エル・セグンドのArbor Energyは何を作っているのか?
MihoさんとOff Topicの宮武さんは、知人の起業家の紹介で、ロサンゼルスのエル・セグンド近辺で開かれたバーベキュー会で出会ったといいます。日本のビジネスパーソンやポッドキャスターが集まる会でした。
Mihoさんの本名はビール大貫美穂さんです。旧姓が大貫で、結婚してビールという姓になりました。現在はエル・セグンド ── ロサンゼルス国際空港(LAX)の南側に位置する街。航空宇宙産業の拠点として知られ、多くのハードウェア系スタートアップが集まっていますにあるArbor Energyで、購買やサプライチェーンを担当しています。
Mihoさんは、もともとはオペレーション担当として、5人目の社員としてArbor Energyに入りました。会社はWeWorkの4人部屋から始まり、現在はエル・セグンドに自社オフィスを構えています。
宮武さんも実際にArbor Energyのオフィスを訪れています。1階は物を実際に作る場所で、2階がエンジニアのいるオフィススペースという構成です。Mihoさんによると、下で組み立て、上でデザインをするレイアウトは、エル・セグンドではよくある形だそうです。
Arbor Energyが作っているのは、発電機であるガスタービンです。GE、三菱、東芝、日立、シーメンスといった大企業が作ってきたガスタービンを、カーボンニュートラルなデザインのまま、スタートアップとして開発しようとしています。
Mihoさんは、この発想をSpaceXになぞらえます。民間企業が宇宙開発を成功させたのと同じように、大企業が担ってきた発電の領域でも、スタートアップならもっとスピードを上げて、世の中に役立つものを早く出せるのではないか、という思想だと説明しています。
宮武さんは、アメリカではいま、AIのデータセンターを中心にエネルギー問題が大きな注目を集めていると補足します。発電やエネルギー関連には投資も集まっています。
Mihoさんの実感では、エネルギーへの注目は2023年ごろから一気に高まりました。電力需要が伸びている理由として、Mihoさんは次のような流れを挙げています。
データセンター
AIのデータセンター向けに大量の電気が必要になる
製造の自動化
生産をオートメーション化するにも電気が要る
冷却
地球温暖化で気温が上がり、冷却用の電気が必要になる
電子化
いろいろなものが電子化され、さらに電気が必要になる
ただしMihoさんは、資金が一番集まっているのはフュージョン ── 核融合発電のこと。原子核同士を融合させてエネルギーを取り出す技術で、実用化に向けて多くのスタートアップが巨額の資金を集めていますだと認めています。宮武さんは、Arbor Energyも前年末に資金調達を発表し、開発が進んでいると聞いていると話しています。
調布の中学2年生が感じた「このままでいいのか」
宮武さんが、エル・セグンドにたどり着くまでの道のりを尋ねます。Mihoさんは東京都の調布市で生まれ育ち、両親はともに調布市役所に勤めていたといいます。Mihoさん自身は「ザ・日本人の家庭」と表現しています。
Mihoさんの実家は布田天神の近くで、ゲゲゲの鬼太郎 ── 水木しげるの漫画作品。作者の水木しげるが調布市に住んでいたことから、調布の街には鬼太郎にちなんだものが多くありますにゆかりのある地域です。Mihoさんは、水木しげる先生の作品に囲まれて育ったと笑います。
Mihoさんは中学まで、目黒星美学園という私立の女子校に通っていました。中高一貫校で高校受験を考えなくてよかったため、中学2年生ごろには、早くも大学やその先の人生について考え始めたそうです。
中学生で。
そのときMihoさんが気づいたのは、日本で女性が進める道は限られているのではないか、ということでした。外交官や国を引っ張る立場で活躍する女性もいますが、Mihoさんには、それが狭き門に見えたといいます。
こうして中学生のMihoさんは、アメリカを含む海外という選択肢を考え始めました。
宝くじ並みの確率、グリーンカード抽選に当たった父
Mihoさんが海外を意識し始めたのとほぼ同じころ、父親がなぜかアメリカのグリーンカード抽選に応募していました。
