チーフたまごっちオフィサーは何代目?6代続く理由
番組「The Solutions」は、思わず「その手があったか」と言いたくなるアイデアに着目するビジネスメディアです。今回のテーマは、社会現象を何度も巻き起こすたまごっちのアイデアです。
ゲストは株式会社バンダイのチーフたまごっちオフィサー、辻太郎さんです。三浦崇宏さんが「何代目ですか」と尋ねると、辻さんは6代目だと答えました。
そんなにいるんかい。本当ですか?
本当です。
初代は「オヤジッチ」という、ヒゲのおじさんのキャラクターがモデルだったと辻さんは説明します。オフィサー制が敷かれているのは、たまごっち・ガンダム・パックマンの3つだけだといいます。
この3つは、キャラクターありきではなく、商品やゲーム機から生み出されたキャラクターだという共通点があります。チーフオフィサー制 ── 特定のキャラクターやブランドを専任で統括する担当役員を置く制度。ここではたまごっち・ガンダム・パックマンの3つだけに設けられているとされる
発売30周年を迎えたたまごっちは、国内外の累計出荷数が1億個を突破しています。物理的なおもちゃで、しかも育てるものであることを考えると、この数字は珍しいと三浦さんは指摘します。
なぜ「男の子向けの虫を育てる時計」が生まれたのか
初代たまごっちは、バンダイの経営が厳しい状況で生まれました。辻さんが入社した1991年以降、業界全体が不調で、会社は赤字スレスレを彷徨っていたといいます。
セーラームーンのヒット以降はヒットキャラクターに恵まれず、苦しい状況が続いていました。たまごっちを企画したのは、もともと男の子向けおもちゃを担当する事業部でした。
その事業部は、仮面ライダーのような特撮ヒーローの変身道具やロボットを作る、テレビマーチャンダイジングが本業でした。テレビマーチャンダイジング ── テレビ番組に登場するロボットや変身アイテムなどを、子ども向けのおもちゃとして商品化する事業のこと
「このままではダメだ」という危機感から、1995年の夏に山中湖で合宿が行われます。そこで最初に出てきたのが、たまごっちの企画書でした。
最初のアイデアは、男の子がデジタルの虫や生き物を捕まえていく、時計型の商品でした。虫や生き物が大好きなブレーンの発案だったといいます。
(この企画は)ちょっと今でいうと名前出していいかわからないですけど、ポケモンみたいな。生き物を捕まえて育てる男子向けのプロダクトだったんですね。
昆虫は飼うのが大変で、死んでしまうし、親にも反対される。その体験を、身につけられる時計型のプロダクトにしようというアイデアでした。
「売れない」と反対された企画が女子向けに変わるまで
本業がテレビ発のおもちゃだったバンダイにとって、テレビ番組もキャラクターもない「ノンキャラ」のたまごっちは異例でした。営業もほとんどのメンバーも「売れない」と反発したといいます。
世の中にたまごっちがない状態でこの時計を見せられて、ここに虫みたいな生き物がいて、それを育てるんだよって言われたら、ちょっと何言ってんのかなっていう感じになりますよね。
反対の中でも、担当の一部メンバーは「これは絶対に化ける」と信じ、約1年かけて市場調査を続けました。テレビを使えないため、全国に知ってもらうことは無理だと考えていたのです。
そこで当時の流行の最先端だった原宿や渋谷で、とんがった店の人や有識者にアンケートを取っていきました。すると、男の子向けだと思っていた反応が変わってきます。
これは男の子じゃないんじゃないかと。女子高生なんかピキピキッと来てるよとか。
当時、女子高生は小型のテトリスをバッグにつけていました。そこで時計のバンドをやめ、キーホルダー型にしてみようという発想が生まれます。
さらに、女子には虫が苦手な人もいるため、虫ではなく動物っぽい生き物へと姿を変えていきました。こうした改変を繰り返し、今のたまごっちの形になっていきます。
なぜ女子向けだと判断したのか。辻さんは、原宿でのアンケートに加え、女子高生の口コミで広がる可能性が理由だったと話します。
