Uberの暴露本『Super Pumped』には何が書かれているのか
Off Topicの「創業物語シリーズ」は、これまでPinterestなどで扱ってきたスタートアップの創業や上場の話を、シリーズとして掘り下げる企画です。今回取り上げるのはUberです。
題材になっているのは、ニューヨーク・タイムズの記者が前年の秋に出版した『Super Pumped ── ニューヨーク・タイムズの記者マイク・アイザック氏による、Uberとトラビス・カラニックの内幕を描いたノンフィクション。2019年に出版されました』という本です。収録時点では日本語訳は出ておらず、宮武さんが発売直後に読んだ内容を紹介する形で進みます。
宮武さんによると、この本はUberという会社の話というより、創業者トラビス・カラニックさんの物語です。Uberを立ち上げる前から、Uberを率い、最後に会社を追い出されるまでが描かれています。
一回読んで、ちょっと振り返って見たらめちゃくちゃ内容は濃かったので、一回ではちょっと全部言い切れるのかなっていうのがちょっと心配で。
草野さんは、UberとAirbnbの創業を交互に描いた日本語訳のある本『アップスタート』を読んだことがある程度で、Uber単独の本は初めてだといいます。そのため、今回の話を「先駆けて聞けるのが楽しい」と話しています。
トラビス・カラニックはどんな若者だったのか
トラビス・カラニックさんには、若い頃から起業家としてのマインドセットがあったと宮武さんは紹介します。10代の頃には、住んでいるエリアの家を1軒ずつノックして包丁を売り込んでいたそうです。
トラビスさんはもともと営業の才能があり、包丁を売った夏にまとまった売り上げを立てたという本人の話も本に載っているといいます。その後、受験サービスを立ち上げてうまくいかせたというエピソードも続きます。
大学在学中には、ナップスター ── 1999年に登場した音楽ファイル共有サービス。ユーザー同士が直接ファイルをやり取りする仕組みで広まりましたが、著作権侵害で訴えられ停止しましたによく似たサービス「Scour ── トラビス・カラニックらが大学在学中に立ち上げたファイル共有・検索サービス。のちに著作権侵害で訴訟を受けました」を友人と立ち上げ、大学を中退してフルタイムで取り組みます。
トラビスさんにとっての「フルタイム」は文字どおりのもので、友達も恋人もおらず、服が汚れるまで働き続けていたそうです。友人から借りたお金を返し忘れたり、郵便物も見なかったりするほど、仕事が最優先の人物だったと宮武さんは話します。
最初の起業Scourで投資家に何をされたのか
本がScourの話をわざわざ書いている理由は、Scourでの出来事がトラビスさんの後の人生に大きな影響を与えたからだと宮武さんは説明します。Scourはロン・バークルさんと、のちにCAA ── ハリウッドの大手タレント・エージェンシー。マイケル・オービッツ氏が共同創業者の一人として知られていますCAを作るマイケル・オービッツさんから投資を受けることになりました。
投資の際に交わしたタームシートには、「他の投資家に声をかけてはいけない」という条件が入っていました。Scourはこれを受け入れましたが、肝心の投資はなかなか締結されず、会社の手元資金が尽きていきます。
追い詰められたトラビスさんがオービッツさんに電話し、「他の投資家にも話を持っていく」と伝えると、その3日後にオービッツさんから訴訟を起こされました。宮武さんは、これはバリュエーションを抑えるための戦略で、実際にその狙いどおりになったと話しています。
条件付きの投資合意
他の投資家に声をかけられない条件でタームシートにサイン
投資が締結されない
交渉がダラダラ続き、手元資金が尽きる
他の投資家を探すと宣言
トラビスさんがオービッツさんに電話で伝える
3日後に訴訟
結果として投資したVCたちが会社の半分以上を保有
ハリウッドからの訴訟
オービッツさんは関係ないと言い、自分の持ち分を売却
最終的にScourの投資家たちは会社の半分以上を持つことになりました。さらにScourがナップスターと同じくハリウッドから訴訟を受けると、オービッツさんは「関係ない」という態度を取り、自分の保有分を他人に売ってしまったそうです。
しかも本当に人生を注ぎ込んで、本当に友達もいない中、事業しかないのを最終的に半分奪われて、で、訴訟を受けた時ももう何もサポートしてくれないみたいな。
