「牛と心は通じる」という前提を手放す
今回の質問は、ポポポという配信アプリのポポポネーム・コルトマルテさんから届きました。「育てていても気持ちが通わないと感じる牛にはどんな対応をしていますか?」という内容です。
育てていても気持ちが通わないと感じる牛さんにはどんな対応をしていますか?ストレスなど心理的なことで心を開けなくなっている牛さんとどう向き合ったかをお話ししていただけると嬉しいです。
酪農家と牛は一心同体で、心が通い合っているもの。そんなイメージを持つ人は多いかもしれません。でも川上さんの答えは、その理想を少し揺さぶるものでした。
僕はそもそも、人間の気持ちが牛にそのまま伝わるとは考えていないんですよね。
皆さんの理想を壊してしまったかもしれません。申し訳ないです。でも、牛とは心が通じないものだと僕は思っています。
餌をくれて喜ぶ、ブラッシングで喜ぶ。そういう反応はあっても、「心が通い合っている」という感覚とは違うのではないか、と川上さんは話します。
そこで今回は「牛と心を通わせる方法」ではなく、「牛がなぜその行動をするのかを、行動学や経験から理解する」という視点で話が進んでいきます。
牛にも個性がある「気質」と「コーピングスタイル」
話の前提になるのが、牛にも個体差があるということ。牧場には本当にいろんな牛がいます。
子牛でも、哺乳ロボットをすぐ覚える子もいれば、何回連れて行ってもなかなか覚えない子もいます。大人の牛でも、人が近づくとすぐ動く牛、全然動かない牛、搾乳になると神経質になる牛など、反応はさまざまです。
これは酪農家の感覚だけの話ではなく、動物行動学でもきちんと定義されているそうです。
この牛は言うことを聞かないで終わらせるのではなくて、この個体は何に対してどう反応する傾向があるんだろうと考えたほうが、牛を理解しやすくなります。
「覚えない牛」を頭が悪いで片づけない
川上牧場では哺乳ロボットを使っていて、「ここに来たらミルクが飲めるよ」と子牛に教えていきます。お尻を押し込んで乳首の場所を教え、吸いつかないときは哺乳瓶で吸わせて「ここで飲める」と覚えさせるやり方です。
それでも、一回で覚える子もいれば、何度やっても哺乳ロボットに入らない子もいます。じつはこの個体差、研究でも確認されているそうです。
子牛を調べた研究では、探索的で活発な個体や、人や物への反応が強い個体など、性格的な特徴と採食行動との関連が報告されています。
つまり「覚えない=頭が悪い、変な牛」とは簡単に言えないということ。体調や怖がりな性格、新しい環境への適応の遅さ、あるいはこちらの教え方が合っていない可能性もあるんですね。
動かない牛を「力で動かす」前に見るもの
「心を開かない牛」は、その牛が人間や環境に対して回避や警戒、恐怖反応を示している、と言い換えることができます。牛は過去の経験から学習するからです。
人に追い立てられたり、滑ったり、痛い処置をされたり、知らない場所へ連れて行かれたり。こうした経験が、その後の扱われ方への反応を変えてしまうことがあります。逆に、若い頃から穏やかに接することで、人への恐怖やストレスを減らせることも研究されているそうです。
この牛は人間が嫌いと人格化するより、人間が近づくことと嫌な経験が結びついていないかと考えるようにしています。
牛が動かないとき、つい「動け動け」と蹴ったり引っ張ったりしがちです。でも人間側がイライラして声を大きくしたり叩いたりすると、逆効果になることがあります。ここで役立つのが、牛の動き方を理解する考え方です。
牛が逃げ出す境界となる領域。人間でも知らない人が近づきすぎると怖いと感じるように、牛にも安心できる距離があります。
牛の肩口の付近にある、移動方向を変える目安になるポイント。人がどこに立つかで、牛が前進するか後退するかが変わります。
真正面から強く圧力をかけたり、真後ろの死角から突然近づいたりすると、牛は興奮してしまいます。牛が言うことを聞かないのではなく、人間が牛の動き方を理解していない場合もある、というわけです。
搾乳のときだけ神経質な牛と、水で遊ぶ牛
普段は大人しいのに、搾乳になると落ち着かず、足を上げたり蹴ろうとしたりする牛もいます。こういうときも「性格が悪い」で終わらせません。
乳房や蹄に痛みがないか、搾乳機器や真空圧に問題はないか、前搾りや搾乳の手技はどうか、床が滑らないか、大きな音がしていないか、過去に嫌な経験がなかったか。原因を一つずつ潰していきます。
