イノベーションを「加速させる方法」はどこにあるのか
Off Topicでは、イノベーションが減速しているのか加速しているのか、なぜ減速しているのかという議論がたびたび取り上げられてきました。今回の宮武さんは、そこから一歩進めて「どうやったら加速させられるのか」というハウの部分を話したいと切り出します。
(イノベーションを)そろそろ加速させるための、ハウの部分、どうやったら加速させられるのかっていうところを、そろそろ話さないといけないかなと思いまして。
そのために宮武さんが取り上げるのが、テック業界でも「もう一度復活させられないか」と時々話題に上る1社の研究所です。今回はその組織に絞り、イノベーションの現状と加速の方法論は翌週の回で扱うと予告しています。
なお、収録は11月上旬で、配信は2025年の1回目になる見込みでした。二人は「11月からのあけましておめでとうございます」と、少し早い新年の挨拶を送っています。
ドラマ『セヴェランス』のロケ地になった研究所
宮武さんが今回の題材を紹介する手がかりにしたのは、草野さんが好きなApple TV+のドラマ『セヴェランス』です。作中に登場する会社のオフィスの外観やエントランスとして使われているのが、ベル研究所の建物です。
『セヴェランス』は、仕事中とプライベートの記憶が分けられてしまう人々を描くドラマです。草野さんは、独特なオフィスの場所が気になって検索し、そこでベル研究所の存在を知ったといいます。
私もだから、その『セヴェランス』見て、「ここどこなんだろう」と思って検索して、そのベル研究所(を)知ったんですけど。
宮武さんによれば、建物はニューヨークから20〜30マイルほど離れたニュージャージーにあり、楕円形の敷地に巨大な駐車場を備えています。作中の怪しげな企業ルーモン・インダストリーズもテック系の会社として描かれていて、その舞台が実在のベル研究所というのは面白い符合だと宮武さんは話します。
もし過去の組織を1つ復活させられるとしたら?
宮武さんは草野さんに、もう存在しない、あるいは原型を失った会社や組織を復活させられるならどこを選ぶか、と問いかけます。例として挙がったのは、PayPalマフィア ── PayPalの創業メンバーや初期社員の通称。退社後にテスラ、LinkedIn、YouTubeなどを創業・支援し、シリコンバレーで大きな影響力を持ちました、Googleの初期メンバー、ジェネラル・マジックなど、優秀な人が一度に集まった「瞬間」です。
草野さんは、スチュアート・ブランドのWhole Earth Catalog ── 1968年にスチュアート・ブランドが創刊した雑誌形式のカタログ。道具や知識を紹介し、のちのパーソナルコンピューター文化にも影響を与えたとされますの人たちや、初期の『WIRED』を挙げました。宮武さんも、芯を持っていた初期メンバーが集まった時期だと同意します。
そのうえで宮武さんは、もっと名前が挙がるべきなのにあまり出てこない会社が1つあると話します。知らない人が多いからかもしれない、というのがその理由です。
電話インフラを独占した巨大企業AT&T
宮武さんが挙げたのはAT&Tです。前年10月末時点のグローバル時価総額ランキングでは96位で、AppleやNVIDIA、Microsoftと比べると20分の1ほどの規模です。日本でいえばドコモのような通信キャリアで、そのAT&Tの研究施設として置かれていたのがベル研究所でした。
ベル研究所はその後の売却や分割を経て、現在はノキアの傘下にあります。宮武さんは、今のベル研究所が当時ほど新しいものを生み出しているとは言いにくい、とも付け加えています。
一方、かつてのAT&Tは桁違いの存在でした。1877年に設立され、約40年でアメリカの資産ベース2番手の会社に成長しました。1939年から1974年には資産が50億ドルから740億ドルに増え、一時はアメリカの労働人口の1%以上を雇用していたといいます。
