前回の振り返りと、今回たどる道筋は?
このエピソードは、前回の「シリコンバレーの始まりとVCの関係」の続きです。前回が長くなったため、テーマはパートに分けて話され、草野さんは4つぐらいになるかもしれないと話しています。
前回は、イノベーションと資本主義、カウンターカルチャーとコマーシャリズムが合わさった話や、アーサー・ロック ── 1960年代から活動した初期のベンチャーキャピタリスト。インテルやアップルへの出資で知られ、VCという業態を形づくった人物の一人ですさんによる資本政策づくり、Netscapeの話が取り上げられました。
宮武さんは前回の要点を、VCや起業には「人材をアンロックする」意味があったと整理します。マーク・アンドリーセンさんが、もともとモザイクを作っていたのにわざわざNetscapeを立ち上げたのも、同じつながりがあったという話です。
今回の宮武さんの予告は2本立てです。シリコンバレーの成功にVCがどう貢献したか、そして今のシリコンバレーがファウンダーフレンドリーになったシフトを誰が作ったのか、という点です。
宮武さんによれば、そのシフトに大きく影響したのがアンドリーセン・ホロウィッツです。マーク・アンドリーセンさんとベン・ホロウィッツさんが同社を始めたきっかけと、二人がVCをどう進化させたかが後半の中心になります。
シリコンバレーは「発明の地」ではなかった
シリコンバレーがなぜ成功したのかについて、よく語られるのはカウンターカルチャーの影響です。ヒッピーカルチャーや、当時のLSDのような体験によって新しい世界を見ていたから発明ができた、という見方もあったと宮武さんは紹介します。
ただし宮武さんは、実際はそうではなかったと話します。初期の重要な発明に、シリコンバレーはほとんど関わっていなかったというのです。
その初期の発明は、実はシリコンバレーってほぼ関わってなくて。
宮武さんが挙げた例は多岐にわたります。ハッカー倫理はMIT、ワールドワイドウェブはジュネーブ、Linuxはフィンランドで始まりました。
| 発明・概念 | 生まれた場所 |
|---|---|
| ハッカー倫理 | MIT |
| ワールドワイドウェブ | ジュネーブ |
| Linux | フィンランド |
| 最初のトランジスタ・半導体 | ニュージャージーのベル研究所 |
| 最初のパソコン | ニューメキシコ |
| 最初のブラウザ | イリノイ大学(マーク・アンドリーセンさん) |
| 最初のSNS | ニューヨーク |
| 最初のスマホ | フロリダのIBM研究所 |
こうした例から宮武さんが導く結論は、シリコンバレーの強みが発明そのものより、面白いアイデアをコマーシャライズできることにあったという見方です。
結局その発明っていうよりも、その面白いアイディアをコマーシャライズできる。
草野さんはこの指摘を「スケールさせる」「広げる」と言い換え、宮武さんもそれに同意しています。
ヒッピーと資本主義、両方が必要だった理由
宮武さんによれば、ヒッピーカルチャーの人たちは本来、大きな会社を作ることに批判的でした。それでも、大きな会社を自ら作るほうが世界は良くなると受け入れる必要があったといいます。
宮武さんは、スティーブ・ジョブズさんがまさにその例だと話します。だからこそ、シリコンバレーの成功をヒッピーカルチャーだけで説明するのは間違いで、カウンターカルチャーと商業化の両方が必要だったという考えです。
なのでヒッピーカルチャーだけっていうところは間違ってると思っていて。多分どっちもの要素も必要だったと思っていて。
日本の半導体のほうが質が高かったのに、なぜ負けたのか?
