「香港残留」を選んだ決断──18年勤めたコクヨを飛び出し、製造メーカー3代目社長になるまで
エととと: エンタメとグローバルと僕とに、Misuzu Holding銅や合金を用いた極細線・平角線などの特殊導体加工に強みを持つグローバルメーカー。香港に本社を置き、中国・ラオスなどに生産拠点を展開。 取締役 Managing Director 兼 株式会社三鈴代表取締役の河田壮一さんが出演。異動辞令をきっかけにコクヨを退社し、香港で製造メーカーの3代目社長に就任するまでの意思決定プロセス、家族との時間の守り方、海外での子育て観まで語られました。その内容をまとめます。
異動辞令という転機──「香港に残る」決断の裏側
河田さんはコクヨ大阪市に本社を置く文具・オフィス家具メーカー。「Campus」ノートなどの文具ブランドやオフィス空間ソリューションで知られる。東証プライム上場。で18年間勤務し、香港では東南アジアやオーストラリアを含むエリアでコクヨ文具のブランディング・マーケティングを担当していました。店舗のコーナー作りからSNSの双方向コミュニケーション、消費者イベントまで、BtoCマーケティングの全方位を手がける仕事だったそうです。
消費者と直接コミュニケーションを取って、お客さんが喜んでくれたり驚いてくれたりするのを見るのがめちゃくちゃ好きだって、年々気づいていって。ずっとやっててもいいなと思えるぐらい好きでしたね。
そんな充実した日々の最中、2019年に異動の内示が出ます。移動先は別の海外拠点。しかし、長女が高校2年生という時期でした。学校を変えることは「致命的」であり、家族の生活を守るためには香港に残るしかない──そう判断した河田さんは、コクヨを辞めて香港で新たな仕事を探す道を選びます。
MCの森下さんも同様の経験を持ち、「家族のことをなんだと思ってるんだ」と率直に吐露。河田さんも「あまり思い出したくない。すごく揺さぶられる日々だった」と振り返ります。
河田さんもこの言葉に「全く同感」と応じ、「首輪をつながれる代わりのリターンもあるので文句を言うつもりはないけれど、人生の歩き方としてずっとそれは嫌だった」と語りました。自由と引き換えにリスクを背負う覚悟が、転職の決断を後押ししたのです。
MBAの縁が引き寄せた、Misuzu Holdingとの出会い
転職活動のタイムリミットは約2ヶ月。ビザの問題もあり、のんびりしていられない状況でした。しかし河田さんは「1回目の就職活動と同じく、あまり本気でCV(履歴書)を書いたり人材会社にコンタクトしたりしなかった」と苦笑します。
転機になったのは、2018年から学んでいたBBT大学院ビジネス・ブレークスルー大学大学院。大前研一氏が学長を務めるオンラインMBAプログラム。実践的な経営教育と業界研究に定評がある。のつながりでした。BBTには経営者が集まる「向見会」という組織があり、その香港での集まりに参加していた河田さんは、現在のMisuzu Holdingオーナー会長に出会います。
「どっか香港でお知り合いの会社さんないですか?」って相談したら、1週間後ぐらいに「知り合いはいないけど、うち来たら?」って言ってくれて
他に良い話も来ず、時間も迫っていた河田さんは「一番に声をかけてくれたここでやろう」と決断。コクヨ時代の文具マーケティングとはまったく異なる、特殊導体の製造メーカーへの転身でした。
会長秘書から3代目社長へ──血縁を超えて託されたバトン
Misuzu Holdingに入社した当初、河田さんのポジションは「会長秘書」。もともとなかったポジションで、「何してもらおうかぐらいの感じ。暇だな、楽だな」というスタートだったそうです。
しかし当時の同社は業績が好調で、香港上場香港証券取引所(HKEX)はアジアの主要上場先の一つ。メインボードへの上場には利益基準・時価総額基準など複数の要件がある。を目指すプロジェクトが進行中でした。上場企業出身の河田さんは、責任権限の整理、月次の予実管理の高速化、人材育成のコーディネーターなど、社内に不足していた業務を次々と引き受けていきます。