成長の理由について、宮武さんは「電話のインフラを作っていた会社だから」とシンプルに説明します。電話の需要とともに伸び、その需要を自ら作ってもいた、という構図です。
この需要を満たすため、AT&Tは電線や電柱をアメリカ中に自前で作り続けました。1881年には当時アメリカ最大手の電気機器メーカーだったウェスタン・エレクトリックを買収しています。宮武さんによれば、ウェスタン・エレクトリックは1970年代に独立していれば全米トップ10に入るほどの規模だったそうです。
インフラ投資の規模も桁外れでした。NASAのアポロ計画は1960年から1973年に当時の金額で約260億ドルでしたが、AT&Tは同じ時期にその約2.5倍を投資したといわれています。
現在のAT&Tについて、宮武さんは大手キャリアの1社という位置づけだと話します。政府の規制や独禁法 ── 独占禁止法。市場の独占や不当な取引制限を禁じる法律で、アメリカでは反トラスト法と呼ばれますによる分割を経て、カスタマーサポートの評判も高くはなく、ここ20〜30年の大きな動きは早くからiPhoneと組んだことくらいだといいます。草野さんは、iPhoneとインターネットが通信業界の構図を大きく変えたことにも触れ、二人は今後のテーマ候補として話題を残しました。
トランジスタ、UNIX、ノーベル賞を生んだ「世界一のイノベーション組織」
今でこそApple、Meta、Tesla、SpaceXがイノベーションの代表とされますが、宮武さんはその前に存在したのがAT&T傘下のベル研究所だと話します。1920年から1980年ごろまでのベル研究所は、当時世界一のイノベーションカンパニーと呼ばれるほどだったといいます。
ベル研究所で生まれたものとして、宮武さんはトランジスタ、レーザー、UNIX ── 1969年ごろにベル研究所で開発されたOS。のちのLinuxやmacOSなど、多くのOSの設計に影響を与えました、通信衛星、プッシュホン、光ファイバーなどを挙げます。研究所としては歴史上最も多くノーベル賞を取っていて、物理学で7つ、化学で1つだそうです。
草野さんが「なんでなくなったのか」と驚くと、宮武さんは「一応なくなってはいない」と答えます。存在はしているものの、かつての姿ではない、というのがこの回のベル研究所の位置づけです。
「イノベーションは1人の発明家からは生まれない」という前提
宮武さんがベル研究所を深く調べるきっかけになったのは、2015年ごろにマーク・ザッカーバーグが自身のブッククラブで薦めていた本『The Idea Factory』でした。宮武さんは、どんな人と環境がそろえばあれだけのイノベーションが生まれ、それに再現性はあるのか、とザッカーバーグさんも考えていたのではないかと推測しています。
宮武さんによれば、ベル研究所の根本にあった考え方は「イノベーションは1人の発明家からは生まれない」というものです。いろいろな種類の人が集まることこそが重要だ、という前提です。
発明家が1人でガレージや自分の研究所にこもり、「これができる」とひらめく瞬間がある
複数の技術が少しずつ進み、たまたまそれを研究している人たちが居合わせて、アイデアが出てくる。原点はそれほど明確ではない
草野さんは、それでは再現性がないうえ、成果も1人のものではないから余計に難しい、と応じます。宮武さんは、タイミングの問題も大きいとしたうえで、ベル研究所はそれを知っていたからこそ、多様な人を同じ建物に入れて偶然の出会いを起こしやすくすることで、再現性を作ろうとしたのだと説明します。
それ(いろんな人たち)を同じビルに突っ込めば、なんかそこのセレンディピティが起きやすくなるんじゃないかっていうのを、そういう意味で再現性を作ろうとしていたっていうところですね。