宮武さんはさらに、同じような発想をする人は日本にもいたと指摘します。日本は半導体づくりがとてもうまく、アメリカのテックの中心ももともとはMITやハーバードがあるボストンでした。
ではシリコンバレーはなぜボストンを上回ったのか。昔よく言われたのは、アメリカ政府が半導体を作るために毎年100億円ぐらいの資金をシリコンバレーに流していた、という説明です。
宮武さんは政府資金にも一部関連性はあったとしつつ、それだけではないと見ています。当時は日本の半導体のほうが質が高かったといい、二人はそれを「悲しい」と笑い合っています。
でも正直日本の半導体の方が質が高かったんですよ。
宮武さんが挙げる違いは、シリコンバレーが半導体だけでなく、周りのパーツやつなげるパーツも作っていたことです。半導体がどこに使われるかを見ていたという点で、ここでも商業化の視点が効いていたと話されています。
大企業がいないことが強みになった?coopetitionの文化
宮武さんは、シリコンバレーの成功には社会学的な面もあると話します。ボストンや日本では、製造から全部を自社で手がけるバーティカル ── ここでは垂直統合のこと。原材料や部品の製造から最終製品まで、一連の工程を一つの企業グループで抱えるやり方です連携の大企業が多かったといいます。
ボストンではDigital EquipmentやData General、日本では東芝やソニーがその例として挙げられています。それに対してシリコンバレーには大企業がおらず、小さい会社がたくさんありました。
製造から全部自社でやるバーティカル連携の大企業が中心。リスクの少ないものをやりがち
小さい会社がたくさんある。競争が激しい一方で、コラボレーションもしやすい
宮武さんによると、小さい会社が多いことで2つのことが生まれました。みんな似たアイデアを持つので競争が激しくなる一方、アライアンスやコラボレーションを簡単に組めるカルチャーもあったのです。
例えば、あるスタートアップのエンジニアが他社のエンジニアにアドバイスを求めるような関係で、秘密にするものが割と少なかったといいます。宮武さんはこれをcoopetition ── 協力(cooperation)と競争(competition)を組み合わせた造語。競合同士が競いながらも、情報交換や提携などで協力し合う関係を指しますのカルチャーと呼びます。
大企業は社内でアイデアが浮かんでもほとんど使わず、リスクの少ないものに流れがちです。一方、小さい会社がたくさんあれば、いろいろなアイデアを試して失敗するのが繰り返され、その中で一番いい成功の道が見つかると宮武さんは説明します。
でも逆に小さい会社がいっぱいいると、いろんなアイデアを試して失敗するのを繰り返されるので。そこで一番いい成功の道が見つかると。
教育面でもスタンフォード大学は特殊でした。教授がスタートアップで働くのであればサバティカル ── 大学教員などが一定期間、通常の業務を離れて研究や別の活動に取り組むための長期休暇制度を取ってよかったといい、MITではそんなことは許されなかったと宮武さんは話します。
VCの本業は「ネットワーク」だった
宮武さんは、協力と競争のcoopetitionを一番代表する存在はVCかもしれないと話します。VCはさまざまなスタートアップのピッチを聞き、採用支援のために多くの人と面談するため、事業そのものがネットワーク、つまり人をつなげることだからです。
VC同士は競争しながらも情報共有をよく行い、スタートアップ同士の協力も促してきたといいます。今でもそういう人は多く、宮武さんは、テックエコシステムのネットワークをデータ化しているロンドンのポッドキャスター、20VCのハリー・ステビングスさんを例に挙げます。
ただし宮武さんによれば、このアイデアは新しいものではありません。昔からあるVCで、今また人気になっているサッターヒルのビル・ヤンガーさんは、頭のいい人のネットワークを地道に作っていました。
宮武さんによると、ビル・ヤンガーさんはこの方法で1年ぐらいの間に80人ぐらいのネットワークを作ったといいます。
誰も投資したくなかったアップルを、VCのネットワークはどう支えたか?
