SNSを見ると、なぜ「みんなちゃんとしている」と感じるのか
本題のお便りに入る前に、桜林さんは雑談を仕事にするなかで最近よく感じている「SNSの弊害」について話し始めます。子育て中の人もそうでない人も、他人の投稿を見て自分を責めてしまう場面が多いといいます。
桜林さんによれば、SNSには料理がうまくできたときや張り切ったときなど、楽しい瞬間ばかりが上がりやすいそうです。投稿すること自体は悪くないものの、見る側には「みんなちゃんとやっている」と映ってしまいます。
(SNSを見ると)みんな人生は素晴らしく輝いていて、育児は完璧にやっていてって見えちゃう。
しょうがないよね、そういうとこしか上げてないから。あげるのも悪くないじゃん、別に。ただのアルバムとしたらね。
中里さんも、Branch ── 不登校や発達障害の子どもがいる家庭を支援する事業。中里さんが代表を務め、保護者向けのコミュニティも運営していますの保護者コミュニティで似たことが起きていたと振り返ります。発達障害の子の育児では学ぶことが多く、本の感想などを熱心に書く保護者の投稿を見て、新しく入った人が「私ももっと頑張らなきゃ」と感じてしまうことがあったそうです。
そこでBranchでは、かなり前に「うちのダメなところ」を書きやすいチャンネルを作ったといいます。今ではハードルの低い投稿も増え、バランスが取れているそうです。
頑張っている保護者の投稿が目立ち、新しく入った人が「もっと頑張らなきゃ」と感じていた
ダメなところを書きやすいチャンネルを作り、ハードルの低い投稿も増えてバランスが取れた
中里さんは、リアルの人間関係ならいいところも悪いところも見えるのに、SNSではいいところばかりが目に入りやすい、とまとめます。桜林さんも、誰も悪くないのに見ることで自分を責めてしまうのは育児に限らない、と話しています。
「手を抜いてはいけない」と限界まで頑張った母親のお便り
今回取り上げるのろいは「育児に手を抜いてはいけない」。2人の子どもを育てる母親から届いたお便りを、桜林さんが読み上げます。
私はずっと育児に手を抜いてはいけないという呪いに縛られて生きてきました。子供が2人いるのですが、毎日食事は栄養バランスを考えて手作りし、家の中は常に綺麗に保ち、子供の遊びにも全力で付き合ってあげなければと思っていました。ある日、息子が幼稚園から帰ってきて、ママ、今日のお弁当、お友達のママが作ってくれたキャラ弁がすごく可愛かったんだと目を輝かせて話してくれたんです。息子は何も悪気はなかったのですが、私はちゃんとしたお弁当を作ってあげられていないと自分を責めてしまいました。それから苦手なキャラ弁作りのレシピを調べたり、早起きして彩り豊かなおかずを詰めたりするようになりました。でも正直毎日が限界です。
お便りによると、相談者は朝早くにお弁当を作り、仕事から帰るとすぐ夕食と家事、子どもが寝た後も片付けや翌日の準備で深夜になる毎日を送っていました。
先日、とうとう体調を崩して寝込んでしまいました。その日、夫が子供たちにコンビニで買ってきたお弁当を食べさせているのを見て泣いてしまいました。夫は無理しなくていいんだよと優しい言葉をかけてくれましたが、私は私が倒れてしまうとこんな手抜きな食事になってしまうと申し訳なさと情けなさでいっぱいでした。どうすればこの育児に手を抜いてはいけないという呪いから解放され、自分を許してあげることができるのでしょうか。
読み終えた2人は、まず「お疲れ様です」と声をかけます。桜林さんはこの状態を「完璧主義になっちゃう」ことだと受け止めました。
キャラ弁と比べることの何が危ないのか
中里さんは、相談者が以前から桜林さんが話している「鬼コーチタイプ」ではないかと指摘します。桜林さんも、「そんなんじゃダメだ」と言ってくる鬼コーチが自分の中にいるのかもしれない、と応じます。
桜林さんが特に気になったのは、息子さんがお友達のキャラ弁をかわいかったと話しただけで、相談者が自分を責めてしまった点です。そのキャラ弁は3か月に1回の力作だったかもしれないし、お父さんが作った渾身の一品だったかもしれません。
毎日自分が作ってるお弁当と比べて、私はこんなにできてない、もっとやんなきゃってなるのは、危ないなと思いますね。
それ(比べること)だって切りなくない。上を見たら。
中里さんは、テレビで見たプロの料理を子どもが「美味しそう」と言ったら、それも作るのかという話になってしまう、と重ねます。桜林さんは、比べる対象が多いことは「自分を責める材料がたくさんある」ことだと言い換えます。
比較対象に触れる
お友達のキャラ弁、SNS、テレビのプロの料理など
自分と比べる
「私はこんなにできていない」と感じる
もっと頑張る
早起きしてレシピを調べ、負担を増やす
キャパを超える
限界を超え、体調を崩してしまう
