なぜ今、シリコンバレーでニーチェなのか?
この回のテーマは「偉大になるためにはどれだけの道徳を犠牲にしなければいけないのか」です。宮武さんは、ニーチェの『道徳の系譜』を読んだことをきっかけに、夏ごろからこの話をしたいと草野さんに伝えていたといいます。
宮武さんがニーチェ『道徳の系譜』を手に取ったのは、知り合いからの紹介でした。ピーター・ティールの話などをしている流れで勧められ、読んでみると今年番組で扱ったトピックとの重なりが多かったそうです。
やっぱりニーチェ読むのってすごい大変じゃないですか。僕もだいぶ苦しんだんですけど。
草野さんは未読ながら、ピーター・ティールの自由主義的な考え方と、ニーチェの「超人」の話がつながっているのではないかと受け止めました。
宮武さんによれば、ピーター・ティールが慕うジラール ── ルネ・ジラール。フランス出身の思想家で、人は他人の欲望を模倣して欲望するという「模倣理論」で知られます。ティールはスタンフォード大学で彼に学びましたもニーチェを一部批判し、一部賛同しています。マーク・アンドリーセンや元Coinbaseのバラジ氏もニーチェに言及しており、シリコンバレーの人々は共通してニーチェの話をよくするといいます。
宮武さんの読みでは、『道徳の系譜』でニーチェが目標にしているのは「偉大なる人」を生み出すことです。そして、その生産を止めたり遅らせたりしている要素が、ニーチェの言う「奴隷道徳」だとされます。
ニーチェが生み出したいと考える、すごい人たち
偉大なる人の生産を止めたり遅らせたりしていると、ニーチェが考える道徳
宮武さんは、この話は哲学の番組だからではなく、テック業界と深く関わるテーマとして扱いたいと前置きしています。
「Asshole CEO」はバグではなくフィーチャー
シリコンバレーで「偉大なる人」に入るのは、ファウンダーたちです。宮武さんは、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのように、道徳を若干犠牲にしているように見える経営者が、シリコンバレーでは「Asshole CEO」と呼ばれると紹介しました。
何なんですかね、「クソな社長」みたいな。
「クソ」っていうのは、その性格上のクソっていう意味合いですね。パフォーマンスのクソではなくてっていう。
ニーチェの「超人」は英語ではGreat Manにあたり、宮武さんはその意味は単に力や権力があることより幅広いと説明します。そのうえで、過去20年のシリコンバレーには過激な性格と多くの欠点を持つファウンダーが多いと話しました。
その過激な性格と欠点がいっぱいあるのが、必ずしもバグではなくてフィーチャーである時が多い。
ここでの比較対象は、いわゆるプロ経営者です。草野さんが「いい意味でわがままな状態が一番パフォーマンスを出す人」という印象を語ると、宮武さんは「一番アップサイドが出やすくなる」と言い換え、その分ダウンサイドリスクも高まると付け加えました。
プロ経営者からファウンダーへ、主役はどう変わったのか
宮武さんは、シリコンバレーでのプロ経営者とファウンダーの関係は歴史的に変わってきたと指摘します。90年代はVCが主導し、創業者がPMF ── プロダクト・マーケット・フィット。製品が市場のニーズに合致し、顧客に強く求められる状態を指すスタートアップ用語ですまで会社を育てた後、プロ経営者に交代するのが定番の方程式だったといいます。
例として挙がったのが、エリック・シュミット氏がプロ経営者として入ったGoogleや、Ciscoです。Netscapeでもマーク・アンドリーセン氏は社長ではありませんでした。
90年代: X世代が会社を立ち上げ、PMF後にブーマー世代のプロ経営者が会社を引き継ぐ
2000年代以降: ミレニアル世代の創業者がそのまま残り、会社を運営する
2000年代以降の代表例がマーク・ザッカーバーグです。2006年、Facebookの創業から2〜3年のころ、当時22歳のザッカーバーグにYahooから1ビリオンの買収提案が届き、取締役会で8時間ほど議論されたといいます。
宮武さんによれば、ザッカーバーグは会社の4分の1ほどを持っており、売れば250ミリオンほど手にできる状況でした。それでも本人は売りたくないと主張します。
売ったら、売った後何するかわかんないですと。また、似たようなSNSを作るんじゃないですかねみたいなことを言ってて、結果売れなくて。
宮武さんは、プロ経営者ならその場の価値を見て早めにクローズすべきだと言っていたのではないか、とあくまで推測として語ります。ザッカーバーグ自身がAsshole CEOに入るかはわからないものの、特に初期はかなり変わった性格だったとも話しました。
VCは「扱いにくい天才」に投資すべきか?