アップルの資金調達でも、VCのネットワークが大きく活用されていました。宮武さんによれば、アップルにはもともと誰も投資したがらず、会ってもくれないVCもいたそうです。
元々誰も投資したくなかったんですよ、アップルって。
アタリの社長らが、スティーブ・ジョブズさんをセコイア ── 1972年創業のシリコンバレーを代表するベンチャーキャピタル。アップル、Google、Ciscoなど多くの企業に投資してきましたの創業者ドン・バレンタインさんに紹介します。ところがドン・バレンタインさんもアップルを見て「これは違う」と思い、出資はしませんでした。
その代わりにドン・バレンタインさんは、ビジネス側の人材が必要だとして3人ほどを紹介すると申し出ます。草野さんはこれを「優しい」と受け止め、宮武さんはVCがネットワークビジネスだったからだと話します。
紹介された3人のうち2人はスティーブ・ジョブズさん側が嫌がり、3人目がマイク・マークラさんでした。マイク・マークラさんはアップルに投資し、幅広い業界の人脈を生かしてアーサー・ロックさんや、アップルのロゴをデザインしたレジス・マッケンナさんにつなげたといいます。
アタリの社長ら
スティーブ・ジョブズさんをドン・バレンタインさんに紹介
ドン・バレンタインさん
出資は断るが、ビジネス側の人材を3人紹介
マイク・マークラさん
3人目として参画し、アップルに投資
さらなる紹介
アーサー・ロックさんやレジス・マッケンナさんなどへつなぐ
Kleiner Perkinsのジョン・ドーアさんも、日本でいう系列モデルのように投資先同士のコラボレーションを重視していました。宮武さんは、こうしてネットワークを考えるVCがとても強かったと話します。
「創業者は社長に向かない」が常識だった時代
当時のVCがネットワークを使う目的には、コラボレーションに加えて、新しい社長、特にビジネス側の社長を入れることがありました。宮武さんによれば、それがよくあるパターンだったといいます。
有名な例がCiscoで、セコイア創業者のドン・バレンタインさん自身が一時期、代理で社長を務め、次の社長をアサインしました。Googleもエリック・シュミットさんが社長になっていますが、もともとラリー・ペイジさんとセルゲイ・ブリンさんは外部の社長を嫌がっていたそうです。
そこでKleinerのジョン・ドーアさんとセコイアのマイク・モリッツさんは、Google創業者に彼らが憧れる創業者たちを会わせ、ビジネス側の社長を入れるメリットを見せることにしました。
数週間のうちに二人が会ったのは、アップルのスティーブ・ジョブズさん、インテルのアンディ・グローブさん、当時Sun MicrosystemsのCEOだったスコット・マクニーリーさん、アマゾンのジェフ・ベゾスさんです。最終的にGoogle創業メンバーも社長を入れるべきだと納得しました。
ただ、Google創業メンバーの頭の中で条件を満たすのは一人だけで、それがスティーブ・ジョブズさんでした。もちろん採用はできませんでした。
ただ、彼らの頭の中では一人、一人しかその条件を満たさないと。Googleの社長になるべき人は。それがスティーブ・ジョブズだったと。
宮武さんは、Google創業メンバーが外部社長に反対したこと自体が当時はありえない話だったとし、そこから創業者がCEOとして残る流れが徐々に始まったと見ています。
ファウンダーを残す発想を広めた3つのグループとは?
宮武さんによれば、創業者を残すという発想を本当に広めたのは3つのグループでした。
1つ目はピーター・ティール ── PayPalの共同創業者で、VCのFounders Fundを設立した投資家。Facebookの初期投資家としても知られますさんです。PayPalはイーロン・マスクさん率いるX.comと合併しており、当時X.comの株主だったセコイアのマイク・モリッツさんと激しく対立した結果、VCが嫌いになったといいます。
2つ目はYCを率いたポール・グレアムさんです。ポール・グレアムさんもVCが結構嫌いで、会社の立ち上げ時にはできるだけ少ない株だけを取り、アドバイスを提供すべきだと考えていたと宮武さんは説明します。
3つ目がアンドリーセン・ホロウィッツです。創業者、特にテクニカルな創業者を大事にする姿勢の背景には、業界では有名な、ベンチマークとの不仲があるといいます。
ベンチマークとの確執はラウドクラウドの調達から始まった
アンドリーセン・ホロウィッツとベンチマークの確執は、Netscapeの後にベン・ホロウィッツさんが立ち上げたラウドクラウドにさかのぼります。ベン・ホロウィッツさんの著書『HARD THINGS』でも書かれている会社です。
マーク・アンドリーセンさんはアクティブな共同創業者にはなりたくなかったものの、会長となり、自ら6億円を投資しました。さらに資金が必要になり、ラウドクラウドはベンチマークに向かいます。
