NHKオンデマンドにハマった「テレビ断ちマン」
本編の相談に入る前の雑談は、NHKの話題から始まります。中里祐次さんは高校生の頃からテレビをほとんど見ておらず、自宅にはテレビの線もつないでいないそうです。
中里さんはこれまで、NHKがBranchを取り上げた番組や、発達障害・不登校を扱う番組を見るときだけ、NHKオンデマンドをブラウザで契約していました。ところが、Branchの保護者から「Amazon PrimeでNHKオンデマンドを契約できる」と教わり、普段から使っているアマプラで契約し直したところ、すっかりハマったといいます。
多分NetflixとかAmazon Primeと比較していいぐらいのレベルで、NHKってすごい番組が眠ってるんですよ。
中里さんは3年ほど前から「NHKで見たいものリスト」をメモに付けていて、50個ほどたまっていたのに、1本も見ていなかったそうです。いまは「映像の世紀」「未解決事件」「NHKスペシャル」、保護者に勧められた「虎に翼」などを順に見ていると話しています。
桜林直子さんのおすすめは、サンドウィッチマンの2人がさまざまな病院を訪れ、院内だけで聞けるラジオ番組を患者さんたちと作る「病院ラジオ」です。もう1本は、阪神淡路大震災 ── 1995年1月17日に兵庫県南部を中心に発生した大地震。6000人以上が亡くなり、被災者の心のケアが社会的な課題として注目されるきっかけにもなりましたで被災した人のトラウマやPTSD ── 心的外傷後ストレス障害。強い恐怖や衝撃を受けた体験のあと、記憶のフラッシュバックや不眠などが長く続く状態を指しますを研究した精神科医をモデルにした、2020年のドラマ「心の傷を癒すということ」です。
中里さんは、リスナーにもNHKのおすすめ番組をお便りで教えてほしいと呼びかけました。「この番組を見て呪いが解けた」というエピソードでもかまわないそうです。
3歳と0歳の子を育てる母親から届いた相談
今回の「のろい」は「子どもを心配しすぎてしまう」です。桜林さんが、リスナーのめいめいさんから届いたお便りを読み上げました。
現在私は3歳と0歳の子を育てています。私が呪いに感じていることは、子供を心配しすぎてしまうことです。私の母親はとても心配性な人でした。私が幼い頃から何をやるにしても心配そうにしていて、危ないことは先回りして止められていました。
年齢が上がり、進路を考える時期になると、女の子が一人暮らしなんて危ないとか、この職業は安定してないから成功できる人なんてほんの一握りだよなどと言われ、結局大学は自宅から通える範囲、就職はいわゆる安定した職業に就くことになりました。こうしなさいと命令されたことはないのです。しかし常々心配され、これは危ないと散々言われた結果、自分の意志よりも母親の期待に沿うような道を選んできてしまったように思います。
つらいことがあった時には、母にこれ以上心配かけたくないと思って相談することができませんでした。自分も母親になった今、子供を心配しすぎることで子供の選択肢を狭めたり、挑戦する自由を奪いたくないのです。子供には自分の人生を好きなように選び、挑戦し、生きていってほしいと思っています。
しかし、ふとした時に子供のことを過剰に心配してしまっている自分がいます。しかも、このことには自分で気づけず、夫や周りに心配しすぎだよと言われてふと我に返るのです。
現在も母は孫に対しても心配が尽きず、保育園で友達と喧嘩してできた小さなひっかき傷なんかもすごく大げさに心配するので、母の話を聞くともっと心配するべきなのか、これは見過ごしてはいけないのかなどとどんどん心配する気持ちが湧き上がってきてしまいます。子供を心配しすぎてしまうということについて、お二人はどのように思いますか?
