MITとハーバードに囲まれた就活、ボストンキャリアフォーラムとは?
前回のインターンの話を受けて、今井さんは、宮武さんが最終的に日本のデジタルガレージに入社するまでの経緯を尋ねます。
宮武さんは日本のパスポートを持ち、学生ビザでアメリカに滞在していました。アメリカでも就職したいと考え、戦略コンサルを中心に応募していたものの、面接すらしてくれない会社も多かったといいます。
そうすると、MIT、ハーバード、ハーバード、MIT、MITみたいな学生しかいないんですよ。
ボストン近辺の学校だったため、面接の待合室には名門校の学生ばかりが並んでいたそうです。宮武さんはアメリカの会社に応募しつつ、日本での就職活動も並行することにしました。
その場がボストンキャリアフォーラム ── 主に海外で学ぶ日英バイリンガルの学生を対象に、毎年ボストンで開かれる大規模な就職イベント。多くの企業がブースを出し、会期中に選考が進みますです。宮武さんが参加した当時は270社ほどが出展し、TwitterやAmazonのような米国企業の日本部門から、伝統的な日本企業までが並んでいました。
会期は2日半と短く、その間に内定が出ることも珍しくありません。そのため海外留学生だけでなく、日本からわざわざ現地へ飛ぶ学生もいたといいます。宮武さんと同期でボストンキャリアフォーラム経由の新卒は3人いて、そのうち1人は上智大学から渡米した幼なじみでした。
宮武さんによれば、選考の勝負は最初の2日間の夜にあります。企業が用意するディナーに呼ばれる学生は限られているからです。
そこで電話もらって、あの、「ディナーに来ませんか?」っていう誘いがあるかどうかが勝負なんですよ。
コンサル全滅、インターネット全勝。看板を見て置いた履歴書
一番行きたかったのは、シカゴを拠点とするデータドリブンのコンサル会社でした。ところが結果は、コンサルは全滅し、インターネット企業は全部受かるというものだったそうです。
僕はインターネットの人間なんだっていう風になりまして。
デジタルガレージとの出会いは偶然でした。当時のデジタルガレージは、履歴書を置いておくと後日面接の電話がかかってくる「ウォークイン」を受け付けていたといいます。
第一志望のコンサル会社に落ちたと知り、落ち込みながら会場を歩いていた宮武さんの目に、「サンフランシスコにオフィスがあります」という看板が入ります。
まあとりあえずじゃあ履歴書を置くかってなったのがデジタルガレージだったんですよ。
とはいえ、当時の宮武さんは前回話したとおりスマートフォンすら持っていない学生でした。それでもパソコンはよく触っていて、Uberなどが登場したころのニュースも追っていたそうです。アメリカではアクセラレーターへのインターンにも応募していたことから、宮武さん自身は、この業界に多少は興味があったのだろうと振り返ります。
今井さんの「ルームメイトからソフトの不具合を相談されるような子だったのでは」という問いにも、宮武さんはそうだったと答えています。仕組みを理解すること自体が好きだったようです。
デジタルガレージは何をしている会社なのか?
デジタルガレージは当時700人ほどの上場企業で、宮武さんの記憶ではマザーズに上場していました。念願のサンフランシスコ勤務は入社後すぐには叶わず、ずっと希望を出し続けてもUSに行けたのは2年後だったといいます。
入社前、宮武さんはデジタルガレージが何の会社なのかよくわかっていませんでした。面接の電話を受けて調べても、事業内容がつかめなかったそうです。
宮武さんは今のデジタルガレージを「インターネット企業を支える機能を持つ会社」と説明します。事業には投資、広告代理店のようなマーケティング、決済の3部門があり、人数は広告と決済の部門のほうが多く、投資チームが一番小さかったといいます。
投資
事業を立ち上げる際に必要な資金を投資する
マーケティング
事業を成長させるための広告的な機能を持つ
決済
マネタイズの手段として決済を持つ。コンビニ決済などに強い
自社プロダクトを持たないため外からは見えにくく、宮武さん自身も最初は「Twitterと関係のある会社なのかな」という印象だったそうです。実際、デジタルガレージはTwitterへの投資と日本展開のローカライズを担い、2011年ごろにTwitterジャパンが立ち上がるまで日本での運営をしていたと宮武さんは話します。
初仕事は「無茶振り」の投資検討資料