桜林さんは、相談者が「限界です」と書いている時点で、キャパシティはもうとっくに超えていると見ています。中里さんも、寝込むほど限界を超えているのに子どもがコンビニ弁当を食べることが許せない点に、ハードルの高さを感じたと話します。
キャパを超えて体調崩してるぐらいだったら、もうコンビニ弁当でもいいし、なんなら別に僕はマクドナルドだろうと何だろうと。
桜林さんは「食べてりゃいいよ」と応じつつ、体調を崩しても下げられないハードルは、元気なときならなおさら下げられないだろうと付け加えます。中里さんは、相談者の母親の代から続く、実家で植え付けられた価値観の可能性にも触れています。
偏食の専門家が「気にしなくていい」と言い切った理由
中里さんは少し話を広げ、発達障害の子どもの偏食の悩みを紹介します。決まったものしか食べない子に、細かく刻んだ野菜を混ぜるなど、保護者は涙ぐましい努力をしているそうです。
中里さんが信州大学の本田秀夫 ── 児童精神科医で、発達障害の臨床と研究で知られる医師。信州大学で教鞭をとり、一般向けの著書も多く出しています先生にインタビューした際、偏食について尋ねると、先生は「何も気にしなくていい、食べていれば大丈夫」とはっきり答えたといいます。本田先生自身も偏食気味だったそうです。
中里さんは、相談者の子どもが偏食というわけではないと前置きしたうえで、栄養価の高いご飯を食べさせたいというハードルは、体調を崩してまで守るほどのものではないと考えています。
本当に絶対にこれを食べさせないといけないって思ってるっていうよりは、やっぱり自分がそうしてないと気が済まないっていうだけだと思うんだよ。
自分が落ち着かないから、自分が自分に責められないためにやってるだと思うんだよ。もはや。
「べき」は減らすより増やす、という逆転の発想
桜林さんは、完璧で誰にも責められない子育てと、母親が限界ではなくゆとりのある心の状態でいることは、どちらも大事だと話します。そのうえで、相談者が守っている「べき」のリストに別の項目を加えてほしいと提案します。
完璧じゃないといけないっていうべきだけじゃなくて、お母さんが健全であるべきみたいなものも入れてほしい。
桜林さんによれば、「手を抜かない」というルールだけだと、身を削ってでも完璧にしてしまい、他のことがないがしろになりすぎます。母親は調子よくいたほうがいい、楽しいことをするべき、子どもに楽しい姿を見せるべき、といった「べき」も一緒に守ってほしいといいます。
中里さんは、子育てを完璧にすることより親の健康のほうが上だと考えていると話しつつ、複数の「べき」を同時に持てば、完璧でなければという項目の優先順位は自然と下がるはずだと応じます。すべてを継続しながら完璧にもするのは、事実上不可能だからです。
思い込みを急になくすのは難しいので、むしろ他の「べき」を増やして薄める。中里さんが「増やして薄める」と言い換えると、桜林さんは「全部やろうとしたら一個ずつのハードルは下がる」と頷きます。べきを増やして一つひとつを薄めるという発想は、桜林さん自身も「新しいかもね」と話しています。
「育児に手を抜いてはいけない」1つだけを守り、身を削ってでも完璧にしてしまう
「母親が健全であるべき」「楽しい姿を見せるべき」なども加え、一つひとつのハードルが下がる
桜林さんは、それくらい自分の「べき」を疑い、それによってないがしろにしているものを見たほうがいいと話します。今回の相談で言えば、中里さんが挙げた体調や時間、桜林さんが挙げたゆとりがそれにあたります。
子どもは母親の無理に気づいている?
桜林さんは、子どもは母親の頑張りを止めはしないものの、ヘトヘトで限界の母親が無理をしていることにはどこかで気づいているはずだ、と話します。桜林さん自身の子ども時代の感覚も重ねて語っています。
私ひねくれてたから、そういうの(無理してやってくれること)を見て、やっぱ頼んでないよって思ってたっていうか。
でもそういう笑顔で無理するのも無理しなくていいよって私だったら思っちゃう。バレると思った方がいい。
桜林さんは、お子さんにも夫にも、もう少し正直に見せていいのではないかと提案します。「点数つかないし、別に」という桜林さんの言葉に、中里さんは相談者に点数をつけられているような感覚があるのかもしれないと応じます。
中里さんの見立てでは、お友達のママのキャラ弁の話が、相談者には他の家庭との点数の差のように見えたのかもしれません。桜林さんは、仕事で他の人が褒められると自分が怒られたように感じるのと同じ構造だと話します。
本当は線引きして、その人が褒められたのはその人が良かったから。あなたがダメだったからじゃないっていう。
中里さんは、学校で点数をつけられるなど、評価される環境に長く晒されてきた結果、その価値観が根付いているのではないかと考えます。桜林さんも、誰かが点を取っても自分の点の価値は変わらないという当たり前のことが、とても難しいと話しています。
自分を「過不足なく」捉えるとは?
