雪山での出会いと、日本人離れしたスタイル
今回のゲスト、宮坂麻衣子さんとの出会いは福島の雪山でした。
小畑さんは1ヶ月ほど前、著名サーフショップのKPさんと福島のゲレンデで滑る予定に伺ったところ、たまたま宮坂さんも来ていて出会ったと話します。
その場でプロサーファーだと聞き、インスタグラムを見て波乗りの感じに驚いたそうです。夕飯を共にする中で、サーフィン以外の活動や生い立ちの面白さに惹かれ、出演をお願いしたとのことです。
種市さんは、以前からKPさんの個展でアートを見て彼女の存在を知っていたと言います。長年サーフィンを見てきた立場から、そのライディングの印象をこう語ります。
上手い人ってたくさんいるんだけど、本当にスタイリッシュなんだよね。ラインが太いんだけど、スムーズっていうか、日本人離れしてる。体格もスタイルがすごくいいから手足も長いし、むちゃくちゃかっこいいなって思った。
さらに種市さんは、サーフィンの活動と、KPさんのところで見た可愛いアートのギャップにも興味を持ったと話しています。
三姉妹でプロ、千葉育ちのサーファー
宮坂さんは千葉生まれ千葉育ち。高校を北海道で過ごし、また千葉に戻り、プロサーファーとして活動10年目になります。
サーフィンを始めたのは7歳のとき。両親はサーファーではありませんでしたが、年の近い長女がやりたいと言い出し、三姉妹で始めたそうです。
三歳上と一歳上の姉がいて、三歳差のなかに三人。姉二人もプロで、宮坂さんが中学三年生のときには二人ともプロだったと言います。今は現役なのは宮坂さんだけです。
一番下で背も小さかった宮坂さんは、負けず嫌いな気持ちで続けてきたと振り返ります。
身長が大きい姉は怖いと思わずに沖に行けて、私は行けなくて、その手前で波に揉まれて、怖い怖いって。でも勝ちたいっていう気持ちでずっと負けず嫌いでやってきました。
なぜ15歳で北海道・広尾町へ
話は本題へ。千葉に生まれ育った宮坂さんが、なぜ高校でいきなり北海道へ行ったのか、種市さんが不思議がります。
きっかけは小学校三年生のとき。当時お世話になっていたサーフショップのオーナーが北海道にゆかりのある方で、サーフトリップで夏の北海道へ連れて行ってもらったそうです。
そこで出会った家族や街の人の温かさに、小三ながら惚れ込んだと言います。
その時にお会いした家族が本当に優しい家族で、温かくて。街の人も優しくて温かくて、セイコーマートが美味しくて。もうその小三ながらに惚れまして。
その後も毎年夏に通い、中学二年生のときにはお年玉を貯めて自分でチケットを取り、行かせてくださいと頼んだほどでした。
行き先は北海道・十勝の広尾町。イワシや毛ガニがたくさん取れる海のそばの町です。
中学三年生の受験シーズン、宮坂さんには千葉の高校に行くという選択肢はありませんでした。
北海道でサーフィンしてる時とか、お世話になってるファミリーに会ってる時の自分の落ち着いてる気持ちが、私千葉じゃ多分サーフィン楽しめないなと思っちゃって。
こうして宮坂さんは広尾町の高校に進学し、北海道の家族のもとで三年間お世話になりました。
髪の毛が凍る海、アザラシとシャチの環境
北海道での生活について、種市さんが海の環境を尋ねます。
宮坂さんは冬も海に入っていたと言います。その寒さの表現が独特でした。
どのぐらい寒い?髪の毛凍って折れるぐらい。
冬はサポート会社の温かいドライスーツを着て、夕方でも一緒に入ってくれる人がいれば海に入っていたそうです。
夏の一日は、朝海に入り、学校へ行き、セイコーマートでバイトをして寝る、という生活だったと言います。
当時の広尾町はサーファーがほとんどおらず、宮坂さんかローカルの方、あるいはアザラシしかいないような場所でした。