インキュベーション施設とベル研究所は何が違ったのか
草野さんは、ここ数年スタートアップ向けのインキュベーション施設やスタートアップスタジオのように、人を集めて場所を作る取り組みが多いのに、それでは再現できないのかと質問します。
宮武さんは違いを2つ挙げます。1つ目は人材のクオリティです。インキュベーション施設の人材が悪いという話ではなく、ベル研究所は場合によっては破格の給料を出して、非常に優秀な人を採用していました。
2つ目は研究の自由度です。ベル研究所には「AT&Tのためになる研究を」という大まかなテーマだけが渡されていました。ところがAT&Tは垂直統合で事業を広げていたため、研究テーマも実質的にほぼ何でもよい状態になっていたといいます。
何でも、ほぼ何でも研究していいっていうところで、何かしら見つかった場合は、なんかどうにか(AT&Tの事業に)当てはめられるみたいな。
宮武さんは、企業の中でやるべきか、スタートアップでやるべきか、大学でやるべきかというインセンティブ設計の違いにも草野さんの質問は関わるとして、詳しくは翌週の回で扱うと話しています。
大陸横断の電話回線という「科学の課題」
ベル研究所の出発点は1909年、AT&Tの経営陣の何人かが、ニューヨークとサンフランシスコを結ぶ大陸横断の電話回線を作りたいと考えたことでした。当時としてはありえない構想でした。
宮武さんによれば、大陸横断の電話回線はエンジニアリングの範囲を超え、科学の課題になっていました。当時の素材では寒さで凍ったり、強風で壊れたりするため、長距離に耐えるリピーターや増幅回路が必要だったのです。
しかもこれ(大陸横断の電話回線)ってもうなんかエンジニアリングの領域を超えてたんですよ、その課題として。もう科学の領域に入っていて。
そこでAT&Tは、いろいろな種類の科学者や専門家を呼び集めました。アメリカの大学では理論系と実験系の学者が互いをからかい合うこともある、と宮武さんは補足します。
科学者の話から急に「電柱を登る人」が出てきて、草野さんは驚きます。それでも宮武さんは、現場の人も含めたこの集まりが、のちのベル研究所になったと話します。
こいつは(電柱に)登れるぞっていう。
目標を与えない研究と「邪魔が入る」建物
この集まりを組織としてまとめ、イノベーションを加速させたのが、ベル研究所のマービン・ケリー ── ベル研究所の研究部門を率い、のちに所長も務めた物理学者。トランジスタ開発につながる固体物理の研究体制を整えたことで知られますさんです。物理学者、化学者、数学者、エンジニアを1つの建物に入れ、明確な目標がなくても何年も研究してよいという自由を与えたといいます。
草野さんが「期限や目標がないとダラダラしてしまうのでは」と聞くと、宮武さんは「基本的に何も言っていない」と答えます。ピーク時にはキャンパスに約1万5000人がいて、うち約1200人がPhDを持っていました。そのうち13人が7つのノーベル賞を受け、元メンバーもその後4つほど受賞しているそうです。
『セヴェランス』のロケ地になった建物は、最初からあったわけではなく、ベル研究所のために後から建てられたものです。宮武さんによれば、第二次世界大戦中かその後に作られ、その目的は研究者が自分の研究に集中しながらも「邪魔が入る」ようにすることでした。
各その人たちが一応研究をし、自分たちの研究にフォーカスしながら、でも、邪魔が入るようにしてたんですよね。
ここでいう「邪魔」とは、他の人の研究を知る機会や、他の研究者と偶然会う機会のことです。研究室から研究室へ移るには巨大な広間を通る必要があり、そこで誰かと出会うことが期待されていました。草野さんも、広場を囲むように研究室が並ぶ姿は、意図して作らなければ生まれない建築だと話します。
偶然の出会いは広間ではなく朝食の席で起きていた?
