プロサーファー一本に絞るまで
ゲストの宮坂麻衣子さんへの深掘りは今回で2回目です。まずは、サーファーになってから今までの流れを聞くところから始まります。
バリでプロ合格した後、高校を卒業して千葉に戻り、練習しながらプロの試合に出ていたそうです。
バリでサーファーになって、その後はどんな活動をされてるんですか?
当時は千葉に戻る理由として、ご縁のあった貿易会社に勤めることになったと話されています。アパレルに興味があり、その部門で働いていたそうです。
ただ19歳、20歳の頃は都内勤務で、なかなかサーフィンの練習ができなくなりました。試合の結果も出なくなっていったといいます。
今できることってこれじゃないかもしれないなって思って、ご迷惑をおかけしたんですけど、その時は。会社を辞めて、プロサーファーとして生きる道を選んで。
会社を辞めてサーフィンに集中した1年間について、宮坂さんは「あまり自分の糧になるような経験はしていなかった」と、正直に振り返っています。
絵を描くことと、個展までの流れ
話題はアーティストとしての活動に移ります。宮坂さんは、どうやってアーティストになったのかは覚えていないと言いつつ、小さい頃から絵を描くのが好きだったと話されています。
小学校の図工の時間に描いた絵が学校で表彰されたことがあり、そこから賞をもらえる図工や書道に全力で取り組んでいたそうです。
なんかそういう気持ちでずっと何か物を作ったりとか、絵描いたりはしてて。負けず嫌いなんで。
キャンバスに絵を描くこと自体は昔から続けていましたが、個展をやろうと思ったのは2年前からだといいます。自分の作品を見てもらいたいという気持ちは、もともと強くなかったそうです。
きっかけは、身近な人をイラスト化する遊びを続けていたことでした。中学生の頃から友達の似顔絵を描いていて、周りが「絵を描いてみたら」「個展してみたら」と勧めてくれたといいます。
POLeRとのコラボと、アウトドアの視点
種市さんは、福島で見た宮坂さんの個展の話を持ち出します。そこでは、サポートを受けているブランド「POLeR」とのコラボグッズも作られていました。
去年6月に東京で開いた個展の会場が、原宿のセレクトショップ「キネティクス」でした。そこがPOLeRを扱っていた縁で、絵と一緒にグッズも作ることになったそうです。
一つのことに使うっていう考えじゃなくて、この商品がこれにも役立つ、あれにも役立つっていうような商品を作り続けてるっていうところに私は惹かれて。
種市さんは、アウトドアやスキーのスタイルとも自然に馴染む宮坂さんの雰囲気を「日本人離れしている」「おしゃれ」と話しています。
プロサーファーの「稼ぎ方」とは
話は、プロサーファーという肩書きの実態に及びます。小畑さんが以前ゲレンデで聞いた「プロサーファーの収入って何なの?」という質問が再び出てきました。
宮坂さんによると、プロサーファーの生き方はそれぞれで、試合に勝てなければ収入はゼロだといいます。勝ち上がればプライズマネーは出ますが、ごくわずかとのことです。
そのため、他の仕事をしながら活動する人もいれば、サポートを受けてインセンティブをもらう形もあると説明されています。
小畑さんが覚えていたのは、プロテストに合格した後は更新料を払えば「プロ」を名乗れる、という仕組みでした。だからこそ、実際にスポンサーや賞金で成り立っている人は少ないという話に驚いたそうです。
種市さんは、普通の人はサーフトリップにお金を使って海外に行くのに対し、宮坂さんは試合で海外に行き、稼いでくる立場だと対比しています。
サーフトリップでお金使ってくるけど、宮坂さんはサーフィンで海外に行ってお金取ってくるタイプだからね。根本のところが違うんだよ。
スノーボードは「別物」から「サーフィン」へ
もう一つの軸が、スノーボードとの関係です。宮坂さんは高校生の頃、北海道でお世話になったファミリーに連れられ、崖のような場所でスパルタに教わったのが最初だといいます。
