10年のプロ活動を経て「帰ります」
番組冒頭、種市さんが宮坂さんの経歴を確認します。中学まで千葉、高校で北海道、その後は千葉や東京を拠点にプロサーファーでありアーティストとして活動してきた、という流れです。
その先の展開を尋ねると、宮坂さんの答えはシンプルでした。
10年間プロをやってきて、北海道に移住します。帰ります。父さんちに。
戻る先は、高校生のときに過ごした広尾町。ほかの町ではなく、その場所でなければ意味がないと言い切ります。
北海道は好きだけど、でもその北海道の広尾町が大好きなんで、そこの町じゃないと意味がない。
千葉の便利さを手放してでも戻る理由
これまで千葉を拠点にしてきたのには、理由がありました。成田・羽田の両空港が近く、移動に便利なこと。そしてサーフィンが盛んで、試合に出る選手の練習環境が整っていることです。
宮坂さんによれば、試合には独特の緊張感があり、その空気に慣れておかないと本番でつまずくといいます。
ずっとエンジョイサーフしてても、急に試合になった時に周りのピリピリした雰囲気って、ずっと得てないと、ふと試合で出た時に、なんかちょっと練習してない?ってなるような感覚がある。
それでも毎年のように北海道へ帰っていて、宮坂さんにとって広尾町はすでに「ホーム」でした。
みんながお帰りって言ってくれるから、ただいまって言って。
移住のきっかけとなったコロナ禍
移住を意識した直接のきっかけは、コロナ禍だったと話します。広尾町には地元の人以外は入らないでほしいというコアなサーフポイントがあり、その事情を知っていたからこそ、宮坂さんは町の人を守るために2年ほど帰るのを控えていました。
そして久しぶりに帰れたとき、抑えていた思いがあふれます。
もう本当に号泣するぐらい、帰ってこれて嬉しいって言って、ホストファミリーの方とも抱き合ってみたいな。広尾のお母さんに抱きついて泣いて。
そのとき、自分がどれだけこの町を好きなのかを再確認したといいます。毎夏、2週間から1か月ほど長く滞在させてもらう日々が続き、ある結論に至りました。
じゃあスイッチやった方が早いかなって思って。で、家を見つけてきました。
「毎日ハッピーでいれる方がいい」という価値観
プロサーファーとしての環境で言えば、千葉のほうが刺激は多い。それでも宮坂さんは、大好きな場所で波に乗ることを選びました。試合の緊張感はすでに十分に経験してきたからだと話します。
毎日いい波が割れる場所で楽しく心の底から大好きだなって思える場所でサーフィンしてる方が、この先の人生考えたら、60歳、70歳、80歳でサーフィンできるかどうかわからないじゃないですか。だったら毎日ハッピーでいれる方がいいかなって思って。
この達観した姿勢に、種市さんは驚きを隠しません。臆病になったり、めんどくさいと感じたり、仕事の心配をしたり。そうした「邪念」ではなく、自分の心に正直に選んでいる点に感心します。
移住は「恩返し」でもある
一方で、移住はハッピーになりたいという理由だけではないと宮坂さんは言い添えます。広尾町は少子高齢化が進んでおり、自分にできることをしたいという思いがあるのです。
その街の人たちが私を応援してくれてるから、それを返したいなっていう、恩返しをしたいなっていう気持ちもある。自分ができることを広尾町でできたら、それで街が活性化できたらいいなと思ってる。
高校生のときにも似た気持ちはあったといいますが、10年の活動を経た今は心境が違います。サーフィンやアーティストとしての経験を、この町に持ち帰る形になりました。
ここで話は、二人が広尾町の魅力を熱く語る場面へと移ります。北海道のコンビニ、セイコーマートの話題です。宮坂さんはかつてそこでアルバイトもしていたそうで、ホットシェフのおにぎりやフライドポテトを推します。種市さんは塩サバのおにぎりやカツ丼を挙げ、話が弾みました。
購入した古民家をアトリエ兼ゲストハウスへ
宮坂さんは、すでに広尾町で戸建ての家を購入していました。いい出会いといいタイミングが重なったといいます。移住は6月から7月ごろを予定しています。
家は、自分の拠点であると同時に、人が訪れるきっかけの場所にしたいと考えています。
訪れたい人たち、最初は私も一人なので、女性限定でゲストルームを作って、来てくれるようなきっかけになればいいなと思って。部屋も自分でDIYできるところはやりたくて、地元のリフォーム会社の方にお世話になりながらやろうかなと思ってる。
さらに家そのものをアトリエにする構想もあります。壁や壁紙、階段の一段一段に絵を描くなど、住まいを作品の場にしていきたいと語りました。
波、景色、そして「昆布臭」の海
広尾町がある地域は、十勝の海と日高山脈に囲まれ、毛ガニやハッカク、時知らずの鮭、日高昆布などの海の幸に恵まれています。近くにはスキー場もあり、波は年中良いといいます。
宮坂さんの一日は、海を中心に回ります。千葉では朝の海が1時間ほどでも、北海道では過ごし方がまったく違うようです。
むしろ北海道にいる時の方が、ほんとずっと海入って。絵描くのも夜とか。全然6時間とか入れます。
千葉では朝が弱く8時が「朝一」だという宮坂さんも、北海道では7時に起きられると話します。種市さんは、混雑がなく波待ちゼロで良い波に乗り続けられる6時間の密度に驚いていました。
全然パドルも疲れないし、コーヒー1杯あったら、海入って、上がって、ちょっと1口飲んだらもう一回海入ってっていう繰り返しで、ずーっと海にいます。
何がそんなに違うのかと問われ、宮坂さんは笑いながら「匂い、昆布臭」と答えます。海からの景色の良さも、この地を特別にしている理由の一つだといいます。
空港が近く便利で、試合に出る選手が多く刺激がある。ただし朝の海の滞在は1時間ほどが目安。
波待ちゼロで、朝も7時に起きられ、6時間ほど海に入り続けられる。景色や町の人とのつながりが心地よい。
開かれた人柄と、これからの広尾町
最後に話題は、宮坂さんの人柄に及びます。人とのつながりについて、土地で区別する感覚はあまりないといいます。
広尾町の人はもちろん大好きだけど、この人たちといるからこの空気感が好きだなあって思うこと。
種市さんは、宮坂さんに壁がなく、誰にでもオープンに接する印象を語ります。福島で初めて会ったときも、距離の近さに驚いたそうで、それがポッドキャストに誘ったきっかけにもつながったといいます。
そして種市さんは、宮坂さんの行動力とナチュラルな在り方に刺激を受けたとしめくくります。
もっと自由になりたいなって思いました。
二人からは、移住後の広尾町を訪れてサーフィンや景色を「検証」したいという声も上がり、これからの展開が楽しみな最終回となりました。
まとめ
宮坂麻衣子さんは、10年のプロ活動を経て、15歳で過ごした北海道・広尾町へ完全移住することを決めました。効率や便利さよりも、心から大好きだと思える場所で波に乗る豊かさを選んだ決断です。
- 移住の直接のきっかけはコロナ禍で、再訪時に号泣するほど「帰りたかった」思いを再確認した
- 千葉の便利さや試合環境より、大好きな広尾町で毎日ハッピーに過ごすことを選んだ
- 移住は自分の幸福だけでなく、少子高齢化が進む町への恩返しという思いも含んでいる
- 購入した戸建てを、女性限定のゲストルームを備えたアトリエ兼ゲストハウスに再生させる計画
- 波待ちゼロで6時間も海に入れる環境と、町の人との温かいつながりが、この地を特別にしている