たまごっちのヒットのもう一つの要因として、口コミマーケティングの強化があったといいます。原宿に根を張り、女子高生マーケティングを手がける会社と組んでプロモーションを展開しました。バーバルマーケティング ── 口コミなど、人から人へ言葉で伝わることを重視したマーケティング手法。SNSがない時代は特に有効だったとされる
デジタルなのに「死ぬ」仕様はどう生まれたか
三浦さんは、たまごっちが「死ぬ」仕様に注目します。デジタルなら死なない設定もできたはずなのに、育て方次第で死んでしまうのは尖った仕様だと指摘しました。
辻さんは、企画メンバーが生き物好きだったことを理由に挙げます。生き物を育てるとき、その時間を止めることは絶対にできないという考え方が根底にありました。
時間は人間が生きているのと同じように流れ、その中で世話をしていく。この点は1996年から今も引き継がれ、絶対に変えないものの一つだといいます。
生命の疑似体験であることは、たまごっちの最も大事な部分でもあります。だからこそ、おもちゃで死を扱うという当時なかった表現に踏み込みました。
進行役は、自分もたまごっちを育てたがすぐ死なせてしまったと明かします。辻さんによれば、世話が最もかかるのはベビー期で、成長するにつれ世話が減っていくのは普通の生き物と同じだといいます。
テストセールスで即完売。50万個を発注した大博打
初代たまごっちの発売日は1996年11月23日です。ほとんどの人が売れないと思っていたため、企画チームはその1カ月前にテストセールスで実力を示すことにしました。
原宿や銀座の大手玩具店で行われたテストセールスは、あっという間に売り切れます。SNSもスマホもない時代、売れた要因は口コミと、原宿という情報発信基地でした。
原宿のお店は情報発信基地みたいな形になったんで、毎週そこら辺に歩いてる人たちがそれを見て、口コミで広げていく。
本発売で用意した数は約30万個でした。当時は売れ筋の合体ロボットでも1年で20万〜30万個の商売だったため、通常なら過剰な数です。
さらに、1980円という価格に収めるには、30万個、正確には50万個ほどの部材を発注する必要がありました。もともとは2980円ほどの値付けでしたが、それではダメだと考えたのです。
そこで50万個、できれば100万個売ってペイできるように価格を下げるという判断をします。大きな在庫リスクを抱えたチャレンジでしたが、結果として本当に売れました。
60億円の赤字。ブームが去り「もう終わった」空気に
一度目のブームが収束すると、大量の在庫が残りました。原因は、情報網が乏しく市場をうまく見られなかったことにあります。
辻さんは、流通の連鎖注文の例を挙げます。50個ほしい店が「どうせ入ってこない」と複数の流通に多めに発注し、流通側もさらに多めに発注した結果、注文が膨れ上がったといいます。
(1店が)50個しか欲しくなかったのが、僕らのところに来た時には5000個ぐらいオーダーが来た。
この在庫問題は世界中で起きました。たまごっちは1997年ごろにアメリカでも発売され、ウォルマートでレコードを作るほど売れていたのです。
結果として60億円の赤字を出し、同時に動いていた別の大型プロジェクトも大きく赤字になりました。「やばいぞ」という空気になったと辻さんは振り返ります。
当時は「もう終わった」という雰囲気で、社内は「たまごっちありがとうございました」というムードだったといいます。
技術革新で復活。第2次・第3次ブームの仕掛け
第2次ブームのきっかけは、昔のたまごっちをもう一度遊んでいる女子中高生や小学生がいる、という情報でした。この情報がなければ復活はなかったといいます。
一度目のブーム後、たまごっちは終売していました。作っても買ってもらえないため、8年ほど作っていなかったのです。
2002年ごろにその情報をつかみ、当時の女子高生が携帯電話の赤外線通信でやり取りしていた時代に合わせた商品を考えます。そうして2004年に「かえってきた!たまごっちプラス」が生まれました。
この商品は赤外線で携帯とつながり、iモード内の「たまごっちタウン」に自分のたまごっちが遊びに行けました。買い物やゲームをして戻ってくる遊びを付加したのです。iモード ── 当時のNTTドコモの携帯電話向けインターネット接続サービス。着メロや写メのやり取りが流行していた
