Spotifyオリジナルの新番組「Bytes」とは?
本題のスターバックスの話に入る前に、草野さんから報告がありました。6月16日から、Off Topicの新番組「Bytes」がSpotifyオリジナルとして始まったという知らせです。
草野さんによると、本編のOff Topicは1つのトピックを1時間ほどかけて深掘りする番組です。一方の「Bytes」は、5〜7分ほどで最新のテックニュースがわかるミニ番組として作られています。
アメリカのスタートアップやビジネスを1時間ほどかけて深掘りする。ニュースになっているかどうかに関係なく、気になったトピックを選ぶ
5〜7分ほどのミニ番組。いまアメリカで話題のテックニュースを2〜3個、軽く解説する
宮武さんは、新番組を始めた理由として、いまのアメリカの状況を知りたいという声が多かったことを挙げています。音声で軽くニュースを2〜3個解説するのが、そうした人たちに提供できる一番よい形だと考えたそうです。
それ(Bytes)を聞くと、大体アメリカの、まあシリコンバレーでしたり、テック業界で、何についてゴシップされてる、何について話されてるっていうのを、提供できればなと思います。
配信はほぼデイリーで、週3回の更新です。Spotifyと独自コンテンツを作るのは初めての挑戦だとして、宮武さんは楽しみにしていると話しています。
なぜスターバックスは「テック企業」なのか
スターバックスを取り上げたきっかけは、二人が出演する別番組「シリアルトーク」で、宮武さんが一瞬スタバの話をしたことでした。宮武さんは、スターバックスはコーヒーを売るブランドという認識以上に、すでにテック企業になっていると考えています。
宮武さんは、以前番組で扱ったSHEIN ── 中国発のファストファッション通販企業。データを使って需要を読み、少量多品種の商品を素早く投入する仕組みで急成長したとされますと似ていると説明します。SHEINがアパレル企業というだけでなくAIなどを使うテック企業になっているのと同じように、スターバックスも裏側はテック企業だという見方です。
今回は、そのテック企業までの道のりを、創業物語からたどる回として始まります。
「スターボ」から「スターバックス」へ。社名の由来は白鯨
宮武さんによると、スターバックスの創業者は3人です。新しいビジネスの名前を探していたとき、3人はアメリカの地図で町の名前を眺めていました。
創業者たちは「St」で始まる名前が強いのではないかと考え、条件に合う町の名前として「スターボ」を見つけます。ただ、スターボは少し違うと感じたそうです。
最終的に選ばれた「スターバックス」は、アメリカ文学の名作『モービー・ディック ── ハーマン・メルヴィルが1851年に発表した長編小説。日本では『白鯨』の題で知られ、巨大な白い鯨を追う捕鯨船の物語です』、日本でいう『白鯨』に登場するキャラクターの名前です。
意外なのは、創業者たちがコーヒーと深いつながりを持っていなかった点です。宮武さんによると、スターバックスは歴史の先生や英語の先生が始めた会社でした。
スターバックスは1971年にシアトルで最初の店舗を出しました。当初はコーヒーを出す店というより、コーヒー豆を売る会社としてスタートし、のちにコーヒーを提供するようになります。
営業マンだったハワード・シュルツはなぜスタバに惹かれたのか
スターバックスが設立された1971年、のちに同社を率いるハワード・シュルツが高校を卒業しています。シュルツは最初からスターバックスと縁があったわけではなく、営業職としてゼロックスに入り、その後コーヒーマシンのメーカーに移ってコーヒーマシンを売っていました。
転機は1981年です。勤め先のコーヒーマシンメーカー、ハマープラストから、シアトルへコーヒーフィルターを売りに行くよう命じられます。その営業先が、たまたまスターバックスでした。
シュルツはスターバックスの社内を見て、ものづくりをきちんとやっている人たちだと感じ、そこで働きたいと考えます。1年以内にハマープラストを辞め、スターバックスでリテールオペレーションとマーケティングのディレクターになりました。
ミラノのコーヒーバーに魅了され、一度スタバを離れたシュルツ
スターバックスに入ったシュルツは、イタリアへ旅行に出かけます。宮武さんは、コーヒーブランドの話ではヨーロッパ、特にイタリアやフランスでコーヒー文化に惚れ込むという話がよく出てくると前置きしています。
シュルツの場合、心をつかまれたのはエスプレッソの品質と、ミラノのコーヒーバーでした。アメリカにはない形で、くつろぎながらコーヒーを楽しむ場所をつくることがスターバックスの未来だと考えたそうです。