めいめいさんの相談には、3つの層が重なっています。自分が母親の心配によって進路を選んできた過去、自分の子どもを心配しすぎてしまういま、そして孫を心配する母親の言葉に引っ張られてしまう現在の関係です。
先回りの心配
幼い頃から、危ないことは先回りして止められた
進路への不安
一人暮らしや不安定な職業の危うさを繰り返し聞かされた
期待に沿う選択
自宅から通える大学と、安定した職業を選んだ
相談できない
心配をかけたくなくて、つらいときも母に相談できなかった
「子どもに挑戦してほしい」と気づいていれば大丈夫なのか
中里さんはまず、めいめいさんを「共感性の高い方」と受け止めました。祖母がひっかき傷を大げさに心配するのを見て、自分も同じように心配すべきなのかと考えてしまう点に、母親への強い共感が表れていると見ています。
いくつになっても親は正しいこと言ってるっていう感じが消えないっていうだけな気もするけどね。
桜林さんが注目したのは、お便りの中の「子供には自分の人生を好きなように選び、挑戦し、生きていってほしい」という一文です。この思いさえあれば大丈夫だ、と桜林さんは話します。
(お母さんが)よかれと思って心配していたのって、それが選択肢を狭めることになるとか、挑戦する自由を奪っていることになるって、多分気がついてなかったと思うんだよね。
一方で、めいめいさんはそのことに気づいています。だから心配すること自体はやめられなくても、言い方や伝え方は工夫できるはずだ、というのが桜林さんの見立てです。
中里さんも、めいめいさんは自分のことも子どものことも母親のこともメタ認知 ── 自分の考えや行動を、一段上の視点から客観的に捉えること。自分がいま何をどう感じているかに気づく力とも言えますできていると評価します。子どもが3歳と0歳でまだ小さく、心配が尽きない時期でもあるので、子どもが自分の意思を持つ頃には手放せるのではないかと話しました。
心配しすぎは「信用していない」になる
桜林さんは、心配するのは子どもが大事だからだと認めたうえで、心配しすぎると、子どもから見て「信用されていない」ことになってしまうと指摘します。
桜林さんによると、小さい子が本当に危ないことをしたときに止めるのとは別に、一人暮らしや職業の将来といった未知のものに対して、マイナス面だけを並べて心配するのは、選択肢を狭める行為です。
危ないよ、それでもやるの?っていう、ちょっと脅しに近いじゃん。
本当は親が「自分の近くにいてほしい」だけなのに、心配を理由に子どもをそう仕向けている面がある、と桜林さんは話します。そして、子どもがどう受け取るかは性格によって変わるといいます。
「心配なのはわかるけど、やってみるよ」と、うるさがりながらも自分で挑戦する
「お母さんを心配させたくない」と考えて、安全な方を選ぶ
親子の性格の組み合わせによって結果が変わる、というのが桜林さんの見方です。めいめいさんは、後者のタイプとして育ってきたと読み取れます。
「毎月新しい怪我してるね」と笑ってくれた母
桜林さんの話を聞いて、中里さんは自分の子ども時代を思い出しました。中里さんはアクティブすぎて、とにかく怪我の多い子どもだったそうです。
(母親に)「悠ちゃんは本当に毎月、毎月新しい怪我してるね」アハハみたいな感じだったんですよ。
中里さんの母親は、怪我を心配するより笑って受け止めていました。そのおかげで中里さんは、怪我をむしろ誇らしく感じ、もっとアクティブに動こうと思えたといいます。
ちょっとこう、自由度の高い精神性でいられたなって。
中里さんは、親や祖母の心配の範囲の中にいてねと枠をはめられると窮屈かもしれないが、その枠を取り払えば、子どもはいろいろなところへ行けるのではないかと話しました。
桜林さんは、親が「心配だからやめてほしい」「私はこっちの方がいいと思う」と表明すること自体は全然いいと言います。ただし、親は子どもに必ず影響を与えるので、子どもが親の喜ぶ選択をしてしまうことは避けられません。それを分かったうえで伝えるのがよい、というのが桜林さんの考えです。
孫を心配する母に、どう伝えればいいのか
中里さんは、めいめいさんが「自分の母親に、孫をそんなに心配しないでと言うべきか」も気にしているのではないかと考えました。子どもが大きくなってもずっと心配され続けたら、めいめいさんのように引っ張られてしまうかもしれないからです。
中里さんは、母親に伝えるのは全然かまわないとしたうえで、角が立たない言い方を考えます。桜林さんは、そのまま言うなら「そんなに言われると私まで心配になっちゃうから言わないで」が本当のところだろうと話しました。
保育園でそういう風に友達と喧嘩したりしてるのも、お子さんにとってはコミュニケーションの一環だし、そこでも学びがあると思うから、親としての私はそれも許容してる(と伝える)。
