リスナーの素朴な疑問から始まった
今回のお便りは、Spoonネーム・ぱっくんちょさんから届いた質問です。「川上さんの本業とは違いますけど、いつ頃から食の安全を言い出したんでしょうね?」という内容でした。
川上さんも最初は「ぱっと言われたら全然わからない」と正直に話します。
私39歳でやっておりますんで、物心ついた時にはもう安全。記憶にあるの何?かいわれ大根とか、カレーに毒混入とか、それぐらいじゃない?
BSE問題で吉野家の牛丼が話題になったニュースは覚えているものの、それ以前のことは知らない。だから調べて深掘りしてみよう、という流れで放送が進みます。
食の安全という言葉が生まれた背景
食の安全は、実は昔から言われていた言葉ではないそうです。社会で強く意識され始めたのは、1970年代後半から80年代のことでした。
きっかけは、いくつかの食品公害事件です。1955年の森永ヒ素ミルク事件や、1968年のカネミ油症事件が挙げられました。
それまでは「食べ物は安全で当たり前」という感覚だったのが、こうした事件で信じていた食品に危険があると多くの人が知ってしまいます。これが最初の転換点でした。
次に大きかったのが、1970年から80年代の高度経済成長と輸入食品の拡大です。食品が工業製品化し、長持ちすることや見た目のよさが優先されるようになりました。
そこで注目されたのが食品添加物です。1973年頃から「無添加」「自然食品」という言葉が出始め、80年代には「食の安全イコール添加物を避ける」という価値観が生まれました。
つまり、食の安全は技術への信頼と自然回帰のせめぎ合いの中で育ってきました。
酪農業界で食の安全が変わった転換点
酪農業界で食の安全が強く意識され始めたのは、1990年代後半だと川上さんは話します。
大きなきっかけは、2001年のBSE狂牛病問題でした。それまで当たり前だった肉骨粉飼料の使用が見直され、「トレーサビリティ(追跡可能性)」という考え方が広まっていきます。
牛が何を食べて育ったのかを消費者に説明できるようにする。これが現代の食の安全の基礎になったといいます。
安全から安心へ、そして文化へ
2000年代に入ると、「安全」よりも「安心」という言葉が注目されるようになります。科学的に安全でも、誰がどう作っているか見えないものに、人は不安を感じるからです。
だから、顔の見える生産者、地産地消、オーガニックなど、人のつながりをベースにした安心感が求められるようになってきました。
そしてSNSや音声メディアが広がった今は、「安全はデータで、安心は物語で伝える時代」に変わったと川上さんは整理します。
川上牧場では、もやしかすや酒かす、醤油かすなど食品工場の副産物を飼料に活用しています。廃棄を減らして資源を循環させる仕組みですが、どこから来た原料か、どんな管理をしているかもトレースされています。
リスナーの「いつ頃から言い出したのか」という問いには、「いつから人が食を信じられなくなったのか」という切なさもある、と川上さんは受け止めます。
時代ごとに形は変わっても、根っこにあるのは人の健康と作り手の誠実さ。それは昭和でも令和でも変わっていない、というのが川上さんの結論です。
過剰になる基準と、技術で解く未来
今は安全が当たり前になり、その基盤の上に安心が乗っかっている。川上さんはそんなイメージだと話します。
一方で、SNSで虫の混入や中身の少なさが炎上する時代になり、基準に合わせるあまり生産性を落としたり、食品ロスが増えたりする問題も出てきていると指摘します。
ちょっとね、過剰気味ではないかなとは思ったりしますけど。でもここら辺はもう、技術とかシステムで解決できる問題だと思ってるので。
AIやブロックチェーンによるトレーサビリティの把握、SNSや音声・動画配信での「顔が見える」発信、交通の発達による距離の解消など、技術革新で解決していけるのではと展望します。
そのうえで、川上牧場の牛乳を飲みたいという人をもっと増やしていきたい、と締めくくりました。
まとめ
リスナーの素朴な質問をきっかけに、食の安全の歴史をたどった回でした。時代ごとに形を変えながら、根っこにあるのは人の健康と作り手の誠実さ。難しく考えず、まずは今日の一杯の牛乳から、作り手のことを少し想像してみてくださいね。
- 食の安全が社会的に意識され始めたのは1970年代頃で、公害や添加物問題がきっかけ
- 酪農業界で構造的に変わったのは2000年代。BSE問題からトレーサビリティが広まった
- 今は「安全」より「安心」、人と人とのつながりが重視される時代に
- 食の安全は制度ではなく文化であり、日々の現場からしか信頼は生まれない
- 過剰な基準の問題はAIやブロックチェーンなどの技術で解決できると川上さんは考えている
