クリプトを避けていた宮武さんは、なぜ「ラビットホール」に落ちたのか?
今回のOff Topicのテーマは「もしも決済機能が初期のウェブにあったら?」という問いです。宮武さんは以前からこの話をしたかったと語り、今回と次回をパート1・パート2として構想していると説明しています。
話の行き先はクリプトやWeb3ですが、宮武さん自身はもともとクリプトに興味を持ちたくなかったといいます。2017〜18年のICO ── Initial Coin Offeringの略。企業やプロジェクトが独自のトークンを発行して資金を集める手法で、2017〜18年に世界的なブームとなり、詐欺的な案件も多く問題視されましたの時代の怪しさが強く印象に残っていたためです。
(クリプトは)そもそもちょっと怪しかったりとか、特にその2017年とか18年のICO、ICOの時代があったじゃないですか。
懐かしい。あそこの会社ICOしたらしいみたいな。よくありましたね。
ところが2021年になって、NBA Top Shotをはじめ多くの知り合いのVCがクリプトの世界に入り始めました。Web3の世界では、深くはまり込むことを『不思議の国のアリス』になぞらえて「ラビットホールに入る」と表現するそうです。
(ラビットホールに入ると)信者になるみたいな感じで。まあ正直僕も入ってしまいましたと。
ただし宮武さんは、今もクリプトを金融的なアセットとしてはあまり見たくないと話しています。そのうえで、Web3がなぜ重要かを理解するにはインターネットの創業物語を知ることが欠かせないと考えています。
この見立ての出発点が、マーク・アンドリーセンさんがよく口にする「Original Sin of the Internet(インターネットの最初の罪)」です。それは、初期のウェブに決済機能が組み込まれなかったことを指しています。
インターネットは核戦争を生き延びるために生まれた
草野さんが「インターネットは90年代より前からある」と触れると、宮武さんはその起源を1950〜60年代にさかのぼって説明します。当時は分散型ネットワークをつくるアカデミックな研究が行われていました。
背景にあったのは、通信がAT&Tという中央集権的なネットワークに握られていたことです。AT&Tはインターネットについて、スケールできずセキュリティも曖昧だとして「実現しない」と言っていたそうです。
(AT&Tの言い分も)わからなくもないですね。インターネットがない世界にいたら。みんな高いパソコン持てるわけないしみたいな。
宮武さんによれば、インターネットを作ろうとした最初の目的は、ロシアと対立していた時代に核戦争を生き残れるネットワークを持つことでした。生き残るには分散型にする必要があったわけです。
こうして政府やアカデミックな世界で整備されたのがNSFNET ── アメリカ国立科学財団(NSF)が支援した学術研究用のネットワーク。1980年代後半から90年代半ばまで、アメリカのインターネットの基幹回線の役割を担いましたで、研究者たちは巨大なコンピューターでやり取りをしていました。宮武さんは、そこから1990年代までの空白を生んだ要因として、ハードウェアの進歩に加えて規制の問題を挙げます。
商業利用NGの時代をアル・ゴアはどう変えたのか
初期のインターネットは、アメリカ政府が資金を出していたため、政府のポリシーに縛られていました。アカデミック、NPO、個人での利用は認められても、商業利用は禁止されていたのです。
1993年前はいろんな会社がインターネットに接続はし始めてたんですけど、ただ何も販売はできなかったんですよね。
この状況が変わったのが1992〜94年です。アメリカの政治家たちが商業利用を認め、インターネットのインフラを通信キャリアなどの民間企業に渡しました。
政府がこの決断をした理由として、宮武さんは2つを挙げています。インフラ維持のコストを払いたくなかったという単純な理由と、より重要な、景気回復の切り札を探していたという理由です。
政府が資金提供
NSFNETなど学術・非営利向けのネットワークを整備
商業利用は禁止
企業は接続できても販売はできない
不況と財政負担
1989〜93年の不況で次のグロースドライバーを模索
1993年前後の転換
商業利用を解禁し、インフラを民間企業へ移管