建物の設計がセレンディピティを生んだという話はネットでもよく語られますが、宮武さんは逆の話もあると紹介します。広間が広すぎて通るのが面倒だったため、研究者たちは小さな横道で移動し、結局人と会わず孤独だったという話です。
草野さんも、ドラマで見る建物は無機質でだだっ広く、検索しても人が写っていない写真ばかりだと応じます。宮武さんは、研究者は他人と話したい人ばかりではないとも指摘しています。
それでも偶然の出会いは多少あった、と宮武さんは考えています。宮武さんは個人的な意見で、当時いた人に確かめたわけではないと断ったうえで、出会いは広間ではなく食堂で起きていたのではないかと話します。
その根拠として挙げたのが、AT&Tのリーガルチームによる調査です。リーガルチームは、ベル研究所の研究者の中でなぜ特定の人たちが多くの特許を出しているのか、共通点を分析しました。
問い
特許の多い研究者は、なぜ他の人より多く出せているのか
分析
同じ大学の出身か、一緒に働いていたかなど、共通点を探す
結果
全員が、あるエンジニアと朝食かランチをともにしていた
そのエンジニアの特技
答えを示すのではなく、考えさせられる良い質問をすること
そのエンジニア自身が大きな発明をしたかはわからず、賞もおそらく取っていないといいます。宮武さんは、偶然会うことよりも、良い問いを投げかけられる人の存在のほうが重要だったのではないかと話します。
草野さんはこのエンジニアを、よく相談する相手が良い質問やアドバイスをくれる「良い投資家」のような存在だと例えました。宮武さんは、ちょっとした問いをきっかけに、頭のいい研究者たちが違う方向へ研究を進めたのではないかと話します。
ベル研究所には、組織として共有された規範もありました。宮武さんが紹介したのは次の3つです。
- 自分の研究室のドアを閉めてはいけない
- 役職に関わらず、同僚から支援を頼まれたら断れない
- 上司は部下の研究を一切邪魔してはいけない
草野さんは、それぞれ違う研究をしていても共通の規範があるのは組織として良さそうだと話します。宮武さんは、研究所は分野ごとに分かれがちなのに対し、ベル研究所では違う分野の人や理論家を同じ部屋に入れるなどの試みをしていたと説明します。こうした取り組みは、特化型に向かいがちな大学ではなく、企業だったからこそできたのではないか、という見方です。
トランジスタを最も使わなかったのはベル研究所だった
これほどの組織を作れたのはすごいことですが、宮武さんは、多くのアイデアを生んだからこそ失敗した部分もあると話します。代表例がトランジスタです。今のテック業界に欠かせない技術を発明しながら、それを一番使わなかったのがベル研究所だったといいます。
それ(トランジスタ)を一番使わなかったのが多分ベル研究所なんですよね。
理由は、トランジスタがAT&Tのコア事業とあまり関わりがなかったことです。ベル研究所の主な目的は既存事業の加速でした。AT&Tはコンピュータービジネスへの参入も検討しましたが、独禁法に引っかかると考えて断念したといいます。
トランジスタは結果的に、シリコンバレーの出発点となったフェアチャイルドセミコンダクターにつながりました。光ファイバーやレーザーでも同じことが起き、さまざまな技術を他の企業に渡す形になったと宮武さんは話します。
草野さんが、技術を生んだ研究者は報われたのかと尋ねると、宮武さんは「報われていない」と答えます。ウィリアム・ショックレー ── トランジスタの発明でノーベル物理学賞を受けた物理学者。ベル研究所を離れて自身の半導体研究所を設立し、シリコンバレーの源流の一つとなりましたは独立して別のバージョンのトランジスタを作り、シリコンバレーを作る一因になりましたが、その影響力に比べれば大きく儲けたわけではないといいます。
新しい発明がAT&Tで使えない事例が重なると、ある研究者が「この環境で無謀に広い研究をするのは、1つの会社がやることではないのでは」と言い出します。草野さんは「何を今更」とツッコミました。その後、研究テーマは絞られ、投資も削減され、最終的にAT&T自身が独禁法で分割されていきます。