「性格がクソなCEOは、世界を変える会社に必要なのか」という宮武さんの問いに、草野さんは「人による」と前置きしつつ、対応はひどいのにビジョンや進む道は正しそうな人がいると答えました。
「これみんなイエスだと思ってるけど、俺はノー」っていう、「私はノー」。なんかそういう人の方が得意な気がしますよね。
宮武さんは、こうした社長に投資するかどうかでVCは悩むはずだと話します。草野さんも、投資家からするとコントロールしにくい相手だと応じました。
宮武さんの説明では、VCは経験を踏まえたアドバイスをする立場ですが、起業家にとって会社は自分のもので、100%オールインの賭けでもあります。有名な例として、Uberのトラビス・カラニック氏とベンチマークのビル・ガーリー氏の不仲が挙がりました。
宮武さんは、スティーブ・ジョブズ、アダム・ニューマン氏、ラリー・エリソン氏、ラリー・ペイジ氏、マーク・ベニオフ氏なども、VC側からすると一緒に仕事するのは大変だっただろうと語ります。
一方で、そうした人が結果を出すなら、VCはむしろ選ぶべきなのかという問いも残ります。宮武さん自身、以前はそういう人に投資したくない時期があったものの、今は「もうちょっとリベラルに見てます」と話しました。
草野さんは、ホームラン案件を狙うVCのルールからすれば理に適っているかもしれないと応じます。大きく失敗する可能性も、大きく成功する可能性も高いのがそういう人たちだという見方です。
嫌なやつが正しくて、私たちが間違っていた?
宮武さんはここで見方の逆転を提案します。「クソCEO」という括り方は彼らをネガティブに扱っていますが、実は彼らが起業家として正しく、他の人が間違っているという説もありうるというのです。
彼らが嫌なやつとかそういう話ではなくて、単純に、その社会に同調してないかどうかっていう。
草野さんは、とはいえ働くうえで嫌な対応をされるのは事実だと返します。宮武さんは、直接的な言葉で罵倒することがあっても、相手に嫌な思いをさせたいだけとは限らないと説明しました。
例に挙がったのがスティーブ・ジョブズです。4階のオフィスまでエレベーターで一緒になり、話しかけられたらクビになるかもしれないと恐れられた逸話は有名です。
しかし伝記作家のウォルター・アイザックソン氏が「Appleの歴史で一番誇れるプロダクトは何か」と聞いた際、ジョブズは特定の製品ではなく、チームを作ったことを挙げたといいます。
同調してなかったからこそ、より嫌われてたと思うんですけど、ある意味一番連携取れてロイヤリティが高いチームを作れてたのかもしれない。
宮武さんは、20年ほどAppleに居続ける人がいることは、アメリカではなかなか見られないとも指摘しました。
草野さんは、共感しないことにも共感しすぎることにも良し悪しがあると考えます。悪意なく「ダメだからクビ」と切る姿勢は、行き過ぎると危ういとも話しました。
宮武さんが「組織のリーダーには冷酷な部分が必要なのか」と問うと、草野さんは持っていたほうがいいと答えます。自分は一喜一憂するタイプだと認めつつ、感謝があっても前に進むために人を辞めさせる判断は必要だと語りました。
マイケル・ジョーダンも実は嫌なやつだった?