中里さんは、うった先生もよく言っていることとして、判断や評価をしないほうが自分にも周りにもいいとわかっていても、気づくと自分もしてしまうほど癖になっていると打ち明けます。桜林さんも「そのままを見るって本当に大変」と応じます。
そこで桜林さんが勧めるのが、自分のことを過不足なく捉えることです。わざと下げない、わざと盛らない、70点なら70点だと認める、という姿勢です。
周りが上がろうが下がろうが、まあ自分は70点なので、まああとちょっとで75にいきたいなみたいな。そしたらそこだけ頑張ればいいので。やっぱり楽なので。
中里さんが「100点にしないのが大事」と受けると、桜林さんは、100点を目指すとしても一歩ずつだと話します。自分の状態を知っていれば、無理をしていることや限界を超えそうなことにも気づけるといいます。
まあ私だし無理だよみたいな。
桜林さんは、日によっても時期によっても変わる自分の凸凹を捉えようとしていれば、こうした言い切りができ、無理をしなくなると説明しています。
中里さんは、相談者がすでに体調を崩していることを、ネガティブな出来事ではあるものの、限界を超えたと知るきっかけと捉えてはどうかと提案します。桜林さんはそれを「もう無理なんだサイン」と言い表しました。
中里さんは、体調を崩さずに子育てを続けるにはどうすればいいかを考え、すべてのハードルを下げていくことを勧めます。桜林さんの言葉で言えば「作戦変更」です。
完璧な育児は、誰のためになっているのか
桜林さんは、相談者の頑張りがもう子どものためではなくなっている、と指摘します。手を抜かない自分のプライドや、自分が自分を許せない気持ちのためにやってしまっているからです。
中里さんは、お便りにはコンビニ弁当を食べた子どもの表情は書かれていないものの、もし美味しそうに食べていたなら、それでいいはずだと話します。
「どうしたら自分を許せるのか」という相談者の問いに、桜林さんは「子どものためだよ、それこそ。子どもは喜んでないよ」と答えます。中里さんはそれを、子どもが喜んでいないから方向転換する自分を許してあげよう、とまとめました。
中里さんは、夫の「無理しなくていいんだよ」という言葉に、普段からコンビニ弁当でもいいという意味が込められていたのではないかとも推測します。そうだとすれば、夫はハードルを下げようとしてくれている協力的な存在かもしれません。
一方で桜林さんは、仮に夫が倒れた日に完璧な手料理を用意していたら、それはそれでプレッシャーになっただろうと話します。中里さんも同意し、どう転んでも自分を責めてしまう構造が浮かび上がります。
だからそれ(自分を責める癖)全然子どものためにならないから。気づけるというね、客観視。
手抜きしちゃダメって誰が言ったのね。誰も言ってない。
中里さんは、こうした悩みはBranchのコミュニティでもよく出てくる「あるある中のあるある」かもしれない、と話しています。
比較の範囲が広がった時代に、自分のキャパを知る
桜林さんは、体力が化け物のようにある人ができていることと自分を比べてはいけない、と話します。自分のキャパを知り、その中でできることだけでいいという考えです。
中里さんは冒頭のSNSの話に戻り、個人メディアの登場で比較の範囲が広がったことも一因ではないかと指摘します。
学校や幼稚園・保育園のママ友、パパ友、テレビくらいの範囲
いくらでも比較し放題になり、自分を責める材料が増え続ける
桜林さんは、SNSは参考にもなるし、自分をよくやったと思って投稿するのは全然いいと話します。ただし自分を責める材料にもなり得るので、中里さんは相談者の場合はSNSを見過ぎないほうがいいかもしれないと提案し、桜林さんも「呪いを強めてしまう」と同意しました。
最後に中里さんは、プライドやハードルを下げることが、子育てを長く続けるためにも、本当の意味で子どものためにもなると締めくくります。次回は、過去のトラウマから学校の先生を恨んだり、自分を責めてしまうのろいを扱う予定です。
まとめ
「育児に手を抜いてはいけない」というのろいの奥には、他人と比べて自分を責める癖がありました。中里さんと桜林さんは、「べき」を増やして薄めることや、自分を過不足なく捉えることで、本当の意味で子どものための育児に戻れると語っています。
- SNSや他の家庭のキャラ弁など、比べる材料が増えるほど自分を責める材料も増えていく
- 「手を抜かない」だけでなく「母親が健全であるべき」などの「べき」を増やすと、一つひとつのハードルが下がる
- 自分を盛らず下げず、70点なら70点と認めると、無理や限界に気づきやすくなる
- 体調を崩したことは「もう無理なんだ」というサインとして、作戦変更のきっかけにできる
- プライドとの戦いになった完璧な育児は、子どものためになっていない可能性がある