当時はもう私かローカルの方かアザラシしかいないような感じでした。
一度はシャチが出たこともあったそうです。宮坂さんはその場にいなかったため見られませんでしたが、出た瞬間にサーファーが一斉に上がってきたと話します。
「やらなきゃ」から「楽しい」への転換
なぜ北海道の海はそこまで宮坂さんの気持ちを動かしたのでしょうか。
千葉にいた頃は姉二人がプロで、周りから「プロになるんでしょ」と言われ続け、やらなきゃという気持ちが勝って楽しめなくなっていた部分があったと言います。
一方、北海道では毎日同じ波という安心感と、いつも話しかけてくれる優しい人たちの環境が好きで、海に入りたいと思えたそうです。
周りから期待され「やらなきゃ」が勝ち、楽しめなくなっていた
同じ波の安心感と温かい人たちの中で、また海に入りたいと思えた
高校では最初、試合に興味がなくなり一年間パスしてフリーサーフィンを楽しんでいたと言います。
転機は高校二年生。ふと全日本に出て三位になり、試合が楽しいかもしれないと感じます。セイコーマートのバイトで遠征費を稼ぎ、オール九州の大会では優勝しました。
応援してくれる人に返せるのは試合の結果だと考え、高校三年生でプロトライアルを受ける決意をします。
最初のプロトライアルはバリ。宮坂さんはそこで合格し、プロサーファーになりました。
種市さんは、コンペティションから一度離れて楽しさを取り戻し復帰したオリンピック選手の例を挙げ、宮坂さんの生き方に重ねます。
僕らの時代だと、メンタルがあれになったやつはやめて復帰してっていうのがムード的にあんまりないような世の中だった。すごくその辺が自由で今っぽいというか。
宮坂さんにとって「楽しむ」とは、はしゃぐことではないと言います。
試合が始まる前の練習から、この海すごい波長が合うなとか、普段回に一回できる技がずっとできたりとか、その感覚からどんどん楽しいなって思えてくる。それが自信につながって、試合中もあんまり緊張せずに海入ってく。
北海道の波が育てたスタイル
種市さんは、宮坂さんのライディングのスタイルを繰り返し称賛します。
男の人だ、女の人だっていうのも抜きにしてスタイリッシュなの。女の人の柔らかいライディングの綺麗さと、剛の部分が混ざってんだよね。フリーサーフィンみたいな感じで、コンペティティブな動きもできるんだけど、フローしてる感じ。
そのスタイルには、北海道での経験がそのまま反映されていると宮坂さんは言います。
もうモロ反映というか。北海道の波は私でいうとバックサイドなんですけど、その波が本当に良くて。バックサイドめっちゃ得意になりました。
小畑さんが教えてほしいと食い下がる一幕もありましたが、種市さんに「板を変えるところから考えろ」とツッコまれ、和やかに一回目の収録を締めくくりました。
まとめ
7歳で始めたサーフィンを、周りの期待の中で一度は楽しめなくなった宮坂さん。小三で惚れ込んだ北海道への憧れだけを頼りに15歳で単身留学し、そこで再び海の楽しさを取り戻してプロになりました。効率やロジックではなく、自分の直感を信じて環境を選んだ生き方が、そのスタイリッシュな波乗りにもつながっています。
- 千葉育ちの三姉妹サーファーで、現役でプロを続けるのは宮坂さんだけ
- 小学三年のサーフトリップで惚れ込んだ北海道・広尾町へ、高校で単身留学
- 冬は髪の毛が凍る海で、当時はアザラシしかいないような環境だった
- 期待による「やらなきゃ」から、同じ波と温かい人たちの中で「楽しい」を取り戻した
- 北海道でのバックサイド中心の練習が、今の日本人離れしたスタイルに直結している