宮武さんはスポーツにも目を向けます。好きなバスケットボールでは、マイケル・ジョーダンやコービー・ブライアントが、特に練習でめちゃくちゃ冷酷だったといいます。
4年ほど前に人気になったNetflixのドラマ「ラストダンス」では、チームメイトがジョーダンを「クソだった」と振り返り、皆が恐怖を抱いていたことが明かされました。ただ、振り返ると彼のやろうとしたことは理解でき、皆のパフォーマンスが上がったとも語られていたそうです。
草野さんは、結果的に美化されている可能性も指摘します。宮武さんも結果論かもしれないと認めつつ、ジョーダンとコービーの勝利へのこだわりが、さまざまな形で表に出たのだろうと話しました。
宮武さんによれば、同調しないことはとても難しいことです。言語を親の真似で学ぶように、人は子どもの頃から模倣を通じて育ち、文化も真似を通じて作られ受け継がれていきます。
宮武さんは、ピーター・ティールがよく語る「アスペルガー症候群の傾向がある人のほうがシリコンバレーで成功している」という主張も紹介しました。エビデンスはないとしつつ、感情を読まない、あるいは一部捨てることで非情になれるなら、そう言われる理由はわかるとしています。
宮武さんは、ジョブズについてよく言われる現実歪曲空間 ── Reality Distortion Field。ジョブズが周囲を説得し、不可能に思えることも可能だと信じ込ませる力を指して、Appleの社員が使った表現ですも逆に見られると話しました。
それは彼が入ってたのではなくて、我々が入ってたんじゃないかと。
映画『マトリックス』に例えるなら、私たちがマトリックスの中にいて、偉大な起業家はそこから目覚めた人たちだという見方です。
草野さんは、人によって考え方や感覚が違うことを個性として理解するニューロダイバーシティ ── 神経多様性。発達障害などを含む脳や神経の違いを、優劣ではなく人間の自然な多様性として捉える考え方ですの広がりを、近い話として挙げました。自分だけではないと知り、違いを優劣ではなく個性と捉えるようにシフトしたのではないかといいます。
ニーチェはなぜ「利他主義」や「平等」を退けたのか?
ここから話はニーチェの本の中身に入ります。宮武さんによれば、ニーチェは冒頭から、利他主義、平等性、節度といった価値は人を制限するものだと述べています。
道徳や幸せ、利他主義、平等性、同情から人を自由にすることが、ニーチェのこのプロジェクトだといいます。同情や平等性は「奴隷の道徳」、つまり群れの道徳であり、弱者や被害者を重んじる人たちのものだとされます。
宮武さんの説明では、ニーチェは奴隷道徳をキリスト教の考え方と近いものとし、その対極にペイガニズム ── 異教主義。ここではキリスト教以前の古代ギリシャ・ローマなどの多神教的な価値観を指します側の「君主道徳」を置きました。世の中はキリスト教的な方向に向かっているが、ニーチェは君主道徳へ向かいたいという構図です。
宮武さんは、聖書はキリスト自身が最後に殺される被害者であり、その被害者が正しかったという話だと説明します。一方、ペイガニズム系の物語では、被害者が悪をもたらした側として描かれるといいます。
キリスト教的。群れの道徳で、弱者・被害者の目線に立つ
ペイガニズム的。ニーチェが向かうべきだと考える側
そのうえでニーチェは、価値の置き方を入れ替えるべきだと主張したと宮武さんは紹介します。
| 退けるもの | 代わりに重視するもの |
|---|---|
| 幸せ | 苦しみの使い方 |
| 利他主義 | 自己愛 |
| 平穏 | 危険性の受け入れ |
| 同情 | 他人を利用すること |
宮武さんは「やばそうな組織を目指しているように見える」と笑いつつ、ニーチェの狙いは人々の価値を再定義することだと説明します。弱者を大事にする奴隷道徳は、平均的な人しか生み出さないというのがニーチェの考えです。
草野さんは、ピーター・ティールの言っていることとすごく似ていると反応しました。
ナルシストではない?自伝『この人を見よ』の章タイトル
ニーチェの言う偉大なる人には、ナポレオンやアキレウスのような人物だけでなく、ベートーヴェンやシェイクスピア、そしておそらくニーチェ自身も含まれると宮武さんは話します。
証拠として宮武さんが挙げたのが、ニーチェの自伝『この人を見よ』です。その最初の3章のタイトルは、いずれも自分を讃えるようなものです。
- 第1章「なぜ私はかくも賢明なのか」
- 第2章「なぜ私はかくも怜悧なのか」(英語ではWhy Am I So Clever?)