当時の政治家として名前が挙がるのが、元副大統領のアル・ゴア ── クリントン政権の副大統領。上院議員時代から高速ネットワーク整備を推進し、「情報スーパーハイウェイ」構想で知られますさんです。宮武さんによれば、ゴアさんはNSFNETへの資金提供にも、民間に手放すポリシーづくりにも関わっていました。
宮武さんは、以前の回で話した合成バイオの話題と重ね、基盤技術を政府が支え、その後民間に手放すという政府の役割の典型例だと見ています。草野さんが「クリプトにもそういう瞬間が来るのか」と問うと、宮武さんはその可能性があると答えています。
この1993年のポリシーの変化がなければ、もしかしたら今のインターネットがないかもしれないですし、場合によってはアメリカが最先端にいなかったかもしれないんですよね。
ネット最初の店はAmazonではなくSF専門の本屋だった
商業利用が解禁されても、セキュリティへの批判が強く、大企業はすぐには参入しませんでした。そんな中、宮武さんが紹介するのが、インターネット最初の店舗とされるパロアルトのSF専門書店Future Fantasy Booksです。
マーク・アンドリーセンさんの友人が、この書店に在庫をオンラインに載せる提案をしました。店主はパソコンもなく、インターネットが何かもわかっていなかったため、友人がサイトを立ち上げ、入った注文をFAXで店に送る仕組みにしたそうです。
最初の2週間で、その店舗自体は大きくないんで、全体の数字としては大したことないかもしれないんですけど、売り上げが2倍になって、ドイツと日本のSF好きのユーザーが、あの本を買い出したんですよ。
そんな知らない外国人がなんか買いに来たってめっちゃ嬉しいですよね。これはインターネット可能性あるって思いますよね。
一方で、小さな店舗の成功がスケールするのか、セキュリティは大丈夫なのかという疑問は残りました。当時の通信はテキストベースで暗号化の仕組みがなく、新聞などは「カード情報を絶対にオンラインに出すな」と警告していたといいます。
SSLとNetscapeの「強い暗号・弱い暗号」の2バージョン
このタイミングでマーク・アンドリーセンさんが開発したのが、今では標準となっているセキュリティプロトコルのSSL ── Secure Sockets Layerの略。ブラウザとサーバーの通信を暗号化する仕組みで、Netscapeが開発しました。現在は後継のTLSが使われていますです。アメリカ政府は当初これを禁止しようとしましたが、最終的にローンチされました。
ローンチ後も、暗号に関するルールが国ごとに異なるという壁がありました。アメリカ国内では強い暗号が認められても、国外向けには同じものを提供できなかったのです。
(Netscapeの)箱に、STRONG ENCRYPTIONって書いてるやつと、WEAK ENCRYPTIONって書いてるやつで。
やだな、使いたくないです。
箱に「STRONG ENCRYPTION」と書かれた強い暗号版
箱に「WEAK ENCRYPTION」と書かれた弱い暗号版
この制約の影響で、海外ではSSLのような暗号技術を独自に作る起業家も増えたそうです。ただし宮武さんは、アンドリーセンさんとしては若干残念な結果だったのではないかと話しています。
本屋でフロッピーを買う?38ステップのネット接続
ブラウザ以前のインターネット接続は、宮武さん自身も知らなかったほど大変なものでした。まず本屋で「インターネットの使い方」の本を買い、巻末のフロッピーディスクに入ったTCP/IP ── インターネット通信の基本となるプロトコル群。データを送受信する手順を定めたもので、当時は個人がパソコンに組み込む必要がありましたのソフトをパソコンに入れるところから始まります。
しかもその38ステップのプロセスの中で一個でも間違えると多分パソコン壊れるんですよ。OSを作り替えてるんで。
いやー、それグーグル。
そこでググれないです。
こうした高いハードルのため、インターネットに入れるのは本当に強い興味を持つ人だけでした。宮武さんはこの状況が今のクリプト業界にも少し似ていると指摘し、だからこそ一発で接続できるブラウザが画期的だったと説明します。
ブラウザに決済ボタンがあれば何が変わったのか?