発明の量産
幅広い研究から、トランジスタ、光ファイバー、レーザーなどが生まれる
自社で使えない
コア事業と合わず、独禁法の懸念からコンピューター事業にも参入しない
研究の見直し
広すぎる研究は1社がやることではないという声が出る
縮小と分割
テーマの絞り込みと投資削減を経て、AT&T自身も分割される
宮武さんは、AT&Tが「既存プロダクトを改善する研究のほうが儲かる」と判断したのは、企業によくあることだと話します。OpenAIのサム・アルトマンも、会社を10%伸ばすのは今の延長でできるが、10倍にするには全く違う発想が要り、それを思いつくのが難しいと語っていたそうです。宮武さんは、AT&Tはその10倍の側を捨てたのだと見ています。
ただし、独禁法の恐れがなければコンピューター市場に入っていた可能性もある、と宮武さんは補足します。あれだけの研究ができたのも、AT&Tが市場を独占してめちゃくちゃ儲かっていたからです。AT&Tは過去に独禁法をめぐる指摘で一度勝っており、その結果伸びた利益がベル研究所に流れ込んでいました。
技術は独占すべきか、開放すべきか
草野さんは、日本の例としてQRコードを挙げます。デンソーの研究者が作業を速めるために開発し、特許を取らずに広めたことで、今では誰もが使っている、という話です。カラオケの機械も、日本人の発明者が特許を取らなかったことで広まったという話があるとし、「難しい話ですね」と考え込みます。
宮武さんは良いポイントだと応じ、テスラが特許を取ったうえでオープンにした例を挙げます。イーロン・マスクは「1社が独占するとイノベーションが止まる」という趣旨の発言をしていたといいます。
なんかそこも果たしてAT&Tが全部そのプロジェクトを自らやっていたら、なんか今の世の中があるかっていうと、それもそれでわかんないので。
宮武さんは、ベル研究所の発明は研究者をあれほど自由にさせられたからこそ生まれた面もある、と付け加えています。
ベル研究所の大口顧客はアメリカ軍だった
宮武さんによれば、AT&Tやベル研究所の売り上げの一部は政府、具体的にはアメリカ軍によるものでした。AT&T自身の売り上げも、軍関連に寄っていた時期があったといいます。
例えば真珠湾攻撃の数年後、ベル研究所はアメリカ軍から数千件規模のプロジェクトを受けていたそうです。パイロット向けの通信システムの開発など、一部は受託開発のような形でした。
宮武さんは、ベル研究所の成功は研究環境だけでなく、会社の資金力と、戦時中に政府が研究へ資金を投じたいという事情が重なった結果だと話します。特定の研究者のスキルも大きかったといいます。草野さんは「聞けば聞くほど再現が難しい」「特に日本でやるとなると余計に難しそう」と受け止めました。
お金を払えば誰でも学べた、開かれた研究所
宮武さんがベル研究所で特にすごいと感じているのは、技術を外に開いていた点です。研究者たちはAT&Tで使えない技術があることを知りつつ、良い給料を得ていたため、自分で儲けようとはしていませんでした。当時はスタートアップで大儲けする時代でもありませんでした。
ベル研究所では、当時2万5000ドルほど払えば、1週間のセミナーを受けられたといいます。トランジスタについてのセミナーでは、作り方を目の前で実演するところまで見せていました。
恩恵を受けた例として、宮武さんはテキサス・インスツルメンツのジャック・キルビー ── テキサス・インスツルメンツの技術者で、集積回路の発明者の一人。2000年にノーベル物理学賞を受賞しましたさんや、ソニーの森田さんを挙げます。ソニーもベル研究所で学んだことが、会社の発展につながったといいます。宮武さんは「それだけではない」と断りつつ、技術の共有があったからこそ次の世代が生まれたと話しました。
AT&Tは儲からなかったですけどね。
草野さんは、自分の利益を求めなければ世界は発展するが、利益も得ながら広めるのは本当に難しいと話します。宮武さんは、これはベル研究所だけの話ではないとして、ゼロックスPARC ── コピー機メーカーのゼロックスが設立した研究所。GUIやマウス、イーサネットなど、現代のパソコンにつながる技術を多く開発しましたを挙げます。PARCで開発されたGUIとマウスを見たスティーブ・ジョブズがMacintoshに取り入れましたが、PARCはそれによって一切お金を得ていません。