- 第3章「なぜ私はかくも良い本を書くのか」
なんでこんな私頭いいの?みたいな。
宮武さんによれば、実際に読むとニーチェは意外と謙虚です。平等ではない世界を受け入れたうえで偉大なる人が必要であり、自分はその偉大なる人だと認識しているから、当然のこととしてこう書いているのだといいます。
宮武さんは、自分の会社やビジョンを信じ込むシリコンバレーの姿勢もこれに似ていると指摘し、サム・アルトマン氏が昔ブログで書いた内容を紹介しました。
一番成功してる人たちはもう、妄想レベルで自分たちのことを信じてるっていう。
草野さんは、同じビジョンを信じ続けるのは本当に難しく、「このビジョンを実現するまで死なない」という圧倒的な自信はリーダーとして魅力的だと語ります。宮武さんは、自信に実行力が加わってこそすごい人になれると補足し、『スラムダンク』で「俺は天才だ」と言い続けた桜木花道がある意味正しかったと例えました。
民主主義のアメリカは例外なのか?
一人一票の民主主義、つまり平等を掲げるアメリカでも偉大なことが生まれているではないか。ニーチェの作品に対しては、そうした批判もあると宮武さんは紹介します。
宮武さんによれば、ニーチェはこれに対し、国より先に人を見るべきだと答えます。偉大なクリスチャンを見ると、口ではクリスチャンと言っても、実際の行動には「みんなを愛しなさい」という性質はなく、むしろ「自分が一番」という君主道徳的な人が多いというのです。
めっちゃディスってる感じがするんですけど、あ、これニーチェの言葉なんで、僕じゃないんで。
例として宮武さんはベートーヴェンを挙げ、仕事場では冷酷で、自分の仕事を「神だ」と思うような人だったと説明します。ダビデ像やシスティーナ礼拝堂も、キリスト教的な愛情ではなく、競争心の激しい2人のアーティストが競い合った末の作品だと紹介しました。
ニーチェの結論は、キリスト教ベースの社会や組織が偉大なる人や作品を生むには、自らの基盤である価値や原理を無視しなければならない、というものだと宮武さんはまとめます。
草野さんは、キリスト教が根づいていない日本はエゴを貫きやすいのかと尋ねました。宮武さんは、日本にも宗教と呼べるような社会的な規範があるからむしろやりにくいと考えつつ、特に昔の日本はトップダウン式で、君主道徳を持つ国だったのかもしれないと答えています。
スポーツとテックに「平等」はないのか?
宮武さんは、ニーチェ的な偉大なるものを今生みやすい領域として、テックとスポーツを挙げます。スポーツには平等性という概念がそれほどなく、相手を潰すことや「俺が一番だ」と言うことが、西洋社会の中でも悪とされない数少ない場だといいます。
草野さんは、バスケや野球のようなチームスポーツではわがままより集団が優先されるのではないかと問いました。宮武さんは、コーチのプレーコールを選手が無視したり、試合の流れで別の判断をすることも多く、自分を信じていなければできないと答えます。
さらに宮武さんが紹介したのが、オリンピックに合わせたNIKEのキャンペーン「Winning isn't for everyone(勝利は万人のものではない)」です。最初のCMは「私は悪者なんですか?」という問いから始まるといいます。
このCMでは勝者を、自己中で共感せず、永久に満足せず、パワーに取り憑かれ、後悔も同情もしない、誰よりも自分が上だと思う人として描いています。宮武さんは、これも「嫌なやつ」に似た傾向だと見ています。
テックについて宮武さんは、Facebookを誰でも無料で使えるように一見平等でも、利益を得る人と得ない人が分かれると説明します。スタートアップでも委員会型でうまくいく組織は少なく、一人の社長がリードするワンマン型が多いといいます。
宮武さんが好きなものでも全部そういう系ですね。出てきた人物とかが全部。
偉大になるために、何を犠牲にするのか?