この体験から、トラビスさんは投資家を仲間ではなく「お金を出してくれる外部の人」と見るようになったと宮武さんは解説します。
2社目の起業で「VCは信じるな」はどう確信に変わったのか
トラビスさんの2社目は、Red Swooshというピアツーピアのファイル転送サービスでした。Scourと似た仕組みですが、メディア企業がファイル転送を許可する形の、いわば合法版ナップスターだったといいます。
Red Swooshでも、トラビスさんのリーダーシップには問題があり、社員に十分な給料を出さないこともあったそうです。草野さんは「自分に厳しいから、チームにもすごくストイック」と受け止めています。
資金調達では、バブル崩壊後の厳しい時期に、あるVCが10億の投資をコミットしたものの、他のVCが入らなかったことを理由に撤回しました。トラビスさんはここで「やっぱりVCはクソなんだ」と感じたと宮武さんは紹介します。
Red Swooshは何とか生き残り、最終的にAkamai ── Webコンテンツを高速配信するCDN(コンテンツ配信ネットワーク)事業を手がけるアメリカの企業に約20億で売却されました。トラビスさん自身にも約2億が入り、ようやく報われた形です。
草野さんは、トラビスさんがそれでも事業を起こし続ける姿にストイックさを感じつつ、当たったVCが悪かったのか、環境が悪かったのかはわからないと話しています。宮武さんは、この過去を知ると後のトラビスさんの行動の意味が見えてくると述べています。
Uberのアイデアはどこから生まれたのか
Uberの創業者はギャレット・キャンプさんとトラビスさんの2人で、アイデア自体はギャレットさんから生まれたものです。ギャレットさんは以前に起業した会社をeBayに75ミリオンほどで売却しており、お金はあるのにシリコンバレーでタクシーがつかまらないという課題を感じていました。
ギャレットさんは複数のタクシー会社に一斉に電話で配車を頼み、最初に来た車にだけ乗って他は無視していたため、ブラックリストに入れられてしまったそうです。そんな頃、ジェームズ・ボンドの映画『カジノ・ロワイヤル』で、ボンドが車の位置をGPSマップで確認し、スマホで操作する場面を見て、ひらめいたといいます。
一方のトラビスさんは、家を買うなどしながらエンジェル投資をしていました。起業家が集まってアイデアを交換する「Jam Pad」という場を開いており、トラビスさんはそこでの議論を「ジャムセッション」と呼んでいました。ギャレットさんとはこの場で出会います。
当時ギャレットさんはまだサービスを始めておらず、「UberCab」という名前とアイデアだけを持っていました。ドイツ語由来の「Uber」が「すごい」という意味合いを持つことから、日常の「すごい」をすべて「Uber」と言い換えるほど入れ込んでいたそうです。
なんかこれ例えばなんかこの映画はすごいっていうのを、この映画Uberだみたいな。
1本のツイートが生んだ「1000億の価値」とは
トラビスさんはUberCabのアイデアを気に入りましたが、ギャレットさんもトラビスさんもすでにお金があり、好きな人生を送っていたため、自分たちで事業をやりたくはなかったといいます。トラビスさんには「また投資家と会うのか」という思いもあったようです。
2010年1月、トラビスさんは「ロケーションベースのサービスで、起業家マインドを持つPMやビジネス開発の人を探している。お金も株も出す」という趣旨のツイートを投稿しました。3分後に返信したのが、当時26歳でFoursquareのインターンだったライアン・グレイブスさんです。
このツイートで株を得たライアンさんについて、宮武さんは「今考えると1000億以上の価値があるツイートだった」と表現しています。
ライアン・グレイブスさんにも印象的なエピソードがあります。シカゴに住んでいたライアンさんはFoursquareに応募して落ちましたが、Foursquareの社員だと偽ってシカゴ周辺の店舗を登録し、その成果をFoursquareに持ち込んでインターンとして採用されたそうです。
でもそんなFoursquareに入りたいっていう熱量を生み出せるFoursquareすごいですね。
