コンパウンドスタートアップとは何か?
コンパウンドスタートアップは、シリコンバレーのRippling ── 人事・労務、IT管理などを一つの基盤で提供するアメリカのSaaS企業。従業員データを軸に多数のプロダクトを展開していますの創業者、パーカー・コンラッド氏が2年ほど前から話しているコンセプトです。宮武さんによれば、マルチプロダクト、つまり複数のプロダクトを作っている会社のことを指します。
いわゆるコンパウンドスタートアップは、そのマルチプロダクト、複数プロダクトを作っている会社のことっていうところですね。
宮武さんは、複数プロダクトを束ねる発想自体は新しくないと話します。昔ならSAPやOracle、今ならSalesforceやMicrosoftが代表例で、草野さんも「大企業が結構やってるイメージ」と受けています。
ただしスタートアップ業界では、過去10〜15年ほど「まず一つのプロダクトを作り、後から複数プロダクト化する」のが定番でした。今回のエピソードは、その考え方とは違い、コンパウンドスタートアップはゼロから設計したほうがいいのではないか、という問題提起です。
今回は主にBtoBの話で、組織構成やC向け・メディア企業でのコンパウンド化は次回に扱う予定だと説明されています。
VCの「一つに集中しろ」はなぜ正しかったのか?
草野さんは、スタートアップの段階で別のプロダクトを作る例を見かけるようになったと話します。宮武さんも最近増えていると認めつつ、VCはたいてい複数プロダクト化に反対するアドバイスをすると指摘します。
僕もこのアドバイス(一つに集中しろ)をしたこと何回もあるんですけど、やっぱりフォーカスしなさいと。
愛されるプロダクトは一つ作るだけでも大変なので、まず一つで勝つという発想は間違っていなかった、と宮武さんは言います。ただ、一つに絞るべきか複数を狙うべきかは、時代によって変わってきているといいます。
宮武さんによれば、単一プロダクト戦略が最もうまく機能したのは、10〜15年前にソフトウェアがオンプレからクラウド・SaaSへ移ったタイミングです。OracleやSAPのオンプレ製品から一機能だけを切り出してSaaS化すれば勝てた時代でした。
エンタープライズITの予算のうちクラウド化されているのはまだ10〜15%程度で、市場はまだ伸びると宮武さんは見ています。一方で、今ではどのビジネスプロセスにも少なくとも1社、実際には複数社のSaaSが存在している状態です。
1社あたりが使うSaaSの数も増えています。宮武さんはOkta ── 企業向けのID管理・シングルサインオンを提供するアメリカの企業。社員が使うSaaSの利用状況に関するレポートも公開していますのデータを紹介しました。
このSaaS数の増加はテック企業に限らず、メディア、リテール、ファイナンスなど、ほぼどの業界でも起きていると宮武さんは話します。草野さんは「そんなにあるのはびっくり」と驚き、100を超えれば相当な金額になりそうだと反応しています。
SaaSの分裂化が生んだ「連携」の壁
宮武さんは、セキュリティだけでも多数のツールがあり、エンジニアも多くのツールを使うと説明します。そのうえで、SaaS革命が過去10〜15年で生んだ課題はシステムの分裂化だと指摘します。
このSaaS革命がここ10年から15年間あった中で、そこで生まれた課題っていうのが、そのシステムが分裂化されたんですよね。
一つひとつのソリューションは揃ったものの、ソリューション同士の連携がとてもやりにくくなりました。だからこそZapier ── 異なるWebサービス同士をノーコードでつなぎ、作業を自動化できるサービスや、EC向けのAlloyのようなAPI企業が生まれた、と宮武さんは説明します。
もう一つの課題は、単一ソリューションのSaaS企業が本当に複数プロダクト化できるのか、という点です。宮武さんは、これはカルチャーの問題だと話します。
2つ目、3つ目のプロダクトって作るのって多分ちょっとだいぶ変えないといけないので、そのカルチャーを。
一つに集中しろと言われてきた会社では、フォーカスが会社のDNAに入っています。その代表例として宮武さんが挙げたのが、NotionとSlackでした。
特に印象に残っているのは、SlackがMicrosoftに勝てなかったことだといいます。Slack単体ではTeamsより良いプロダクトでも、Microsoft全体のバンドルには勝てなかった、という見立てです。
単体のプロダクトとしてはTeamsより優れている
Microsoft全体のバンドルの一部として提供されている
Zoomが直近でメールとカレンダーのサービスを出すという話も、一つのプロダクトだけでは勝てないことの表れだと宮武さんは見ています。草野さんが挙げたDropboxのノート機能については、そこまで使われていないのではないか、と宮武さんは話しています。
FigmaはなぜAdobeへの売却を受け入れたのか?
