消費者調査からGoogleへ、キャリアの転機
堀川さんはクロス・マーケティングのシンガポール拠点で、当時4年半から5年ほど働いていたと振り返ります。
担当していたのはジャパンデスクという部署で、東南アジアの日系企業向けにサービスを提供していました。
顧客の多くはFMCGFast Moving Consumer Goodsの略。食品や日用品など、比較的安価で回転の速い消費財を指す言葉です。の大手メーカーで、海外でのビジネス拡大を支える調査を請け負っていたといいます。
気づけば消費者調査の業界にトータルで8年半から9年ほど在籍していました。入れ替わりが激しい業界のなかでは、かなり長いキャリアだったと2人は話します。
新しいことにチャレンジしようと思い始めたタイミングで、LinkedIn経由でGoogleからお声がけをいただいて、そこからオファーを受けることにしたという感じですね。
Googleへの移籍は、勤務地をシンガポールから日本へ戻すことも意味していました。堀川さんはその決断の背景をいくつか挙げます。
1つは、2019年4月の入社当時、翌年に東京オリンピックを控え、日本のセンチメントがイケイケだったこと。生まれ故郷でオリンピックを見られる機会はもうないだろうと考えたそうです。
もう1つは、キャリア上の狙いでした。消費者調査は主に商品開発前のインサイトを扱う領域です。上市後のプロモーション領域を学ぶことが、いいストレッチになると考えてメディア側に移りました。
Googleの5年間で学んだ「代理店との連携」
Googleでの5年間は、最初の3年と次の2年で部署が分かれていたといいます。最初の3年は新規顧客開発、いわゆる営業の部署でした。
大きなマーケティング予算を持ちながら、まだGoogle広告を使い切れていない企業に対し、テレビCMの予算の一部をデジタル広告へシフトする提案をしていました。
例えばテレビCMにかなりの予算を割いているけれども、彼らのターゲットが20代のプロダクトだった時に、20代ってテレビみんな見てましたっけ、みたいな疑問があると思うんです。
森下さんは、それがかなり難しい営業だと指摘します。大きな顧客ほど、また裏に総合代理店がつくほど、一筋縄ではいかないことが多いからです。
堀川さんもロジックだけでは動かないと同意します。テレビCMの投下量がリテールとの交渉力につながるといった事情もあり、単純な理屈では通らなかったといいます。
だからこそ、広告代理店と協力しながらお互いのWin-Winのポイントを見つけ、大きな予算を取っていく経験ができたことが、この3年で最も良かったと語ります。
日本の特に大きなクライアント様のマーケティング予算に一番近いところにいる人って、やっぱり広告代理店さんなんですよね。
この理解をもとに、堀川さんは次の部署である広告代理店とのパートナーシップセールスへ移ります。
実際、現在のシンガポールでの仕事も、当時お世話になった代理店から依頼をもらうことがあるといいます。
なぜコンサルのYCPへ、専門部隊としての採用
5年勤めたGoogleから、堀川さんは現職のYCP Singaporeへ移ります。これも再び拠点をシンガポールに戻す選択でした。
Googleの仕事は良くも悪くもGoogle Japanの仕事であり、日本語で日本のマーケットを扱うドメスティックな内容でした。前職で海外を飛び回っていた経験と比べ、もう一度グローバルに挑戦したいと考えるようになったといいます。
Google内での異動も選択肢にはありましたが、当時は大量のレイオフや各部署の絞り込みがあり、会社間の移動は簡単ではありませんでした。
たまたま今のYCPの上長が日本にいた時にディナーする機会があって、こういう仕事を一緒にしたいんだけれどもどうですか、とお声がけいただいてジョインすることにした、という感じです。
森下さんは、YCPのパートナー紹介ページを見て、堀川さんが異彩を放っていると感じたと率直に伝えます。ハーバードや東大出身者が並ぶなか、別枠の戦闘力で入ってきたように見えたそうです。
堀川さんは、YCPをアジアの企業戦略に特化したプロフェッショナルコンサルティングファームだと説明します。
戦略部隊の横に、マーケティングやサステナビリティ、DX、オペレーションといった専門部隊が並ぶ構造です。堀川さんはマーケティングに特化した経験と知見が評価され、上司に拾われたかたちでその一角にハマったといいます。
「アップ・オア・アウト」の世界と評価の全開示
森下さんは、コンサル業界の「アップ・オア・アウト」という言葉について尋ねます。ダウンという概念がなく、上がるか去るかというのは本当なのか、という問いです。
堀川さんは、それは本当だと答えます。元アクセンチュアやボストン、マッキンゼー出身者に聞いても、トップのコンサルほどその世界だと感じるといいます。
評価も厳しく、堀川さん自身も定量的にスコア化されると明かします。しかもその結果は全パートナーに公開される仕組みです。
グローバルで今パートナーが数十人いますけれども、その中で自分が何位なのかっていうのはもう明らかにわかってしまう。
森下さんが「恐ろしい」と反応する厳しさですが、堀川さんはその環境で必要なものを胆力だと言います。
厳しい数字をいただいた時に、自分の改善点を前向きに考えられてチャレンジをする、それこそ胆力ですよね。がないとかなり厳しいとは思います。
往復チケットを捨て、片道切符を選ぶという決意
森下さんは、クロス・マーケティング時代とYCP時代では、シンガポールに来る前提がまったく違うと整理します。
前者は親会社からの出向で、ダメなら日本に戻れるという保証付きのパッケージでした。一方、今回は減俸を伴う現地採用です。
片道切符、片道切符でもないんですね。自分で切符を買ってきたってだけです。
