都営地下鉄ホームドア、20億円→270万円の衝撃──QRコード1枚が起こした"ホームドア革命"
The Solutionsに、東京都交通局車両電気部フェローの岡本誠司さんがゲスト出演。都営浅草線のホームドア設置にあたり、従来なら約20億円かかるはずだった車両改修費を、QRコードを貼るだけで約270万円に抑えたアイデアの全貌を、MCの三浦崇宏さんとともに掘り下げました。その内容をまとめます。
ホームドアはなぜ必要になったのか
そもそもホームドアは、安全のためではなくワンマン運転を実現するために生まれた設備でした。従来は車掌がホーム上の乗客の安全を目視で確認してから発車していましたが、車掌をなくすにはホームと線路を物理的に仕切る必要があったのです。
2000年頃から都営三田線東京都交通局が運営する地下鉄路線。目黒〜西高島平を結ぶ。ホームドア導入の先駆けとなった路線のひとつ。でホームドアの設置が始まると、思わぬ副次効果が判明しました。転落事故が激減したのです。「ホームドアは過保護だ」「無駄だ」という声もあった当時、実際に設置された駅では「こんな狭いホームで電車が来ても怖くない」と利用者の安心感が大きく向上しました。
ワンマン運転のためにホームドアを付けたら転落事故がなくなったんですね
こうして国もバリアフリーの一環としてホームドアの普及を推進し始め、都営交通は「全駅にホームドアを設置する」という方針を打ち出しました。まず大江戸線、次に新宿線と、自社車両だけで完結する路線から着手していきます。
都営浅草線の"20億円の壁"
問題は都営浅草線東京都交通局が運営する地下鉄路線。西馬込〜押上を結ぶ。京急・京成・北総鉄道・芝山鉄$ä道と相互直通運転を行っており、乗り入れ車両の種類が非常に多い。でした。浅草線は複数の私鉄と相互直通運転異なる鉄道事業者の路線同士が、乗り換えなしで直通運転する仕組み。利用者の利便性は高まるが、車両規格の統一や費用分担など事業者間の調整が複雑になる。を行っており、都営区間は路線全体のごく一部。左右に広がる相手会社の駅数は都営の数倍にのぼります。
従来方式
車両に無線装置を搭載し、ホームドアと機械的に連動させる
1両あたり数千万円の改造費
相互直通運転の他社車両すべてに改造が必要
他社の回答:「うちはやらない。そんなお金は払わない」
合意形成がほぼ不可能に
従来のやり方では、ホームドアと車両ドアを連動させるために全車両に無線装置を搭載する改造が必要でした。しかし他社は「うちの路線にはまだ付けないから、そんなお金は出せない」と当然の反応を示します。試算すると車両改修費だけで約20億円。岡本さんによれば「全体を考えるともっと大きくなる」とのことでした。
もう無理だな、これ
しかし当時の局長は「全駅ホームドアをつける」という信念に燃えており、会議のたびに「まだなんとかならないのか」「早くなんとかしろ」とプレッシャーをかけ続けていたそうです。岡本さんは「普通にやったら絶対無理」と悟りながらも、革命的にコストを下げる方法を探し始めます。
「QRコードを貼るだけ」という着想
岡本さんが最初に考えたのは「車両に何も手を加えず、ドアの開閉だけを検知できないか」というアプローチでした。しかし浅草線を走る車両は種類が非常に多く、ペンキ塗装のドア、ヘアライン仕上げ、アルミ、ステンレスとバラバラ。ドアの有無だけをセンサーで読み取る方法では精度が出ませんでした。
そこで「何かマーキングをして、それを読み取る」方向に切り替えます。横長のバーコードやアメリカ規格の2次元バーコードなども検討した中で、たどり着いたのがQRコード1994年にデンソー(現デンソーウェーブ)が開発した2次元バーコード。高速読み取り・大容量・誤り訂正機能が特徴。JIS規格・ISO規格に登録されており、仕様はオープンに公開されている。でした。
全車両に無線装置を搭載して改造
改修費:約20億円以上
他社との合意形成が必須
車両のドア窓にQRコードシールを貼るだけ
費用:約270万円
シールを貼る許可だけでOK
仕組みはこうです。車両ドアの窓の左右にQRコードのシールを貼り、ホーム上部に設置したカメラで読み取ります。電車が進入してくるとQRコードが並行して移動し、停車するとドアの位置で止まる。ドアが開くとQRコードが左右に移動し、完全に開き切ると見えなくなる──こうした7種類の状態をカメラで検出し、それぞれの状態に応じてホームドアを制御するのです。
本来は無線機を車両の中に突っ込んで改造しなきゃいけなかったものを、QRコード1枚バチンと貼るだけで課題解決したってことですよね
実験では読み取り成功率がなんと100%。「95%か98%いけばいいかなと思っていた」という岡本さんの予想を大きく上回る結果でした。
デンソーウェーブとの共同開発
QRコードの規格はJIS規格書に掲載されており、オープンに使えるものでした。しかし岡本さんは「本家本元に声をかけた方がいいものができる」と判断。鉄道技術の業界団体にデンソーウェーブ株式会社デンソーウェーブ。自動認識機器やFA機器を手がける企業で、QRコードの開発元として知られる。愛知県刈谷市に本社を置く。が加盟していることを知り、そこで声をかけたのです。
ビジネス交流会なんて大体全部意味ないじゃないですか。そんな有意義な出会いがあった
