新卒でパーソルキャリアを選び、1年で辞めるまで
佐藤さんは学生時代のスタートアップ経験から、卒業前に「絶対に起業する」と決めていました。ただ、すぐに起業できるアイデアはなかったといいます。
そこで「事業を作れる環境がある会社に入りたい」という軸で就職活動を進めます。新卒では通常募集していない事業開発の部署で内定を出せると言われたのが、パーソルキャリアを選んだ理由でした。
入社後に任されたのは営業でした。事業を作りたい佐藤さんに対し、部署からは「まずは顧客の声を聞いてこい」という意図があったといいます。
その部署の方と何回か面談がありまして。事業を作るのであれば、やっぱり顧客の声を聞かなきゃいけないし、市場について知らなきゃいけない。確かにごもっともだなと思って、実際に1年間営業をしていました。
1年間は全力で取り組んだものの、学生時代のスタートアップに比べてエキサイティングではなかった、と佐藤さんは振り返ります。
起業とか事業作りだったら、顧客に価値提供しそうなことは何でもするし、PDCAを一周回せる環境がずっとあった。それがアジェンダを絞られて、基本はDOだけみたいなところが若干あって。もちろん全力でやっていたんですけど、エキサイティングではなかったので辞めました。
辞めてから1年で、サンフランシスコへ拠点を移す
退職後、佐藤さんはインターン時代の先輩とコワーキングスペースに集まり、事業アイデアを練り始めました。
インターン時代の代表がよく「グローバル」と語り、アメリカでの出来事を社内で話してくれたことが、佐藤さんの原体験になっていました。そのスケールの差にずっとワクワクしていたといいます。
転機は、X(旧Twitter)で見つけた米国でチャレンジする起業家のnoteでした。それを読んで「一回アメリカに行くしかない」と思い立ち、すぐにフライトを取ってサンフランシスコへ飛びます。
1カ月ぐらいいる予定だったんですけど、2週間ぐらい経って、これ住めそうだなっていう感覚があったんで、2週間ぐらいで帰って、次はもう住む準備を日本で始めました。
退職から約1年で、メインの拠点をアメリカへ移します。森下さんは、住む場所を変える重い意思決定をなぜすんなりできたのかを尋ねました。
物価の高いアメリカでの生活費は、貯金ではなく借金でまかなっていたといいます。最初の資金の出し手は親でした。
事業探しの間はいろんな人にお金を借りまくって生活してたんですよ。誰かに借りることを前提に、最初は親から借りることを前提にアメリカで生活してました。
英語ゼロからのスタートと、その乗り越え方
森下さんが英語力を尋ねると、佐藤さんは渡米時点では「全然ない、全く喋れない」状態だったと答えます。
森下さんは、以前番組に出演した後藤さんも同様だったと振り返り、渡米前は英語ができないのに現地で乗り越える起業家が多いことに驚きを示しました。
現地に住んだら喋れるだろうみたいな楽観はありました。
もっとも、最初から順調だったわけではありません。相手が何を言っているかわからず、自分が何を話せばいいかもわからない日々が続いたといいます。
早すぎて何を言ってるかわからない。だから自分が何を話していいかわからない。そんなのが毎日続きながらも、頑張ってストリートでラーニングをし続けて、なんとか米国のVCも入っていただけるぐらいには喋れるようになりました。
佐藤さんは、英語習得は起業そのものより不確実性が低いと考えています。
Apple Vision Proとの出会いと、Amplium創業
渡米後、佐藤さんは事業アイデアが決まらないまま、アイデア探しと語学学校を約1年半続けます。時期はおよそ23歳から25歳にかけてでした。
事業を考える枠組みとして重視したのは、「時間軸はまだ先でも、来る可能性が高い市場でチャレンジする」という発想でした。
そのなかでApple Vision Proに可能性を感じ、すぐに体験しに行きます。サッカーのイマーシブ映像を見た瞬間に、この領域で勝負しようと決めました。
Vision Proでサッカーの没入型映像を見た時に、これは間違いなく今の映像の視聴体験より面白いし、来そうだなと。この領域でチャレンジしようというところで会社を創業しました。
着想は2024年で、Amplium自体は口座が必要になったタイミングとして2024年5月に創業しました。
ビザと仲間集め、そしてバンクーバー×サンフランシスコ体制
海外でスタートアップを立ち上げる際の障害として、森下さんはビザ問題と仲間集めを挙げました。佐藤さんによれば、現地には日本人の起業家コミュニティがあり、ビザや初期メンバー集めのベストプラクティスを教えてもらえたことで、多くのハードルをショートカットできたといいます。
コファウンダーは、佐藤さんが日本にいた頃から出会っていたエンジニアでした。ただ、ビザの関係で佐藤さんがサンフランシスコに定住し続けるのは難しい事情がありました。
そこで、集中して開発に取り組みたいエンジニアはビザが比較的取りやすいバンクーバーへ移り、時差だけを合わせる形をとりました。現在はバンクーバーとサンフランシスコの2拠点で開発を進めています。
