最初の記憶と、文章を褒められた原体験
1981年8月13日生まれのオカジュンさん。収録の前日がちょうど誕生日だったといいます。
最初の記憶をたずねられると、弟が生まれた日ではないかと振り返ります。弟は2つ下なので、当時2歳ごろの記憶ということになります。
父親と寝ていて、家族が忙しそうになっていくのだけ覚えています。生まれるかなんかなっている時に、わあってなっているのだけ。
ただ、それが本当の記憶なのか、途中で夢と混ざっているのかはわからないと話します。この感覚はケージくんも共感し、「後から親に聞かされた話が自分の記憶として埋め込まれているのかもしれない」と応じました。
幼稚園の頃、担任の先生が別の学校へ赴任すると聞き、オカジュンさんは手紙を書きました。それが保護者の間で評判になったといいます。
この子は文章の天才かもしれない、といろんなお母さんが褒めていたよと母親に言われたのは、すごく覚えています。めちゃくちゃ嬉しかった。
5、6歳ごろの出来事だといいます。単なる「ありがとう」ではない手紙だったのではないかと振り返り、これが「書くのが好き」という気持ちの原点になったのかもしれないと話しました。
作家への手紙、そして戦略的な選び方
小学校では、司書の先生が「作家さんに手紙を書こう」という企画を立てました。オカジュンさんが書いた手紙には、絵本作家から返事が届いたといいます。
潤子ちゃんが将来、素敵な作家さんになってね、と書いてくれているのが今も取ってあるんです。だからその時になりたかったんだなって。
返事が全校生徒に紹介されたこの出来事には、小学生なりの戦略もあったと明かします。予約が絶えない人気の恋愛小説家ではなく、あえて絵本作家を選んだところが良かったといいます。
これは小学6年、1993年ごろのこと。当時最初に買ったCDがプリンセスプリンセスのベストアルバムだったと、時代の空気も語られました。
中学時代、テストの裏に自作の漢詩
中学に入ると、Jリーグ開幕にあわせて一時サッカーに熱中し、川口能活選手のファンであることをクラス中が知っているほどだったといいます。
得意科目は国語。ただ、テストが物足りなく感じるほどだったと振り返ります。
テストの裏に漢詩とか書いていました。私、これだけ余裕ありましたけど、みたいな。時間がありすぎて作っちゃいました、という感じで。
中2で習った漢詩を、テスト中に自分で作って余白に書いていたといいます。「めちゃくちゃ嫌なやつですよ」と本人は笑いますが、ケージくんは「先生の立場なら、そういう生徒は好きだと思う」と応じました。
中2の頃はJUDY AND MARYが大好きで、体育祭の旗のために依頼したところ、YUKIから原画が届いたという思い出も語られました。クラス全体でファンだったといいます。
弁論大会で見つけた「笑わせたい」という欲
中3では弁論大会に出場します。本人は乗り気ではなかったものの、クラスの子が選んでくれたといいます。
真面目一辺倒ではなく、ユーモアを混ぜたことが受け入れられた経験でした。大勢の前で読み、みんなが笑ってくれたことがとても嬉しかったと振り返ります。
当時通っていた公立校では、目立つこと自体がリスクでもあったといいます。優等生的すぎる文章では浮いてしまうため、「面白いから選ばれた」と思われるほうがいいと考えていたそうです。
ケージくんが「笑わせたいという欲があるのか」とたずねると、オカジュンさんははっきり「欲があると思います」と答えました。
進学校での自分探しと「みんなの親戚」
高校は岡山県内全域から生徒が集まる公立の進学校へ。遠方から通う生徒や下宿する生徒も多く、オカジュンさん自身も友達の家によく泊まっていたといいます。
同じレベルの生徒が集まる環境で、オカジュンさんは笑いでポジションを取ろうとしました。ツッコミ役にはなれないぶん、自分から狙ってボケていたと明かします。
高校時代はもう一番笑いを取りに行こうとしていました。天然みたいにみんなには言われていたけど、もう自分でちょっと狙っていました。
勉強面では周囲の優秀さを感じ、「自分は大したことないな」と思ったといいます。一方で男女問わず仲が良く、後年に同級生から「みんなの親戚」と言われたのが印象に残っているそうです。
ケージくんは、これを人たらしゆえの親近感の与え方ではないかと解釈しました。本人は「自分から近寄ってはいないのに、身近にいそうに思われるのかな」と話します。