入社後は3か月ほどOJTで各部署を回ったあと、予定どおりインキュベーション部門の投資チームに入りました。当時の投資チームはオープンネットワークラボ ── デジタルガレージが運営するスタートアップ向けのアクセラレータープログラム。起業初期のチームを選び、支援や出資を行いますを運営していて、宮武さんはその事務局として働きながら起業家と話し、投資を学んでいきます。
入社1年目は、SmartHRの宮田さんがオープンネットワークラボに参加したタイミングでした。当初の構想はSaaSの比較サイトで、宮武さんも「需要はあるのかな」と思いながら見ていたそうです。
毎週のように新しいそのアイデアを考えて検証してダメでしたっていう報告を多分5、6週間連続あったので、あの事務局側は割と心配してました。
宮武さんの最初の仕事は、実は入社前にさかのぼります。5月に卒業し9月入社だったため、空いた夏に投資チームでインターンをさせてもらったのです。
そこで突然届いたのが、US出張中の外国人メンバーからのメールでした。Y Combinator ── 2005年創業の米国の著名アクセラレーター。Airbnb、Stripe、Coinbaseなど多くの有力企業を輩出していますのデモデーで投資したい会社が決まったので、その投資検討資料を書いてほしいという依頼です。
当然ながら僕は投資検討資料って何かわからないので、あの、なんか過去のサンプル一個だけ送っ、一緒に送ってもらっていて、それを参考にしながらあの作ったっていうのが一番最初の仕事でした。
幸い資料は英語で書いてよかったため、宮武さんは市場規模や競合など、投資の前提になる情報を1本のレポートにまとめました。本人いわく「無茶振り」でしたが、インターンとしての評価は割と高かったようです。
「幸いです」しか使えなかった新卒時代の言語の壁
宮武さんが新卒時代に一番苦戦したのは、仕事の中身よりも日本語でした。第一言語が英語の宮武さんは、上司に全メールをチェックされていたといいます。
メールの書き方すらわかんないので、一応なんか過去のメールとか見させてもらってたんですけど、なんかそこで僕が初めて「幸いです」っていうのを覚えるんですけど。
それ(使い分け)がわかんなかったので、全部「幸いです」になっちゃったんですよ。
議事録も壁になりました。宮武さんは日本語の会議のスピードで日本語を書けないため、まず英語でメモを取り、自分で翻訳してから議事録にまとめていたそうです。
1ステップ多いぶん仕事は遅れ、コミュニケーションのスピードも課題になりました。最初の1〜2年は、先輩たちから「どうすればいいかわからない」と思われていたかもしれないと宮武さんは振り返ります。
同期のうち、日本の大学から来た幼なじみは宮武さんと同じくらいの日本語レベルで、カナダ出身の同期は日本育ちが長かったため問題なかっただろうとのことです。
一方でテックへの関心は、投資部門の仕事を通じて深まっていきます。インターン中にY Combinatorなどがオンラインで公開しているスタートアップ向け教材を一気に読み、起業家との会話は先輩と動きながら学んでいったそうです。
辞めかけた2年目と、成長のきっかけ
言語の問題に苦しんだ最初の2年間、宮武さんは退職も考えていました。これまでどこでも話していなかったというのが、Googleの面接を受けに行った話です。
休みを取って六本木のGoogleのオフィスで面接を受けた帰り、宮武さんは好物のブリトーの店で一人食事をしていました。そこへ偶然、デジタルガレージの執行役員らしき人が通りかかります。
「ちょっと今日休みもらっていて」って。でもただ面接行ってるので、当然ながらあのシャツとか着てるんですけど、「休みの日はそんな格好なんだね」っていう風に言われて。
結局Googleには行かず、もう1社オファーをもらった会社にも行きませんでした。転機になったのは、先輩たちが相次いで辞め、特にUS担当が抜けたことです。部署の人数が少ないため、US関連の仕事が宮武さんに回ってきました。
US出張に行くようになってから成長のスピードが上がり、同じころコミュニケーションのコツもつかみます。宮武さんの答えは、とりあえず返信するのが大事というものでした。
英語で考え、ある程度完璧な仕事を返さないといけないと思っていた
ちょくちょく連絡するようにした。それだけで「ちゃんと仕事できるようになった」と言われた
宮武さんは、先輩たちがつくってくれた環境に救われた部分が大きかったと話しています。即レスはアメリカでも大事にされていて、単に自分がやっていなかっただけだそうです。
月1のUS出張で残った後悔とは?
