AIも雑誌も取りこぼす、ブランド黎明期の記録
藤井さんゲスト回の2回目です。冒頭は、前回の話がAIではほとんど出てこなかった、という発見から始まります。
nonnativeは1999年にできたブランドで、今年で27年目になります。藤井さんが在籍して20年以上です。
小畑さんは、藤井さんが来るからと気合を入れてAIで調べたそうです。ですが、初期の面白い情報はほとんど出てこなかったと話します。
最初の頃のちょっと面白い情報って、意外とAIで調べても出てこなくて。それは雑誌に結構アーカイブがあるんですけど、雑誌はAIが取り込んでないんですよね。
藤井さんは、裏原カルチャーのレジェンドは細かく出てくるのに、自分たちのような存在は全然出てこないと語ります。
BEAMSに電話してスニーカーの話とか、ジュンジが買いに来てたとか、それは多分知らないと思う。それはサーチ不能。
インターネットや書籍は学習されていても、当時の雑誌はAIに取り込まれていない。だからこそ、ここでしか聞けない話になります。
時知らずからvendorへ、2005年の第2フェーズ
藤井さんは自分の中でブランドの歩みをいくつかのフェーズに分けています。まずは雑誌に取り上げられていた初期です。
時知らずという店は2001年か2002年頃にオープンし、2004年頃に一度なくなったそうです。この記憶は藤井さん自身も曖昧だと話しています。
そして2005年、藤井さんはセレクトショップ「vendor(ベンダー)」を出します。時知らず頼みだった状況が少し崩れていた時期でした。
ここで小畑さんは、なぜnonnativeの路面店ではなく、あえてセレクトショップだったのかを尋ねます。
vendorって商人みたいな意味で、世界中を旅するのが好きだったんで、世界中からいいものを集めようみたいな。その中にnonnativeがある。オンリーショップじゃなくてっていうことをやろうって。
藤井さんは、当時オンリーショップでやるほどの自信はなかったと振り返ります。周りの熱狂とは裏腹に、自分の中では満足していなかったそうです。
今考えると結構恥ずかしいものづくりだなって思う。まあまあ、そんなこと誰も思ってないから。自分の中での到達点だったんでしょうけど。
トレント・レズナーとLA展開の広がり
vendorができた頃、店を広く構えたことで作れる服の量や型数も増えていきました。作ってもたくさん置けない、という制約がなくなっていったのです。
話題は海外での広がりに移ります。種市さんが当時「嫉妬した」と語るのが、トレント・レズナーの一件です。
ナインインチネイルズのトレント・レズナーですよ。あれは結構、俺なんかちょっと嫉妬したんだよね。
藤井さんによれば、nonnativeのM-65がCDジャケットの写真で使われたそうです。ただ藤井さん自身は、当時ナインインチネイルズにあまり興味がなかったと話します。
きっかけはロサンゼルスのセレクトショップ「Naked」でした。マックスフィールド出身の人たちが気に入り、LAでよく売れていたと言います。
たまたまロスにNakedっていうセレクトショップがあって、そこの人たちがすごい気に入ってくれて、めちゃ売れてたんですよ。松任谷正隆さんと知り合ったのもそこで買ってくれてた時で。
種市さんは中目黒で知られたと思っていましたが、実際は当時からLAへ展開していた、という流れでした。ドメスティックブランドが話題になり始めた時期でもあったそうです。
直販の場を持つ理由と、洗える服へのこだわり
卸先で全部取ってくれるわけではないため、自分たちの店のサイズに合わせて服を作る必要がありました。藤井さんはそこで、直販の場を持つ意味を語ります。
種市さんは、セレクト頼りの危うさを外から見て感じていたと話します。売れている時は勢いがあっても、潮が引くように状況が変わるからです。
これ多分、上がすっごい人気ある時だよ。左うちわの時に、このままじゃちょっと先まずいかもって思って、自分たちで動いていく早さというか。
小畑さんは、直販のルートや場所を作ることの大事さを確認します。藤井さんも、フィットする時としない時があるセレクトの難しさを認めています。
藤井さんは、自分がMD的にお店を面で捉えて考えている一方、お金のハンドリングはしていないと明かします。そこを任せられたことが助かったと話します。
服づくりで一貫しているのが「洗えないと嫌」というこだわりです。縮むのが嫌で、うちの服は全部洗っている、と言います。
いい生地使うともちろんいいものはできるんですけど、とにかく僕は洗えないと嫌なんですね。縮むのが嫌なんですよ。ジーパンのそれが一番嫌いなんですけど。
2008年のGORE-TEX、3年計画のプレゼン
話は第3フェーズとも言えるGORE-TEXの採用に移ります。nonnativeがGORE-TEXを使い始めたのは2008年、18年前のことです。
