Slack買収を仕掛けたのは誰だったのか
前回のエピソードでは、セールスフォースの組織図から、注目人物としてブレット・テイラーさんまで話が進んでいました。宮武さんは、ブレット・テイラーさんの経歴を改めて振り返ります。
ブレット・テイラーさんはGoogleマップを作った人物で、その後Facebookに買収されたFriendFeedを起業しました。さらにQuipを作ってセールスフォースに買収され、社内で課題を抱えながらもCPO、そして共同CEOとなり、他の経営メンバーも担当する立場になっています。
セールスフォースは2020年の11月か12月に、Slackを277億ドルで買収しました。Slackが上場して1年ほど経った頃の出来事で、宮武さんは「すごい衝撃でした」と振り返ります。
今までのSalesforceの買収の、MuleSoftとかTableauとかもそうなんですけど、それは全部マーク・ベニオフさんが仕切ってたんですよね。
ただ、今回のSlackの買収は、実はマークさんではなくて、ブレットさんが考えたアイデアでもありますし、実際エグゼキューションまでしたのも彼ですと。
これまでのセールスフォースの大型買収はベニオフさんが仕切ってきましたが、Slack買収はアイデアから実行までブレット・テイラーさんが担ったという点が、この回の出発点になっています。
「Quipを売ってくれ」から始まった買収劇
宮武さんによると、大企業同士はよく「一緒に仲良くやりたいですね」というメールを送り合い、連携のチャンスを探っているといいます。2020年、そうしたやりとりの中で、Slackのスチュワート・バターフィールドさんがブレット・テイラーさんにある提案を持ちかけました。
それが、「Quipを売ってくれないか」と。「Slackが欲しいです」と。
なんか、その展開は予想してませんでした。
SlackはMicrosoftを強く意識している会社で、Microsoftに勝つにはOfficeのようなプロダクティビティアプリが必要だと考えていました。その候補として挙がったのが、セールスフォース傘下のQuipだったと宮武さんは見ています。
そこから会話が進み、最終的にブレット・テイラーさんが「だったらセールスフォースがSlackを買いますよ」と返したといいます。間のやりとりは宮武さんも知らないそうで、「あの二人のSMSのメッセージが見れたらいい」と冗談まじりに話しています。
ブレット・テイラーさん自身も、Quipの統合だけではセールスフォースの今後の戦略として物足りないと感じていました。セールスフォースの多くのプロダクトをどうコラボレーションさせるかを考えたとき、浮かび上がったのがSlackだったと説明されています。
ChatterとYammerに見る、セールスフォースの長年の願い
宮武さんは、Slackのような社内コミュニケーションツールはセールスフォースが昔からやりたかった領域だと指摘します。2009年か2010年頃、セールスフォースは社内メッセージングサービスのChatterを自社で作りました。Chatterは今も少し残っているものの、多くはSlackに置き換わっているとみられます。
マーク・ベニオフさんはもともとメッセージ領域やソーシャルネットワークが好きで、LinkedInやTwitterの買収を検討した時期もありました。そしてChatterを作るきっかけになったのは、Yammer ── 企業向けの社内SNSサービス。2012年にMicrosoftに買収され、現在はMicrosoft 365の一部として提供されていますだったといいます。
Yammerはデイビッド・サックスさんらが出場したスタートアップコンペ(宮武さんの記憶ではTechCrunch40)でお披露目され、その審査員がベニオフさんでした。ベニオフさんはプロダクトを見て「これめっちゃいい」「これを買いたい」と惚れ込みます。
ニュースとかにはそもそも最初になってなかったと思うんですけど、250ミリオンのオファーを出したんですけど。
この2億5000万ドルのオファーは報道されていない情報で、デイビッド・サックスさん本人がどこかで語っていたものだそうです。ところが、セールスフォース社内のエンジニアが「インハウスで作れます」と主張し、最終的にセールスフォースはYammerを買わずにChatterを自社開発しました。
Yammerに惚れ込む
コンペ審査員のベニオフさんが買収を望み、2億5000万ドルのオファーを出す
自社開発を選ぶ
社内エンジニアの主張で、Chatterを作る
Slackを買収
長年の願いだった領域を、Slack買収で手に入れる
Slackはメールの代替から「デジタル本社」へ
Slackは当初、メールを置き換えるツールとして自らを位置づけていました。宮武さんはそこが今も強みだとしつつ、最近のSlackは「我々が新しいHQ、本社だ」と言い始め、カンパニーカルチャーの中心にあるサービスだと打ち出していると説明します。
さまざまなサービスとの統合によってインフラ化するのがSlackの戦略です。そしてSlackの強みとしてよく語られるのが、会社間でメッセージをやりとりできる「インターカンパニーエッジ」だといいます。
Slackのエンゲージメントは非常に高く、1日の利用状況ではFacebookより使われているほどだと宮武さんは話します。一方でDAU(デイリーアクティブユーザー)は、最後に公表された数字で1250万と、何億人規模のZoomと比べるとかなり少なく見えます。
ただ、宮武さんは数だけで評価すべきではないと考えています。その根拠として挙げるのが、Microsoft Teamsとの使われ方の違いです。
Microsoft Teamsの本当の競合はZoom?