新設法人の1人目のビザが最も取りにくいという話に対し、佐藤さんは、実際に取得した人たちのフィードバックに忠実に従うことで対応していると語りました。
なお、森下さんと佐藤さんが出会ったのも、現地の「テックハウス」と呼ばれるコミュニティでした。情報の循環がとても活発だといいます。
App Storeのフィーチャーと、Apple公式からの紹介
英語が話せない状態で渡米した佐藤さんですが、Ampliumのアプリは米国App Storeでメインでフィーチャーされ、さらにAppleのニュースルームから名指しで紹介される成果を上げました。
まさか日本人で英語が喋れない状態で来た人が作ってるプロダクトが、Apple公式のプレスリリースで紹介してもらえるなんて。市場で価値を磨いてユーザーに提供できていれば、米国でも認知してもらえるんだなというのは学びになってます。
Appleのニュースルームでの紹介は、Apple側からのピックアップで、リリースが出るまで自分たちも掲載を知らなかったといいます。
App Storeのフィーチャーも、営業をかけたのではなく、App Storeのエディターがアプリを気に入ったことがきっかけでした。Appleのヘッドクオーターに何度か招かれ、そこからコミュニケーションが頻繁になっていったそうです。
森下さんはサラリーマン時代にフィーチャーの窓口を担当していた経験から、エディター側から声がかかることの難しさを指摘しました。
絶対にアメリカにいなかったらできなかったなって思います。App Storeのエディターと話せたのもヘッドクオーターに呼んでいただけたからですし、それは絶対にアメリカにいたからだなと思って。
NHK・アニメ・スポーツへ広がる事例
直近では日本のコンテンツとのコラボレーションが増えています。佐藤さんが大きな事例として挙げたのが、NHKと一緒に3D映像を作り、配信したケースです。同社のエンコーダーが使われたといいます。
さらに、アニメ『ガチアクタ』のオープニング主題歌を歌うバンドHUGSのライブコンサート映像を、Ampliumのインフラで配信しました。
最近はスポーツにも力を入れており、BリーグのFの試合をフルゲーム収録したり、今後リリース予定で本田圭佑さんの映像を撮影したりしているといいます。
アニメ映像の配信は権利関係が複雑で時間がかかったものの、映像を作ったプロダクションがレーベルや権利の整理を進めてくれたことが大きかったと佐藤さんは話します。
スポーツ領域について、佐藤さんは今後の伸びを見込んでいます。アメリカではNBAがVision Pro向けにライブ配信へ挑戦し始めており、日本でも同様の流れが来ると考えています。
NBAはカメラを設置する場所が、チケットを取ろうとしたら一番高いようなポジションに置かれているので、VIP席のような角度から映像を見ることができる。2Dの映像に比較すると、すごいリッチな体験を提供できます。
3D映像配信インフラでナンバーワンを目指す展望
今後の展望として、佐藤さんは空間コンピューティングやスマートグラス時代における3D映像の配信インフラでナンバーワンになることを目標に掲げています。そのために自社でエンコーダーまで開発しています。
競合も存在し、米国のVCは佐藤さんの会社と競合の両方に投資している状況だといいます。すでに競争は激しく、以前は話していた相手と話さなくなることもあると率直に語りました。
森下さんは、成長市場になった際に人材や資金の囲い込みが同時に必要になる大変さを推察しました。それでも佐藤さんの答えは前向きでした。
大変ですけど、めっちゃ楽しくやってます。実際やってみて、この領域めっちゃ好きなんだなっていうのを最近思ってるので、すごい楽しくやってます。
資金調達には常にプレッシャーがあります。1回のラウンドで集める資金はおよそ1〜2年分で、その間に事業のトラクションを出し、会社の価値を上げなければならないためです。
そのプレッシャーとどう向き合うかを問われると、佐藤さんは週7で通う筋トレを挙げました。頭が疲れたときやアメリカの生活習慣とも重なり、運動の大切さを実感しているといいます。
まとめ
英語もアイデアもない状態で渡米した佐藤さんが、Apple Vision Proとの出会いを起点に3D動画配信インフラへ挑み、Appleからの紹介や日本コンテンツとのコラボレーションへとつなげていく過程が語られた回でした。
- 「絶対に起業する」と決めていた佐藤さんは、事業を作れる環境を軸にパーソルキャリアを選び、1年で退職して渡米した
- 英語は渡米時ほぼゼロだったが、現地での学習で米国VCの出資を得られるまでに上達し、起業より英語の方が不確実性は低いと語る
- 「来る可能性が高い市場」という発想からApple Vision Proに賭け、App Store掲載やApple公式からの名指し紹介を実現した
- ビザの都合からバンクーバーとサンフランシスコの2拠点体制をとり、NHK・アニメ・スポーツへと事例を広げている
- 3D映像配信インフラでナンバーワンを目指す道は競争が激しく、資金調達を「短距離のマラソン」と表現しながらも楽しんで挑んでいる