入社4年目ごろには月1回サンフランシスコに通うようになり、ビザも取り、現地にアパートも持ちました。ただ投資判断は日本で行われていたため、2〜3週間は日本、2週間ほどはUSという生活を繰り返していたといいます。
楽しかった、マイルも貯まった、と笑う一方で、宮武さんはその時期を「すごくもったいないことをした」とも振り返ります。
あれだけUSに行かせてもらって、ちゃんとしたネットワークを作れなかったなっていうのが、僕は持ってた後悔してることで。
今のOff Topicの人脈は、すべてデジタルガレージを辞めた後に自分から話しかけに行ってつくったものだそうです。デジタルガレージ時代は会社の名前に頼っていた、と宮武さんは言います。
Twitterを日本に持ってきた会社だっていう風に言った瞬間、大体どの会社も話聞いてくれるんですよ。
その看板をもっと武器にすべきだったし、自分自身のブランディングもできていなかったというのが宮武さんの学びです。デモデーやイベントに顔を出すだけでは、ネットワークはつくれなかったといいます。
草野さんとの出会いと、ポッドキャストという種
草野さんとの接点は、オープンネットワークラボでした。草野さんのお姉さんがオープンネットワークラボの卒業生で、草野さんはまずインターンとして関わり、その後新卒として同じ部署に入ります。宮武さんは投資チームの2人目の新卒、草野さんは3人目でした。
部署ではBtoBやエンタープライズの話をする人が多いなか、二人はアメリカの消費者向けアプリやガジェットの話が好きでした。宮武さんがUS出張の土産話をするうちに、2018年、アメリカのVC業界でポッドキャストが流行り始めます。
当時、デジタルガレージの投資先がポッドキャスト配信サービスのAnchor ── 誰でも簡単にポッドキャストを収録・配信できる米国のサービス。のちにSpotifyに買収されましたに投資していて、宮武さんはその経由でAnchorへの直接投資を検討していました。投資は実現しませんでしたが、「ポッドキャスト」という言葉は二人の中に残ります。
当時の宮武さんはTwitterのアカウントこそあったものの投稿はほぼせず、Instagramはアカウントすらありませんでした。メディアの経験がある草野さんに声をかけられ、SNS周りは草野さんに任せる形で、二人は期待値ゼロで始めることにします。
スマホ1台の収録から、Off Topicの可能性に気づくまで
宮武さんは草野さんについて、ずっと「センスがある人」だと感じてきたといいます。過去のブログで触れるガジェットや注目するポイントが魅力的で、メディアにも自分よりはるかに詳しかったため、一緒に話したら面白いと思ったそうです。
始めた当初は会社にする話などまったくなく、毎週の配信もできないだろうという感覚でした。最初の30〜40話ほどはマイクすらなく、デジタルガレージの会議室で二人の間に草野さんのスマホを置いて録音していたといいます。
可能性を感じたのは、ファブリック東京の森さんから「Off Topicを聴いているので一度話したい」と連絡をもらったときでした。
なんかその時に僕からすると割とUSで当たり前だった情報がやっぱり日本に届いてないんだっていうのに気づいたっていうところですね。
宮武さんは、この時差に草野さんはすでに気づいていて、自分は鈍感だったと付け加えます。
最初のマイクは1本だけで、リスナーでもあった新卒の後輩からのプレゼントでした。その後、「電車の中だと聞こえない」というクレームもあり、二人で1万円ほどのマイクをそれぞれ買ったそうです。
LAのスタートアップに行くはずが、トランプ政権とコロナで一変
今井さんも今回初めて知ったというのが、宮武さんがデジタルガレージを辞めた後の話です。2019年末に退職した時点では、Off Topicで独立する予定はまったくありませんでした。
行き先は、宮武さんが担当していたLAの投資先で、自治体向けにソフトウェアを販売するスタートアップでした。出会ったころから共同創業者として誘われていて、VC側ではなくスタートアップ側に立ってみたいと考えたといいます。
ところが2020年1月時点で、宮武さんの記憶ではトランプ政権がスタートアップビザを止めました。そこで日本の子会社をつくり、日本で支援しながら1年待つことにしますが、そのままコロナ禍に入ります。
なので、まあどこにも行きませんと。まあ、なんでUSに出張にも行けないので。
行き場を失ったタイミングで伸びたのがOff Topicでした。今井さんは、コロナが宮武さんのキャリアを一度断つと同時に、ポッドキャストには追い風になったとまとめています。