しかし、シアトルに戻ってこの構想を話すと、創業メンバーは反対します。創業メンバーは、スターバックスをあくまでシアトルのコーヒー屋さんとして続けたかったのです。
(創業メンバーは)「いや、違います」と。「イタリアンスタイルのカフェはやりたくないです」と。
そこでシュルツは、1985年に独立して自分のコーヒーハウスをつくります。スターバックスの創業メンバーからも出資を受け、ほかにシアトルの投資家など240人ほどにピッチして資金を集めたといいます。
シュルツの店はイタリア風で、ジェラートを売り、店内にはオペラ音楽が流れていました。客にその場に居てもらう環境づくりは、のちのスターバックスに大きく影響します。店舗はシアトルで2店舗目、さらにバンクーバーにも広がり、5つほどになりました。
草野さんは、スターバックスの創業メンバーが出資している時点で関係は悪くないのだと驚きます。宮武さんも、仲が悪くて別れたわけではないと説明しています。
スタバ売却の話と、60日で380万ドルという条件
シュルツの店が5店舗ほどになったころ、スターバックスが売却に動き始めます。きっかけは、スターバックスの創業者が1984年に個人の資金でピーツコーヒー ── 1966年にカリフォルニア州バークレーで創業したコーヒーチェーン。サンフランシスコ・ベイエリアでは特に知られた存在ですを買収していたことでした。
創業者はピーツコーヒーの運営に力を入れたくなり、サンフランシスコへ移ろうとしていました。宮武さんによると、当時はピーツコーヒーのほうが勢いに乗っていたそうです。
スタバいい、いいやってなって(スタバを)売りたいと。
シュルツと仲がよかった創業メンバーは、ほかに声をかける前にシュルツに購入権を与えます。条件は、60日間で380万ドル、日本円で約4億円を調達することでした。
ところがシュルツには、自分のコーヒーハウスにずっと投資していたためにお金がありませんでした。インターネットもない時代に、シュルツはおそらくシアトル中を回り、30日後には約1億円を集めます。
そこで創業メンバーから悪い知らせが届きます。シュルツのコーヒーハウスに出資していたエンジェル投資家から、スターバックスを4億円で買収するオファーが来てしまったのです。
「このままだと(その投資家が)取っちゃいますけど」っていう話をして、ハワード・シャルツが、まあもちろん結構落ち込んで。
救世主はビル・ゲイツの父。「恥を知るべきだ」の一喝
落ち込んだシュルツは、弁護士の友人に相談します。友人は時間がないとして、翌日、自分の事務所の創業パートナーに会わせると約束しました。
その創業パートナーは、ビル・ゲイツの父であるビル・ゲイツ・シニアでした。宮武さんによると、ビル・ゲイツ・シニアはシアトルの著名な弁護士事務所の創業メンバーです。
翌日、シュルツの話を聞き終えたビル・ゲイツ・シニアは、2つだけ質問します。すべて本当のことを話しているか、取りこぼしている話はないか。シュルツの答えを聞くと、2時間後に戻ってくるよう告げました。
2時間後、ビル・ゲイツ・シニアはシュルツを連れて、オファーを出した人物に会いに行きます。そこでビル・ゲイツ・シニアは怒り、オファーの取り下げを求めました。
いわゆる言った言葉は「恥を知るべきだ」。「オファーを取り下げて、この子が、夢を叶えるタイミングなんだ」と。
このやりとりで相手の承諾を得られました。状況がのみ込めないシュルツに、ビル・ゲイツ・シニアは「あなたがこの会社を買うんだ」と言い、自分と息子のビル・ゲイツが手伝うと伝えたそうです。
こうして1986年、シュルツはスターバックスを買収してCEOになります。草野さんは「神」と反応し、宮武さんも、スタバの話にビル・ゲイツが絡むことには読んでいて驚いたと話しています。
11店舗から350店舗へ。急拡大を支えた「パートナー」という考え方
シュルツが買収した時点で、スターバックスの店舗は11店舗でした。それが14年後には350店舗になります。
宮武さんは、この拡大の背景に、コーヒー屋さんとしての優位性をきちんと作ったことがあると見ています。中でも圧倒的に強かったのが、サービス重視の姿勢でした。
そもそも従業員って呼んでないんですよ、自分のスタッフを。全員パートナーなんですよね。
スターバックスはスタッフに、医療保険や教育サポート、場合によっては自社株も提供していました。宮武さんによると、いまでは普通になったものの、当時はまったく普通ではなかったそうです。
シュルツはスターバックスの体験を強く気にかけていました。宮武さんは、その体験がユーザーの満足度を上げ、口コミと再来店を増やし、インセンティブのある従業員も定着するという好循環を説明しています。