Microsoft TeamsはDAUが多いため、ウォール街などでは「Slackが危ないのでは」という声もあります。しかし宮武さんは、TeamsとSlackはユースケースが全然違うと指摘します。
結構Teamsってビデオ会議で使われてるケースが多くて。
どちらかというとZoomに近いんですね、確かに。
スチュワート・バターフィールドさんの見方では、MicrosoftはSlackを倒す前にまずZoomを倒さなければならず、だから今Zoomと戦っているのだといいます。実際、Teamsの機能はZoomの方向に集中していると宮武さんは見ています。
Slackに最もお金を払っている企業を見ても、Teamsとあわせて使っているケースがあるそうです。草野さんの言うように、TeamsとSlackは競合というより一緒に使われていることも多いわけです。
Slackは2000以上のアプリと連携し、1000社以上とパートナーシップを組んでいます。さらにDAUに大きな差があるのに、Twitter上ではSlackの方が圧倒的に話題にされているといいます。草野さんは、日本はSlackのユーザー数が2番目に多い国で「Slack愛は強い」と応じます。
Microsoft製品が好きな人が多い
デザイナー、プロダクト担当、起業家、マーケターなど次の世代の人たち
次の世代を抱えていることがSlackの強みの一つで、さらに下の層をつかんでいるDiscordをSlackが意識しているのもそのためだと宮武さんは説明しています。
Slack Connectが生む「外部とのネットワーク効果」
宮武さんが考えるSlackの最大の強みの一つが、会社間でSlackを使えるSlack Connect ── 別々の組織のSlackワークスペースをつなぎ、社外の取引先やパートナーと同じチャンネルでやりとりできる機能ですです。草野さんも「メール使わなくなりますよね」と便利さを語ります。
宮武さんによれば、Microsoftで会社間のやりとりができるのはOutlookのメールだけです。MicrosoftはWord、Excel、Outlook、Azureといったプロダクトスイートを1社に提供する、垂直統合型の会社だといえます。
1社の中に多くのプロダクトを提供する垂直統合型
1社に入るとリプレースされにくく、Slack Connectで他社へ横展開しやすい
外部間とのネットワーク効果を作れる会社ってなくて、それを作れてるのはSlackだと思ってるんですよね。
宮武さんは3年ほど前に招待されたSlackの開発者カンファレンスでも、Slack Connectが猛烈に推されていたことを覚えているそうです。草野さんも、自分のチームだけでなくコミュニティや取引先など、複数のSlackに入るのがデフォルトになりつつあると実感を語ります。
この領域ではMicrosoftよりGoogleがライバルになるのではという草野さんの指摘に、宮武さんは「本当はGoogleはSlackを買収するべきだったんですよ」と答えています。
Slackはセールスフォースの営業コストを下げるか?
