なぜ今、セラノスを振り返るのか
血液検査スタートアップのセラノスは、詐欺の疑いが報じられて破滅した企業です。草野さんと宮武さんは、2017年ごろにウォールストリートジャーナルが暴露記事を出したこの事件を、改めて深掘りすることにしました。
セラノスを取り上げたきっかけは、似たにおいのするバイオベンチャーuBiome ── 腸内細菌(マイクロバイオーム)の解析サービスを手がけた米国のスタートアップ。2019年にFBIの捜査を受け、その後破産申請しましたの破産申請です。草野さんによると、uBiomeはFBIの調査を受けるなど黒い疑惑があったにもかかわらず、Yコンビネーター ── 米国の著名なスタートアップ育成機関(アクセラレーター)。Airbnbなど多くの有名企業を初期から支援してきましたやアンドリーセン・ホロウィッツといった有名どころから資金を調達していました。
多分時価総額が600億700億ぐらいあった会社で、まあ(uBiomeの)やってること自体も割とTheranosと似てたので。
宮武さんは、uBiomeの創業者もさまざまな場面で嘘をついていたとされ、「次のセラノスなのか」という記事が出ていたことを見て、セラノスの話をする意味があると考えたと話しています。
セラノス事件は、HBOのドキュメンタリー『The Inventor』やポッドキャスト『The Dropout』の題材になり、映画化の話もあります。記事を書いたウォールストリートジャーナルの記者も本を出しています。草野さんは、事件の背景にあるシリコンバレーの行き過ぎた文化まで含めて考えたいと語ります。
指先の血で200種類の検査、セラノスは何を約束したのか
セラノスは、注射ではなく指先に針を刺した程度のわずかな血で、さまざまな検査ができるとうたった医療ベンチャーです。宮武さんによると、検査できるとされた項目は200種類ほどでした。
(検査が)安く、簡単に、痛くない。最高ですよね。
画期的なサービスですよね。聞くだけだと。
創業者のエリザベス・ホームズは、スタンフォード大学に入学したものの、起業するために中退しています。その経歴もあって「女性版ジョブズ」「ジョブズの再来」と呼ばれました。
宮武さんは、ホームズの野望が子どもの頃から際立っていたという有名なエピソードを紹介します。9歳か10歳の頃、親戚に将来の夢を聞かれて「ビリオネアになりたい」と答え、大統領になりたくないのかと聞かれると「大統領は私と結婚する」と返したといいます。
野望がすごい。
セラノスは2014年6月に370億円を調達し、時価総額は9000億円に達しました。株式の半分以上を持つホームズは、最年少のビリオネアとして「次のジョブズ」「世界を変える人」と注目されます。
セラノスの投資家には、オラクル関係者、アメリカ政府の軍事部門のトップ、ウォルマートの創業メンバーなど、個人として名の知れた人物が並んでいました。一方で草野さんは、デューデリ ── デューデリジェンスの略。投資の前に、事業や財務、技術などを詳しく調べて妥当性を判断するプロセスのことですをしっかり行う純粋なVCはあまり見当たらなかったと指摘します。
医療系のバックグラウンドを強く持ってる人が、医者が例えばその取締役でいなかったとか、なんかそこは結構不思議でしたけどね。
黒いタートルネックだけではない、ジョブズへの憧れ
ホームズはスティーブ・ジョブズに強く憧れていたことで知られ、最もよく語られるのが黒いタートルネック姿です。ただ宮武さんによると、ジョブズとアップルへの憧れは服装だけにとどまりませんでした。
セラノスは初期に、iPhoneの見た目を作ったプロダクトデザイナーなど、アップル出身者を採用しています。ジョブズの親友でアップルにも深く関わったアビー・テバニアンさんも取締役に就きましたが、内部を見て「この会社はやばい」と感じたのか、すぐに辞めたといいます。
ホームズは、アップルの「1984」や「Think Different」の広告を手がけた広告代理店チャイアット・デイも起用しました。引退していたクリエイティブ担当者を呼び戻そうとしたほか、アップルとこの代理店の定例が毎週水曜日だったと聞くと、セラノスも水曜日にしたそうです。
大好きですね。