宮武さんは、こうした組織の名前は歴史には刻まれるものの、技術を作ったのに使わなかったというネガティブな面でも見られてしまうと話します。草野さんは「勝者の歴史なんですかね」とつぶやきました。
ベル研究所の所長に生まれ変わったら、同じことをするか
草野さんは宮武さんに、衰退の歴史を知ったままベル研究所の所長に生まれ変わったら同じことをするか、と問いかけます。宮武さんはまず、事業会社がコーポレートラボを作るなら、技術が外へ流れることも覚悟の上でやるべきだと答えます。
えっと、同じことはすると思います。ただ、変えるとすると、でもこれは多分当時変えても意味ないと思うので、今作るのであれば変えてると思うのが、インセンティブの設計を若干変えてると思います。
宮武さんが考える変更点は、研究者や起業家へのインセンティブ設計と、技術をIPとして扱い、他社に自由にライセンスする仕組みです。そのうえで、当時のAT&Tには新技術を活用できない内部要因と外部要因があったと整理します。
新しい技術がAT&Tのコア事業とフィットしていなかった
独禁法により、会社やベル研究所の分割を求められればどうしようもなかった
宮武さんは、社会貢献という意味では必ずしもお金の話ではないため、研究は続けていたと思うと話します。そのうえで、インセンティブの設計はどうにか変えたいとしています。
今、ベル研究所を再現することはできるのか
ベル研究所を再現できるか、すべきかは翌週の回で扱うとしつつも、宮武さんは、タイミングや状況に加えて、人のクオリティと規模だけでも再現は難しいと話します。
スペースXと同じぐらいの規模とクオリティのエンジニアリングチームを抱えながら、カリフォルニア工科大学の2倍ぐらいのサイズの研究人員を抱えないといけないんですよ。
草野さんが、ベル研究所に起業家という概念はあったのかと聞くと、宮武さんは「ほとんどない」と答えます。当時は起業がみんなの目指すものではなかったからです。草野さんは、今の優秀な人ほど「1社に収まる必要はあるのか」と考えるはずだと応じます。
さらに宮武さんは、第二次世界大戦後にアメリカ政府が大学の研究所へ大きく資金を出し始め、企業ではなく大学で研究すればよいという流れも生まれたと話します。草野さんは、このシフトが研究の進み方を大きく変えたのではないかと関心を示しました。
翌週の回では、今は誰が基礎研究を担い、それがどうイノベーションにつながっているのか、そしてベル研究所のような事業会社の研究所は復活すべきか、すでに復活しているのかが話される予定です。最後に草野さんは、『The Idea Factory』に『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』という日本語版があることを紹介しています。
まとめ
ベル研究所は、優秀な人材への高い報酬、目標を縛らない自由な研究、多様な専門家を混ぜる環境、そしてAT&Tの独占的な利益と軍の需要に支えられ、数々の発明を生みました。一方で、その技術の多くは自社のコア事業に合わず、独禁法の制約もあって他社に渡り、AT&Tは未来を作りながら、その果実を得られませんでした。
- ベル研究所は「イノベーションは1人からは生まれない」という前提で、多様な専門家を同じ建物に集め、目標を与えずに研究させた
- 特許の多い研究者に共通していたのは、良い質問をするエンジニアと朝食やランチをともにしていたことだった
- トランジスタや光ファイバーはコア事業に合わず、独禁法の懸念もあってAT&T自身はほとんど活かせなかった
- お金を払えば誰でも学べる開かれた姿勢が、テキサス・インスツルメンツやソニーなど次の世代を育てた
- 宮武さんは、今作るならインセンティブ設計とIPのライセンスを見直すと話しつつ、人材の質と規模の点で再現は難しいとみている





