エル・セグンドがハードテックの聖地になった理由
エル・セグンドは、ロサンゼルス国際空港のすぐ南に位置する小さな工業都市です。この街がハードテックスタートアップの聖地となった背景には、長い歴史があります。
第二次世界大戦の頃から、この地域は航空産業の中心地でした。ダグラスダグラス・エアクラフト・カンパニー。DC-3など多数の名機を生み出した航空機メーカー。後にマクドネルと合併し、さらにボーイングに統合されました。やボーイング世界最大級の航空宇宙機器メーカー。軍用機・民間機の双方で圧倒的シェアを持つ米国企業。といった大企業が工場を構え、飛行機を製造していました。同時に、シェブロン米国二大石油メジャーの一つ。エル・セグンドに大規模な精油所を持ち、街の名前の由来にもなりました。の精油所があったことから、オイル・アンド・ガス産業も栄えていました。
もともと町工場がいっぱいあったんです。航空産業のための部品を作る町工場が周辺に集まっていました。
周辺にはUSC(南カリフォルニア大学)ロサンゼルスにある名門私立大学。工学部が強く、航空宇宙分野での研究実績も豊富です。、UCLAカリフォルニア大学ロサンゼルス校。全米トップクラスの州立大学で、工学・理学分野でも高い評価を受けています。、そしてカルテック(カリフォルニア工科大学)世界最高峰の理工系大学の一つ。ノーベル賞受賞者を多数輩出し、NASAのジェット推進研究所(JPL)も運営しています。があり、優秀な人材も集まっていました。さらに、JPL(ジェット推進研究所)カルテックが運営する、NASAの主要研究機関。惑星探査機や火星ローバーなど数々のミッションを手がけています。もこの地域に拠点を置いています。
しかし、航空産業の衰退とともに、町工場は徐々に姿を消していきました。建物だけが残る状況に危機感を抱いたエル・セグンド市は、シリコンバレーの投資家に直接働きかけます。「ハードウェアスタートアップには製造の場が必要だろう。エル・セグンドに来ないか」と。
そして転機が訪れます。2002年、イーロン・マスク起業家・実業家。PayPal、Tesla、SpaceX、Neuralink、The Boring Companyなどを創業・経営。民間宇宙開発や電気自動車の普及を牽引しています。がSpaceXの最初のオフィスをエル・セグンドに構えたのです。これが第二次エル・セグンドブームの始まりでした。
SpaceXがここを選んだことで、ハードテックスタートアップがどんどん入ってくるようになったんです。本当にSpaceX様々ですよね。
現在、エル・セグンドはシード・シリーズA段階のハードテックスタートアップが最初のオフィスを構える「マサラタウン」(ポケモンの最初の町)として機能しています。成長したスタートアップは、トーランスなどより広い工場がある地域へと移転していくのが一般的な流れです。
SpaceXマフィアという人材プール
エル・セグンドのハードテックエコシステムを支えているのが、「SpaceXマフィアSpaceX出身者が創業・参画したスタートアップ群の総称。PayPalマフィアになぞらえた呼び名で、宇宙・エネルギー・製造業など幅広い分野で活躍しています。」と呼ばれる元SpaceX社員たちです。彼らはSpaceXで培った知識と「民間でも宇宙開発ができる」という成功体験を武器に、次々と起業しています。
SpaceXマフィアが手がけるのは、宇宙開発だけではありません。エネルギー、製造業、さらには神経締め魚の鮮度を保つための日本の伝統技術。脳と脊髄を破壊して即死させることで、死後硬直を遅らせ、肉質の劣化を防ぎます。技術を使ったロボット開発まで、幅広い分野に展開しています。
彼らはSpaceXで培った知識と考え方を、違う産業に当てられるんじゃないかと考えて、次々と新しい会社を始めているんです。
ただし、SpaceX内にも「層」があるとMiho氏は指摘します。2010年以前に入社した「アーリーSpaceX組」と、それ以降の「レイトSpaceX組」では、働き方やキャリアパスが異なるようです。
アーリーSpaceX組は、ミッションに強く燃えながらも、長時間労働で疲弊していました。多くが数年働いた後、サバティカル長期休暇制度。数ヶ月から1年程度、仕事を離れてリフレッシュしたり、自己研鑽に充てたりする時間を取ること。欧米の企業では比較的一般的な制度です。を取り、人生を見直すというパターンが多かったそうです。一方、レイトSpaceX組はバーンアウトと戦いながらも、最新技術に携わる喜びを感じている層が多いといいます。
10年以上いる人と、2年しか持たない人がいるんです。さすがイーロンさんですよね。
イーロン・マスクは、現場の細部にまで深く関与することで知られています。デザインミーティングに出席し、「なぜこの材料なのか」「なぜこのオペレーションなのか」と徹底的に問い詰めるスタイルです。
この「イーロンがいつ来るかわからない」というプレッシャーが、組織全体に高い緊張感をもたらしています。一方で、そのプレッシャーに当たらずにうまく立ち回れる人が、10年以上在籍する長期組になるのだとMiho氏は分析します。