社用車にも憧れが表れています。ジョブズはナンバープレートを付けるのを嫌い、新規リースならしばらくプレートが不要な仕組みを使って、ベンツを半年ごとに替えていました。宮武さんによると、ホームズも似た仕組みでアウディを使い、ナンバープレートなしで乗っていたといいます。
社員もゲストも縛った徹底的な秘密主義
ウォールストリートジャーナルの暴露記事が出たのは、時価総額9000億円と評価された翌年ごろでした。なぜセラノスはここまで問題のある会社になったのか。草野さんの問いに、宮武さんはまず、皆がホームズという人物ばかり見て、内部を見ていた人が少なかったことを挙げます。
宮武さんによると、内部を見せないようにしていたのもホームズ自身でした。WIREDやForbesのインタビューで技術の仕組みを聞かれても、まともな答えを出さず「なるようになる」といった返答をしていたといいます。
セラノスの秘密主義は社内ルールにも及んでいました。従業員はセラノスで働いていることをLinkedInに載せられず、外部のゲストはオフィスに入るだけでNDAへの署名が必要で、トイレに行くにも付き添いが付いたそうです。
さらに、ほぼ全従業員が入れないエリアがあり、社内チャットも使えず、USBを差し込むとセキュリティのアラートが上がる仕組みだったといいます。宮武さんは、従業員の中にもこの徹底ぶりに不満や「この会社は大丈夫か」という不安を抱く人がいたと話しています。
(セラノスは)めちゃくちゃ秘密主義。
人を惹きつけたカリスマと「外は敵」という社内文化
草野さんは、疑う余地をなくすほどのホームズの見せ方のうまさに驚きます。宮武さんは、それこそがホームズの魅力であり、実際に人材を採用するのが非常にうまかったと応じます。
やっぱビジョンの見せ方とか、こういう世界を変えるんだっていう意思と、あと彼女ってなんかあんまりまばたきをしなかったりとか。
ホームズについては、まばたきが少なく、心の中まで見られているようだと語る従業員が多かったといいます。ほぼ一日中オフィスにいるほど働き、起業の際には「彼氏は作れない」と恋人と別れたというエピソードも紹介されました。
草野さんは、こうした話からストイックで魅力のある経営者像を感じると話します。一方で宮武さんは、自分が世界を変えるという思いが行き過ぎた面もあったと見ています。
宮武さんによると、ホームズとナンバー2のサニーさんが作った社内文化は、セラノス以外の世界はすべて敵だという敵対心に満ちていました。HBOのドキュメンタリーでも、全体会で「外の人たちは何としてでもセラノスを倒しに来る」と語る場面があるそうです。
ちょっと宗教にも近いのかもしれないですね。それぐらい魅力があるというか。
内部告発者は最終的に2人出ましたが、そのうちの1人ですら、辞めたいと思った直後にホームズと話すと、彼女の世界観を信じて残ろうと思えたことがあったといいます。投資家や株主も共通して、催眠にかかったような感じだったと語っていたそうです。
取締役会の決定を覆した説得力と、作られた低い声
宮武さんは、ホームズの説得力を示すエピソードとして、初期の取締役会の出来事を紹介します。社外取締役の1人が、ホームズでは事業計画を達成できないとして社長交代を提案し、ホームズ抜きの取締役会でいったん交代を決めました。
ところが、その決定を伝えるためにホームズを呼んだところ、2〜3時間の話し合いの末、ホームズが決断を覆したといいます。宮武さんによると、ホームズは「変わる」と約束したそうです。
ちょっと(取締役会で)何が起きたかすごい知りたくて。何を言ったらそこが全部変わるんだっていう話で。
草野さんは、来年の夏に予定されている裁判で、ホームズがどのように話すのかが一部でも見られるのではと期待を口にします。宮武さんも、一部が公開されるのではないかと話しています。
ホームズの低い声もよく話題になります。宮武さんによると、元従業員の証言では本来の声はもっと高く、ときどき地声が出てしまうこともあったといいます。
シリコンバレーもそうですけど、(男性文化に)勝ち抜くには、自分もその男性っぽく、喋り方も含め、なんかしないとダメなのかなっていう思いがあったのかな。
草野さんは、声も服装も含めた徹底ぶりに驚きます。この低い声については、宮武さんも推測として語っており、断定はしていません。
200種類は嘘だった、検査と数字の偽装