宮武さんによれば、ニーチェが利他主義より自己愛を求める理由は、偉大なプロジェクトや勝利には100%のコミットが必要だからです。他人を気にするべきではなく、同情するより利用することが重要だというのが、ニーチェの言い分だといいます。
ニーチェがその事例として出しているのがブッダです。ブッダになるために、父、母、妻、子どもを捨てて修行に挑んだことを、偉大になるための犠牲の例として挙げているといいます。
ニーチェは、すごい人とそれ以外の人がいるという違いを認めるべきだと考えました。マジョリティーの幸せより、インスピレーションを生む個人を作ることが重要であり、それが多数派にとって大きなコストになっても、最終的には社会が報われるという考えです。
違いを認める
すごい人とそれ以外の人がいることを受け入れる
個人に賭ける
マジョリティーの幸せより、偉大な個人を作ることを優先する
社会が報われる
多数派にコストがかかっても、最終的に社会が報われる
宮武さんは、この考えに「多少なり」同意すると話します。2〜3年Off Topicでリサーチを重ねる中で、偉大なる人を作るのは難しいだけでなく、いかに重要かを理解したといいます。
例外の人たちが結構世界の大半のGDPとか、場合によっては満足度とかを作ったりしているのであれば、そういう人たちをもっと作らないといけない。
宮武さんは、起業家やクリエイターは偉大なる人の候補者であり、Off Topicを続けている理由の一部も、そうした人たちへのサービスにあると語りました。
キャンセル文化と長期ビジョンの難しさ
草野さんは、偉大なる人が生まれにくくなっていると感じています。キャンセルされたり、いい人でいなければならないというプレッシャーが昔より強まり、少し悪いことをするとすぐリークされるようになったといいます。
もし例えばスティーブ・ジョブズが今の時代生きてたら、いや、あいつはカリスマじゃなかったつって。
宮武さんもその可能性は十分あると同意し、何が変わらなければならないかを問いました。草野さんは、利己的な人の下には利他的な人も必要で、両者がいて成り立つため、会社のカルチャーをもっと多様に受け止められるようにすべきかもしれないと答えます。宮武さんは、組織がスケールするほどそれが難しくなるとも指摘しました。
話すうちに草野さんは、問題はキャンセルの有無より、長い間ビジョンを持って何かを成し遂げ続けること自体が難しくなった点ではないかと考え直します。30年、40年同じサービスを続けるより、売却して次を作る起業家が増えたのではないかという見方です。
宮武さんは、2002年設立のSpaceXが22年ほど経っても上場していないことを挙げ、「通常許されない」と応じました。シリコンバレーでお金を稼ぎやすい環境になったことも、VC側を含めたリスクテイクのあり方を変えたのではないかと話しています。
次回は奴隷道徳と君主道徳をさらに掘り下げる予定だと宮武さんは予告しました。草野さんは、起業家がよく読むアイン・ランドの小説『肩をすくめるアトラス』も近い考え方かもしれないと挙げ、テクノロジー業界と相性のいい考え方だと語っています。宮武さんは「今後はわかんないですけどね。今はそう」と締めくくりました。
まとめ
この回は、ニーチェ『道徳の系譜』の「偉大なる人」と「奴隷道徳」を手がかりに、Asshole CEOと呼ばれる経営者を、社会に同調しない人として捉え直す試みでした。宮武さんはニーチェの考えに一定の同意を示し、草野さんは長期ビジョンを持ちにくい現代の環境に目を向けています。
- ニーチェは、利他主義や平等性などの「奴隷道徳」が平均的な人しか生まず、偉大なる人の生産を妨げると考えた
- 宮武さんは、Asshole CEOを「嫌なやつ」ではなく「社会に同調しない人」と見る逆転の視点を提示した
- ジョブズやジョーダンは恐れられる一方で、ロイヤリティの高いチームを作ったという側面も語られた
- スポーツやテックは平等性が薄く、偉大なるものが生まれやすい領域として挙げられた
- 草野さんは、キャンセル文化以上に、長期的なビジョンを持ち続けにくくなったことが課題ではないかと指摘した



