友達をテーマにする番組と、初対面のゲスト
ケージさんがパーソナリティを務める「Space Volcano!」は、人生で一番大切なものは友達なのではないかという仮説を掲げる番組です。
この回のゲストは、ポッドキャスト番組『オカ純文学心理百景』のオカジュンさん。ケージさんとは今回が初対面です。
オカジュンさんの番組は、ケージさんがジングルやBGMを手がけたことがきっかけで生まれました。約半年前、ポッドキャストを始めたい人を支援する企画を通じての縁だったと振り返られています。
もう憧れの番組に出られて、まさか半年前にこんなことになるとは思ってもなかったんで。
友達の定義は、人によって全然違う
ケージさんはまず、ゲストに友達の定義を尋ねるのが恒例だと説明します。自身の定義は、お互いに相手の幸せを自分の幸せだと思える関係だと話します。
さらに厳密には、相手が本当にそう思っているかはわからないため、「相手が自分の幸せを喜んでくれていると信じることができたら友達」だと言います。この定義だと親兄弟も友達の範疇に入ると話します。
もう喜んでくれてるに違いって、僕自身が信じることができたら、もうそれは友達。
オカジュンさんはカウンセラーとして、人の悩みの中に友達の話が頻繁に出てくるため、日々「友達とは何か」を考えていると応じます。
なんかそもそも私たちは何をもって友達と呼んでるんだろう?って日々考えてるんですね。
ケージさんは、友達という概念は小学校低学年でも理解しているのに、実は一人ひとりが思う定義が全然違うと指摘します。
下の名前で呼び合えたら友達
オカジュンさんの友達の定義は、自分がプライベートだと思える時に、下の名前で呼び合えたら友達、というものでした。
場所や関係の種類は関係なく、素の自分でいる時に互いにファーストネームで呼び合えるかどうかが基準だと話します。相手が自分を友達と思っているかは気にしていないという点は、ケージさんと共通していました。
お互い下の名前を知ってたら、友達って思えてるなっていうことに気づきました。
この定義でいくと、歯医者や美容院など、定期的に通う場所の相手も友達になっていきます。最初は名字で呼ばれていた関係が、通ううちに「潤ちゃん」「潤子さん」と呼ばれるようになり、距離が縮まった感覚が生まれると語られます。
一方でケージさんは、下の名前で呼ぶか名字で呼ぶかは人のコミュニケーションの癖にもよると指摘します。お客とお店の人という関係を、一定のラインより近づけない人もいるのではないかと投げかけます。
下の名前で呼ばれると、すごいなんか距離が縮まった感じがすごい。
友達と仲間は、どう違うのか
オカジュンさんは、友達との定義の違いから少しうまくいかなかった経験を持ち出します。友達とビジネスの話で盛り上がったと別の友達に話したら、「友達とそんな話するのしんどそう」と言われたそうです。
友達とは、何を話す関係かまで決まっているのか
ここでケージさんは、オカジュンさんが番組内で「仲間」という言葉を使い分けていたことを指摘します。仲間と友達を線引きする人もいれば、仲間意識を感じる相手を友達と思う人もいると整理します。
ケージさん自身は、仕事仲間でも気持ちよく会話できる相手なら友達だと感じます。一方で、職場の人を友達とは思えない人もいて、それは安心できるラインの位置の違いだろうと話します。
オカジュンさんは、大学の同期を「同期」と呼び、友達とは少し違う「仲間」に感じると話します。ただし下の名前では呼び合っているため、自分の中でも定義が揺れていることに気づいていきます。
私の友達はすごい広いんですよ、仲間も含む。で、仲間って呼ぶところはもっとすごい。何なんでしょうね。
ケージさんは、仲間には何かしらの共通の価値観を持っているという確信がある一方、友達は価値観が共有できていなくてもよいと考えていると話します。
オカジュンさんは、仲間は一定の時間や困難を一緒に乗り越えた歴史を共有している関係だと整理します。だからこそ仲間の前ではダメな自分もさらけ出せる、と語ります。
仲間には機能価値、友達には存在価値
オカジュンさんは、仲間の前では頑張らない自分でいられる一方、友達には広すぎるがゆえにサービス精神を出してしまうと打ち明けます。