地方ごとの当たりも用意され、北海道ならシャケ、青森ならリンゴといった、その土地のものが反映される仕組みも取り入れました。
第3次ブームでは、カラー液晶を採用します。最先端技術が安くなっておもちゃに使えるようになる、というおもちゃ業界ならではの流れを活かしたものです。
おもちゃ屋さんは最先端技術はあまり使えないんですけれども、最先端技術が落ちてくると安くなって、それをおもちゃにできるようになるんですね。
カラー化により、怒ると顔が真っ赤になるなど表情が豊かになりました。さらに、得意のテレビマーチャンダイジングでたまごっちの番組を作り、盛り上げていったといいます。
毎回死んで復活を防ぐ。チーフオフィサー制の意味
第3次ブーム以降、たまごっちが完全に潜んだわけではありません。かつてのような、市場を無視した大量生産で大在庫を残すことをやめたからです。
正式にチーフオフィサー制が整ったのは2004年ごろです。ブームごとに終売と復活を繰り返すのではなく、たまごっちを存続させる体制が整いました。
毎回ブームになっては死んでじゃなくて、一定たまごっちというものを存続させるような体制が整ったってこと。
いろいろな情報を一つに集約し、グループとしてきちんと動く。これが、ブームに頼らず品質管理や生産管理を続けられるようになった背景です。
準備していたから乗れた。第4次ブームの舞台裏
第4次ブームは平成女児カルチャーがきっかけですが、辻さんはこのブームを読んでいたわけではないと明かします。読めるものではなかったといいます。
一方で、たまごっち30周年となる11月23日を最大のピークにしようと、数年前から準備していました。サンプル送付やライセンスアウト、各種コラボなど、あらゆる仕掛けを続けてきたのです。
そこに「平成女児売れ」の波が来て、準備の上に乗る形になりました。ここまで大きな波が来るとは正直思わなかったと辻さんは語ります。
うまくいっていないからといって手を休めてはいけない。三浦さんの言葉に、辻さんも同意します。
30年で変えたことと、絶対に変えなかったこと
三浦さんが30年で最も重要な転換点を尋ねると、辻さんは最初の第1次の失敗を教訓に挙げます。当時約4000万個を出しており、それがなければ今の第2〜第3世代のユーザーは生まれていなかったといいます。
無謀に見えても、在庫リスクを抱えて一度火を噴いたことが、世代を超えて生き残ることにつながった、という見立てです。
辻さんは、変えていないものとして「卵型に液晶、3つのボタン」というシンプルな構造を挙げます。そしてもう一つ、企画担当に必ず伝えていることがあります。
だから、へんてこなキャラクターや、宇宙レベルから細胞レベルまでチェックできるような変わったギミックを必ず入れるよう伝えているといいます。育成という基本構造や、空で育てると翼が生える進化の要素も残しました。
変えている部分は、その時代の技術です。カラー化に加え、Wi-Fiで世界中のファンとつながる機種など、技術革新を取り入れてきました。
卵型・液晶・3つボタンの基本構造、ポーズボタンのない育成、必ず入れる「トゲ」やへんてこな要素
カラー液晶、赤外線通信、Wi-Fiでの交信など、その時代の技術
「死」の表現はどう進化したか。星になるたまごっち
「死ぬ」仕様も、細部では試行錯誤がありました。海外の一部商品では、死ぬのではなく家出の手紙を置いて去るという表現を採用したこともあります。
日本の一部仕様でも試しましたが、育てて死んだことで感情を揺さぶられることが大事だという結論に至ります。最新機種では、死んだたまごっちが星になる表現になりました。
3つの星はそれぞれ死んだたまごっちを表し、死因が書いてあることもあるといいます。餓死やたまごっち病など、独特の表現です。
(星は)もう過去の亡くなったたまごっちたちが星で見守ってるっていう。
初期には、たまごっちを育てて死なせてしまったので土に埋めてお祈りしている、という子どもの手紙が届いたこともありました。それほど感情移入されていたのです。
時間を奪ったイグノーベル賞と、社内に残した文化