宮武さんは、セールスフォース側の買収の狙いとして営業・マーケティングコストを挙げます。セールスフォースは多くの営業を抱えていますが、Slackのように勝手に広がるネットワーク効果のあるプロダクトを持てば、今後そのコストが下がる可能性があるといいます。
Slackの新機能であるビデオメッセージや、音声で話せるハドルも、会社間でできるようになれば普通の営業電話を置き換える機能になると宮武さんは見ています。草野さんの「電話番号いらないですもんね」という反応に、宮武さんも同意します。
さらにそれがCRMと自動連携できれば、うまくいくはずだと宮武さんは話します。スチュワートさんによれば動画メッセージは自動で書き起こされており、そのデータもすべてセールスフォースの中に入ることになります。
金銭面でも、Slackは売上を伸ばし、黒字化していないものの毎年近づいています。損益がトントンになれば、セールスフォースにとってSlackは、それだけでマーケティング・ユーザー獲得の仕組みになるという見方です。
ネットワーク効果
Slack Connectで社外へ自然に広がる
営業の置き換え
ビデオメッセージやハドルが営業電話の代わりになる
データの集約
書き起こしなどのデータがCRMに入る
コスト低下
営業・マーケティングコストが下がる可能性
カスタマー360戦略のど真ん中にいるSlack
セールスフォース全体の事業戦略でも、Slackは中心に入ってきています。宮武さんが紹介したのは、投資家向けプレゼンの1枚のスライドで、ブレット・テイラーさんが掲げる「カスタマー360」という会社全体の戦略を示したものです。
カスタマー360は、セールスフォースの1つのプロダクトだけでなく、スイートとして複数のプロダクトを一緒に売る戦略です。スライドは円形の図で、草野さんによると、中央で「Slackです」という女性がにこにこしていて、周りに各戦略が並んでいたといいます。
宮武さんは、ベニオフさんが掲げる「次の5年間で500億ドルの売上」を達成するには、この戦略をやるしかないと見ています。直近の数字にもその効果が表れ始めているそうです。
買収したTableauやMuleSoftも大型案件に組み込まれており、「ハブになるための買収戦略」は今のところうまくいっていると宮武さんは評価します。今後の買収候補として、宮武さんはAirtable、Notion、Smartsheetを挙げます。Microsoftに対抗するには、Excel、PowerPoint、Wordの代わりになるプロダクティビティツールが必要だからです。
草野さんは、カンファレンス系のツールとしてPoppyPoppyも候補になるのではと加え、宮武さんは「Dreamforceを全部その上でやるとか」と応じています。
「1+1=7」と、根が深いところを押さえる発想
上場して好調に見えたSlackがセールスフォース傘下に入ったのは意外だった、と草野さん。宮武さんは、スチュワートさんとブレットさんの会話でよく出たフレーズが「1+1=7」だったと紹介します。
買収では、2社が合わさって足し算以上の価値を生むことを「1+1=3」とよく表します。それを「7」と言うのは、普通に考えるよりはるかに大きなものを作れるという意味だと宮武さんは解釈しています。なぜ7なのかは宮武さんもこれから探るそうですが、2人とも何度も口にしているので、何かしら意味があるのだろうと話しています。
スチュワートさんはMicrosoftを倒したいと考えており、MicrosoftがZoomに集中している今こそチャンスで、ここでアクセルを踏まないと次はないかもしれないと思っていたはずだと宮武さんは推測します。その中でセールスフォースのオファーが来て、組んだほうが勝てる可能性が高いと判断したのではないか、という見方です。
一方のブレットさんとベニオフさんの側には、ChatterやYammerにこだわった理由とも重なる理解がありました。
宮武さんによれば、その根とはカンパニーカルチャーです。カンパニーカルチャーは人と人のコミュニケーション、たとえばCEOがビジョンを語ることから生まれます。かつては物理的なオフィスや全体会で起きていたことが、コロナ禍を経てすべてデジタル上、つまりSlack上で起きるようになりました。
物理的なオフィスや全体会で、社長がビジョンを語る
リモートが広がり、Slack上でコミュニケーションが起きる
だからこそSlackは自らを「Digital HQ」と呼び、ブレットさんも買収理由を語るとき必ずこの言葉を使うといいます。宮武さんは、Digital HQはオフィスを置き換えるもので、コミュニケーションから始まってさまざまなアプリと統合されている点が強いと話します。草野さんも「根が深い問題を解決するっていうのはめちゃくちゃ正しい」と共感しています。