宮武さんは、ホームズが本気で世界を変えようとしていたことは多くの証言から本当だったと考える一方で、セラノスは結果としてダメな会社だったと述べます。その中心にあったのが、製品そのものが機能しなかったという事実です。
セラノスがうたった200種類の検査は全くの嘘で、実際にできたのは7種類ほどだったといいます。セラノスの技術で検査していると言いながら、第三者が販売する一般的な機器を使っていたこともあったそうです。
セラノスの機械は、大きく間違った結果を出すうえ、血液の入ったガラスのケースが中で割れて血だらけになることもありました。検査を行う研究室を経験のない人が運営していたともいわれます。
草野さんは、プロを採用する一方で未経験者が血液検査をしていたことの矛盾を指摘します。宮武さんは、ホームズ自身もスタンフォードで2年ほど学んだだけで経験がなく、本来はそこが疑問視されるべきだったと話します。
投資家向けのデモにも仕掛けがありました。投資家の血液をセラノスの機械に入れたあと「時間がかかるのでツアーに行こう」と部屋の外へ連れ出し、その間に従業員が血液を取り出して第三者の機械で検査し、結果をセラノスの機械に映し出していたといいます。
財務の数字も偽られていました。宮武さんによると、セラノスは株主に2014年の売上を104億と伝えていましたが、実際は1000万でした。投資金額を売上に入れていたとも語られています。
| 項目 | 主張 | 実態 |
|---|---|---|
| 検査できる種類 | 200種類ほど | 7種類ほど |
| 2014年の売上 | 104億 | 1000万 |
患者に及んだ誤診と、血を水で薄める検査
血液検査は人の体に直接関わるため、セラノスの嘘は患者に被害を及ぼしました。宮武さんによると、実際の検査で、誤ってがんと診断したケースがあったといいます。
普通の血液検査に入ったのにがんの診断出されてすごいトラウマになって。で、もう一回検査して、実際に医者に行った時に、いや、何もないですよみたいな。
宮武さんは、逆のケースのほうがさらに怖いと指摘します。本当はがんがあるのに見逃されれば、病気が進んでしまうおそれがあるからです。草野さんも、どちらの間違いも嫌だと応じます。
宮武さんによると、セラノスの機械で同じ血液を検査すると、3つの異なる結果が出ることがありました。そもそもあれだけ少量の血では検査ができず、量を増やすために水などを加えていたといいます。
微量の血
指先の血では検査に必要な量が足りない
希釈
水などを加えてサンプル量を増やす
混乱
やりすぎると血液に何が入っているかわからなくなる
誤った結果
同じ血液から異なる結果や誤診が出る
草野さんは、ホームズはいつか本当に微量の血で検査できるようになるまでの試行錯誤のつもりだったのかもしれない、と推し量ります。ただし、それはやりすぎだったとも付け加えています。
異を唱えるとクビ、ホームズとサニーさんが作った文化
宮武さんは、セラノスが一般の人に実際に検査を行っていた以上、ホームズは問題を分かっていたはずだと見ています。それでも、自分の理想を現実にするために理想を信じ続けるという、ジョブズにも一部あった考え方を貫いたといいます。
なんかやっぱりテストは全然ダメですと。もう間違いだらけですとっていう連絡をするとクビになるんですよね。
こうした文化を作ったのが、ホームズとナンバー2のサニーさんでした。宮武さんによると、2人は交際していたにもかかわらず、取締役会に報告していなかったといいます。
草野さんは、交際しているカップルの創業者はほかにもいると話し、宮武さんもWeWorkは夫婦で経営していると応じます。そのうえで宮武さんは、問題は交際そのものではなく、報告しているかどうかだと指摘します。
サニーさんは創業メンバーではなく、ごく初期に20億ほどを出資した人物です。宮武さんは、交際しているからこそナンバー2として大きな力を持っていたのではないか、という疑問も挙げています。
宮武さんは、秘密主義、嘘をつく、見せ方がうまい、反対者を徹底的に潰すという4つの文化に、ホームズだけでなくサニーさんも影響していたのではないかと話します。
「Fake It Till You Make It」はシリコンバレーの病か