宮武さんは、好きなポッドキャスト「All-In」で、収録の1週間前に発表されたAdobeによるFigma買収が話題になっていたと紹介します。All-Inでは、競争を減らす買収は独禁法に引っかかるのではないか、独立した強い会社が出てくることが重要ではないか、という議論がされていたそうです。
宮武さんは別の見方を示します。AdobeはFigmaを明らかに恐れていたからこそ200億ドルという高値で買ったわけですが、Figma側がそれを受け入れたことにも意味があるといいます。
(売却を受け入れたということは)もしかしたら長期、すごい長期的な戦いになって負ける可能性を感じたっていうことでもあると思っていて。
宮武さんの見立てでは、Figmaでさえシングルプロダクトでした。Figmaはホワイトボード製品のFigJamも出していますが、それが思ったほどうまくいっていない可能性もある、と宮武さんは推測しています。
本題とは別の個人的な予想として、宮武さんはAdobeのFigma買収を、SalesforceによるQuip ── 共同編集できるドキュメントサービス。2016年にSalesforceが買収し、創業者ブレット・テイラー氏は後にSalesforceの共同CEOに就任しました買収と同じ構図だと見ています。FigmaのCEOディラン・フィールド氏が、ブレット・テイラー氏のように将来AdobeのCEOになるかもしれない、という見方です。
それでもFigmaが売却したことは「ちょっと悲しい反面」、コンパウンドスタートアップのセオリーが正しいのではと思わせる出来事だった、と宮武さんは話しています。
WordもExcelも「一機能」にすぎないMicrosoft
宮武さんは、深く連携し合う複数プロダクトを作ることで、プロダクト、UX、プライシング、長期的なバリュエーションの面で優位に立てると整理します。過去15年はレガシーシステムのアンバンドル化が進みましたが、アンバンドル化だけで勝てる会社は減ってきている、というのが宮武さんの意見です。
結局SalesforceとMicrosoftは強い、と宮武さんは言います。特にすごいと感じるのは、MicrosoftにとってWordやExcelがプロダクトではなく機能だという点です。
MicrosoftにとってWordとExcelってプロダクトじゃないんですよ。一機能なんですよね。
単体で勝負できるプロダクトレベルのもの
Office 365の一機能にすぎない
草野さんが「そこまで行くのはスタートアップには難しくないか」と問うと、宮武さんは難しいと認めたうえで、だからこそスタートの段階から考えたほうがいい、そうでないとMicrosoftには勝てない、と答えています。
宮武さんの個人的な見解では、シングルプロダクトの限界は300〜400億ドルほどです。Slackは270億ドルで上場しましたが、500億ドルを超えるシングルプロダクトはなかなかないといいます。
その領域に行くと、SalesforceとMicrosoftと必ず戦うことになるので。
ラスボスが待ってるですね。
宮武さんは、ラスボスと戦うにはシングルプロダクトではもう戦えないのではないかと話し、それを唯一覆せそうだったのがFigmaだったと振り返っています。
API連携ではなく「連携そのもの」をプロダクトにする
複数プロダクトを作ると、一つひとつのプロダクトが弱くなるという指摘が出るはずだ、と宮武さんは話します。ただ、逆に強くすることもできるといいます。
たとえばNotionがMicrosoftに勝つには、他社と組んでAPI連携で戦う方法が考えられます。しかし宮武さんは、API連携では深い連携ができず、ある程度のことしかできないと指摘します。
複数プロダクトを作った場合、連携っていうのがプロダクトになるんですよ。
ある程度のことしかできず、深い連携が難しい
連携をどこまでも深くでき、連携自体が強みになる
一番わかりやすい例はAppleだと宮武さんは言います。完全にクローズドなエコシステムなので、新製品もすべてエコシステム内で連携し、人はiPhoneだけでなくAirPodsやApple Watchも買います。