ライアンさんのハッスル、つまり何でもやり切る根性をトラビスさんとギャレットさんが気に入り、ライアンさんがUberCabの最初のCEOになりました。2人は事業をやりたくなかったため、アドバイザーとしてアイデアを出す立場にとどまったといいます。
完璧押し付けですよ。でもでも今考えると1000億の押し付けなんで、それはいいんじゃないですか。
インターン出身の初代CEOはなぜ交代したのか
ライアン・グレイブスさんのCEO期間は長くありませんでした。事業を始めるには資金調達が必要ですが、ライアンさんは資金調達のミーティングがとても苦手だったと宮武さんは話します。
宮武さんによると、VCは「この人が上場企業を作れるか、マネージできるか」という人物を見て投資を判断します。みんなライアンさんのことは好きだったものの、投資としてはNGという評価だったそうです。
同じ頃、ギャレットさんがまだ実績のないUberCabについて「すごいステルスのスタートアップがある」とツイートしていました。それを見たFirst Roundのロブさんが投資を申し出て、最初の小切手を書きます。クリス・サカさんら、Jam Padつながりのエンジェルも加わりました。
なんか日本でも結構Twitterから投資決めるみたいな流れありますけど、やっぱ初期のインターネットサービスが生まれてる時も、結構Twitterがきっかけっていうのはいいですね。
調達後、First Roundは「社長はライアンさんではない」として交代を提案しました。ライアンさんはビジネス開発のトップであるGMに移り、トラビスさんが社長に就きます。
このときトラビスさんは、社長を引き受ける条件として株式を持ち、会社のコントロールを握ることを求めました。草野さんの言うとおり、Scourなどでの過去の経験を踏まえた条件です。
高級車配車から始まった初期Uberはどう広がったのか
初期のUberはアプリではなく、デスクトップでUberCab.comにアクセスして使うサービスでした。対象はラグジュアリー層で、アメリカで「ブラックカー」と呼ばれる黒塗りの高級車が、普通のタクシーの1.5倍ほどの料金で迎えに来る仕組みだったといいます。
最初のiPhoneアプリは社内ではなく外注で作られました。ドライバー集めはライアンさんがひたすら電話をかけ、待ち時間の多いブラックカーの運転手に「空き時間でお金を稼ぎませんか」と持ちかけ、さらにUberアプリ入りのiPhoneを無料で渡しました。
2010〜2011年ごろはiPhoneを持っていない人も多く、無料でiPhoneがもらえることはドライバーに喜ばれたようです。その後UberはApp Storeのランキングを上げ、TechCrunchテックランチに「車版のAirbnb」として紹介されました。
何かちょっと面白いなと思って。今だとAirbnb for XじゃなくてUber for Xが多いから。
トラビスさんが初期からこだわったのは、UI・UXを圧倒的に良くすることでした。車がマップ上で近づいてくる様子を見せること、降車時に決済を一切気にしなくていいことが、特に重視されたポイントです。
サンフランシスコでスタートアップの社長やVCが使い始めたことで、Uberを使うこと自体がステータスとして「かっこいい」と見られるようになったと宮武さんは話します。なお、UberCabからUberへの改名には理由があり、それは次回で話すそうです。
都市展開のプレイブックと泥臭いグロース施策とは
トラビスさんは、サンフランシスコだけで成功しても意味がなく、ニューヨークなど他の都市で同じことができるかが重要だと考えていました。その役割を任されたのが、当時24歳の女性、オースティンさんです。
オースティンさんは最初のシティ・ローンチャーとして、新しい都市に参入するための社内向けの「シティローンチ・プレイブック」を作りました。宮武さんは、このプレイブックは今も形を変えて使われているはずだと話しています。
初期Uberの成長要因は、口コミが50〜60%、リファラルが30%、残りがPRやメディア記事だったと宮武さんは紹介します。割引にあたるリファラルコードも大量に配っていました。
噂では、トラビスさん自身がサンフランシスコのTwitter本社に乗り込み、社員にクーポンコードを配っていたそうです。草野さんは「そこのコンバージョンは良さそう」と感心しています。
ベンチマークのシリーズA投資は深夜の飲みで決まった?