ところが、核となる事業の先行きが不透明になったことや「そもそも何のために上場するのか」という本質的な議論を重ねた結果、2023年に上場中止を決定。河田さんは経営企画として「もう一回足場固めからやり直す」フェーズに入ります。
当初は1〜2年の契約更新で「長くいるつもりはなかった」という河田さんですが、上場中止という大きな方向転換に影響を与えた責任感から腰を据えることに。2024年にグループ役員、そして2025年には69歳のオーナー会長から「社長をやってくれ」と打診されます。
創業者の親子二代で続いた一族経営でしたが、会長は河田さんの入社前に「子どもには継がせない」と決めていたとのこと。候補者が他にいない中、血縁を超えて3代目のバトンが託されました。
外から来た人間なので、ずっとやっていくつもりはない。道筋をつけたら、プロパーのこの会社で育ってきた人に経営を譲りたい。ざっくり10年ぐらいで何とかしたいと思ってます
制約が生んだ野心──Misuzu Holdingの冒険的DNA
製造業の部品メーカーというと保守的なイメージがありますが、Misuzu Holdingは業界の中でもかなり異色な存在だと河田さんは説明します。
そもそも同社の成り立ちには独特の「制約」がありました。もともとの本家に当たる会社があり、創業者の次男が「関西に行って独立しなさい」と鈴鹿山脈三重県と滋賀県の境にある山脈。中部地方と関西地方を地理的に隔てる。社名「三鈴」の由来にもなっている地域。から西のマーケットを任されて設立された経緯があります。最大の市場である東京には手を出せない。その制約が「じゃあ海外なら文句ないよね」という発想につながり、海外展開が始まったのです。
制約:東京市場に参入できない
本家との取り決めで最大マーケットに手を出せない
発想の転換:海外なら文句ないよね
香港に本社移転、中国・ラオス・スロバキア・台湾に拠点を展開
さらなる挑戦:下請けからの脱却
顧客とバッティングしない地域での川下展開、元請け事業の開拓
結果:グループ30社(現在は整理して約10社)
業界内でも稀有な冒険的企業文化が定着
一時はグループ30社にまで膨らんだ事業を整理し、現在は約10社。経営陣の「野心的で冒険的な気風」がDNAとして刻まれている一方、トップダウンが強すぎた結果、従業員は受け身になりがちだったという課題もあります。
河田さんが今取り組んでいるのは、まさにこの「風土改革」。経営の柱の一つに据え、「失敗は責めないので、どんどん提案してほしい」と社員の自主性を引き出すことに注力しているそうです。
「日曜の夜は家族と過ごす」──仕事と家族のバランス再構築
「家族は本当に重要で、年々重要度が自分の中で増してきています」──河田さんはそう切り出しました。
働き始めの頃は家族の大事さをそこまで理解していなかったものの、海外駐在を通じて「家族の身は自分で守らないといけない」と痛感。会社の仕事と家族に対する責任を「イーブンに、半々ぐらいで持っておかないといけない」と考えるようになったそうです。
仕事優先で家族の比重が低くなりがち。駐在員は尋常じゃない働き方をしていることが多い
家族の絆を非常に大切にする文化。家族ぐるみの付き合いが自然に行われる
転機は、長女の高校卒業が迫ったとき。「知らないうちに子供が大きくなって巣立ちましたって、ほんと寂しい」と気づいた河田さんは、ある家族ルールを設けます。
社長就任で責任が増えた後も、「仕事はここまでしか時間をやらない」と自分でルールを決め、人に任せることを増やし、家族との時間を先にキープするようにしたとのこと。下に3人の子どもがいるため「長女での反省をアプライできる」のも強みだと語ります。
海外×インター教育で育つ「自分で決める力」
河田さんの4人のお子さんは、全員インターナショナルスクール英語を主要な教授言語とし、国際的なカリキュラム(IB=国際バカロレアなど)を採用する学校。多国籍の生徒が在籍し、多様性や主体性を重視した教育が特徴。に通っています。きっかけは上海駐在時、長女を3歳で現地のインター幼稚園に入れたこと。「幼稚園なので軽い意思決定。お金がかかるだけでいくらでも軌道修正できる」と始めたものの、持ち帰る教材や参観での雰囲気が「面白い」と感じ、そのまま継続することに。