反応がなくても続けた理由を問われた宮武さんは、真面目だったからではなく、単純に楽しかったからだと答えます。
草野さんの話とか視点とかもすごい面白かったので。なので、その、そこで話すだけで、全然なんか別になんかお金にならなくても、別にリスナーがついてなくても、単純になんか、あの、雑談として面白いなっていうふうに思ったっていうのが、そこありますね。
ノミネートとTechCrunch寄稿、同じ日に起きた2つの転機
2020年はOff Topicにとって転機が重なった年でした。大きかったのは、その年に始まったポッドキャストアワードでノミネートされたことです。当時は1エピソードあたり200〜300再生ほどしかなかったといいます。
そのノミネートと同じ日に、宮武さんのTechCrunchへの寄稿も始まっていました。コロナ禍でやることがなく、Off Topicのブランディングの一環としてnoteを書き始め、仲の良かったTechCrunch Japanのチームに記事の転載をお願いしたら、なぜかOKが出たそうです。
文章を書き始めた背景には、前年に始めたTwitterがありました。スレッドを書くうちに日本語でも書けるかもしれないと思えるようになり、草野さんが編集に入る形で執筆を始めたといいます。
ノミネーション、明らかにその日、その日からスパイク、スパイクが1個あるんですよ。あの再生回数の。
そこから再生数は1000の台に乗り始めますが、ノミネートと記事のどちらが要因かはわからなくなったそうです。記事は最初がストリーミング戦争、2本目がまだ誰も言っていなかったメタバースの深掘りで、その年に出した20数本はすべて1万字超えでした。Twitterで出回り、noteも後押ししてくれたといいます。
会社化を決めた理由と、いまの収益源は?
会社化を言い出したのは、宮武さんの記憶ではおそらく自分だったそうです。ある程度の再生数と成長が見えてきたころ、草野さんと会い「こっちをやっているほうが楽しいよね」と話しました。
LAの会社に行く予定だった宮武さんも、Off Topicの仕事に夢中になっていました。1〜2か月ほど話し合い、とりあえずやってみようという結論になって、2021年1月に会社化します。
当初の収入の柱は、2020年に少し手がけていたコンサルでした。それがあれば何とか生き残れるだろうと考えたといいます。
同じ話をしてしまう問題、コンテンツはかぶってもいいのか?
3つのポッドキャストを運営する宮武さんに、今井さんはネタの分け方を尋ねます。宮武さんは「どこで何を言ったか忘れてしまう」問題がめちゃくちゃあると認め、コンサルでも同じ話をするので余計にわからなくなるといいます。
棲み分けはそこまで意識していないものの、唯一はっきり分けたのがリテール系の番組「シリアルトーク」を立ち上げたときでした。Off Topicの初期にはCasperなどD2C ── Direct to Consumerの略。メーカーが小売店を通さず、自社サイトなどで消費者に直接販売するビジネスモデルの話が多かったものの、特定ブランドの話はシリアルトークに寄せたそうです。
今井さんは、ゆる言語学ラジオの水野さんの例を挙げます。本を書いていた1〜2年間、ラジオで話すネタと本のネタを絶対にかぶらせないようにしていたそうです。一番買ってくれるのはリスナーで、その人たちをがっかりさせたくなかったからですが、それはとてもしんどかったとも話していたといいます。
一方で今井さんは、お笑い芸人の千原ジュニアさんの例も紹介します。千原ジュニアさんは「すべらない話」で披露するトークを、事前にトークライブや「にけつ」で話していて、全部見ていると話が仕上がっていく過程がわかるそうです。
トークライブ
テレビ放送のないトークライブで話す
にけつ
ケンドーコバヤシさんとの番組で一度話し、試す
すべらない話
無駄が削られ必要な情報が足された形で披露する
宮武さんは、リスナーは全エピソードを聴いているわけではなく、聴いていても全部は覚えていないので、ある程度のリピートは大丈夫だと感覚ではわかっているといいます。それでも作り手としては同じ話をしたくない、というのが本音です。
そこはまあ多分コンテンツクリエイターとしての方針っていうか、まあなんか、それこそそれをちゃんとプロセスとして思う、思えると、なんか変わってくるかもしれないですし、そこは難しいですよね。
ボストン・リーガルからバクマンまで、宮武さんをつくったコンテンツ
決断の指針になった考え方や影響を受けたものを聞かれ、宮武さんは「コンテンツは結構ある」と答えます。最初に挙げたのは、高校時代から見ていた法廷ドラマ「ボストン・リーガル」です。