ベンチマークの創業者アンディ・ラクレフさんは、のちにWealthfrontの社長になる人物で、ベン・ホロウィッツさんをとても気に入っていました。ベンチマークは通常パートナー全員で投資を決めるところ、その手続きを省いてでも投資したいほどのホットな案件だったといいます。
条件はプレマネー4500万ドル、ベンチマークが1500万ドルを出すというものでした。宮武さんによれば、当時のVC業界はプレマネーで全部を決めていたことが、のちの対立の火種になります。
ベンチマークは25%の持ち分が欲しかったのですが、マーク・アンドリーセンさんがその後6億円を入れると持ち分が下がってしまいます。そこでベンチマークはマーク・アンドリーセンさんを外そうとしましたが、マーク・アンドリーセンさんはそれを許しませんでした。
プレ4500万ドルにベンチマークが1500万ドルを入れ、時価総額6000万ドルで持ち分25%の想定
マーク・アンドリーセンさんも出資し、ポスト6600万ドルで持ち分は22.7%に
その後、ベン・ホロウィッツさん、マーク・アンドリーセンさん、ラウドクラウドのキーメンバーがお礼のためにベンチマークのパートナー全員に会いに行きます。宮武さんは、実際に何が起きたかはなかなか誰も語らないと前置きしたうえで、噂として次の場面を紹介します。
あるベンチマークのパートナーが、ベンさんに、「お前はいい社長じゃない」と。「次の社長をいつ見つけてくるんだ」と。
宮武さんは、何人かから聞いているので多分本当だと話しています。これが二人がベンチマークを嫌いになった理由で、そこから「アンチベンチマークになりたい」という発想が生まれたといいます。
アンドリーセン・ホロウィッツはリーマンショック直前に生まれた
ラウドクラウドはその後、浮き沈みを経て買収されます。マーク・アンドリーセンさんとベン・ホロウィッツさんはエンジェル投資家となり、Twitter、Zynga、Facebook、LinkedInなど36社ぐらいに投資しました。
そのタイミングで、セコイアのダグ・レオーネさんがベン・ホロウィッツさんに「うちに入らないか」と電話します。二人はそれを機に、それなら自分たちで作ろうと決め、2008年にアンドリーセン・ホロウィッツを立ち上げました。
2008年から2009年にかけてはリーマンショックが起きます。セコイアは「お金を無駄遣いするな」という有名なプレゼンを出しましたが、アンドリーセン・ホロウィッツは逆に「テックは大丈夫だ、だからファンドを立ち上げよう」という立場を取りました。
「お金を無駄遣いするな」という有名なプレゼン
「テックは大丈夫だ」としてファンドを立ち上げる
この姿勢を宮武さんは逆張りだと評し、草野さんも「カウンター行ってますね」と応じています。
アンディ・ラクレフさんが授けた「カウンターポジション」
VCを立ち上げた経験のない二人は、アドバイスを求めに行きます。相手はベンチマークのアンディ・ラクレフさんでした。ベンチマークは嫌いでも、アンディ・ラクレフさんだけは好きだったからです。
アンディさんだけは別。アンディさんはいいと。アンディさんだけは好き。ベンチマークは嫌ですと。
当時のアンディ・ラクレフさんはベンチマークとはあまり関わらず、スタンフォードで教えていました。宮武さんは、その助言がこれからVCを立ち上げる人にも参考になる話だと話します。
アンディ・ラクレフさんの考えは、新しいVCを作るには戦略が必要で、その戦略がカウンターポジションだというものです。例えば、何にでも投資するジェネラリストのセコイアに対して、Accelは業界特化型のスペシャリストになりました。
ベンチマーク自身は、当時トップ2だったセコイアとKleinerのうち、Kleinerに対するカウンターポジションを取りました。
| 論点 | Kleiner | ベンチマーク |
|---|---|---|
| 投資先の扱い | 系列モデルで投資先同士の協業にプレッシャー | 一社一社を別々に扱う |
| パートナー | 顔はジョン・ドーアさん。お金をもらっても他のパートナーがアサインされる | 小さいパートナーシップで全員がいいパートナー |
| 規模 | 大きな会社・大きなファンド | 小さくいく |
ベンチマークはCEOとの1対1の関係性を重視しました。アンディ・ラクレフさんは、アンドリーセン・ホロウィッツも同じようにカウンターポジションを考えるべきだと助言します。
ベンチマークへの「アンチ」として掲げたもの
アンドリーセン・ホロウィッツが選んだカウンターポジションの相手は、ほかならぬベンチマークでした。助言をくれたアンディ・ラクレフさんの会社です。
まず創業メンバーをクビにしない。
あの、若手のテクニカルなファウンダーをサポートしますと。彼らこそ最もふさわしいCEOになるべきだと。