市役所勤めの両親はハワイが好きで、アメリカに漠然とした憧れがありました。当時は、グリーンカード抽選への応募を手伝い、そのかわりに不動産を買ってもらうというプログラムがあり、両親は「将来ハワイに住めたらいいわね」くらいの感覚で応募したそうです。
グリーンカード抽選は、周囲からも宝くじに当たるようなものだと言われていました。両親は10年あればいつか当たるだろうと考えていましたが、応募から2年目で当たってしまいます。当時の父親はまだ40代ぐらいでした。
宮武さんは、リスナー向けに制度を補足しています。
いわゆるビザではなくて、グリーンカードの永住権をもらえるような抽選が存在するんですね。
Mihoさんによると、普通は大学進学や就職の際にビザを取得してアメリカに来ます。永住権の抽選は、その過程を飛ばせる「チートみたいな技」で、当たる人がいないと言われていたそうです。
家族はハワイに渡り、ソーシャルセキュリティー番号なども取得しました。ところが、ここで「どうする?」という状況になったのが、Mihoさんが高校1年生のころでした。
永住権を娘に託すまで、ピアノをやめたときと同じ「プレゼン」
宮武さんが指摘するように、両親には簡単にアメリカへ移れない事情がありました。調布市役所に勤めていて海外転勤はできず、そもそも英語も話せません。
そんなときに、娘のMihoさんがアメリカに行きたいと言い出します。高校1年生の夏、学校が設けていたオレゴンでの2週間のプログラムに、Mihoさんは永住権を持った状態で参加しました。その経験から、アメリカなら違う道が開けるかもしれないと感じたといいます。
おお、すごいですね。それがたまたまなんかめちゃくちゃうまくラインアップしましたね。
高校1年生の秋、Mihoさんは両親に「永住権があるし、私はこっちを試したい」と伝えます。Mihoさんは小さいころから、何かを決めるときに親へプレゼンをしてきました。ピアノをやめたときも「才能がないから今すぐやめるべきだと思います」と説明したそうです。
アメリカ行きについても同じようにプレゼンした結果、両親の考えと一致しました。永住権は残しておきたい、子どもは行きたいと言っている、変な道は踏まないだろう、という判断です。
永住権は、父親が取得すると一定の年齢までの子どもと配偶者にも自動的に付与されます。そのため家族全員が永住権を持てていました。
住む場所探しは簡単ではありませんでした。オレゴンでお世話になった家族は、2週間だから受け入れてくれたのであり、永住となると難しいという返事でした。留学斡旋業者からは、高校生で行ったら絶対に失敗すると言われてしまいます。
Mihoさんは、その言葉でかえって火がついたといいます。自分でインターネットを使ってホームステイ先を探し、ロサンゼルスのパサデナで手伝いを申し出てくれた日系のケイティさんという人が、個人的に受け入れ家庭を探してくれました。
Mihoさんは高校1年生の3月に渡米しました。合わなかったとしても、高校生のうちに帰れば取り戻しがきくという考えもあったそうです。
NOVA3級の英語で、アメリカの公立高校にどう通ったのか?
渡米当時のMihoさんの英語力は、本人いわく「びっくりするほど」話せないレベルでした。英会話スクールNOVAの3級で、旅行ならなんとか頑張れるかもしれない程度だったそうです。
それで高校で行くと、まず何話してるかわかんないじゃないですか。
Mihoさんは永住権を持っていたため、東京の私立女子校から、アメリカの公立高校に入りました。コスト面でも、公立高校が一番よい選択だったといいます。
Mihoさんが最初に住んだのはテンプルシティという市で、通ったテンプルシティ高校は生徒の65%ほどがアジア系でした。中国、韓国、台湾などから引っ越してきた生徒が多く、英語を勉強中の生徒も、英語が苦手な人に優しく接してくれる生徒も多かったそうです。
一方で、日本人は3〜4人しかいませんでした。そのため英語を第2言語として話す生徒と関わる機会が多く、それが英語の上達に役立ったとMihoさんは考えています。
授業では、テープレコーダーを持ち歩きました。先生に「英語がわからないので録音してもいいですか」と頼んで授業を録音し、家に帰って何度も聞き返していたそうです。