UberCabの評判がVCの間で広がるなか、シリーズAで投資したのが有名VCのベンチマークでした。案件をリードしたのは、Off Topicの直接上場の回でも話題になったビル・ガーリーさんです。
ベンチマークはeBayなどへの投資で知られ、マーケットプレイスに強いVCです。ビル・ガーリーさんは実はシードラウンドからUberに投資したかったものの、社内を説得できずに見送っており、シリーズAでは何としても入りたいと考えていました。
一方のトラビスさんも、ベンチマークに入ってほしいと思っていました。本当はセコイア ── セコイア・キャピタル。Apple、Google、YouTubeなどに投資してきたシリコンバレーを代表するVCを口説いていましたが、セコイアには毎回断られていたそうです。
2011年ごろのある日曜日の夜11時、トラビスさんは突然ビルさんに電話をかけ、飲みながら話そうと誘います。ビルさんはすぐに駆けつけ、朝2時、3時までUberの今後について語り合い、その場で投資の基本条件が決まりました。ベンチマークは約20%を持つことになったといいます。
宮武さんは、トラビスさんには「何時に呼んでも来てくれるだろう」という自信と期待があったのではないかと話します。当時の2人はとても仲が良かったものの、後に関係は悪化していきます。
投資家を焦らせるUberの資金調達術
事業の成長以上に宮武さんが注目するのが、Uberの資金調達のうまさです。トラビスさんに加え、ビル・ガーリーさんの紹介で入り、のちにチーフ・ビジネス・オフィサーとなるエミル・マイケルさんが、投資家回りを担当しました。
2人はVCからの需要が非常に大きいことを知っていたため、意図的にいくつかの手を打っていたといいます。宮武さんは、それが良いか悪いかは置いておくとしたうえで紹介しています。
調達期間は限られているため、1日3件しか会わなければ全社とは会えません。面談後に投資家からのメールにすぐ返さないのも、相手を焦らせるためだったと宮武さんは説明します。
投資条件も厳しく、通常なら一定額以上を投資した株主に与えられる情報受領権 ── 投資先から財務状況や売上、ユーザー数などの情報を定期的に受け取る権利。一定以上を出資した投資家に与えられることが多いを、ほとんどの投資家に渡しませんでした。社外取締役にもなれず、なれてもオブザーバーどまりです。
さらにトラビスさんは強い議決権を持ち、会社の意思決定のほとんどをトラビスさんが握る形にしました。草野さんは、ここから「絶対にコントロールさせない」という意志がわかると話しています。
Google Venturesとの交渉で何を引き出したのか
Google Ventures(GV)との交渉は、Uberの資金調達のなかでも特に印象的な例として紹介されます。GVもUberへの投資を強く望み、採用支援やGoogleのネットワーク、知見の提供を約束したうえで、予定額250億の全額をリードしたいと申し出ました。
トラビスさんはこれを受け、バリュエーション305億、情報受領権はほぼなし、オブザーバーシートのみという条件を出します。さらに社外取締役には、案件を担当したGVの人ではなく、Googleのチーフ・リーガル・オフィサーであるデイビッド・ドラモンドさんを入れてほしいと求めました。
米国では通常、案件をリードした担当者が取締役に入ります。ドラモンドさんはラリー・ペイジさんとセルゲイ・ブリンさんの直下で働く人物で、草野さんは「すごい交渉ですね」と驚いています。
GVがこれを飲むと、トラビスさんは最後の最後に、投資額を減らしてPEファンドのTPG ── アメリカの大手プライベート・エクイティ(PE)ファンドを入れ、そこからも取締役を呼びたいと言い出しました。さらにもう1つのお願いとして、Google創業者のラリー・ペイジさんとのミーティングを求めます。
最後のお願いいっぱいある。
朝食ミーティングの当日、朝が苦手なトラビスさんはGoogleキャンパス近くのホテルに泊まり、Uberで向かおうとしました。ところが乗り込んだ直後、Googleが驚かせるために送り込んだ自動運転車が現れ、大喜びで乗り換えたトラビスさんは、Uberの車にカバンを忘れたそうです。