草野さんは、ホームズ個人の異常さだけでなく、うまく見せることを重んじるシリコンバレーの文化がセラノス事件に影響したのではないかと問いかけます。宮武さんも、その影響はあると認めます。
宮武さんによると、シリコンバレーでは新しいものを作るためにルールを破る、早く動くといった姿勢が一般的です。うまくいくまではうまくいっているフリをする、いわゆるFake It Till You Make It ── 「成功するまで、成功しているフリをしろ」という意味の英語の言い回し。自信や成功を演じ続けることで実際の成功を引き寄せるという考え方ですも珍しくないといいます。
AIチャットボットなのに裏は実際に(人が)やってるとかっていうのは結構普通なので、FACEBOOKも普通にやってますし。
宮武さんは、ウーバーのトラビスさんやセラノスのホームズのように、何があっても止まらずに世界を変えようとする人がシリコンバレーでは評価されてきたと話します。ただし、それが本当によいことなのかは考え直す必要があるかもしれないといいます。
宮武さんは、プライバシー問題を抱えるFacebookのかつてのMove fast and break things ── 「素早く動き、破壊せよ」という意味の、Facebook初期の社内モットー。スピードを優先し、失敗を恐れずに試す姿勢を表しますという考え方も、規模に応じて変える必要があったのかもしれないと話します。そのうえで、時価総額が急激に伸びたセラノスの例を挙げ、シリコンバレーの考え方自体も変わる必要があると述べます。
変わるべきだと思います。
シリコンバレーは変わるのか、起業家の世代差と見せ方
草野さんは、Facebookの「破壊せよ」の文化は初期の話で、今は変わってきている印象があると話します。宮武さんも、Facebookは組織や社内文化の考え方を敏感に変えており、最近は昔とだいぶ違うと応じます。
ただし宮武さんは、すべての会社が同じように変われるわけではないと指摘します。ウーバーのトラビスさんのように、そうした文化の中で育った人が自分を変えるのはなかなか難しいからです。
草野さんは、SlackやAirbnbのような会社と、FacebookやUberの世代とでは、創業者の価値観に世代差があるのではないかと話します。宮武さんは、新しい起業家たちはFacebookやUber、セラノスを見てきた世代なので、次のセラノスはあまり出ないかもしれないと応じます。
ルールを破り、止まらずに突き進む姿勢が評価されてきた
先行世代の問題を見てきており、考え方が若干違うとされる
一方で草野さんは、創業者自身がメディアのように振る舞うケースは昔より増えており、見せ方のうまい創業者はむしろ増えるのではないかと話します。宮武さんも、自己PRやコンテンツ作りの重要性が高まっていると同意します。
草野さんは、スーツケースブランドのAwayを、創業者が前に出てうまくいっているスタートアップの例として挙げます。セラノスと結びつけて語るのは失礼だと断ったうえで、PRで前に出て会社の価値に貢献するという意味では、見せ方のうまさにもよい面があるかもしれないと締めくくりました。
この回は、リスナーのかなやまさんからのリクエストを受けたものだと最後に紹介されています。
まとめ
セラノスは、指先の血で200種類の検査ができるという約束と、ジョブズを思わせるホームズのカリスマによって9000億円の評価を得ましたが、実態は検査も数字も偽りでした。二人は、その背景に秘密主義や反対者を潰す社内文化と、「成功するまで成功しているフリをする」シリコンバレーの文化があったと見ています。
- セラノスがうたった200種類の検査は実際には7種類ほどで、投資家向けデモでは第三者の機械で検査した結果を映し出していた
- ホームズの見せ方と説得力は、取締役会の社長交代の決定すら覆すほどで、内部の実態を見る人を少なくしていた
- 問題を指摘した従業員がクビになる文化を、ホームズと交際相手でナンバー2のサニーさんが作っていた
- 「Fake It Till You Make It」や「Move fast and break things」の文化は、規模や社会への影響に応じて見直す必要があると語られた
- 新しい世代の起業家は価値観が異なる一方、見せ方のうまい創業者はむしろ増えるかもしれないという見方も示された





