たまたま始まったアイドルへの楽曲提供
話は、バンドを始めて牛乳配達をしていた時代から一転、玉屋2060%が他人のプロデュースをするようになった経緯へ向かいます。
きっかけは、電波組というアイドルへの楽曲提供でした。
これもマジでたまたまなんだけど、電波組というアイドルがいて、そのアイドルに一番初めに楽曲提供させていただいたんです。レーベルが同じだったんですよ、たまたま。
当時、玉屋2060%はトイズファクトリーというレーベルに所属していました。同じレーベルにいた電波組のプロデューサーが、玉屋2060%を面白がって声をかけたそうです。
あんた曲書きなさいよみたいな感じで言ってもらって。俺はそのアイドルとか何にも知らないで育ってきたんで。マジで無縁だったんですよ。
アイドルに触れてこなかったどころか、当時はむしろ距離を置いていた人間だったと振り返ります。
それでも「超面白そう」と引き受けたと話されています。SNSもほとんどやっておらず、電波組がどんなアイドルかも知らないまま曲を作ったそうです。
友達の女の子に書くように、そして武道館へ
作曲は初めての経験でした。アマチュア時代から、誰かのために曲を書いたことはなかったといいます。
今まで一度も曲提供をやったことがないのに、いきなり友達の女の子に書くような感じで書けるものなんですか。
何も知らないからこそ責任もなく、普通に曲を作れたと話されています。
2曲目あたりから電波組が一気に売れ始めます。玉屋2060%が関わる前は、いわゆる地下アイドルのような状態だったといいます。
そして3曲目を頼まれたとき、状況が一変します。
3曲目を頼まれた時に「次、武道館です」って言われて、マジでみたいな。俺はただ友達の女の子に作ってると思ってたら、武道館なんだと。とてつもないことになってるぞってなって。
ここで初めて、自分がとんでもない仕事を任されていることを自覚したそうです。悩み抜いて作った3曲目が、作家として初めて意識してちゃんと作った曲になったと語られています。
この成功をきっかけに、他からも「電波組の曲が好きなので作ってほしい」と依頼が広がっていきました。
もしそれをやってなかったら、多分一生作曲の仕事をやってないで、バンドだけのつもりだったし。そんなことをやるっていう考えもなかった。
期待値と向き合った、いちばん苦しかった3曲目
依頼にはプロデューサーとの打ち合わせがあり、「ライブで盛り上がる曲」「SNSでバズる曲」など、テーマが具体的に共有されるといいます。
玉屋2060%は、その打ち合わせの重要性を強調します。
そこでどれだけ具体的で濃い話ができるかで、曲の良し悪しも結構決まってくる。相手が何を望んでるかがわかった上で、ちょっと上で返さないといけない。自分だったらこうしますみたいな味付けをして返すんです。
これは種市暁のファッションディレクションの仕事とも通じる感覚だと、話が重なります。相手が望むものを把握し、そのちょっと上を返す、という共通点です。
一方で、期待値が上がるほど苦しさも増したといいます。特に3曲目は一番辛かったと振り返ります。
それまではイエーイみたいなノリで作ってたけど、これはやばいってなって。初めていろんなアイドルの曲を聴いて、俺この人たちと同列の仕事してるんだって思ったら自信がなくなっちゃって。曲ができない、曲ができないってなって。
リテイクを繰り返し、歌詞も何度も「違います」と返される状態に陥ります。どうすればいいかわからなくなったとき、バンドのベース担当の一言が転機になりました。
クオリティを求めてるならヒャダインさんや中田ヤスタカさんに頼みますよと。でもあなたの作る人懐っこくて遊び心のあるメロディが好きだから、あなたに頼んでるんだから、好きなようにやったらいいじゃんって言われて。作り直したら一発OKもらえたんです。
自分の味を出すことこそが求められていた、という気づきでした。売れる形を追うのではなく、「らしさ」を出すという方向へ立ち返った瞬間です。
音楽は数字が可視化されすぎる、というシビアさ
話は、音楽の世界の評価のシビアさへ移ります。プレッシャーは他のクリエイティブにも共通しますが、音楽は結果の出方が違うのではないか、と小畑翔悟が指摘します。
音楽って、結果の出方が残酷な気がするんだよね。
プロデューサーやアイドル本人が良いと言うだけでなく、最終的に売れる・再生回数が回るという数字を全てクリアしなければならない、という点で非常にシビアだと整理されています。