ラリーさんは人付き合いがあまり得意ではないエンジニア気質の人物として知られています。それでもトラビスさんはミーティング後に「兄弟のようだった」と話しており、宮武さんは「多分勘違いしました」と笑いを交えて語っています。
取締役の指名権まで握ったトラビスとハフィントンの起用
その後Uberはサウジアラビアから数千億を調達します。このときトラビスさんは、自分以外に社外取締役3人分の指名権を持つことを条件にしました。
ビル・ガーリーさんはこの条件をとても嫌がりましたが、数千億が入ってくる状況では反論できず、受け入れました。これでトラビスさんは取締役会で圧倒的に有利な立場を得ます。
宮武さんは、Uberの資金調達を見ると、トラビスさんがいかに自分のコントロールを保とうとしていたかが明らかになると話します。ここまで徹底する起業家はなかなかいないという評価です。
スキャンダルが続くなか、イメージ向上のためにトラビスさんはセレブを社外取締役に呼ぼうとしました。最初に誘ったオプラ・ウィンフリーさんには断られ、最終的に迎えたのがハフポストのアリアナ・ハフィントンさんです。ビヨンセさんやジェイ・Zさんも後に株主になりますが、取締役には呼んでいません。
アリアナ・ハフィントンさんは、トラビスさんが解任されるときに最後まで付き合った人物だと宮武さんは紹介しています。
スキャンダルと母の死、取締役会の勢力図
当時のUberは、ドライバーからの批判、スーザン・ファウラーさんが告発したセクハラ問題、トラビスさんが車内でUberドライバーを批判する動画の流出などで、イメージが大きく悪化していました。スタートアップ業界のほぼ全員がトラビスさんを嫌っていた時期だと宮武さんは話します。
そんな時期に、トラビスさんの両親が事故に巻き込まれ、母親が亡くなりました。業界も「今バッシングするのは良くない」と一旦批判を止めたといいます。
トラビスさんは母親のことを考えながら、従業員向けの手紙を書いていました。しかしメールで送る前に解任されたため、その手紙は誰にも届いていません。手紙の内容は『Super Pumped』に載っているそうです。
当時の取締役会には、ベンチマークのビル・ガーリーさん、TPGのデービッドさん、サウジアラビアのファンドのヤシヤヤシヤさん、アリアナ・ハフィントンさん、ギャレット・キャンプさん、ライアン・グレイブスさん、トラビスさんがいて、さらにトラビスさんが3席分の指名権を持っていました。
ビル・ガーリーさんとTPGのデービッドさんは裏で「トラビスさんではない」と話していましたが、取締役会ではトラビスさんの力が強く、交代させられませんでした。サウジのヤシヤさんやアリアナさんはトラビスさん派だったといいます。
スキャンダルを受けて、Uberは外部の調査を入れました。調査の勧告は、トラビスさんが一旦会社を離れて休み、ちゃんとしたCEOを採用するというものでした。トラビスさんは戻ってこられることを重視して休職を受け入れましたが、オフィスにいないだけで仕事は続けていたそうです。
ビル・ガーリーはなぜトラビス解任を決断したのか
ビル・ガーリーさんはトラビスさんを辞めさせたいと考えつつも、ためらっていました。ベンチマークは「ファウンダーフレンドリー(創業者に優しい)」というイメージを大事にしており、創業者を解任すれば次のUberやFacebookに投資できなくなるのではという懸念があったからです。
決断のきっかけは、ベンチマークの投資先であるStitch Fixの社長、カトリーナ・レイクさんからのメールでした。カトリーナさんにとってビルさんはメンターでありアドバイザーです。
メールには「Uberのような会社があって悲しい」「自分が尊敬している人がそこに関わっていることがもっと悲しい」と書かれていました。これを受けたビルさんは、終わりにしなければならないと考え、解任を決めたといいます。
取締役会では解任できないため、ベンチマークは既存株主を何か月もかけて裏で説得しました。スタンフォードの弁護士なども雇って実現可能性を確かめ、First Round、Lowercase Capitalロアケースキャピタル、Menlo Venturesなどを集めて、Uber株の約25%を持つ株主の連名の手紙を用意します。
解任を決断
カトリーナ・レイクさんのメールをきっかけに、パートナー会議で決定
株主を集める