宮武さんはこれを「完全に愚痴ですよね」「煽ってますよね」と笑っています。
さらにアンドリーセン・ホロウィッツは、小さいチームではなく大きなチームを作りました。大企業のCEOが持つようなリソースやツールをファンドとして提供し、科学者がCEOになるための育成プログラムも兼ねたサービスを目指したといいます。
1号ファンドは300億円ぐらいで、マーク・アンドリーセンさんの名前とベン・ホロウィッツさんの実績があったからこそ集められた規模です。これも大きなチームを作るためでした。
もう一つ重要だったのが投資ステージです。当時のVCはほとんどシリーズAにしか投資せず、シリーズAで社外取締役とプロのVCが入るのが一般的でした。
アンドリーセン・ホロウィッツは、シードでもグロースでも、どのラウンドにも投資すると決めます。LPへの説明がしづらく当時はありえない話でしたが、レイターステージの重要性はマーク・アンドリーセンさんがFacebookにいたことで理解していたと宮武さんは話します。
創業者を交代させることもある。小さいチーム。主にシリーズAに投資
創業メンバーをクビにしない。大きなチームでリソースを提供。どのラウンドにも投資
マーケティングをVCに持ち込んだ、名前とPRの戦略
勝負相手は、ベンチマークのビル・ガーリーさん、Kleinerのジョン・ドーアさん、セコイアのマイケル・モリッツさんでした。アンドリーセン・ホロウィッツは、CAAのマイケル・オーヴィッツさんに相談して、ビジネス開発のネットワークを作ります。
その成果の一つが、2012年に立ち上げたニューヨークのExecutive Briefing Centerです。今は30人ほどのスタッフが投資先のためにひたすら営業をかけ、5年間で35億ドル分の売上を作ったといいます。
PRも重要でした。ベン・ホロウィッツさん自身、マーケティングはVCにとって新しいコンセプトで、それを考えたのが自分たちだと話しているそうです。
PRを担当したマーギット・ウェンマッカーズさんは、最初アンドリーセン・ホロウィッツという名前を嫌いました。チームとファウンダーフレンドリーを掲げるのに自分たちの名前を前に出すのか、という疑問です。
マーク・アンドリーセンさんとベン・ホロウィッツさんの答えは、今はマーク・アンドリーセンさんがセレブだから名前を入れさせてほしい、後々トランジションする、というものでした。
宮武さんによれば、数年前のリブランディングでは、業界は社名が何に変わるかに注目していましたが、結局アンドリーセン・ホロウィッツのままでした。二人は、自分たちが引退するなど関係が薄れるときに正式な社名をa16zに変えると話しているそうです。
で、逆にそうならなかったからこそ、僕もそのマークさんとベンさんってまだこれから活動するんだなっていうのがわかるので。
テレビ出演の3分間に出てきた、アンドリュー・チェンさんの意外な縁
立ち上げたばかりのファンドにはPRが必要で、マーク・アンドリーセンさんはテレビ番組『チャーリー・ローズ』に出演しました。自分のVCについて話したのは3分ほどでしたが、その中で面白いスタートアップがあると紹介しています。
その会社の創業者は、今ではアンドリーセン・ホロウィッツのキャピタリストであるアンドリュー・チェンさんでした。草野さんは、最近本を出したアンドリュー・チェンさんとそこから繋がっていたことに驚いています。
そこから繋がってるんですね。
その後、2009年7月に『フォーチュン』誌で正式なローンチが報じられました。
300億円のファンドから50億円。Skype投資の大勝負
最初の投資にはDiggなどがありましたが、すぐにリターンが出た投資は2009年9月のものでした。当時300億円のファンドから、6分の1にあたる50億円を一度に投資したのです。
強気ですね。
投資先はSkypeです。当時マーク・アンドリーセンさんはeBayの社外取締役で、eBayは数年前にSkypeを買収していました。eBayはその後Skypeの創業者をクビにし、創業メンバーはeBayを訴えていました。
そこにPEファームのシルバーレイクがeBayからSkypeを買い取るオファーを出します。内情を知るマーク・アンドリーセンさんは、Skypeの創業メンバーが戻れる状況を作る提案をしました。
取引の設計
シルバーレイクが50%以上、創業メンバーは14%と引き換えに訴訟を取り下げ、アンドリーセン・ホロウィッツは5000万ドルの投資権
経営の刷新
マネージャー30人のうち29人を入れ替え、Facebookとの連携も支援
成長
ユーザー数が約4億人から約6億人へ
出口
マイクロソフトが85億ドルで買収。18カ月で5000万ドルが1億5000万ドルに
宮武さんは、アンドリーセン・ホロウィッツはシードやシリーズAで有名でも、最初の成功はレイターステージが多かったと話します。IPO前のFacebookとTwitterに80億円ずつ、Grouponに4000万ドル、PinterestとAirbnbに3000万ドルずつ投資していたといいます。
