いかけます。2人とも「無駄にはならない」とは言いつつ、桜林さんは「その辺が私はずっとわからない」と話します。
やめさせた後に消えない「続けていれば」という思い
桜林さんは、親の目線から別の難しさも挙げます。子どもが「楽しくないし遊びたいからやめたい」と言い、その言葉どおりにやめさせたとしても、親の中に後悔が残るかもしれないという点です。
もっとやってればよかったのにっていう思いが消えないんじゃないかなみたいな。親御さんの中に。
桜林さんは、どんどん厳しくなっていく流れを親がどこで止めるのか、そのタイミングが難しそうだと話します。
中里さんは、親が続けてほしいと思う理由についても触れます。スポーツを続けると、中里さん自身はいいとは思わないものの「我慢ができる子」になることや、チームプレイや他者目線など、団体行動で適切に振る舞う力が身につくことがあります。
中里さんによると、保護者がそうしたスキルを身につけてほしいと願う場合、野球に向いているか、好きかどうかとは関係なく「続けてほしい」という欲求が出てきます。数年後には、その親の欲求と子どもの気持ちが離れていくかもしれないと中里さんは話します。
いちごさんが「一番避けたかったこと」の正体は何か
桜林さんは、親がスキルを身につけさせたいと願うことを、あまり「レール」とは思わないと話します。相談でいうレールの根っこは、いちごさん自身の生い立ちにあるのではないかと考えたからです。
桜林さんの見立てでは、いちごさんは「あなたの言動がお父さんの仕事にも影響する」と言われ、親の仕事と自分を連動させられて育ちました。そのため、親が許す範疇の中で自分がやるべきことをやる、という考えを植え付けられたのではないかといいます。
(子どもたちには自分で決めてほしいと)そう思えているなら大丈夫なのではっていうこと。
一方で桜林さんが引っかかったのは、長男が与えられた環境でどう生きるかを大切にしていることを、いちごさんが「一番避けたかったこと」と書いている部分です。
中里さんは、いちごさんは本当は長男に自分で人生を決めていってほしかったのではないかと読み解きます。桜林さんも、与えられた環境でどうするかは、いちごさん自身がしてきたことなのだろうと応じます。
でもそれ(与えられた環境を大切にすること)もしかしたらね、特性というか。っていう可能性もありますね。
桜林さんも、自分で決める子はもっと我が強く、少しのことでは折れないと同意します。長男が穏やかでぶつかることがないからこそ、親が不安になってしまう面もあるのではないかと2人は話します。
小5なら、一方通行のレールより「選択肢」を示せる
中里さんは、相談の中盤にあった父親の考え、つまり「子どもは情報が少ないのだから、ある程度は大人がレールを敷いてやるべき」という点にも目を向けます。年齢が低いほど、この考えが適している場合も実際に多いと中里さんは認めます。
ただし、長男はもう小学5年生です。中里さんは、大人が調べた選択肢を示して「どれがいいかな」と話し合える年頃になっていると話します。
年齢が低いうちは、情報の少ない子どもに代わって大人がある程度レールを敷く考えが合う場合もある
小5になれば、一方通行で次々に道を決めるより、大人が調べた選択肢をいくつか示して一緒に考えられる
中里さんのいう一方通行のレールとは、「はい、これ。はい、次これ」と大人が次々に道を決めていく関わり方です。小5なら、選択肢はいくつかあると伝えるコミュニケーションができると中里さんは考えています。
「ここまでやったのに」という損得が混ざると危うい
桜林さんは、レールを敷くことも、親が一生懸命何かを期待することも、それ自体は悪いことではないと話します。気をつけたいのは、そこに損得の感覚が入り込むことです。
ここまでやったのにみたいな。なんかそういう損得っていうか、そういうのはちょっとあまり良くないなって思ってて。
桜林さんが挙げる損得の例は、「どうせやるなら人よりもっとさせる」「どうせやるならもっといいところに」といった考えです。そうした損得が入ると、子どもとの関わりがずれてしまう気がするといいます。