何か月もかけて裏で既存株主を説得し、約25%の株主を確保
手紙を用意
社長を降りるよう求め、拒めば公開しニューヨーク・タイムズに話すと明記
直接通告
ベンチマークのパートナー2人がトラビスさんのもとへ向かう
手紙の要求は、会社のために社長を降りること、そして応じなければ手紙を公開し、作戦をすべてニューヨーク・タイムズに話すというものでした。報道されればUberの企業価値が大きく下がるため、それを避けたいなら辞めるように、という交渉です。
シカゴのホテルで突きつけられた最後通告
トラビスさんへの通告を、ビル・ガーリーさん本人は行いませんでした。当時ビルさんとトラビスさんは数年話していないほど関係が悪化しており、ベンチマークのマット・コーラーさんとピーター・フェントンピーターヘントンさんが担当します。
Uberは内部情報のリークが多い会社で、この解任計画もニューヨーク・タイムズのある記者に「何かが起きる」という形で伝わっていました。その記者こそ『Super Pumped』の著者マイク・アイザックさんです。情報源はもちろん明かされていません。
ベンチマークの2人は、トラビスさんが滞在していたシカゴのホテルに飛び、社長を降りるよう伝えました。トラビスさんは激怒し、「絶対受け入れない、戦う」と答えたといいます。
ベンチマーク側はあらゆる可能性をシミュレーションしていたため、「こちらも戦う。この手紙を読み、午後6時までに回答がなければニューヨーク・タイムズに話す」と返しました。最後にはFidelityなど他の投資家もビルさん側につきます。
危機を感じたトラビスさんは何人かに連絡し、アリアナ・ハフィントンさんにも相談しました。ところがアリアナさんは、解任を予想して、トラビスさんの従業員向け退任メモの下書きをすでに用意していたそうです。
別に裏切ったわけではないですけど、本当に準備をしていた。
トラビスが辞任に応じた夜と、またも起きたリーク
トラビスさんは手紙に名を連ねたMenlo Venturesなどに電話をかけ、「もっといい社長になるから考え直してほしい」と頼みましたが、受け入れられませんでした。4時にもう一度ベンチマークの2人と会っても状況は変わりません。
再びアリアナ・ハフィントンさんに電話したとき、アリアナさんは「辞めてもいいんじゃないか」と持ちかけます。宮武さんは、以前のトラビスさんならありえない話だったとしつつ、母親を亡くした影響が大きかったと見ています。
多分その時に多分初めてトラビスさんが人生でなんか戦うのが疲れたって多分気分になって。
夜9時半ごろ、回答がないことにしびれを切らしたベンチマーク側がアリアナさんに「時間切れだ」とメッセージを送ります。アリアナさんが最後にトラビスさんを説得し、その夜トラビスさんは辞任の書類にサインしました。
ベンチマーク側は、サインすればニューヨーク・タイムズには何も話さず、悪いイメージにならないよう辞任させると約束していました。しかし24時間後、トラビスさんが朝刊を開くと、自分の顔が載っていたそうです。
宮武さんによると、このリークは誰も予想していなかったもので、ベンチマークが意図的にやったわけではなく、誰かが漏らしたものだといいます。草野さんは、どちらにも非はあるものの、聞くと少しかわいそうだと感じたと話しています。
後任CEOは誰に?3人の最終候補
トラビスさんの後任として、現在のCEOダラ・コスロシャヒさんが選ばれるまでには、複雑なプロセスがありました。ベンチマークは当初から、元eBay社長で当時HP(ヒューレット・パッカード)の社長だったメグ・ホイットマンさんを本命に考えていました。
メグさんは興味を示し、全取締役との面談に進みましたが、決定前に「メグさんが候補だ」という話がリークされます。HPは上場企業で株主の反発が予想されたため、メグさんは一度候補から降りました。
それでもベンチマークは諦めず、「今回は絶対リークしない」と説得して再び候補に戻します。5人ほどから絞られた最終候補は次の3人でした。
| 候補者 | 経歴 | 主な支持・評価 |
|---|---|---|
| メグ・ホイットマン | 元eBay社長、当時HP社長 | ベンチマークが本命として推す |
| ジェフ・イメルト | GEの元社長 | トラビスさんが「一番コントロールしやすい」と考え支持 |