宮武さんは、API連携と自社プロダクトの両方が必要だと考えています。その例として挙げたのがStripeです。Stripeは請求システムや税金対策のプロダクトに加え、アプリマーケットプレイス「Stripe Apps」をローンチしました。API連携でありながら、Stripeのダッシュボードに統合されたUIを持たせている点が良いところだと宮武さんは評価しています。
Ripplingは2つではなく3つのプロダクトを作っている
複数プロダクトの大きな利点として、宮武さんは根本のインフラが共通であることを挙げます。アクセス権限、レポート、アナリティクス、ワークフロー、通知といった機能は、特にBtoBではどのソフトウェアにもある基盤です。
変わるのはルールと、組み合わせるデータモデルだけだと宮武さんは説明します。顧客データに別のデータを組み合わせると請求システムになり、違うデータモデルを入れると金融システムになる、というイメージです。
Ripplingは、立ち上げ時に2つのプロダクトを作ったように見えて、実は3つ作っていると宮武さんは話します。商品AとBに加え、レポートやアナリティクスなどのインフラ部分を一つのプロダクトとして切り出しているからです。
いわゆる彼ら、あのRipplingはミドルウェアって呼んでるんですけど。
Ripplingには、アナリティクス、レポート、ワークフロー、通知機能を自社のさまざまなサービスに当てはめる専門チームがいます。
宮武さんによれば、ほとんどのSaaS企業はレポートやアナリティクスをあまり作りたがりません。一番重要な機能に集中したいからで、それでも作るのは「ダッシュボードが見たい」とクライアントに言われるからだといいます。
導入の担当者の安心材料というか。
なんかちゃんと数字見えますよっていうのを、なんか出したい。
多くのSaaS企業が仕方なく作るアナリティクスを、Ripplingは専門チームで深く作り込み、各プロダクトに共有しています。これが基盤部分の強さ、つまりプロダクトのアドバンテージになっていると宮武さんは説明します。
クライアントにとっての利点もあります。同じ会社の複数プロダクトはUXが揃っているので、3つのプロダクトがあっても1つ覚えれば他も使えます。草野さんも、SlackやNotionのようにUIが理由で使いたくなることはある、と共感していました。
プライシングで圧倒的に有利になる理由
宮武さんは、プライシングの強さは単純ながら圧倒的だと話し、具体的な数字で説明します。
A〜E社がそれぞれ1000円ずつ販売し、合計で月額5000円
1社がまとめて提供すれば、場合によっては全部で2000円にできる
これはまさにMicrosoftの手法だと宮武さんは言います。バンドルの中で競合が出てくると、たとえばNotionのような機能を作って無料でバンドルに入れる、というやり方です。
なんか乗り換えるのめんどくさいし、これにしていいかってなりますよね。
価格差の背景には、先ほどのインフラチームの存在があります。A〜E社はそれぞれアナリティクスを自前で作るので、そのコストが各プロダクトに乗ります。
一方、Ripplingは一度作ったアナリティクスを5つのプロダクトで共有できるので、コストは5分の1になります。しかも作り込んだものを使えるため、より安い価格で提供できる、と宮武さんは説明しています。
最初の18カ月売上ゼロ。コンパウンド化の代償
トレードオフとして、宮武さんは複数プロダクトを作るのはとても難しいと認めます。プロダクトAとBに加えてミドルウェアも優れたものを作らなければならず、最初から3つのプロダクトを作ることになるからです。
当然、時間もお金も多くかかります。Ripplingは最初の18カ月間売上ゼロで、1000万ドルのキャッシュを使い、その時点で40人の組織だったといいます。
売上ゼロで10億円ぐらい使って。いや、それ失敗したらどうしようっていう。
相当なリスクがあると認めつつ、宮武さんはアップサイドに目を向けます。シングルプロダクトなら300億ドルから最大500億ドル程度で、それでもMicrosoftには勝てません。
本当にマイクロソフトとか、いわゆる100ビリオン以上レベルに行きたい場合は、もしかしたらこのマルチプロダクトに賭けた方がいいかもしれないっていうところですね。
草野さんが、その考え方を初期から持っておくことが重要だと応じると、宮武さんも、最初に一つから行こうとすると考え方そのものが変わってしまうと話しています。
コンパウンドスタートアップはどこから始めるべきか?