ただ、その頃使っていたのはツインチップの、いわゆるスノーボーダー向けの板でした。宮坂さんは当時、スノーボードをサーフィンとは「別物」の競技だと感じていたそうです。
だってサーフィンにリフトないじゃないですか。そういう感じ。
一方の種市さんは、サーフボードのような形の板を勧められてから、雪が波のように見え、サーフィンの延長としてスノーボードを続けているといいます。
転機は、2年前に福島の雪山でPOLeR関係のKTさんと出会い、「幻天」というスノーサーフ系のブランドの板に出会ったことでした。震災前によく試合で訪れていた福島に、久しぶりに冬に行った時のことだそうです。
ショートボードじゃんって思って。今まで感じたことのない雪だったので、スノーシーズンってスノーボードしないともったいないなって思うぐらい。
北海道で感じたスノーボードと、幻天の板で滑った雪はまるで違ったそうです。「乗った瞬間に全然違うとわかるくらいスノーサーフィンだった」と話されています。
反復できる雪、一期一会の波
この出会い以来、宮坂さんは毎年冬に雪山へ行くようになりました。そしてそれはサーフィンにも生きていると話されています。
サーフィンは、波に乗って立った瞬間、やりたかったことを忘れてしまうといいます。「ボトムターンでもう少し肋骨を入れて」と考えていても、テイクオフした瞬間に消えてしまうそうです。
その点、スノーボードはずっと波が続いているようなものだと表現されています。一本目のカービングを失敗しても、次で修正できる。だから楽しみながら練習もできるといいます。
サーフィンだけしないといけないっていう気持ちだったけど、そうじゃないよって言ってくれてるような気がしたのは、幻天に出会ってからです。
一回きりの波と、繰り返し描き込める雪。この対比が、宮坂さんの身体感覚を広げていったと考えられます。
波は一期一会。立った瞬間に狙いを忘れることもあり、リフトもなく反復が難しい
波がずっと続くように滑り続けられる。失敗しても次で修正でき、考えながら練習できる
サーフィンが上手くなるコツ
番組の後半は、小畑さんが聞きたかった「サーフィンが上手くなるコツ」に移ります。宮坂さんの答えは明快でした。
サーフィン上手くなるコツはテイクオフを頑張ることです。だって波に乗らないと意味ないじゃないですか。
よく乗っている人は、波を見つけるスピードが早いといいます。数秒から十秒前に波が来る場所を予測し、そこに向かっているそうです。
さらに、パドルの仕方がわかっていれば疲れずに波へ乗れ、乗った後のパフォーマンスも生きると説明されています。だからテイクオフが一番大事だという結論です。
では、どう上達すればいいのか。宮坂さんの答えは、とにかく海に入ること。オンショアでぐちゃぐちゃな日でも、いろいろな状況の波を経験することが大事だといいます。
人が少なく、たくさん波に乗れる場所が一番練習になるとも話されています。海に入れば天気や海、朝日や夕日で違う表情に出会い、それが絵を描くことにもつながるそうです。
海上がってから絵の具持って、描いてるうちにサーフィンしたいなと思って海に入るっていうのがルーティンですね。
上達のコツを聞いた小畑さんへ、種市さんはさらに具体的な提案も加えます。人のいない冬こそ練習になること、韓国のウェーブプールで反復練習することなどです。
まとめ
宮坂麻衣子さんは、プロサーファーという肩書きに縛られず、絵や雪山へと表現を広げてきた人でした。一期一会の波と反復できる雪という対比を通じて、彼女の中で身体感覚とアウトプットがつながっていることが見えてきます。
- 宮坂さんは会社勤めを辞め、プロサーファーとして生きる道を選んだ
- 個展やPOLeRとのコラボは、身近な人との関わりから自然に生まれた
- プロサーファーの収入はそれぞれで、賞金やサポートで成り立つ人は少ない
- 幻天との出会いで、スノーボードをサーフィンと地続きの感覚で捉えるようになった
- サーフィン上達のコツはテイクオフを頑張り、あらゆる波で海に入り続けること