宮武さんは、周りに日本語を話す人がいない環境は言語学習ではとても大事だと話します。交換留学でスペイン語圏に行った人がスペイン語を話せるようになるのと同じで、たまたまではあっても、とても良い環境だったと振り返っています。
グリークラブで居場所を得て、ホームシックは1度だけ
Mihoさんが、アジア系の生徒が多い環境に加えてもう1つ大きかったと話すのが、グリークラブへの入部です。日本にいたころから合唱部でミュージカルに取り組み、イタリア語や英語でも歌っていました。
テンプルシティ高校では、英語が話せない生徒は、なぜか女性合唱のクラスに入れられたそうです。パート分けのために歌わされたところ、音楽クラスのディレクターからすぐに「お前は今まで歌ってたな」と見抜かれ、ミュージカル部のトライアウトに呼ばれます。
Mihoさんは、よくわからないまま指定された日時に音楽室へ行って歌い、合格してミュージカル部に入りました。
グループに入るっていうのもなんか1つ大きいですよね。その学生からちゃんとなんか受け入れてくれたんだっていう多分感覚にもなると思うんで。
Mihoさんも、ロッカーだけでなく、ランチのときに集まる場所があることは大切だったと話します。一緒に座れるチームがあることが、自信にもつながったといいます。
高校生活で帰りたいと思ったのは、1度だけでした。渡米して間もない時期に春休みがあり、英語にもなじめず、どこにも行く場所がありませんでした。母親に電話すると「明日のチケットを買って帰って来い」と言われ、1週間だけ日本へ帰ったそうです。
一時帰国で日本の高校の友達や両親と話したことがとても効き、Mihoさんはその後、1度も帰りたいと思わなかったといいます。アメリカに戻ってからは、プロムやグリークラブのトライアウトなどが重なり、友達も自分の居場所も一気に広がりました。
プロムに誘ってくれた男性とは、後年、Mihoさんが入ったスタートアップで偶然再会しています。出社初日に社内を歩いていたら、初めてのプロムのデート相手がいたという「ミラクル」だったそうです。
「四年制は無理」と言われてコミュニティカレッジへ。USCに入るまで
宮武さんは、高校から大学へ進み、今の仕事につながる分野に興味を持ったのかと尋ねます。しかしMihoさんによると、高校から大学への進学もスムーズではありませんでした。
Mihoさんは、アメリカの高校に2年生(ソフモア)として編入しています。宮武さんは、アメリカの高校は4年間なので、日本でいえば高校1年生にあたると補足しています。Mihoさんの説明をまとめると、次のような対応になります。
| アメリカの学年 | 日本の学年 |
|---|---|
| Freshman | 中学3年 |
| Sophomore | 高校1年 |
| Junior | 高校2年 |
| Senior | 高校3年 |
Junior(日本の高校2年)で進路カウンセラーと面談した際、Mihoさんは「あなたは英語ができないから、四年制大学に入っても絶対に成功しない。コミュニティカレッジ ── アメリカの公立の2年制大学。日本の短大に近く、学費が安いのが特徴です。修了後に4年制大学へ編入する進路が広く使われていますにしたほうがいい」と言われます。Mihoさん自身も、当時は本当に英語ができなかったので、その指摘はフェアだったと振り返っています。
Mihoさんはその言葉を信じ、4年制大学にはどこにも出願しないまま卒業し、コミュニティカレッジに入りました。
転機は、コミュニティカレッジ1年目の春休みです。友達から「近くに南カリフォルニア大学(USC)といういい学校があるから、見てきたほうがいいよ」と軽く勧められ、MihoさんはUSCのカウンセラーとアポイントを取って会いに行きました。
成績表を見たUSCのカウンセラーは、「なんでそもそもUSCに出願しなかったの?帰って出願して、私にメールして」と言いました。その通りにしたところ、合格通知が届きます。進んだのはエンジニアリングスクールでした。
高校のカウンセラー
英語力を理由に、コミュニティカレッジを勧められる
コミュニティカレッジ
4年制大学に出願せず入学し、物理や数学などを履修する
友達の勧め
1年目の春休みに、USCを見学するよう勧められる
USCのカウンセラー
成績を見て出願を勧められ、出願後に合格する
フライトアテンダントの夢が、なぜ航空宇宙工学に変わったのか?