奥様が元幼稚園の先生、河田さん自身も大学時代に塾講師の経験があり、教育への「目利き」があったことも背景にあるようです。
次男が小学校3、4年の時、ビジネスの授業があったんです。友達と3人チームで事業を考えて、役割分担して、最後プレゼンする。ビジネスって足し算引き算ぐらいでできるんだから、小学校でできるじゃんって思ったんですよね
河田さんが子どもたちを見て「羨ましい」と感じるのは、自分が大人になってから気づいたこと──「あらゆることは主体的に自分でやるしかない」「やるやらないは自分で選択する」──を、彼らが早い段階で身につけている点だそうです。多様性を意識した教育、詰め込みではなく「なぜこうなっているんだろう」と考えさせるアプローチが、「生きる力」を育てているのではないかと語ります。
日本語教育については「特に何もしていない」とのこと。家庭内の日本語とYouTube・漫画が主な接点で、3人目のお子さんは日本語がやや苦手だそうです。長女は現在、香港のファッションブランドで日本マーケット担当として働いていますが、「ChatGPTで翻訳した文章を取引先に送っている」と笑いながら紹介。不安な時は両親に確認するものの、「そのうち慣れるんじゃないか」と見守っているそうです。
不安を飼い慣らす──リスクと自由のトレードオフ
コクヨからMisuzu Holdingへの転職で、河田さんの給料は大幅に下がりました。コクヨの退職金で「2年はなんとかなる」と計算し、実際にほぼ食いつぶしたといいます。その後、昇給を重ねて「ギリギリ暮らせるように」なったものの、4人の子どもの学費(全員インターナショナルスクール)を考えると「可処分所得はほぼ食費分しか残っていない」状態だと明かします。
森下さんも同様に、シンガポールで3人の娘をインターに通わせる家計の厳しさを吐露。二人は「2年分のバッファがあればギリギリ及第点」「それが半年しかなくなったら精神的に持たない」と、経営者としてのリスク管理感覚を共有しました。
子供らのプレッシャーで頑張らせてくれてるっていうのはありますし、頑張ってることで得られる経験とか楽しさもあるので
自由を得る代わりにリスクと向き合い続ける。その不安は消えないけれど、家族のために頑張ること自体がモチベーションになる──二人の経営者の実感が重なった瞬間でした。
まとめ
河田さんの今後の展望は、意外なほどシンプルです。「野心というほどのものは特にない」と前置きした上で、Misuzu Holdingを「持続可能な成長が確信できる会社に作り直し、次の人に渡せる状態にすること」に集中すると語りました。
そしてもし、いつかその責任から解放される日が来たなら──。
プレッシャーから解放されて、ただただお客さんと接するような仕事がいつかできたらいいな。叶わないかもしれない、ちっちゃな夢です
異動辞令という「揺さぶり」を経て、家族のために香港に残り、畑違いの製造メーカーで3代目社長にまで上り詰めた河田さん。その根底にあるのは、派手な野心ではなく、「自分の人生の手綱は自分で握る」という静かな決意と、家族を守るために走り続ける覚悟でした。
- 河田さんは2019年、長女の高校生活を守るためコクヨの異動辞令を断り、香港残留を決断。約2ヶ月のタイムリミットの中で転職活動を行った
- BBT大学院の人脈から現在のMisuzu Holdingオーナー会長と出会い、会長秘書として入社。上場準備や経営企画を経て、2025年に血縁のない3代目社長に就任
- Misuzu Holdingは「東京に出られない」という制約から海外に活路を見出した冒険的DNA を持つ企業。現在は風土改革として社員の自主性を引き出す経営に注力
- 「毎週日曜の夜は家族全員で過ごす」ルールを設け、社長就任後も家族との時間を先にキープ。仕事と家族の責任を半々で持つことを意識している
- 4人の子どもは全員インター教育。小学校からのビジネス授業や主体的に選択する習慣が「生きる力」を育てると実感。日本語はChatGPTも活用しながら自然に学ぶスタンス
- リスクと自由はトレードオフ。退職金で2年分のバッファを確保し、契約更新ごとに条件交渉するなど、不安を「飼い慣らす」リスク管理で乗り越えてきた