2号ファンドは6億5000万ドルで、1号ファンドと合わせて1000億円ほどを管理するようになりました。この時期にマーギット・ウェンマッカーズさんをマーケティングのトップとして採用しています。
ゲームの失敗を「ピボットしろ」で支えた結果がSlackだった
2011年4月、アンドリーセン・ホロウィッツは、当時人気のゲーム「Glitch」を作るTiny SpeckのシリーズBをリードします。マーク・アンドリーセンさんはシードにも、アンドリーセン・ホロウィッツはシリーズAにも入っていました。
Tiny Speckはスチュワート・バターフィールドさんの会社で、草野さんの言うとおり、のちのSlackです。シリーズB調達のほぼ直後、スチュワート・バターフィールドさんは役員に「このゲームはうまくいかない」と伝えました。
お金は返さないでくれ」と。「ピボットしろ」と。
宮武さんは、創業メンバーを信じ抜く力を持っていたことがすごいと評価しています。草野さんも、ゲームが終わった瞬間が、Slackが生まれた瞬間でもあったと受け止めています。
VCの持ち分は45%から12.5%へ。下がり続けたオーナーシップ
宮武さんは、VCの歴史を見るとオーナーシップのレベルが徐々に下がっていると指摘します。アーサー・ロックさんがいた1960年代には、出資先の45%を持つのが普通で、ほぼコントロールしているのと同じでした。
宮武さんは、VCも進化しており、それを理解できないVCは生き残れないと話します。次回扱うセコイアや、今まさに進化しようとしているアンドリーセン・ホロウィッツも、その視点で見ることが重要だといいます。
VCというモデルは本当に成功したのか?
宮武さんは、アメリカに限った話として、VC出資を受ける会社は1%以下しかないと説明します。
VCのアドバイスに意味がないという指摘について、宮武さんは正しい面もあるとしつつ、何もしていないと仮定しても良い会社を選ぶこと自体がスキルだと話します。
これがいわゆるキャピタルアロケーション ── 資本配分のこと。限られた資金をどの事業や企業に振り向けるかを判断することで、投資の成果を左右する中核的な判断ですで、VCはある程度正しい判断をしており、少なくとも多分アメリカ政府よりはうまくやっていると宮武さんは述べています。
VCは「ジェット燃料」。合う会社と合わない会社
宮武さんは、VC出資によって既存のメインプレーヤーに対抗できるようになったとも話します。Uber、Lyft、Airbnbへの多額のVC出資はアンフェアだという声もありますが、VC出資がなければそもそもそうした会社は作られていなかったという見方です。
宮武さんが挙げるVCのすごさは、ハンバーガーのImpossible Foodsからスクーター、決済、銀行まで、業界をまたいで投資し会社を支援できることです。
一方で宮武さんは、自分にバイアスがかかっていることを認め、全ての起業家がVC出資を受けるべきではないとも話します。ビル・ガーリーさんの言葉を借りると、VCが渡しているのはジェットの燃料だからです。
VCって何を提供してるかというと、これこそビル・ガーリーさんも話してることですけど、ジェットの燃料を渡してるので。
宮武さんは、協力と競争のcoopetitionがアメリカを強くし、それを一部可能にしたのがVCだったと見ています。ムーンショットのようなアイデアに資金を出す人と、それ以上に重要な起業家の存在が、アメリカの強みだといいます。
次回は、Accel、セコイア、アンドリーセン・ホロウィッツを通して、VCの組織や投資判断、進化、次世代VCの未来を考える予定です。草野さんは、進化し続けるアンドリーセン・ホロウィッツの話は学びがとても多いと締めくくっています。
まとめ
このエピソードでは、シリコンバレーの強みが発明ではなく商業化と協力・競争の文化にあり、その中心にネットワークビジネスとしてのVCがあったことが語られました。さらに、ベンチマークとの確執から生まれたアンドリーセン・ホロウィッツが、創業者を残す方向へVCを進化させた経緯が描かれています。
- 初期の重要な発明の多くはシリコンバレーの外で生まれ、シリコンバレーはそれを商業化する力で勝った
- 小さい会社が多いことで、競争と協力が同時に起こるcoopetitionの文化が育った
- かつてのVCはビジネス側の社長を入れるのが一般的だったが、Googleの創業者の反発などから創業者が残る流れが始まった
- アンドリーセン・ホロウィッツは、ベンチマークへのカウンターポジションとして創業者支援や全ステージ投資を掲げた
- VCの持ち分は下がり続けているが、VC出資企業は上場企業の時価総額や研究開発で大きな存在感を持つ