SpaceX上場が引き起こす産業のビッグバン
エル・セグンドで今、最も注目されている話題があります。SpaceXのIPO(新規株式公開)未上場企業が株式を証券取引所に上場し、一般投資家も株を売買できるようにすること。従業員が持つストックオプションも現金化できるようになります。の噂です。
もしIPOが起きたら、産業にどんな影響が出るのか、すごく気になっているんです。今まではこんなことなかったですから。
SpaceXがIPOした場合、数百人規模のビリオネア10億ドル以上の資産を持つ富豪。日本円で約1500億円以上。SpaceX上場では、多数のビリオネアが誕生すると予想されています。が誕生すると言われています。これは過去に例のない規模です。
Miho氏が最も注目しているのは、IPO後に起こりうる「シェイクアップ」です。大金を手にしたSpaceX社員たちが、今の会社に留まるのか、それとも新たな道を選ぶのか。既存のスタートアップからも、優秀な人材が流出する可能性があります。
すでにいくつかの会社では、「ちょっと距離を置いてね」って話が出ているとも聞きます。IPOが近いSpaceX社員に対して、です。
一方で、Miho氏が会ったSpaceX関係者の多くは、ストックがあっても「何かに携わっていたい」という意欲を持っていました。仕事としてではなく、パッションとして時間を使いたいという人が多いのです。
SpaceX社員は高い報酬とストックオプションを目指して激務に耐える。周辺スタートアップはSpaceXマフィアの起業家を中心に成長。
数百人のビリオネア誕生。人材の流動化が進み、起業数の増加または投資活動の活発化。ミッション重視のカルチャーがより重要に。
宮武氏は、Uberライドシェア大手。2019年のIPOで数百人のミリオネアが誕生しましたが、ビリオネアの数は限られていました。のIPO時には数百人のミリオネアが生まれたが、ビリオネアとなると話が変わると指摘します。一生働かなくても困らない額を手にした人たちが、果たしてものづくりを続けるのか。それとも慈善活動や政治、街づくりに関心を移すのか。これは前例のない実験です。
場合によっては数百人のビリオン級のビリオネアが生まれてくるイベントなので、そこがどうなるのかはまだ見えてこないですね。
もう一つの影響は、投資マネーの流れです。ビリオネアになったSpaceX卒業生たちが、自分で起業するのか、それとも他のスタートアップに投資するのか。エル・セグンドへの投資額が爆発的に増える可能性がある一方で、バブル化のリスクも指摘されています。
グンドブロ・カルチャーと巨大国旗の見せ合い
エル・セグンドのハードテック業界には、独特のカルチャーがあります。それが「グンドブロエル・セグンド(Gundo)のブラザー(Bro)を合わせた造語。シリコンバレーの「テックブロ」とは一線を画す、アメリカンマッチョなハードテック起業家たちを指します。」です。
グンドブロの特徴は、「古き良きアメリカの産業を復活させる」という強い愛国心です。その象徴が、オフィスや工場に掲げられた巨大なアメリカ国旗です。
自分たちが貼れるだけ大きい国旗を買ったよ、って。二つも持ってるんですよ。二ついらないでしょ、そもそも。
エル・セグンドのスタートアップ間では、「どれだけ大きな国旗を壁に掲げられるか」という、ある種の競争が繰り広げられています。日本ではまず見ることのないサイズの国旗が、工場の壁一面を覆っているのです。
グンドブロ、国旗を掲げ、トラックに乗り。アメリカンマッチョなんですよ。
ただし、グンドブロはあくまでエル・セグンド文化の一側面に過ぎません。Rainmakerのチーフサイエンティストは女性ですし、神経締めロボットを作るShinkeime日本語の「神経締め」をそのまま社名にしたスタートアップ。SpaceX出身者が創業し、漁業の持続可能性向上を目指しています。社のように、日本の伝統技術へのリスペクトを持つ繊細な起業家もいます。
人材の流動性と「Don't burn bridges」の掟
エル・セグンドのハードテック業界では、人材の流動性が非常に高いのが特徴です。大企業から小規模スタートアップへと「サイズダウン」する動きが一般的で、これは日本とは真逆のキャリアパスです。
日本だと大きい企業に入って安定したいじゃないですか。でもこちらは逆に、安定しすぎてるからスタートアップに行きたいってサイズダウンするんです。
SpaceX、Relativity、GE、Blue Originなどの大企業
新しい技術を学び、実績を積む
シード・シリーズAのスタートアップ
スタートアップのスピード感と、ゼロからものを作る楽しさを求めて移籍
別のスタートアップまたは起業
ネットワークと経験を活かして次のステップへ
この流動性を支えているのが、強固な「口コミネットワークword of mouth。人から人へと直接伝わる評判のこと。エル・セグンドのような狭い業界では、一度悪評が立つとキャリアに致命的なダメージを受ける可能性があります。」です。Arbar Energyの最新の採用例では、求人を見たRelativity Space3Dプリント技術でロケットを製造するスタートアップ。エル・セグンドで急成長し、現在はより広い工場に移転しています。の社員が、以前一緒に働いていた知人に声をかけ、その人が応募してきたそうです。