たまごっちの社会的インパクトとして、辻さんはイグノーベル賞の受賞を挙げます。イグノーベル賞 ── 人々を笑わせ、そして考えさせる研究や業績に贈られる賞。ノーベル賞のパロディとして知られる
受賞テーマは「世界中の人々の時間を奪った」というものでした。おもちゃ屋として冥利に尽きると辻さんは語り、もう一度取りたいと個人的に思っているといいます。
社内へのインパクトとしては、CTO=チーフたまごっちオフィサー制が生まれるほど会社を変えたことが挙げられます。たまごっちがなければこの制度はなかったかもしれないといいます。
三浦さんは、本当にすごいアイデアは誰かが反対するものだと語ります。社内で反対されたものが大ヒットした事実は、社員のチャレンジを後押しするといいます。
辻さんによれば、当時は自分も含めて誰も売れると思っていませんでした。それでも熱意を持って1年以上取り組み、50万個の発注という「清水の舞台から飛び降りる」チャレンジをした成功例を、今も言い続けているといいます。
多様化する「たまごっちダイバーシティ」と未来構想
一過性で終わらず何度もブームを起こせる秘訣として、辻さんは種類の使い分けを挙げます。現在は大小さまざまなたまごっちがあり、それぞれ役割が異なります。
- 最も小さいタイプ:流行のキャラクターや物事とコラボさせるためのもの
- 小さいタイプ:原点に戻り、育成の基礎を体験するためのもの
- 最新機種:Wi-Fiや友達との交換など、今の時代に対応したもの
多様化する社会に合わせ、いろいろな人にいろいろな対応ができるたまごっちを作り、長く生き残らせたいと辻さんは話します。三浦さんはこれを「たまごっちダイバーシティ」と表現しました。
第5次ブームについて尋ねられると、辻さんは第4次ブームが永遠に続くことを願うと答えます。第5次と言うには一度下がる必要があるためです。
未来の構想としては、デジタルペットではなく、リアルで自分の周りにいるようなたまごっちや、VRなどでつないだたまごっちを挙げました。
若手へのアドバイス。やりきることと、海外に出ること
最後に、長く愛されるプロダクトを生み出したい若手ビジネスパーソンへのアドバイスを求められました。辻さんはまず、若手に活躍してもらいたいという思いを語ります。
SNSの情報など、今の消費者の気持ちは若手のほうが多くわかっている。だから若手に自由に楽しくやってもらいたい、若い頃は汗水垂らして熱くやったほうがいいと話します。
やってはいけないこととして、辻さんは「やりきらないこと」を挙げます。成功でも失敗でも、やりきってわかることのほうが多いからです。
失敗は多分上司が取ってくれるので、失敗をどんどんしろというふうに僕は彼らに伝えています。
周りが反対しても第4次ブームまで作ってきたたまごっち自身が、中途半端に止めずやりきることの価値を証明していると三浦さんは語ります。
もう一つのアドバイスは、海外に出ることでした。日本にも可能性はあるが、それ以上に大きなマーケットと、多様な趣味嗜好や考え方を知れるのが海外だといいます。機会があればどんどん手を挙げて出たほうがいいと辻さんは締めくくりました。
まとめ
たまごっちは、社内で反対された「男の子向けの虫を育てる時計」から始まり、女子向けへの転換、巨額赤字、そして何度もの復活を経て、1億個へと育ちました。育むという根源的な感情のプロダクト化と、変えない基本構造・変える技術・必ず入れるトゲの三本柱が、30年愛される秘訣として語られています。
- たまごっちは経営難の中、テレビもキャラクターもない異例の企画として生まれ、社内では「売れない」と反対された
- 原宿でのアンケートと口コミを起点に、男の子向けの虫から女子向けのペットへと大きく設計を変えた
- 初代は約50万個の部材発注という大博打の末に即完売したが、その後の流通トラブルで60億円の赤字を出した
- 赤外線・カラー液晶・Wi-Fiなど時代の技術を取り入れ、卵型・3つボタン・死ぬ育成という核は変えずに何度も復活してきた
- 「準備していなければ波には乗れない」「反対されても熱意を持ってやりきる」が、たまごっちが証明したチャレンジの教訓