話が進むにつれ、デンソーウェーブ側も本格的にリソースを割く必要が出てきました。岡本さんは愛知県刈谷市の本社まで出向いて社長にプレゼンし、「ホームドアは転落事故をなくすための社会的に意義ある仕事だ」と訴えます。社長の反応は「これは素晴らしい。頑張りましょう」。QRコードの新たな応用先を探していたデンソーウェーブにとっても、ちょうどいいタイミングだったのです。
TQRコード──従来のQRコードとの違い
共同開発で生まれたのがTQRコードと呼ばれる特殊仕様のQRコードです。従来のQRコードは「中に書き込まれたデータを読み取る」のが主な使い方でしたが、TQRコードでは読み取った位置のX・Y座標をデータとして活用できるようにソフトウェアを開発しました。
地下鉄なら問題なくても、地上の鉄道では朝日や夕日が差し込み、日陰と日向がくっきり分かれることがあります。カメラで撮ると片側しか読めなくなるため、誤り訂正率を50%に引き上げることで「どんな光環境でも確実に読める」QRコードに仕上げました。汚れにも強く、高速で読み取れる設計です。
夜中の実証実験と3年の道のり
QRコードで読み取れることが確認できても、それはまだ入り口に過ぎませんでした。人命がかかるシステムだけに、安全性と可用性の検証は膨大なものになります。
試験はすべて終電後の深夜に実施。メーカーの工場に余っていたホームドアの部品を借りてきて、ホーム上に仮設して夜な夜なテストを繰り返しました。右と左で色が違う「ちぐはぐなホームドア」が、その奮闘の証です。
これ、なんだかんだ3年かかってます
道中にはトラブルも続出しました。当初はシール1枚で済ませようとしていたものの、ドアの開閉速度と電車の移動速度の切り分けが難しく、結局2枚貼る方式に変更。他社にシールの貼り付けを依頼したら貼り間違えてしまうケースも。一つひとつ問題を潰しながら、実際の営業運転の中で1台だけホームドアを設置して検証を行い、最終的にシステムとしての承認を得ました。
転落事故ゼロと特許のオープン化
2024年2月、都営地下鉄は全駅のホームドア整備を完了しました。その結果、転落事故数はゼロに。岡本さんによれば、ホームには2種類の転落があるといいます。「強い意志を持って飛び込む方」と「貧血や酔って意図せず落ちてしまう方」。ホームドアは後者を完全に防ぐことができたのです。
転落事故が多発。狭いホームで電車が通過する恐怖。車両改修に20億円以上が必要で、浅草線への設置は事実上不可能
都営地下鉄全駅にホームドア設置完了。転落事故ゼロを達成。QRコード方式により費用は約270万円に抑制
さらに注目すべきは、このQRコードシステムの特許をオープン化したことです。東京都交通局が特許を取得した理由は、独占のためではありません。「自分たちが取らなければ誰かが取って押さえ込んでしまう。自分たちが取ることで、どこのメーカーのホームドアでも、どこの鉄道会社でも使えるようにした」と岡本さんは語ります。
オープン化するために自分たちで取ったってことですね。めちゃくちゃ懐広いですね。東京都かっこよ
この技術のおかげで、それまで手動でホームドアを運用しようとしていた他社が連動制御に切り替えたり、将来的な無線装置導入までの「つなぎ」として採用したりと、ホームドア普及の選択肢が大きく広がりました。
ちなみに、このプロジェクトに対する岡本さんへの報酬は「知事表彰と職員表彰、そしてクロスのボールペン」だったそうです。三浦さんが「お金じゃないんだよ……」と苦笑する場面も。岡本さんは映画『シン・ゴジラ』の名台詞を引用し、「仕事ですから」と一言で締めくくりました。
若手へのメッセージ──思考を上げ下げせよ
最後に、イノベーションを生み出したい若手ビジネスパーソンへのアドバイスを求められた岡本さんは、こう答えました。
思考をやっぱり上げたり下げたり。応用編で煮詰まったらもう一度根っこに戻る。そういった考え方が大事かなと思ってます
知識を身につけるほど応用に走りがちですが、行き詰まったときこそ「そもそも何が本当に必要なのか」というシンプルな根っこに立ち返る。岡本さんのホームドア革命も、「車両に無線装置を積む」という応用から、「ドアの開閉状態さえわかればいい」という根っこに戻ったことで生まれたアイデアでした。
まとめ
都営浅草線のホームドア問題は、「お金がないから無理」で終わってもおかしくない案件でした。しかし岡本さんは「無線装置を積む」という前提そのものを疑い、QRコードという身近な技術で突破口を開きました。20億円が270万円に。その差額の大きさ以上に、「本当に必要なものは何か」を見極める思考の力が、このプロジェクトの核心だったのではないでしょうか。
次に都営浅草線に乗ったとき、ドアの窓の外側に貼られたQRコードをぜひ探してみてください。あの小さなシールが、都民の安全を静かに守り続けています。
- ホームドアはワンマン運転のために始まったが、転落事故防止に絶大な効果があると判明した
- 都営浅草線は相互直通運転のため、従来方式(車両に無線装置を搭載)では約20億円以上の改修費が必要だった
- 岡本誠司さんが発案した「車両のドアにQRコードを貼り、ホーム上のカメラで読み取る」方式により、費用を約270万円に抑制
- デンソーウェーブとの共同開発で、誤り訂正率50%・位置検出が可能なTQRコードを実現
- 3年間の実証実験を経て実用化。読み取り成功率は100%
- 東京都交通局は特許を取得した上でオープン化し、他の鉄道会社でも利用可能に
- 都営地下鉄全駅のホームドア整備が完了し、転落事故ゼロを達成
- 行き詰まったら「応用」から「根っこ」に戻る思考法が、イノベーションの鍵