種市さんは、これを大きな衝撃だったと振り返ります。GORE-TEXは表のアウトドアブランドしか使えないもの、という認識だったからです。
18年前にドメスティックでやってるブランドでGORE-TEXを使えるって。GORE-TEXって表のアウトドアのブランドしか使えないものよ。セレクトショップだってできないでしょ。
藤井さんは伊藤忠経由で知り合いを紹介してもらい、GORE-TEX側から3年計画の提出を求められたと話します。
3年計画出してくださいって。ウールの見た目なのにGORE-TEXが入ってるとか、コーデュロイジャケットなのにGORE-TEXとか、革靴やりたいとか、全部シートに作って、3年後にここまで行きますって。
さらに、GORE-TEXは服(ファブリックス)と靴(フットウェア)で契約が別だそうです。両方を取れているのはうちだけではないか、と藤井さんは言います。
GORE-TEXは表のアウトドアブランドが使うもの。ドメスティックブランドやセレクトショップには難しいとされていた
3年計画をプレゼンし、服と靴の両方で契約。ウール見えやコーデュロイ、革靴などファッション文脈での使い方を提示した
1700の形に1300の素材、ニューバランス別注の先駆け
靴のコラボの一番最初は、ニューバランスの別注でした。時知らずと一緒にやったほど早い時期の取り組みです。
一番わかるのは、1700の形で1300の素材っていうのを作った。今普通ですけど、あの形でクラシックっていうのを僕は始めた。
今では当たり前の組み合わせも、当時は先駆けでした。ロットも少なかったと藤井さんは付け加えます。
種市さんは、こうした話が来る理由を、担当の人がブランドを本当に好きだからだと見ています。ニューバランスも、水野さんというデザイナーが好きでいてくれたそうです。
担当のデザイナーの水野さんがすごくうちを好きでいてくれて。スポーツメーカーなんで、ブーツみたいなスニーカーみたいなのは向こうでは出せないけど、うちとコラボならいいんじゃないって。
ブーツも好きでスニーカーも好き、という藤井さんの志向が、そのまま形に表れているコラボだと種市さんは語ります。
震災後の福島と「かっこよすぎるのはかっこ悪い」
2011年、成田空港のBEAMSのプロジェクトでnonnativeが起用されます。震災明けに新しいことをやろうという時期でした。
藤井さんは、この時期に印象的な出来事があったと話します。福島の卸先で聞いた、給付金を手にした人々の服選びです。
給付金みたいのが出た時に、みんな服を買いに来てくれたらしくて。結構モード系買ってた人がnonnativeを買ってますって。その実用性を聞いた時に、あ、まだやれるなって思いました。
GORE-TEXのものは汚れても大丈夫です。世の中に必要とされている実感が、藤井さんにとって嬉しい手応えになったと言います。
藤井さんの哲学として語られたのが、「かっこよすぎるのはかっこ悪い」という感覚です。
一方で種市さんは、nonnativeの服はさらっと見せながら、裾幅やサイジングなど細部が繊細だと指摘します。だからこそ誰が着てもかっこよくなる、という強みがあると言います。
余白があるんだけど、余白がない服なの。着ちゃうともう馴染むし、年代も関係ない。もう着てればそれで成立しちゃうから。
小畑さんも、さらっと手に取って買ったものが長く着られると実感していると話します。去年買った服を三年後に着ても違和感がない、という使いやすさです。
藤井さん自身はトレンドを見るのが好きだと言います。ですが会社としてはトレンド優先ではなく、そのエッセンスを少し入れる程度に留めているそうです。
長いとネガティブな部分も出てきますよ。変わってないっちゃ変わってない見え方もするし、若者からしたらおじさんのブランドじゃんっていう見え方もある。そこら辺が最近の悩みです。
まとめ
SNSもAIもなかった時代に、nonnativeは誰もいなかった中目黒への移転、GORE-TEXの採用、ニューバランス別注など、常に少し早い一手を重ねてきました。その背景には、直販の場を持つ判断や、洗える服へのこだわり、そして「かっこよすぎるのはかっこ悪い」という哲学がありました。
- 初期の面白い話は雑誌が中心のため、AIでは辿り着けない情報が多い
- 2005年のvendorは、オンリーショップではなく世界からいいものを集めるセレクトショップとして始まった
- 2008年のGORE-TEX採用は3年計画のプレゼンで実現し、服と靴の両方で契約している
- ニューバランス別注「1700の形に1300の素材」は、今では当たり前の組み合わせの先駆けだった
- 震災後の福島で実用性が評価されたことが、ブランドの手応えとして語られた