心配したとしても、私に言ってくれるのはいいけど、私の子供に対しては直接言わないでほしい。
桜林さんは、どんな言い方で何を言えるかは親子の関係性によると前置きします。そのうえで、母親が何を言っても「そうだね」と聞いて受け流せるなら、止めなくてもいいといいます。
お母さんの心配を止めずに、自分は心配しないっていう、そこの線引きができれば本当は一番いいんだけど。
ただ、その線引きは急にはできません。母親の言葉で「私が悪いのかな」「もっと心配した方がいいのかな」となってしまうなら、「こっちでちゃんと考えるから大丈夫だよ」と伝えて、言わないでもらう必要もあるかもしれない、と桜林さんは話しました。
「ありがとうね」はノーサンキューの意味
桜林さんは、心配性の人は「避けられるリスクに、なぜ先に手を打たないのか」という感覚で心配していると説明します。だから「言わないで」と返すと、相手を傷つけてしまう面があるといいます。
中里さんは、心配が愛情表現と表裏一体であることにも触れました。子どもにとっては、母親も祖母も自分をこんなに思ってくれている、という感覚になる可能性もあり、そこが難しいところだと話しています。
あら、心配しすぎよ、ありがとうねぐらいがいいんだけど。
一方で中里さんは、お便りから、めいめいさんがこれまで母親に意見を言えてこなかったのではないかと読み取ります。母の期待に応えたいと思い、つらいときも相談できなかったのであれば、「心配しすぎよ」と軽く言うのも難しい空気なのかもしれません。桜林さんも、言えていたら自分のときにとっくに言っているはずだと同意しました。
親の心配は、心配している親のもの
ここで桜林さんは、心配という感情を誰のものとして扱うかを整理します。母親の心配は母親のもので、めいめいさん自身の判断とは切り分けてよい、という考えです。
あなたがどんなに心配するのは勝手だけど、私のことは私で決めるよができるのが本当は一番良くて。
桜林さんは、めいめいさんが「自分も心配しなきゃいけないのかな」と感じるのも、本当に心配すべきかどうかではなく、母親がそう言っているからという理由で、母親の期待に応えているだけなのではないかと話します。
中里さんは、めいめいさん自身は課題の分離 ── 心理学者アドラーの考え方で、ある問題が誰の課題なのかを見極め、他人の課題に踏み込まず、自分の課題にも踏み込ませないという姿勢を指しますがかなりできている人だと見ています。難しいのは、祖母にあたる母親がそこまでできるかどうかだ、という点で2人は一致しました。
桜林さんは、夫や周りの人が「心配しすぎだよ」と言ってくれるなら、何度でも言ってもらえばいいと話します。本当によかれと思っている人は、そう言われると「心配すべきでしょ」と怒ることもありますが、めいめいさんのように我に返れるなら大丈夫だといいます。
まだ長丁場、何度も気づいて練習するしかない
中里さんは、めいめいさん自身のことはそれほど心配していないと話します。子どもが3歳と0歳なら心配が尽きないのは当然で、もう少し大きくなれば「そろそろ心配しすぎかも」と自分で気づけるだろう、という見立てです。むしろ難しいのは母親との関係だと考えています。
私はずっとお母さんに心配され続けてこういう生き方になったけど、そうじゃない方がいいと思ってるから、自分の子供に対してはそこまで心配しすぎないでほしい(と話す)。
中里さんは、子どもが小学生になっても母親が同じ調子なら、膝をつき合わせてこう話し合うだろうと語りました。桜林さんも、それが言えるといいとしつつ、関係性次第だと添えています。
最後に桜林さんは、子育てはまだ長丁場だと話しました。このまま続けたらまずいとめいめいさん自身が分かっているのだから、何度も気づいて、何度も練習するしかない、というのが2人の結論です。
中里さんは、怪我や出血には誰でも驚くものだと共感しつつ、毎回怪我してくるうちに慣れてくるかもしれないと話しました。桜林さんは「心配しすぎるとこっちが持たない」という感覚も、手放すきっかけになると付け加えています。
まとめ
今回の相談は、心配性の母親のもとで期待に沿う道を選んできためいめいさんが、自分の子どもへの心配しすぎと、孫を心配する母親との関係にどう向き合うかがテーマでした。中里さんと桜林さんは、子どもに挑戦してほしいと気づけていることを強みと捉え、心配を誰のものとして扱うかという線引きを、時間をかけて練習していくことを勧めています。
- 心配しすぎると、子どもには「信用されていない」と伝わり、選択肢を狭めることがある
- 子どもが心配を振り切るか、受け入れて安全な道を選ぶかは、親子の性格の組み合わせによる
- 親の心配は親のものと考え、自分の子どものことは自分で考えると切り分ける
- 「心配してくれてありがとうね」は、角を立てずに心配を断る言い方になる
- 心配しすぎに気づくたびに練習を重ねれば、少しずつ手放せるようになる