手厚い従業員サポート
スタッフを「パートナー」と呼び、医療保険や教育、株を提供する
質の高い体験
常連の名前や好きなオーダーを覚えるなど、細部まで気を配る
満足度の向上
口コミが増え、お客さんが戻ってくる
店舗の拡大
従業員も残り、急速なスケールを支える
各店舗で地元の常連の名前や好きなオーダーを覚えるといった細かなディテールも、シュルツはこだわっていたそうです。草野さんは、チェーン店とは少し違う接客の仕方だと受け止めています。
フラペチーノは買収で手に入れた?地域と商品を広げた買収戦略
宮武さんは、スターバックスの成長のきっかけの一部として、買収のうまさを挙げます。最初の例は、1994年に約23億円で買収したコーヒーコネクションです。
コーヒーコネクションは、ボストン周辺のニューイングランド地方で24店舗ほどを持つチェーンでした。その一番人気の独自メニューが、フラペチーノだったのです。
へー、(フラペチーノは)もう看板メニューですよね。
この買収でスターバックスは、フラペチーノという商品と東海岸への展開を同時に手に入れました。1996年時点で、フラペチーノだけで52億円分を売り、2年で買収額を回収していたといいます。
1998年には、シアトルコーヒーカンパニーを約83億円で買収します。56店舗を運営していた会社で、その一部がイギリスにあったため、スターバックスは一気にイギリスに進出できました。
1999年には、お茶のブランドであるタゾティーを約8.1億円で買収します。その後2012年にティーバーナ ── アメリカの紅茶・ティー専門ブランド。スターバックスが2012年に買収し、店舗でのティー商品にもその名が使われてきましたを買収したため、タゾはユニリーバに約384億円で売却されました。
| 時期 | 買収先 | 得られたもの |
|---|---|---|
| 1994年 | コーヒーコネクション(約23億円) | フラペチーノと東海岸への展開 |
| 1998年 | シアトルコーヒーカンパニー(約83億円) | 56店舗とイギリスへの進出 |
| 1999年 | タゾティー(約8.1億円) | お茶ブランド。のちに約384億円で売却 |
| 2012年 | ティーバーナ | スタバのお茶系の看板ブランド |
宮武さんは、こうした買収が地域の拡大とプロダクトの拡大を同時に進めたと整理します。ただしフラペチーノについては、世界中でヒットする商品だと理解していたかはわからず、東海岸に展開したい狙いのほうが大きかったかもしれないと話しています。
草野さんは、フラペチーノがスターバックスの商標になっていて他店では同じ名前で作れない点に注目し、それを持っているのは強いと指摘します。宮武さんは、いまなら商標登録などで難しそうなことも、当時はできたのだろうと応じています。
フランチャイズを嫌ったシュルツのライセンス戦略
宮武さんは、スターバックスがスケールした大きな理由として、ライセンス戦略を挙げます。シュルツはフランチャイズをしたくありませんでした。他人にスターバックスの体験をコントロールされるのが嫌だったからです。
とはいえ、大学のキャンパスや空港、スーパー、別の地域へ広がるには、ライセンスという形が必要になります。スーパーで売られているスタバのドリンクも、ごく初期から取り組んでいたものだそうです。
シュルツは2000年にいったんCEOを退きます。その時点でスターバックスの売上は約2000億円に達し、すでに世界中で販売されていました。
リーマンショックとマックの安いコーヒー。揺らいだスタバの体験
シュルツの後を継いだのはジム・ドナルドで、目的は店舗のスケールでした。店舗数の拡大そのものは実現しましたが、裏方のコスト管理やオペレーションがかなり大変になっていきます。
さらに、シュルツがCEOに戻る2008〜2009年ごろはリーマンショックの時期でした。お金を出せない人が増える中で、ダンキンドーナツやマクドナルドがより安いコーヒー商品を出していました。
宮武さんによると、かつてのペプシとコーラのテイストテストのCMと似た比較がマクドナルドで行われ、マクドナルドが勝ったそうです。
加えて、コーヒーマシンの技術が進み、誰でも簡単にコーヒーを作れるようになりました。バリスタがコーヒーを作ることもスタバの体験の一部だったため、マシンに入れるだけになると、ほかの店と変わらなくなってしまいます。
急拡大の副作用
コスト管理やオペレーションが大変になる
リーマンショック
お金を出せない人が増える
安い競合の台頭
マクドナルドやダンキンドーナツが安いコーヒーを出す