横のつながりがすごく強いので、口コミがあるんです。だから会社のこと、全部バレますよね。
このネットワークがあるからこそ、エル・セグンドには絶対のルールがあります。それが「Don't burn bridges「橋を燃やすな」。人間関係を壊すようなことをするなという意味の英語表現。狭い業界では、今日の敵が明日の味方になることも多いため、どんな状況でも関係を悪化させないことが重要です。」(橋を燃やすな)です。
発電だろうがエネルギーだろうが、クライメートテックだろうが、生産産業だろうが、みんな繋がってるんです。何か悪いことをしたら一気に広まります。
この閉じたネットワークに外部から入るのは簡単ではありません。しかし、Miho氏は日本から入るための戦略として、「小さいスタートアップにアタックする」ことを勧めています。組織化していない段階なら、決裁者であるCEOに直接アプローチできるからです。
イーロン・マスク経済とコングロマリット化の可能性
SpaceXのIPOを語る上で避けて通れないのが、イーロン・マスクの他の企業との関係です。最近、xAIイーロン・マスクが2023年に設立したAI企業。ChatGPT対抗のGrokを開発しています。とX(旧Twitter)イーロン・マスクが2022年に買収したSNS。買収後、大規模なリストラと機能改変を実施しました。が合併したことは記憶に新しいところです。
宮武氏は、次はSpaceXとTeslaの合併もあり得るのではないかと予想します。これは完全な憶測ですが、イーロンは以前から一つの大きな「X」という会社を作りたいと語っており、The Boring Companyトンネル掘削・高速交通システム開発企業。ロサンゼルスなどで地下トンネルプロジェクトを進めています。など他の企業も統合される可能性があります。
次世代コングロマリットですかね。第二のGEみたいな。でも第二トーマス・エジソンって言ったら嫌がりそうですよね。
実際、すでにTeslaの部品がSpaceXで使われていたり、人材が頻繁に行き来していたりと、「マスコノミーマスク・エコノミーの略。イーロン・マスクが率いる企業群全体を指す造語。Tesla、SpaceX、X、Neuralink、The Boring Companyなど、相互に技術や人材を融通し合うエコシステムを形成しています。」と呼ばれるエコシステムが形成されています。Twitter(現X)の買収時には、Teslaのエンジニアが大量に投入されたことも有名です。
もしSpaceXがIPOし、さらに他の企業と統合されれば、アメリカ経済全体に影響を与える巨大コングロマリットが誕生するかもしれません。
まとめ
エル・セグンドという小さな街が、なぜ今ハードテックの聖地となっているのか。その背景には、長い産業の歴史、SpaceXの進出、そしてSpaceXマフィアという人材プールの形成がありました。
そして今、SpaceXのIPOという歴史的イベントが目前に迫っています。数百人のビリオネアが誕生し、産業全体が大きく揺れ動く可能性があります。人材がどう動くのか、投資マネーがどう流れるのか、誰も予測できない状況です。
本当にビッグバンみたいな、予想できない動きが始まるんだなと思います。今この状況にいられることに、すごくありがたいなと思いますね。
グンドブロの巨大国旗、「Don't burn bridges」の掟、そしてコーヒーショップで偶然誰かに会える密度の濃さ。エル・セグンドは、ハードテックの未来を形作る最前線です。
最後に、Miho氏はこう付け加えました。「ファイナンス系、特にテックに強いファイナンスの方、ぜひエル・セグンドへいらっしゃってください。オペレーションのサポートも必要です。プロトタイプは作れても、スケールアップが一番大変なんです。」
エル・セグンドのハードテックエコシステムは、今まさに次のフェーズへと移行しようとしています。
- エル・セグンドは航空・石油産業の歴史を持つ街で、SpaceXの進出により第二次ハードテックブームを迎えた
- SpaceXマフィアと呼ばれる元社員が次々と起業し、宇宙開発以外の分野でも革新を起こしている
- SpaceX内には「アーリー組」と「レイト組」の層があり、バーンアウト率は高いがミッションドリブンな文化が根付いている
- SpaceXのIPOが実現すれば数百人のビリオネアが誕生し、産業全体に前例のない影響を与える可能性がある
- 「グンドブロ」と呼ばれるアメリカンマッチョなカルチャーと、巨大国旗の掲示がエル・セグンドの象徴
- 「Don't burn bridges」(橋を燃やすな)が鉄則の、密なネットワーク社会である
- 外部から入るには小規模スタートアップへの積極的なアプローチが有効
- イーロン・マスクの企業群が統合され、次世代型コングロマリットになる可能性もある