ブラウザでいろいろなものが見られるようになれば、そこにあるものを買いたくなるのが自然な流れです。宮武さんは、ブラウザ上にAmazonのワンクリックチェックアウトのような購入ボタンがあれば、誰でも買い物ができたはずだと話します。
実際、Netscapeのマーク・アンドリーセンさんも、Internet Explorerのビル・ゲイツさんも、ブラウザに決済機能を組み込むことを考えていました。しかしそれは実現せず、宮武さんはこれこそがインターネットの最初の失敗、つまりネット上に経済圏を入れられなかったことだと説明します。
これをできなかったからこそ、結局インターネットは広告ベースのモデルにならないといけなくて、今のユーザーのデータ集めとか、データのターゲティングとか、元々この最初の失敗の影響で全部今の流れが来ていて。
宮武さんは、広告モデルではユーザーと企業のインセンティブがずれやすいと指摘します。たとえばニュースサイトが良い情報を伝えるのか、広告収入のためにクリックされやすい記事を集めるのか、という違いがここから生まれているといいます。
マスターカードの「テックビジョナリー」は画面を指で押した
決済を組み込めなかった理由として、宮武さんは技術的な問題を挙げます。マイクロソフトは関係の深かったVISAに、Netscapeはマスターカードに連携を持ちかけていました。
アンドリーセンさんが語った1994年ごろのマスターカードとのミーティングの話は印象的です。マスターカードは自社の「テックビジョナリー」を連れてきましたが、Netscapeのチームが「リンクをクリックしてください」と頼むと、その人はパソコンの画面を指で押そうとしたといいます。
今だとデジタルネイティブですけど、当時だと、マウスがあったのにマウスの概念がわからなかったと。
バレちゃった。
宮武さんによれば、マウス付きパソコンは1983年ごろにAppleがLisaで出しており、すでに10年ほど経っていました。テクノロジー業界と決済・金融業界の差はかなり大きかったようです。
当時、決済をやるにはVISAとマスターカードの2社が必要でしたが、クリプトのような仕組みを作る技術的なスキルは誰も持っていませんでした。宮武さんは、もしその時クリプトのようなものがあれば、中央集権的なゲートキーパーを介さずにインターネットネイティブの決済を組み込めたはずだと見ています。
リアルはコマース、ネットは広告という逆転
宮武さんは、決済が組み込まれていれば、インターネットはリアルな世界に近い姿になれたはずだと考えています。リアルな世界では、何に価値があるかは誰かがそれにお金を払うかどうかで決まり、それが自由経済の発想だといいます。
その根拠として宮武さんが挙げるのが、アメリカ経済の数字です。GDPが約21兆ドルあるのに対し、広告市場は約2400億ドルで、GDPの1%ほどにすぎないと説明しています。
結局リアルな世界ってほとんどコマースベースの世界で。同じことを本当はインターネットでも再現したかったのに、それができなかった。
宮武さんは、Web3がこれを初めて直せるソリューションだと話します。草野さんがそれは一般的な見方かと尋ねると、宮武さんは一般的とまでは言えないものの、インターネットを作ってきた人たちはそれを取り込みたかったのだろうと答えています。
アンドリーセン・ホロウィッツ ── マーク・アンドリーセンさんらが2009年に設立したシリコンバレーのベンチャーキャピタル。a16zとも呼ばれ、クリプト分野への大型投資でも知られますがいち早くクリプトを取り入れたのも、アンドリーセンさんがその問題を感じていたからではないか、と宮武さんは見ています。
わぁ。20年以上のこの思いが今解き放たれるっていう。
さらに宮武さんは、メタバースもこの文脈に入ってくると話します。マーク・ザッカーバーグさんが語る「アプリではなく人ベースの次のインターネット」は、ものの所有というコマースの概念に立つため、アメリカではメタバースの議論が結果的にWeb3の話につながるのだといいます。