Mihoさんがエンジニアを目指したきっかけは、子どものころのフライトアテンダントへの憧れでした。木村拓哉さん主演の『GOOD LUCK!!』や『やまとなでしこ』といった日本のドラマを見て育ち、英語を話して世界を飛び回る仕事をかっこいいと思っていたそうです。
渡米して英語が話せるようになり、フライトアテンダントも目指せると思ったころ、Mihoさんはアメリカにはプライベートパイロットが多いことに気づきます。普通の人がパイロットになっているのを見て、パイロットも面白そうだと考えました。
さらにMihoさんは、そもそも飛行機はどういう仕組みで飛ぶのか、という疑問を持ちます。パイロットやフライトアテンダントになる前に飛行機の仕組みを勉強しておくのも面白い、というとても単純な発想だったといいます。
フライトアテンダント
日本のドラマの影響で、子どものころから憧れる
パイロット
アメリカでは普通の人がパイロットになっていると気づく
飛行機の仕組み
飛び方そのものを知りたくなる
航空宇宙工学
コミュニティカレッジで理系科目を取り、USCのエンジニアリングスクールへ
Mihoさんは、コミュニティカレッジ1年目に物理、数学、化学などエンジニアリング系の科目を取っていました。いま思えば、女性がエンジニアリングを志望していて、成績もそこそこ良かったのだから、大学側は歓迎しただろうと振り返っています。当時、Mihoさんのクラスの女性は20%ほどだったそうです。
宮武さんは、ここで言うエンジニアはソフトウェアではないと補足します。Mihoさんが学んだのは航空宇宙工学で、飛行機の飛び方を知りたいという動機から、ハードウェア側の技術者を目指しました。
USCロケットクラブは何を目指し、どう活動していたのか?
大学では、飛行機のことは授業で学べるので、授業ではできないことをやりたいと考えたそうです。そこでMihoさんが入ったのが、USCで特に活発だったロケットクラブでした。
USCロケットクラブの同級生には、リレティビティやアーサー・メジャーといった会社を立ち上げた人もいます。Mihoさんは、このクラブへの参加がSpaceXなどとの関わりの始まりだったと話しています。
多分日本のサークル文化とアメリカのクラブ文化、若干違いがあって、多分特にロケットクラブとかって予算とかってまあまあつくと思うんですけど、そこら辺の規模感とか。
USCロケットクラブのゴールは、大学として初めて宇宙に届くロケットを作ることでした。2007年ごろ、ロケットに強い関心を持つ卒業生2人が、レーシングチームや飛行機チームはあるのに、なぜロケットクラブがないのかと考えて始めたそうです。
宮武さんが通ったボストン近郊のバブソン大学はビジネス系の大学で、こうした活動はないといいます。Mihoさんは、ロサンゼルスにあるUSCは工学部が強く、ロボットやAIのチームなども含めて活発だと説明します。
レーシングカーチームや飛行機チームには大会がありますが、ロケットには競う大会がありません。そのためロケットクラブは、自分たちでゴールを決めて取り組んでいたそうです。Mihoさんが話す活動の中身は次のとおりです。
当時作っていたロケットは直径30センチほど、高さは2メートルほどでした。燃料は固形燃料で、Mihoさんは「固形燃料でぶっ放して宇宙を目指そう」というクラブだったと話しています。
打ち上げの場として紹介されたのが、バーニングマン ── ネバダ州のブラックロック砂漠で毎年開かれる大規模なアートイベント。砂漠に仮設の街を作り、参加者が作品を展示・表現しますでも知られるネバダ州のブラックロック砂漠です。ある時期に、イベント側がまとめて飛行許可を取り、さまざまな団体がロケットを飛ばす催しがあったそうです。
Mihoさんの在学中に宇宙までは届きませんでしたが、卒業後に後輩が目標を達成しました。クラブのメンバーは、その後SpaceXやBlue Originに入ったり、自分で会社を立ち上げたりしています。
資金は、素材の寄付や企業のスポンサーに加え、裕福な家庭の親からの支援で賄われていたそうです。Mihoさんは、USCには冗談で「University of Spoiled Children(甘やかされた子どもの大学)」というあだ名があると紹介しています。宮武さんも、バブソン大学には2代目、3代目の子どもが多いと応じています。
兵器への葛藤からGEへ。インタビュアーが来なかった面接