部門をまたぐコミュニケーションが変える働き方
宮武さんは、ベニオフさんの一番大きな思いは「エンタープライズソフトウェアを作って全社員が使うこと」だと説明します。しかしセールスフォースのこれまでの戦略は、営業、カスタマーサクセス、マーケティングと部門ごとに入っていくものでした。
部門ごとに入っても、全社員が使うサービスにはならず、必ず発生する部門間のコミュニケーションにも届きません。そこに届くのがSlackであり、部門間のやりとりを把握できれば、これまでセールスフォースが考えてこなかったワークフローやアプリを作れるようになると宮武さんは語ります。
背景には、営業部門だけで承認される案件が減っているという変化があります。案件の進め方をマーケティングチームに相談したり、カスタマーサクセスチームにこれまでの顧客対応を聞いたり、ときには社長に営業同行を頼んだりと、部門をまたぐ連絡が増えています。
営業が起点
案件を進めるため、他部門と連携が必要になる
部門間で確認
マーケティング、カスタマーサクセス、社長などに相談する
ワークフロー化
これまで大変だったやりとりが、連携によって仕組みになる
宮武さんは、今の仕事のやり方はフィジカルな働き方をデジタル化しただけで、それだけでは会社の効率は上がらないと指摘します。次の世代の働き方の中心にはコミュニケーションがあり、だからこそセールスフォースはSlackを買収したのだと説明しています。
ベニオフの夢を継ぐのはブレットとスチュワートか
宮武さんは、ベニオフさんと共同創業者パーカー・ハリスさんの思いを受け継ぐのは、前回話したブレットさんだけではないと考えています。ブレットさんは営業出身ではなく、営業インフラの強いセールスフォースではCROなど多くの人が支えるチームで進めることになるからです。
そのうえで宮武さんは、ベニオフさんとハリスさんの次を担うのは、ブレット・テイラーさんとスチュワート・バターフィールドさんの2人だと見ています。スチュワートさんはかつてFlickrがYahooに買収された後に辞めているため、今回も辞めるのではという声が出ます。
スチュワートさんが辞めない理由として、宮武さんはMicrosoftを倒すという大きなビジョンを挙げます。さらに個人的な予想として、スチュワートさんがいずれセールスフォースの経営メンバーになると考えています。
これは単純に個人的な予想なんであれなんですけど、ブレット・テイラーさんがCEOになって、スチュワートさんがCOOになるんじゃないかなと思ってます。
最近は2人がセールスフォースを代表して同じイベントに出ることも多く、明らかに前面に押し出されていると宮武さんは見ています。セールスフォースという社名のもとで、一番前に出ているのはもしかしたらSlackかもしれない、とも語ります。
ベニオフさんが作れなかった「部門をまたぐコミュニケーション」と「全社員が使うソフトウェア」をSlackが実現し、社内のネットワーク効果が生まれます。同時にSlack Connectで外部とのネットワーク効果も生まれ、エンタープライズのSNSがようやく実現されると宮武さんは話します。
Microsoftとの戦いは次の10年以上にわたる勝負です。宮武さんは、ベニオフさんも一緒に戦いながら、ブレットさんとスチュワートさんの2人のリーダーシップのもとで進めていくのではないかと締めくくっています。
まとめ
セールスフォースのSlack買収は、ブレット・テイラーさんが主導し、ベニオフさんが長年抱いてきた「全社員が使うエンタープライズソフト」の夢を実現する一手として語られました。Slack Connectによる社外へのネットワーク効果と、カンパニーカルチャーという根の深い部分を押さえることが、カスタマー360戦略とMicrosoftとの長い戦いの鍵だと宮武さんは見ています。
- Slack買収は、スチュワートさんの「Quipを売ってほしい」という提案から始まり、ブレット・テイラーさんがアイデアから実行まで担った
- TeamsはビデオでZoomと競い、SlackはSlack Connectによる会社間のネットワーク効果を強みとしている
- Slackはカスタマー360戦略の中心に置かれ、営業コストの低下やCRM連携への期待がある
- 「一番根が深いところ」であるカンパニーカルチャーを、Digital HQとしてのSlackで押さえるという発想がある
- 宮武さんは、ブレットさんがCEO、スチュワートさんがCOOとなり、ベニオフさんの夢を継ぐと予想している