a16zが40人のクリプトチームのうち10人を規制担当にする理由
宮武さんは、Web3の実現には政府と起業家の2つの役割があると整理します。まず政府側については、1993年の民間開放がなければ今のインターネットはなかったかもしれず、似たことが今アメリカでも世界でも起きていると見ています。
アンドリーセン・ホロウィッツのクリプトチームはおそらく40人ほどで、そのうち10人が規制周りの人材だそうです。ロビー活動やポリシー提案を行い、バイデン政権の経済担当者とも会っているといいます。
元バイデン政権のスタッフや司法省の検察官経験者も採用しており、どんなポリシーを考えているかを20〜30枚ほどのプレゼン資料やブログで公開しています。政府がそれにどう対応するかはわからない、と宮武さんは留保しています。
マークさんがあの1993年の転換期を見たからこそ、クリプトでも同じようなことをしていて。それをやることによってアメリカの経済が絶対上がるって理解してるんですよ。
規制が整えば起業家が集まる、というのがその狙いです。宮武さんは、シリコンバレーが生まれたのもインターネットがアメリカで開かれ人が集まったからで、同じことをクリプトで起こそうとしているのがアンドリーセンさんの考えだと説明します。
政府に掛け合って、レギュレーションを一から交渉しに行くっていうのはめっちゃわかるんですけど、十人ぐらいそれの部隊作って実際に動かしてくって、やっぱすごいなって思いますよね。
モバイルが主役だと業界が確信したのはいつか?
もう一方の起業家側について、宮武さんは今のクリプトが、Web2.0の黄金期とされる2009〜2011年ごろに似た段階に入り始めたと見ています。iPhoneが2007年、App Storeが2008年に登場し、スマホアプリの開発が盛んになった時期です。
ただ当時は、モバイルが次の大きなものになるという発想はまだ弱く、パソコンが主でスマホはセカンダリーデバイスという見方が一般的でした。それが大きく変わったのが2012年、Facebookがモバイルにピボットしたタイミングだといいます。
パソコンがメインで、スマホはセカンダリーデバイスという発想
Facebookのモバイルへのピボットを機に、スマホが主要なコンピューティングプラットフォームだと認識される
新しいとこへの先導するのはいつもFacebookですね、本当に。
それを考えると、今回もそうかもしれないですよね。メタバースっていうと。
2012年以前のスマホは高価で、当時マイクロソフトCEOだったスティーブ・バルマーさんは「1000ドルでiPhoneなんか払わない」と話していたそうです。宮武さんは、iPhoneが携帯ではなくスーパーコンピューターだという点が見誤られていたと指摘します。
インフラが先ではなく、アプリが先にある
宮武さんがここで強調するのが、イノベーションのサイクルです。iPhoneでもカメラ、性能、WiFi、3Gといったハードの改善はありましたが、より重要だったのはアプリのエコシステムの急成長でした。
最初のアプリ
新しいユースケースと新しいインターフェースが生まれる
インフラ・ハード
アプリに応える形で基盤やハードウェアが改善される
アプリの急増
より多く、より複雑なアプリが出てくる
次のインフラ
それに影響されて、また新しいハードや基盤が生まれる
草野さんは、App Store初期には個人開発者がランキング上位を取ることもあったのに、今はFacebook、Twitter、TikTokのような企業ばかりになったと振り返ります。
例として宮武さんは、Apple IIも最初はアプリやゲームがほとんどなく、アプリ開発が進んだことで進化したと話しています。
電話はなぜ「必要ない」と過小評価されたのか
宮武さんはウェブの外の例として電話の発明を挙げます。当時主流だった電報(テレグラフ)ビジネスの最大の顧客は鉄道会社で、「A地点からB地点まで鉄を何キロ運ぶ」といった連絡をやり取りしていました。