大学でのロケット開発も飛行機の設計も楽しかった一方で、Mihoさんには葛藤がありました。航空分野の最先端は戦闘機、固形燃料ロケットの先にはミサイルがあり、自分がそこに情熱を持てるのかと考えたそうです。
Mihoさんは、映画『オッペンハイマー』を見て主人公の心情がよくわかったと話します。技術者として作ったものが武器として使われたとき、自分の責任はどうなるのか、という問いです。一方で、武器がなければ守れないという考え方があることにも触れています。
当時のMihoさんは、女性エンジニアのための団体「Society of Women Engineers」でバイスプレジデントを務めていました。そのつながりで、GEのインターンシップの面接を受けることになります。
ところが、面接当日にインタビュアーが来ませんでした。ほかの学生は諦めましたが、MihoさんはGEの人事に連絡し、「いらっしゃらないのですが、どこを探せばいいですか。会いに行ったほうがいいですか」とやり取りを続けます。その行動が評価され、インターンシップのオファーを受けました。
GEに入ったMihoさんは、自分の知識を、どんな状況の人でも使える発電という分野に生かせると気づきます。インターンシップの後は、GEのエンジニア育成プログラムである「エジソン・エンジニアリング・ディベロップメント・プログラム」にフルタイムで入り、発電を極める道に進みました。
GEでの在籍は合計5年ほどです。育成プログラムのローテーションが2年半、ヒューストンのチームにいたのは6ヶ月ほどで、その後GEジャパンに呼ばれて2年半ほど勤めました。
GEジャパンに呼ばれた背景には、日本の原子力発電の停止がありました。電力供給が足りず、新しいガスタービンへの交換や古い設備のアップグレードのプロジェクトが増え、GEジャパンだけでは人手が足りなかったそうです。
そこで、日本語と英語が話せて、GEのガスタービンを知っているセールスアプリケーションエンジニアを日本に送ろう、という話になりました。ヒューストン時代の上司が紹介してくれた日本人エンジニアとのつながりから声がかかり、育成プログラムを終えたばかりのMihoさんに白羽の矢が立ちます。日本では市ヶ谷の防衛省の目の前に住んでいたそうです。
日本国籍を失い、父の窓口で外国人登録をした話
宮武さんは、GEジャパンからアメリカに戻ったのは最初から考えていたことなのかと尋ねます。その答えとしてMihoさんが明かしたのが、日本国籍を失っているという事実でした。
永住権は、5年ほど住むと市民権に切り替えられます。航空工学の分野では市民権がないと扱えない情報が多く、GEでも発電部門の技術や素材が航空分野で使われる可能性があるため、規制のかかる情報がありました。Mihoさんは、資格を取るくらいの感覚で市民権に切り替えたそうです。
日本は二重国籍 ── 2つの国の国籍を同時に持つこと。日本の国籍法では、外国籍を自分の意思で取得すると日本国籍を失うと定められていますを認めていないため、アメリカ市民になると日本国籍を失うことになります。Mihoさんは、当時そのことを深く考えていなかったと話しています。
日本への転勤が決まり、GEはアメリカ市民であるMihoさんのために日本のビザを申請しました。ところが日本の大使館で、「あなたは日本国籍を持っていますよね。喪失しないとビザは渡せません」と言われます。ビザがなければ日本に行けないため、国籍を手放すしかありませんでした。
市民権の取得
航空工学の規制情報を扱うため、永住権から市民権へ切り替える
日本への転勤
GEがアメリカ市民として日本のビザを申請する
大使館での指摘
日本国籍を喪失しないとビザは出せないと言われる
国籍の喪失
日本にはビザで住む立場になり、いずれアメリカへ戻る前提になる
日本に戻ったMihoさんは、家が見つかるまで実家に身を寄せました。そして、調布市役所の市民課に勤める父親の窓口へ、娘として外国人登録をしに行くことになります。Mihoさんは「あ、娘です。今日は外国人登録です」というやり取りだったと笑い、親が市民課だったので手続きはすべてスムーズだったそうです。
5万人のGEから、初めてのバッテリースタートアップへ
日本にビザで住んでいたMihoさんにとって、アメリカに戻ることはいずれ必要でした。GEジャパンでのプロジェクトが落ち着いてきたころ、アメリカのエンジニアからも尊敬されていたGEの日本人エンジニア、メナミトさんから、成長したいなら一度アメリカに戻ったほうがいいと助言されます。