ジェームズ・スペイダーさんが演じるアラン・ショアというキャラクターのスピーチの、ストーリーの作り方に大きな影響を受けたといいます。
次に挙げたのが政治ニュースのお笑い番組「コルベア・リポート」で、アメリカ政治に興味を持つ入り口になりました。そこから「デイリーショー」で、メディアに対する考え方や疑うことを学んだそうです。
アニメではサウスパーク、ファミリーガイ、シンプソンズを全部見ていて、一番影響を受けたのはサウスパークでした。何かしらのナラティブを持つという点が良かったといいます。
そして、Off Topicに一番近いと宮武さんが考えているのが、ジョン・オリバーさんの「ラストウィークトゥナイト ── 英国出身のコメディアン、ジョン・オリバーが司会を務める米HBOの週刊ニュース風刺番組。1つのテーマを長尺で掘り下げる構成で知られます」です。
LastWeekTonightは我々ちょっとコメディ要素はないんですけど、あの、そのちゃんとストーリーを作り--作るっていうところだと結構、あの、感覚は似てるのかなっていうふうに思って。
リサーチがしっかりしていることに加え、イギリス出身のジョン・オリバーさんがアメリカのレンズも重ねて世界を見る、インターナショナルな視点も魅力だそうです。日本のコンテンツでは、漫画制作を描いた「バクマン。」を挙げ、今も使っている手法の一部はそこから盗んだものだと話しています。
寮生活だった宮武さんはケーブルテレビがなく、テレビやDVDのレンタルで見ていました。LOSTやプリズン・ブレイク、HOUSE、24が流行っていたころで、週末に友達と見るなかでボストン・リーガルにも出会ったといいます。今井さんは、ものの見方をコンテンツから学んできた宮武さんの姿をそう受け止めています。
All-Inを見なくなった理由と、いま面白いもの
最近長く見てきたものとして宮武さんが挙げたのはAll-Inポッドキャスト ── 米国の著名な起業家・投資家4人がテックや経済、政治を語る人気ポッドキャストでした。ただ、今はまったく見なくなったといいます。
あの番組(All-In)ってすごいニュアンスを大事にしてた番組だったんですけど、完全政党が偏っちゃったので。
例えばトランプ、トランプ支持者の人たちが増えたんですけど、別にそれはいいと個人的に思ってるんですけど。ただ、なんかちゃんとしたディスカッションにならなくなっちゃったっていうのが、僕としてはすごい悲しいことだったので。
移民問題などのニュースについて意見を確かめに行っても、トランプ政権の話しかしなくなったため、聞く意味がないと感じたそうです。宮武さんは今、ちゃんとディスカッションできる場所を探しているといいます。
最近面白かったのは、デイリーショーの元司会者トレバー・ノアさんのポッドキャストに、ジョン・オリバーさんが出演した回でした。インスピレーションの得方や文化の違いなど、クリエイティブのつくり方の話を好んで聴いているそうです。
今井さんは、ラストウィークトゥナイトのYouTube概要欄でSNSリンクの一番上がBlueskyで、Xが載っていないことに気づきます。宮武さんは、全部を信じているわけではないとしつつ、調べたうえでコメディを交えて話す番組だと評価します。
過去には、アメリカで宗教をつくるのがいかに簡単かを示すため、ジョン・オリバーさん自ら宗教を立ち上げて寄付を募った回もあったそうです。登録者1000万人を抱えるHBOの人気番組で、「これからNetflixになるかもしれない」という冗談で話は締めくくられます。
まとめ
宮武テツローさんの後編は、偶然履歴書を置いたデジタルガレージでの言語の苦戦と成長、コロナで行き場を失った先に伸びたOff Topic、そして物語とリサーチを重んじる姿勢をつくったコンテンツまで、一本の線でつながる回想でした。
- コンサルは全滅、インターネット企業は全勝という結果から、「サンフランシスコにオフィスあり」の看板でデジタルガレージに出会った
- 英語が第一言語の宮武さんは、メールも議事録も苦戦したが、完璧さよりこまめな返信を優先することで仕事がうまく回り始めた
- US出張の時期に会社の看板に頼り、自分のネットワークとブランディングをつくれなかったことを後悔している
- スマホ1台で始めたOff Topicは、アワードのノミネートとTechCrunch寄稿を経て、2021年1月に会社化した
- ボストン・リーガルやラストウィークトゥナイト、バクマン。などから、ストーリーの作り方とものの見方を学んできた