では、コンパウンドスタートアップはどう始めればいいのか。宮武さんは、コンパウンドスタートアップのプロダクトは「連携」であり、連携の下にあるのは根本となるデータセットだと説明します。
Salesforceは、CRMを提供していてもCRMの会社ではなく、顧客データに関わるすべてに対してプロダクトを作ろうとしている会社だと宮武さんは言います。ほかの会社も、それぞれ軸となるデータを持っています。
| 企業 | 軸となるデータ | 補足 |
|---|---|---|
| Salesforce | 顧客データ | CRMに限らず顧客データに関わるもの全般 |
| Rippling | 従業員データ | 顧客ではなく従業員が基盤 |
| Stripe、Lamp | 金融データ | 金融データをベースにしている |
| ByteDance(TikTok) | インタレストグラフ | 興味データを基盤にしている |
草野さんが「すでにあるプロダクトの上でポイントを決めるのか」と尋ねると、宮武さんは、まずデータからだと答えます。
一つのプロダクトからスタートすると(プロダクトを)複数いけるかわかんないので。
課題から考えることももちろん必要ですが、ベースとなるグラフの部分が重要だと宮武さんは話します。Microsoft、Salesforce、ByteDanceといった代表例はいずれも根本のグラフを持っている点が共通しているといいます。
「一つに集中しろ」は古いアドバイスになったのか?
1000万ドル規模の資金を最初から使えたのは、パーカー・コンラッド氏がZenefitsを創業した実績があったからかもしれない、と宮武さんは話します。シリアルアントレプレナーには、こうした企業を作る特権があるのかもしれないといいます。
その理由の一つは初期からの資金調達です。時間がかかることを株主に伝えなければならず、初めての起業家が言ってもVCは納得しにくい、と宮武さんは説明します。
「1年半と10(ミリオン)かかりますけど大丈夫ですか?」って言われると、「いや、ちょっと違うところに投資しようかな」ってなるじゃないですか。
それでも、今はシングルプロダクトで明らかに勝てる会社はなかなかいない、と宮武さんは見ています。そのため今後は複数プロダクトの会社が増えるのではないか、と話しています。
草野さんは、Figma、Notion、SlackのようなSaaSのおかげでプロダクトは前より作りやすくなり、ハードルは下がったかもしれないと話します。宮武さんは、クライアントは一つのワークフローの中で複数のペインポイントを抱えているので、それらを一斉に解決するほうが強いと付け加えました。
次回は、コンパウンドスタートアップの組織構成と、同じ考え方がC向けサービスで通用するのかを話す予定です。草野さんは、C向けにはSalesforceのようなラスボスはそれほどいない一方で、道のりはもっと難しそうだと話していました。
まとめ
今回のOff Topicでは、SaaSが増えすぎて連携が難しくなった今、単一プロダクトでは巨大企業に勝ちにくくなっているという見立てから、最初から複数プロダクトを前提に作るコンパウンドスタートアップの考え方が紹介されました。リスクは大きいものの、連携・UX・価格の面で明確な優位があると宮武さんは見ています。
- コンパウンドスタートアップは、深く連携する複数プロダクトを最初から前提に作る会社のこと
- SaaSの分裂化で連携が課題になり、SlackやFigmaのような強いシングルプロダクトでもバンドルに対抗しにくくなっている
- Ripplingはレポートやアナリティクスを「ミドルウェア」として共通化し、プロダクトの深さと価格の両面で優位に立っている
- 出発点はプロダクトではなく、顧客・従業員・金融・興味といった根本のデータセット(グラフ)を選ぶこと
- 初期に時間と資金がかかるため、実績あるシリアルアントレプレナーほど挑戦しやすい可能性がある