MihoさんはGEの社内異動で戻るつもりでした。しかし当時、GEはヨーロッパの大企業アルストム ── フランスに本社を置く重電・鉄道車両メーカー。GEは2015年にアルストムのエネルギー事業を買収しましたとの合併買収の最中で、社内の異動がすべて止まっていました。
そんなとき、ロサンゼルスに遊びに来たMihoさんに、友達が自分のバッテリースタートアップで人を探していると声をかけます。求められていたのはサプライチェーンや購買の担当者でした。
友達の説明によると、スタートアップのサプライチェーンでは、サプライヤーとつながる力に加えて、自社がどんな技術を開発し、どんなビジネスの機会があるのかをサプライヤーに売り込む力が必要です。GEでセールスエンジニアをしていたMihoさんのスキルが生かせる、という誘いでした。
ロサンゼルスはもともと好きな街で、GEで待っていても何も起こりそうにありませんでした。失うものもあまりないと考えたMihoさんは、この会社、ロミオパワーに入ります。これが初めてのスタートアップ経験でした。
SpaceX出身者が持ち込んだ「トキシック」なスピード感
社員5万人規模のGEから移ったスタートアップの環境は、まったく違ったといいます。GEの人たちはよくトレーニングされていたのに対し、スタートアップは「ワイルドワイルドウエスト」な雰囲気だったそうです。
5万人規模の大企業で、社員がよくトレーニングされている
人が少なく、ワイルドワイルドウエストな雰囲気で、スピードが速い
ロミオパワーのCOOやサプライチェーンのディレクターはSpaceX出身で、調達・サプライチェーン部門はSpaceX出身者で固められていました。Mihoさんはそこで、SpaceXのちょっと「トキシック」な働き方を経験します。
超ハードっていう感じなんですか?単純に。
Mihoさんによると、働き方がとてもハードなうえに、部署同士がぶつかり合う場面も多かったそうです。生産側は購買が物を持ってこないから遅れると言い、購買側はデザインが遅いから遅れると言う、といった責任の押し付け合いもありました。
多分SpaceXの文化としてはそれをやり合ってるから、なんかどんどんどんどん上がっていくっていう。スピードアップしていくっていう。
Mihoさんも、スピードはすごかったと認めています。その緊急性が本物なのか作られたものなのかはわからないものの、緊急性に対応する力は確かに身についたといいます。
Mihoさんは、このスピード感にもそれほど苦労しなかったそうです。GEジャパン時代に、現場で工事をする人たちと一緒に仕事をした経験があったからです。発電設備の交換中は発電できず収入が失われるため、損失を最小限にするにはスケジュール通りに進める必要がありました。
Rivianでコロナ禍のサプライチェーンをどう乗り切ったのか?
宮武さんによると、ロミオパワーは結果的にうまくいきませんでした。Mihoさんの退職後、ロミオパワーはEVトラックメーカーのNikolaに買収されましたが、そのNikola自体も行き詰まったといいます。
Mihoさんは在籍中から、社内にいて財務面の不安を感じていたそうです。チームを任されていたMihoさんは、メンバーが次の職場に移るまでは自分は残ると決めていました。1人はテスラへ、もう1人は別の会社へ移ったのを見届けて、自分も移ることにします。
同じスタートアップからRivianに移っていた知人が、隣の席のサプライチェーンのマネージャーにMihoさんをつないでくれました。募集されていたのは、ロミオパワーでの仕事とほぼ同じ内容だったそうです。当時のRivianは、2019年にAmazonからの出資が発表される前の段階でした。
宮武さんは、Rivianは電気自動車メーカーですでに上場しており、ロサンゼルスでUberに乗ったときにRivianの車に当たったことがあると話しています。
MihoさんがRivianで担当したのは、プロトタイプ用の高電圧バッテリーのサプライチェーンプログラムマネージャーです。部品がきちんと届き、プロトタイプが予定通りできるように管理する仕事でした。
ところが、そこでコロナ禍が起きます。世界中の物流が止まるなかで、どうやって車を作るのかという状況に置かれましたが、Mihoさんは「やり遂げました」と振り返ります。
一番大変だったのは、部品の調達ルートでした。部品の多くが中国から来ていたほか、配線部品のハーネスがメキシコで作られていても、その材料は海外から来ていたそうです。
プランB
どの輸送ルートなら部品を通せるかを探す
プランC