「搾乳が嫌い」という抽象的な話ではなく、「搾乳という状況のときに避けたい刺激がある」と考えるほうが、改善につながるんですね。逆に、ロープで縛ったり足を引っ張ったりすると、もっと怖がらせてしまいます。
一方で、ウォーターカップを舌でいじったり、必要以上に水を出したりする牛もいます。人間から見ると「なんでこんなことを」と思いますが、本当に遊びなのかは慎重に考えたほうがいい、と川上さんは言います。
牛には探索行動があり、物を舐めたり操作したい行動があります。一方で、口を使う反復行動の中には、飼育環境や採食行動の制限との関連が研究されているものもあるそうです。
川上牧場でも、海で拾ったブイをロープで吊るしたり、ディッピング剤の空容器を子牛のストールに入れて転がせるおもちゃにしたりしているそうです。だからこそ「ただ触っているだけでストレス」とも「遊んでいるだけ」とも断定せず、飲水量や水量、他の牛もやっているか、いつから始まったかをよく観察することが大切だといいます。
愛情ではなく、牛を「勉強する」のが酪農家の仕事
ここが今回いちばん伝えたかったところ、と川上さんは切り出します。牛を可愛がることを否定したいわけではありません。優しく扱うことは大切で、穏やかな接触が牛と人の関係を改善するという研究もあります。
牛が動かないとき、「頑固だな」ではなく、なぜ動かないのかを考える。怖いのか、足が痛いのか、床が滑るのか、人の立ち位置がおかしいのか、前に別の牛や障害物がないか。こうして仮説を立てていくことが大事なんですね。
さらに面白いのは、個体差が病気を見つけるヒントにもなること。ポイントは「普通の牛を基準にする」のではなく、「その牛の普通を知る」ことです。
いつも哺乳ロボットに5回来る子が今日は2回しか来ない。いつも真っ先に餌を食べる牛が今日は寝ている。哺乳ロボットの研究でも、病気になる前後の採食行動の変化を病気の検出に使える可能性が研究されているそうです。
これからはセンサーやAIが発達すると、牛の気持ちを読むというより、一頭一頭の普段の行動パターンを学習してズレを検出する技術が重要になると思います。
「心が通じた」と感じる瞬間の正体
質問への答えをまとめると、川上さんは「最初から気持ちが通じることを前提にしない」ことが大事だと話します。
その代わりに、牛の視野や行動、生理現象を知り、過去の経験を考え、その牛の普段の行動を覚える。そして「なぜこの牛は今この行動をしたんだろう」と考え続ける。それが牛と向き合うことではないか、というのです。
もしかすると心が通じたと感じる瞬間も、その積み重ねの結果なのかもしれません。
川上さんは、テレビの「今日のワンコ」を例に挙げます。餌のときにくるくる回る、このおもちゃが大好き。そう見える行動も、最初にやったとき飼い主が喜んでくれたから続けているだけかもしれない、と。
この子これ好きね、じゃないんですよね。あなたが喜んでいるのを喜んでいるだけかもしれない、っていう、そういうことです。
牛が怖がるのも、牛舎に入るときの影の具合、大きな音、遠くでバサバサ動くもの、前にいる強い牛など、いろいろな原因があります。一度その経験をすると、そこから動かなくなることもあるため、最初の経験がとても大事だそうです。
だからこそ川上さんは、自分だけが扱いやすい牛ではなく、他の人も扱いやすい牛に育てることを意識しています。研修生が子牛を可愛がりすぎると、大人になったとき乗り潰されたり怪我をさせられたりするため、あえて距離感を大切にしているといいます。
人間が一歩近づいたら牛が一歩下がる、そういう関係性ですね。握り拳を舐めてきて、パッと開いたときにビクッと下がる。それをびっくりせずにベロベロ舐めてくる牛は、ちょっと飼いにくい牛だなと思ったりします。
まとめ
「牛と心は通じる」という理想を一度手放し、行動学や経験から牛を理解しようとする。それが川上さんの向き合い方でした。あくまで「僕はこうしている」という一つの考え方として、動物と暮らす人のヒントになりそうです。
- 川上さんは「人間の気持ちが牛にそのまま伝わる」とは考えず、牛の行動を理解することを大切にしている
- 牛には気質やコーピングスタイルといった個体差があり、「言うことを聞かない」で片づけないことが理解につながる
- 動かない牛や神経質な牛は、力で動かす前に、恐怖や痛み、環境などの原因を一つずつ潰していく
- 「普通の牛」ではなく「その牛の普通」を知ることが、病気の早期発見のヒントにもなる
- これからはセンサーやAIで、一頭ごとの普段の行動パターンとのズレを検出する技術が重要になる