ここでケージさんが持ち出したのが、存在価値と機能価値という考え方です。仲間には機能価値で見てもらい、友達には存在価値を求めているのではないか、と整理します。
機能価値で見てもらうなら、失敗も含めて自分の能力を知ってもらう方がやりやすい。だから仲間には素を出せる、とケージさんは解説します。
共有した歴史があり、機能価値で見てもらえる。だからダメな自分もさらけ出せる
存在価値で好かれたいと願うほど、嫌われたくなくて取り繕ってしまう
さらにケージさんは、友達に存在そのものを好きでいてほしいと願うほど、嫌われたくないという気持ちが働いてしまうのではないかと言葉を重ねます。
オカジュンさんは、自分は友達の方に機能価値を出そうとしていたのかもしれないと気づきます。困難を一緒に乗り越えないと素を出せない、自分を出すのが苦手なのかもしれないと振り返りました。
友情から始まる好きと、独占欲の話
オカジュンさんは、誰かをいいなと思うとき、人は必ず一度は友情としての「好き」を経由すると考えていると話します。
その好きが強くなりすぎて独占欲が生まれると、それはもう恋愛と呼んでいいのではないか、という考えです。同性に対して独占欲が出た時点で、それは友情ではなくなっているのではないかとも語ります。
ケージさんは全く同じことを考えていたと応じ、誰かと付き合うことは「お互いを独占契約すること」だと定義していると話します。
たとえば恋人と女友達を同じくらい好きだとしても、友達には独占欲が働かない。恋人が他の人と遊びに行くと気になるが、友達なら気にならない、という具体例で説明します。
僕もあなたを独占したいので、代わりに僕を独占する権利をあなたに与えます、というのが付き合うということだと理解してます。
オカジュンさんは、子供のカウンセリングでも、恋を知らない子が同性同士で恋に近いほどの独占感情を持つ例が多いと話します。そうした気持ちが向けられ始めると、適度な距離を取りたくなると語ります。
テクニックではなく、人たらしという答え
ケージさんは当初、幅広い年齢層と接するオカジュンさんに、年下と話すときに気をつけていることを聞くつもりだったと明かします。
年上というだけで生まれる権力の非対称や、自分では気づけない加害性に気をつけたいという問題意識からの質問でした。
年齢差のある相手と接するとき、気をつけていることはあるか
しかしオカジュンさんは、家族以外で自分としか話さない高校生や中学生もいるが、何を気をつけているのか自分でもわからないと答えます。
ここでケージさんは、話しているうちに気づいたこととして、オカジュンさんは「人たらし」だと伝えます。テクニックではなく、素のコミュニケーションで自然に好意を抱かれるタイプだと言います。
相手に好意を抱いてもらえるような感じの人なので、テクニックとかそういうのなしでも全然普通に素でコミュニケーションをやって。
ケージさんは、優れたスポーツ選手が自分の技術を説明できないのと同じで、オカジュンさんが無意識にやっていることを言語化できれば自分のテクニックにできるかもしれない、と話します。
最後にオカジュンさんは、ぜひnoteを読んでほしいと告知します。特にコテンラジオの中の人から感想をもらったという記事を挙げました。
まとめ
初対面ながら、友達の定義から仲間との違い、存在価値と機能価値、そして独占欲まで話が広がった対話でした。互いの考えを言語化し合う中で、二人の定義が重なる部分とずれる部分が見えていきます。
- ケージさんの友達の定義は「相手が自分の幸せを喜んでくれていると信じられたら友達」で、親兄弟も含む広いもの。
- オカジュンさんの定義は「素の自分でいる時に下の名前で呼び合えたら友達」で、通う店の相手も含まれる。
- 仲間には機能価値、友達には存在価値を求めがちで、存在価値で好かれたいほど取り繕ってしまう、という整理が生まれた。
- 好きは一度友情を経由し、独占欲が生まれると恋愛になる、という考えで二人は一致した。
- オカジュンさんの魅力は、テクニックではなく素で好意を抱かせる「人たらし」だとケージさんは結論づけた。