登場したばかりの電話は100〜200メートル弱しか届かず、音質も悪いものでした。電報業界からすると、品目と数字と値段を送るだけなので、音声は必要なかったのです。
彼らは別に頭が悪かったっていう話ではなくて、単純にその当時の鉄道会社の需要からすると音声は必要なかったんですよ。
そういう瞬間いっぱいありますよね。「いや、それ必要なくね、今のままでいいじゃん」って思うんですけど。
宮武さんは、新しい技術が出てくるときに過小評価されがちな点が2つあると整理します。1つはハードウェアが根本的に改善されること、もう1つはアプリによって新しい市場が切り開かれることです。
有名な話として、Western Unionは電話の特許を1000万円ほどで購入できたのに、価値がないと考えて見送ったと紹介されています。
自動車が生んだ郊外・ファストフード・Uber
宮武さんは自動車の例も挙げます。最初は馬より早くA地点からB地点へ行く道具でしたが、それ以外の波及効果が大きかったといいます。
- 郊外という概念の誕生
- 長距離の道路とトラック輸送、のちのEコマース
- ファストフードという概念
- 郊外の大型リテール店舗
- Uberのような配車アプリ
電気がなければ電力系統は要らず、飛行機がなければ空港も要らないように、まずアプリがあってインフラが生まれる、というのが宮武さんの説明です。
ウェブでも同じ流れがあり、メッセージングやメールがTCP/IPやISPを生み、AOLのようなポータルが検索エンジンやブラウザを、Amazonの登場がPHPやJava、JavaScriptを後押ししたといいます。さらにNapsterやFacebookがRubyやAWSを、UberやInstagramがMongoDB、Cloudflare、Stripe、Dockerを、動画系アプリがAgoraやTwilioのビデオAPIを生んだという流れです。
YouTubeは2005年に作られましたが、10年前の1995年には作れませんでした。宮武さんは、1995〜2000年のインターネットバブル期のアイデアの多くが、今ではユニコーン企業として実現していると話しています。
Web3は今、インターネット初期と同じ曲線を描いている?
宮武さんは、今のウェブ時代はアプリとインフラのサイクルがどんどん短くなっており、同じことがWeb3でも起きるのではないかと考えています。インターネットが生まれた1990年ごろからの10年と、クリプトが生まれた2013年ごろからを比べると、ユーザー数も上がり方もほぼ同じだそうです。
ゲイリー・ヴェイナチャックさんやケビン・ローズさんといったWeb2.0のベテランたちも、今の雰囲気はSouth by Southwestの初期、Web2.0の立ち上がりと同じだと話しているといいます。
草野さんは、最初に決済が普及していれば付随するサービスももっと発展していたかもしれないと振り返り、宮武さんもだいぶ変わっていたと思うと応じます。次回はWeb1.0、2.0、Web3の違いをコンセプトベースで説明する予定だと予告して、この回は締めくくられます。
まとめ
この回では、初期のウェブに決済機能を組み込めなかったことが広告モデルを生み、そのゆがみをWeb3が直せるかもしれない、という宮武さんの見立てが、インターネット誕生期の歴史とともに語られました。
- インターネットは核戦争に耐える分散型ネットワークとして生まれ、1993年前後の商業利用解禁と民間移管で一気に広がった
- NetscapeもマイクロソフトもブラウザでのVISA・マスターカード連携を試みたが実現せず、ネットは広告ベースになった
- リアルな経済はコマース中心で、アメリカでは広告市場はGDPの約1%にすぎないと宮武さんは指摘する
- 電話や自動車の例のように、イノベーションはインフラより先にアプリが生まれ、新しい市場を切り開く
- a16zは1993年の転換を再現するように規制対応にも人材を割き、Web3を「インターネットの本来の姿」に近づけようとしている