東京の大学へ。魔女の宅急便と野球部マネージャー
高校時代は勉強に追われて本はあまり読めなかったものの、カラオケや、岡山のライブハウスPEPPERLANDでバンドを見るのが好きだったといいます。
2000年、東京の私立大学へ進学します。もともとは関西の大学を志望していましたが、「誰も知らないところで人間関係を新たに作ってみたい」という気持ちから、より遠くを目指したといいます。
映画で魔女の宅急便が一番好きなんです。誰も知らないところで人間関係を新たに作ってみることが楽しい、どれくらいやれるかやってみたい、という気持ちがいつもあって。
この「魔女の宅急便が一番好き」という点は、ケージくんとの共通点でもありました。
大学では体育会の野球部のマネージャーを務めます。選手としてではなく、より厳しい環境でやってみたいという思いから、強豪の野球部を選んだといいます。
文学部の授業は女子が多く、部活は男子ばかり。この環境から、周囲に「男兄弟がいそう」とよく言われたそうです。神宮球場での場内アナウンスも担当していました。
20年の教員生活と、心理カウンセラーへの転身
大学卒業後は地元・岡山に戻り、高校の英語教師になります。就職活動が思うようにいかず、教育実習が楽しかったことがきっかけだったといいます。
勤めたのは全寮制の特殊な進学校でした。塾に通わなくていいよう学校がすべて面倒を見る一方、部活や生徒会に打ち込みたい生徒が集まる環境だったといいます。2004年から約20年、同じ学校で英語を教え続けました。
転機はコロナ禍でした。以前から心理の分野に関心を持っていたオカジュンさんは、旅行にも行けない時間を勉強にあて、国家資格を取得します。
すごくできる子なのに成績が出ていない、そういう子がいっぱいいて。いくら教科指導を頑張っても、もっと先に考えるべきことがあるんじゃないかと、一年目からずっと思っていました。
筆記でしか学力を測れない仕組みへの違和感もあったといいます。資格を取ったのを機に一度教員を辞め、心理の道で生きていけるか試してみることにしました。
現在はスクールカウンセラーとして働いています。まだ道半ばとしつつ、教員時代より自分の労力以上に評価してもらえると感じているそうです。ケージくんは、オカジュンさん自身の基準が高いためではないかと解釈しました。
「人間を面白いと思っている人」という肩書き
オカジュンさんはカウンセラーのほかにも会社を持つなど、多くの活動をしています。その根っこにあるのが好奇心だと語りました。
なんでも面白いと思えるというか。それはあるかな。
「何をやっている人か」と問われたら何と答えるかという話題では、印象的な答えが返ってきました。
ケージくんは、それを職業名にしてはどうかと提案し、寺山修司やいとうせいこうのように「自分の名前がそのまま職業になる」あり方を挙げました。
芥川賞を目指すという目標についても、賞そのものへの興味は薄いといいます。ただ、本気で取り組んでいることを伝える「わかりやすさ」として掲げているのだと明かしました。
この感覚はケージくんも共有していました。バンドをやっていた頃、本音では続けることが目標でメジャーデビューにはこだわっていなかったものの、周囲には目指していると伝えていたといいます。
賞とかにあまり興味はないんですけど、わかりやすいかなと思って。本気って感じをわかってほしいというか。
まとめ
書くこと、笑わせること、そして人を面白がること。幼少期の手紙から心理カウンセラーへの転身まで、オカジュンさんの人生には一貫して好奇心が流れていました。時代ごとに形を変えながらも、その芯はぶれずに続いていることが見えてくる回でした。
- 最初の記憶は弟が生まれた日。幼稚園時代に書いた手紙が評判になり、書くことへの関心が芽生えた
- 学生時代は笑いを取ることでポジションを築き、それがnoteなどの発信の原点にもなっている
- 野球部マネージャーや神宮球場でのアナウンスなど、あえて厳しい環境や新しい人間関係に飛び込んできた
- 成績に表れない生徒への思いとコロナ禍の学びが、20年続けた教員から心理カウンセラーへの転身につながった
- 芥川賞という目標は「本気を伝えるわかりやすさ」であり、根底には「人間を面白いと思う」好奇心がある