| ダラ・コスロシャヒ | Expediaなどで経験 | 当初はあまり注目されていなかった |
トラビスさんは社長を辞めても取締役として残っており、ライアンさんとギャレットさんもトラビスさんと同じ側でした。最終面談として、各候補は取締役の前で「社長としてUberをどう導くか」をプレゼンしました。
ジェフ・イメルトさんはマーケットプレイスについて何も知らず、プレゼンはうまくいかなかったそうです。一方、Expediaなどの経験からマーケットプレイスに詳しいダラさんは、しっかりしたプレゼンを用意していました。
ダラさんのスライドには「社長が2人いることは絶対にありえない」というタイトルがあり、それはトラビスさんに向けた言葉でした。ダラさんが入るなら、トラビスさんは本当に経営から降りる必要があるという意思表示です。メグさんは別の日に、ホテルで見つからないよう変装して面談に臨んだといいます。
4対4の投票はなぜダラに傾いたのか
ジェフ・イメルトさんは別の取締役から「無理だ」と言われ、自ら候補を降ります。残ったメグ・ホイットマンさんとダラ・コスロシャヒさんで取締役会の投票を行ったところ、結果は4対4の同点でした。トラビスさん側はダラさんを支持していました。
ここでベンチマークがミスをします。すでに取締役を退いたビルさんに代わって入っていたベンチマークのメンバーが、メグさんを選べばトラビスさんへの訴訟を取り下げるという交換条件を出したのです。ベンチマークは当時、トラビスさんが会社のために動いていないとして訴訟を起こしていました。
メグ・ホイットマンさんとダラ・コスロシャヒさんが4対4の同点
訴訟取り下げを条件に出した後、3対5でダラさんに決定
宮武さんによると、取締役たちは「訴訟を人質にしてまでメグさんを選ばせるのは、自分たちのやりたいようにしているだけだ」と嫌気がさし、再投票ではダラさんに5票が入りました。
そしてアリアナ・ハフィントンさんがダラさんにお祝いの電話をかける前に、ダラさんの就任がまたしてもリークされていたそうです。宮武さんは、Uberはどこまでいってもリークされる文化になっていたとまとめています。
笑っちゃいけないかもしれないけど、面白すぎですね。絶対に秘密にするからって、こう翌朝出てるみたいな。
コントロールへの執着が生んだ成功と代償
草野さんは、初代CEOがインターン出身のライアンさんだったことや、ビル・ガーリーさんの周到な準備に驚いたと振り返ります。宮武さんによると、ビルさんはUberの件で相当悩み、疲れ果てていたそうです。
草野さんは、投資家から見ればコントロールしにくく関わりづらい相手だった一方、トラビスさんにとっては過去のつらい経験や、自分の会社を成長させたい思いがあったとして、両方の立場がわかると話しています。
宮武さんは、初期の出来事があったからこそUberはこういう会社になったとしつつ、トラビスさんの文化の作り方にはうまくいった部分と本当にダメな部分の両方があったと述べています。
著者マイク・アイザックさんの取材の様子も紹介されました。Uberの社員から「今は話せない」と電話があり、携帯を家に置いてピザ屋で会い、内情を聞かされたといったエピソードが本に書かれているそうです。後編では、Uberのスキャンダルと企業文化が取り上げられる予定です。
まとめ
トラビス・カラニックさんは、最初の起業で投資家に会社の半分を奪われ、2社目でもVCに裏切られた経験から、Uberでは資金調達の条件から取締役の指名権まで徹底してコントロールを握りました。しかし最後は株主の連携とリークによってCEOの座を追われ、後任選びでも投資家の思惑とリークが絡み合いました。
- Scourでの訴訟とRed Swooshでの投資撤回が、トラビスさんの「VCは信じるな」という信念を形づくった
- Uberの初代CEOは、ツイートに3分で返信したFoursquareのインターン、ライアン・グレイブスさんだった
- 面談の制限や返信の遅延、情報受領権を渡さない条件など、Uberは強い交渉力で資金調達を進めた
- ベンチマークは約25%の株主を集めて解任を迫り、トラビスさんは母の死の影響もあって辞任に応じた
- 後任CEOは4対4の投票から、ベンチマークの交換条件への反発でダラ・コスロシャヒさんに決まった