そのルートがだめなら、別のルートを検討する
プランD
それもだめなら、国内で代わりの調達先を探す
宮武さんが言うように、中国で作っている部品の代わりを別の場所で探そうとしても、現地に行くことができません。Mihoさんも、行けたとしてもそこの工場も止まっていたと話しています。
Mihoさんがこの経験から学んだのは、スピード感や圧力だけではどうにもならないことがある、ということです。SpaceXやテスラ、Appleなどでは、取引先に強く働きかけて納期を早めてもらう手法もあると聞くものの、工場が止まっていれば早めようがありません。Mihoさんは、そうした状況でも動ける対応力を身につけたといいます。
大好きなRivianを離れ、4人のArbor Energyを選んだ理由
MihoさんはRivianが大好きで、この会社は絶対に辞めないと思っていたそうです。車のデザインも、作り方も、そこで働く人たちも好きだったといいます。
そこへ、GE時代のメンターで、その後SpaceXで働いていた人物から電話がかかってきます。「兄」と呼ぶほど信頼していたその人物は、超臨界二酸化炭素 ── 高温・高圧で液体と気体の中間のような性質になった二酸化炭素。タービンの作動流体に使うと、装置を小型化できると期待されていますを使ったタービンで、気候問題に取り組む会社を始めようとしていました。
社員はまだ4人で、エンジニアはいるもののオペレーションを担う人が足りないという話でした。共同創業者は、USCロケットクラブのMihoさんの後輩だったそうです。
Arbor Energyが最終的に目指しているのは、バイオマス発電をしながら二酸化炭素を除去することです。Mihoさんは、そんなことができるのかと驚きつつ、優秀なエンジニアである先輩が言うのだから、きっと考え抜いてあるのだろうと考えました。
Mihoさんが決断するうえで大きかったのが、Rivianの規模の変化です。
Mihoさんの入社時、社員は1700人ほど
Arbor Energyに誘われたころには1万4000人に拡大
1万4000人の会社なら自分1人が抜けても大丈夫だが、4人の会社には自分にできることがある、とMihoさんは考えました。面白い技術で、地球環境のためにもなり、信頼する先輩からの誘いでもあります。Rivianのマネージャーも「寂しいけれど、使命のあることだね」と応援してくれたそうです。
MihoさんがArbor Energyに入ったのは2022年8月です。ロケット開発を経験したMihoさんにとって、ロケットエンジンの技術を使う発電に関われる機会はなかなかないもので、それも入社の決め手になりました。会社はWeWorkの4人部屋から始まりました。
収録が1時間を超えたため、この回はArbor Energyに入るまでのライフストーリーで締めくくられています。宮武さんは次回以降に、Arbor Energyの話やSpaceXマフィアの話、エル・セグンドの街の話をしたいと予告しています。
今回はミホさんのライフストーリーっていうところ、とりあえずあのArborまでのライフストーリーっていうところで、次からはちょっとArborの話もそうですし、あとその、それこそスペースXマフィアの話とかもそうですし。
まとめ
Mihoさんのキャリアは、偶然のチャンスが重なった道のりでした。父親がグリーンカード抽選に当たり、テンプルシティ高校の環境に恵まれ、友達の一言でUSCに出願しています。一方で、Mihoさんはその偶然に対して、自分で動いてきました。親へのプレゼン、ホームステイ先探し、来なかった面接官への連絡などがその例です。そうした行動の積み重ねが、Arbor Energyにつながったといえそうです。
- 中学2年生で日本での女性の進路に限界を感じ、父親のグリーンカード当選をきっかけに、高校1年生の3月にひとりで渡米した
- NOVA3級の英語力から、テンプルシティ高校の環境とグリークラブで居場所を得て、コミュニティカレッジからUSCの航空宇宙工学へ進んだ
- USCロケットクラブでの経験と、兵器への葛藤を経て、GEで発電の道へ進み、GEジャパンでも活躍した
- 市民権を取得したことで日本国籍を失い、アメリカに戻ってからは、スタートアップのスピード感やRivianでのコロナ禍の調達で対応力を身につけた
- 1万4000人になったRivianを離れ、2022年8月に4人のArbor Energyへ入社し、ロケット技術を使った発電と二酸化炭素除去に挑んでいる