森下さん自身も、ブシロードから復路のチケットを持って来たものの、それを破り捨てたタイプだと明かします。2人とも、退職時に「おめでとう」より「なんで」と言われた経験を共有します。
最悪、大失敗して1円も売上が作れなくてクビになっても、なんとかなるんじゃないかなっていう、そういう意味では自信がついたんでしょうね。
堀川さんは、当時YCPに入って38歳で、まだチャレンジできる環境にあったと振り返ります。せっかく挑戦できるなら挑戦したほうがいいと考えたそうです。
この「最悪でもなんとかなる」という楽観について、森下さんは多くの人がそうはなれないと指摘します。日本でのしがらみや今のポジションを手放せないからです。
最終的にどうにかなるなっていう自信は、根拠のない自信じゃなくて、多分チャレンジを重ねて重ねてきた結果の自信なんだろうなっていう。
堀川さんはその背景に、育った環境もあるかもしれないと話します。父から勉強しろと言われたこともなく、自分の決めたことでいいと育てられたことが、好きに生きていいという感覚につながったといいます。
森下さんも、親から勉強や進路を強制されたことがなかった点で共通していると応じました。
夢は大きく、まず宣言する突破法
堀川さんは、実現が難しそうに思えても、やりたいと思ったら周りに宣言することを習慣にしていると語ります。
シンガポールにいつか戻りたいっていうのも、実はGoogleに入ったぐらいから周りには言ってました。
森下さんも同じ経験を持ちます。ブシロード入社時は国内配属でしたが、当時の交際相手にいつか海外に行くと伝え、創業者だった上司に会うたび海外赴任を志願し続けたといいます。
とりあえず宣言したら、周りは勝手に洗脳され、動くっていうのは確かに実体験からもある。
2人は、日本人のパスポート保有率の低さにも触れ、海外志向というだけで希少性が生まれる面があると話しました。
海外に出て再確認した日本人のアイデンティティ
海外キャリアのメリットについて、堀川さんはまず日本の良さを再確認できることを挙げます。
それは清潔さや几帳面さだけの話ではありません。調査をしていると、日本ブランドはどの国でもクオリティが高く信頼できるというイメージを持たれているといいます。
それって我々の先輩たちが築いてきた大手メーカーの技術力のおかげだし、日本人が海外で真面目に頑張ってきたっていうところがあると思う。
だからこそ、自分が不真面目な態度を取れば、先輩たちが築いた日本への信頼を崩してしまう。ちゃんとしなきゃという気持ちになると堀川さんは語ります。
森下さんは、これを子育てでも意識すると応じます。目の前にゴミが落ちていたとき、子どもの横で「これを拾うのが日本人である」と体現したくなるといいます。
さらに森下さんは、日本にほぼ住んだことのない自分の子どもにとって、日本のアイデンティティは親からしか学べないという事情も挙げました。
デメリットについて堀川さんは、住民票を抜いている期間の年金や、同窓会や友人の結婚式に気軽に帰れないことを挙げます。だからこそ、日本の親しい人とはオンラインでも意識的に連絡を取るよう心がけているといいます。
橋渡し役から価値の創出者へ、これからの展望
最後に森下さんは、今後のキャリアや人生で考えていることを尋ねます。
堀川さんは、消費者インサイト周りにはずっといるだろうと話します。ただ、他国のインサイトを代弁はできても、自分が100%理解するのは難しいという結論に至ったといいます。
そこで方向性として見据えるのが、海外から日本へのインバウンド支援です。海外を見たあとの日本人だからこそ語れることがあり、そこで価値を出したいと語ります。
海外から日本でビジネスを立ち上げたい、マーケティングをしっかりしたいっていう時に、日本人として語れることがいっぱいあるので、特に海外を見た後で。
中期的には、インシアードやNUSなどでのエグゼクティブMBAも検討しているといいます。
森下さん自身はオンラインでMBAを取得した経験から、パートナーレベルの実務者にとって内容の多くは当たり前に感じられ、むしろ体系的に学ぶ時間の捻出が問題になると話します。
そしてもう1つ、堀川さんは夢物語としてプロダクトづくりを挙げます。これまで調査や広告といった無形のものしか扱ってこなかったからです。
私、お酒を飲むのが好きなんですけど、その中でもジンが好きで、自分のジンのブランドを作りたいと思っていて、それを3年以内にぜひやってみたい。
森下さんも、プロテインづくりを妄想したものの、原価計算をすると原料の調達力が勝敗を分けるドライバーになり、一人会社では戦いにくいと感じたエピソードを共有します。
一方でシンガポールという場所の強みにも触れ、富裕層や日本酒好きが多く、売り先の面で可能性があるのではないかと2人は話しました。
いろんなところで言っていくと、自分の友達でクラフトビールを作ってる人がいるよとか、そういう人を紹介いただいたりするので、いろんな人に話を聞きながら作り方を模索したい。
まとめ
消費者調査からGoogle、そしてコンサルティングファームへ。堀川さんのキャリアは、そのつど「もう少しグローバルに」「もう少しストレッチを」という意志で動いてきました。往復チケットを捨てて片道切符を選ぶ覚悟も、宣言して自分を追い込む突破法も、積み重ねてきた挑戦の延長線上にあります。
- 消費者調査で培った知見を、Googleでのプロモーション領域や代理店連携へと広げてきた
- Googleの5年で学んだ代理店との連携が、現在のシンガポールでの仕事にも生きている
- 駐在ではなく現地採用という片道切符を、38歳でチャレンジできる環境として前向きに選んだ
- やりたいことは周りに宣言し、自分を追い込むことで実行に近づけるという突破法を実践している
- 海外に出て日本ブランドと日本人としてのアイデンティティを再確認し、橋渡し役から価値の創出者を目指している