体験の差が縮小
コーヒーマシンの進化で、他店と変わらなくなる
シュルツはこのままでは危ないと考え、復帰を決めます。ただ戻ってコストカットをしても意味がないとして、基本に立ち返ること、中国とインドへの展開、そしてテクノロジーの活用という判断に至りました。
MyStarbucksIdeaはどう生まれた?デルとベニオフの助言
宮武さんは、2008〜2009年のテクノロジー活用の判断が、いまのスターバックスにつながっていると話します。スターバックスリワードやインスタントコーヒーの「VIA」も、このころにアイデアが生まれました。
その出発点がMyStarbucksIdea ── スターバックスが2008年に始めた、顧客からアイデアを募るウェブサイト。投稿されたアイデアに投票やコメントができる仕組みでした、略してMSIです。お客さんが「スタバはこういうことをやったらいいのでは」と提案できる、いわばオンラインの提案箱でした。
ただ、当時のスターバックスはオンラインで何もやっていない会社でした。MSIを作るには、テックにピボットする必要があったのです。
ハワイにいたシュルツは、友人であるデルコンピューターのマイケル・デルに相談します。マイケル・デルも、その3年前に社長として会社に戻った経験を持っていました。
(マイケル・デルから)マークと話せばいいと。それはマーク・ベニオフですね。セールスフォースの社長ですね。
マイケル・デルはデルに復帰したとき、顧客のフィードバックと提案を受け付けるサイトを作っていました。マイケル・デルによれば、そのサイトで顧客との関係が近くなり、より速く動ける組織になったといいます。その際の重要人物がマーク・ベニオフ ── クラウド型の顧客管理サービスで知られるセールスフォースの創業者。顧客とつながる仕組みづくりに通じた経営者として知られますでした。
クリスマス・イブの朝、シュルツはマーク・ベニオフと朝食をとり、デルと同じようなサイトを作ってほしいと頼みます。ベニオフはアドバイザーとして加わり、そこからMyStarbucksIdeaが生まれました。
なんかすごい人しか出てこない。でもトップの、トップのやり取り。
フリーWi-Fiも誕生日特典も。MSIがテック企業の原点になった理由
草野さんは、MyStarbucksIdeaは今の時代に聞くとあまりハイテクではなさそうだと感じます。宮武さんも、まったくハイテクではないと認めています。
当時はiPhoneが出たばかりの2008〜2009年で、ブラウザベースのサービスが多く、複雑なことをインターネットで行うのは難しい時代でした。そのなかでMSIから出た改善案が、実際に店舗で形になっていきます。
宮武さんが挙げた、MSIから実現したアイデアは次のとおりです。
- 店舗内のフリーWi-Fi
- 誕生日にクッキーなどのお菓子が無料でもらえる特典
- アメリカで25ドル以下の購入はレシートなし(エコの観点)
- 友達同士でオンライン上にドリンクを贈れるギフト
- スキニーモカなどの新メニューや無糖シロップ
- Keurigと組んだKカップの開発
草野さんは、オンラインのドリンクギフトについて、ちょっとテクノロジーの匂いがすると反応しています。さらに宮武さんによると、次回扱うスタバのリワードシステム、つまりロイヤルティプログラムもMSIから出てきたアイデアです。
草野さんの「ベニオフありがとう」「デルありがとう」という言葉に宮武さんも同意し、話は次回へつながります。次回は、MSIからスターバックスがどうやってコーヒーカンパニーではなくテックカンパニーに完全に移行したのかを扱う予定です。
まとめ
この回は、コーヒー豆を売る店として始まったスターバックスが、ハワード・シュルツの買収と急拡大、買収戦略を経て、危機の中でテクノロジーに舵を切るまでをたどりました。その出発点となったMyStarbucksIdeaは、技術としては素朴でも、顧客の声を集めて形にする仕組みとして、スタバのテック企業化の原点になったと宮武さんは語っています。
- 社名はアメリカ文学『白鯨』の登場人物に由来し、創業者は歴史や英語の先生だった
- シュルツはビル・ゲイツ・シニアの後押しを受け、1986年にスターバックスを買収してCEOになった
- 従業員を「パートナー」と呼ぶ手厚い待遇と体験重視の姿勢が、11店舗から350店舗への拡大を支えた
- フラペチーノは東海岸のコーヒーコネクション買収で得たもので、買収は地域と商品の両方を広げた
- リーマンショック後に復帰したシュルツはテクノロジー活用を選び、MSIからフリーWi-Fiやリワードが生まれた