かつてCD時代であれば、店頭での置き方など見えにくい部分もありました。しかし今は数字がガラス張りで、操作もできないといいます。
今、全部わかる。可視化されすぎるんですよね。誰が何と言おうと、売れてないってなっちゃうっていう。
野球なら3割で評価されますが、音楽業界の打率は何割でOKなのか、という例え話も出ます。しかも打席に立って振り続けなければならない、という厳しさが語られます。
この残酷さへの向き合い方として、玉屋2060%はSNSをほとんど見ないことを予防線にしているそうです。
俺、多分そういうのにあんまり強くないから、SNSは一切見ないんです。嫌な言葉が目に入ってムカついちゃうと、お前話すかみたいになっちゃうから、見ないっていうのは予防線として張ってる。
本来は世の中の流れを知って曲を作る必要があります。それでも、他のアイドルの曲もあえて聴かない選択をしていると話されています。
聴いちゃったら、選ぶわけでもなく変に真似できちゃうんですよ。寄っちゃうんで、遮断してた方がブランドとして唯一無二のまま来れるかなと思って遮断してるんです。
ひらめき待ちにしない、「神様を呼びに行く」創作論
続いて、曲作りの進め方の話になります。依頼には納期があり、スケジュールが先まで決まっているといいます。
作る順番は、まず打ち合わせで「こんな曲にしたい」という設計図を書き、それを言葉にまとめてから楽器を持って作り始める流れです。ギターを弾きながらパソコンで打ち込み、デモを作っていきます。
ここで玉屋2060%は、ひらめきに頼らない姿勢を語ります。
ひらめき待ちにしちゃうと一生ひらめかない可能性があるじゃないですか。久石譲さんが本で言ってたんだけど、プロは神様を降ろすことができるやつがプロだと。こっちから神様を捕まえに行けるような生活をしなさいと。
そのために大切なのは、常に感動していることだといいます。感動しているとき、曲は自然と生まれてくると話されています。
常に感動していることが大事だなって思って。ワンちゃん可愛いなとか、お茶うまかったみたいなマインドにしてると、家帰ったらワンちゃんの曲ができる。でもその時に閉じてたらできないんですよね。
心を閉じてつまらないと思っていると、いいアイデアは浮かばない。だから神様がいつ来てもいいように心の扉を開けておく、という創作のマインドセットが語られます。
作詞・作曲・編曲まで、基本的にすべて自分一人で手がけているといいます。歌入れ以外の全楽器を、玉屋2060%が担っています。
クラシック家系とパンク、二つの素地が重なって
最後に、こうした音楽性の土台が語られます。玉屋2060%は音楽一家に育ちました。
母親はピアノの先生、父親はトロンボーン奏者だったそうです。小畑翔悟は、中学時代に外階段を上がって玉屋2060%の部屋に集まった思い出を語ります。下ではピアノのレッスン、隣のリビングでは父親が楽器を練習していたといいます。
ギターだけでなく、ベースもドラムもピアノも扱えるのは、この素地があってこそだと話されています。
中学の時パンク大好きだったけど、クラシック家系で育ったから、こんなのつまらないと思ってパンクに行った。リアルパンクスみたいな。でも、どっちかだけでもこういう人間にはなれなかった。
クラシックの素地とパンクへの反発が重なり、いまのハイブリッドな音楽性につながったという整理です。
話は、道端にエロ本が落ちていた最後の世代という思い出話にも及びます。携帯をはじめ、すべての移り変わりが激しい時代を多感な時期に過ごせたことを、玉屋2060%はポジティブに捉えています。
全部の移り変わりを、とてつもない時代生きてるなって今自分で思います。それを多感な時期に過ごせたのは、めちゃくちゃいい世代だなって。
まとめ
バンド一本だった玉屋2060%が作る側へ踏み出し、「自分らしさ」と向き合いながら作家として立っていく過程が語られた回でした。売れる形ではなく求められている自分の味をどう出すか、そしてひらめきを待たずに創作へ向かう姿勢が印象的です。
- アイドルへの楽曲提供はたまたま始まり、電波組の急成長とともに武道館の仕事へつながった。
- 期待値が上がって苦しんだ3曲目で、求められているのは自分の味だと気づいたことが転機になった。
- 音楽は数字が可視化されすぎるシビアな世界で、SNSや他曲をあえて遮断して唯一無二を守っている。
- ひらめき待ちにせず、常に感動して心の扉を開き、自ら神様を呼びに行く創作論を持っている。
- クラシック家系の素地とパンクへの反発が重なり、いまのハイブリッドな音楽性が生まれた。