桜林さんが考え方の軸として示すのは、めちゃくちゃやってやめたとしても損じゃないという見方です。相談を読みながら、桜林さんはなぜか木村拓哉さんが親にやらされて剣道に打ち込んでいたという話を思い出したそうです。
でもさ、それってさ、全然損してないじゃん。やめても。
中里さんも、自分も剣道をやっていたと応じます。桜林さんは、たとえ親が剣道のレールを敷いていたとしても、木村拓哉さんは全然違う場所で活躍していると話します。お金をかけ、たくさん練習したのに子どもが投げ出したとしても、違うことを始めたとしても損ではないというのが桜林さんの考えです。
中里さんは、今の時点で長男が損をしているわけではないとしつつ、注意点を挙げます。成長した長男が自ら別の選択肢に進もうとしたとき、それを止めることは、特に父親にとって要注意だといいます。
親が子どもに影響を与えるのは、避けられない
いちごさんが書いていた「親の言動が子どもに影響を及ぼすことへの恐怖」について、桜林さんは、それはみんなが感じることだと受け止めます。そのうえで、少し視点を変える提案をします。
桜林さんによると、全く何も言わない親であっても、何も言わない親としての影響を子どもに与えます。中里さんも、何も言わずにいると子どもから「最近何にも言ってくれないの」と思われると同意します。
中里さんは、今の長男が強いストレスやつらさを感じているかというと、今はおそらく大丈夫だろうと見ています。むしろ、いちごさん自身の育ちから「私のようにならないでほしい」という期待があり、長男が期待に応えているだけではないかという不安が今のストレスになっているのではないかと話します。
中里さんは、いちごさんのその不安は、今はそれほど気にしなくてもいいかもしれないと伝えます。ただし思春期に入り、父親が野球をやめることや、友達と遊ぶことを止めるようになったら、話し合いが必要になるかもしれないと付け加えます。
ぶつかっていい。親の経験や弱みを話す時は来る
桜林さんは、子どもの主張と親の考えがぶつかる場面について、「全然ぶつかっていい」と話します。親が言うことは、その親の経験によって変わってくるからです。
お父さんがお父さんの自分の経験から、自分はこういう経験があったから、こういうふうにしてほしいとかっていう話をすることで、あ、だからお父さんそんなこと言うんだなみたいなことわかるみたいなのもあるし。
桜林さんは、子どもが大きくなれば、お子さんと親御さんの間でそういう話し合いもできるようになるだろうと話します。
中里さんも、子どもにとっては、親が真面目に話してくれたことや、親の苦手なこと、弱み、失敗談が意外と刺さると付け加えます。しっかり話せるタイミングは来るという言葉で、相談への回答は締めくくられました。
番組の最後には、次回のテーマが「学校に行ってほしいという気持ちに押しつぶされそうになる」という呪いであることが告知されています。
まとめ
この回は、断言しない話し方を好む2人の雑談から、子どもにレールを敷いてしまう不安の相談へと進みました。2人は、レールや親の期待そのものを否定しません。そのうえで、子どもの成長に合わせて選択肢を示すこと、損得を持ち込まないこと、影響を恐れすぎないことを提案しています。
- 長くいろいろな立場を語れるポッドキャストは、断言しない2人にとって「生きやすいメディア」だと話されている
- 小5は、大人が一方的に道を決めるより、選択肢を示して一緒に考えられる年頃だと中里さんは考えている
- 桜林さんは、好きでのびのびやる子にはかなわないのではないかと話し、レールが1本しかないことの苦しさを指摘している
- 「ここまでやったのに」という損得が混ざると要注意で、やめても損ではないという見方が示されている
- 親は何を言っても言わなくても影響を与えるため、思春期にはぶつかり合い、親の経験や弱みを話すことも大切だとしている






