新年度にぴったり?「人間関係がラクになる本」3冊
本つまみぐいラジオは、読書のタイプが異なる3人が毎回1冊ずつ本を持ち寄り、雑談する番組です。司会の幸あれこさんは読んでも内容を忘れるタイプ、イケハヤさんは情報収集のように本をザッピングするタイプ、しゅうへいさんは買っても読まない積読タイプだと自己紹介しています。
今回のテーマは「人間関係がラクになる本」です。新年度が始まる時期に合わせて、3人がそれぞれ1冊を選んできました。
イケハヤさんは、哲学者の中島義道さんが2003年に出した『ひとを〈嫌う〉ということ』を紹介します。哲学というよりエッセイに近く、面白い話がたくさんある本だと話しています。
しゅうへいさんは、人間関係はコミュニケーションであり、コミュニケーションは言葉だという問題意識から、言語哲学者の小野純一さんの『僕たちは言葉について何も知らない』を選びました。あれこさんは、スウェーデンの著者による『あいては人か 話が通じないときワニかもしれません』を持ってきています。
事前の打ち合わせもなしに、(選ぶ本が)被ることもなく。
毎回被んないの不思議。被った時どうするんだろうっていつも思うけどね。
ブログを書くだけで絡んでくる「おっさん」より嫌いな人とは
『ひとを〈嫌う〉ということ』は薄くて読みやすい哲学エッセイで、哲学の話はあまり出てこないものの、考え方のアプローチは非常に哲学者らしいとイケハヤさんは説明します。著者の中島義道さんについては「尖りまくっている」「炎上系みたいな感じ」と表現しています。
イケハヤさんは若い頃に中島さんの本をよく読み、かなり影響を受けたといいます。紹介の前に、イケハヤさんは2人に「嫌いな人っています?」と問いかけ、あれこさんは即答で「います」と答えました。
イケハヤさんは、この本の紹介を3つの論点で進めると宣言します。この流れは、そのまま本の議論の深まり方にもなっています。
ほのかに嫌おう
嫌うことは自然なことで、ほのかに嫌い合う関係でいい
理不尽に嫌われる
あなたは必ず誰かに、理由もなく嫌われることがある
嫌ってくれてありがとう
最終的には、自分を嫌った人に感謝する境地へ
イケハヤさんがこの本を思い出すきっかけは、20代前半にブログを書いていた頃の体験です。広告やマーケティングの話を書いていたところ、30〜40代くらいの業界のおじさんたちから、頼んでもいないのにXなどで「こいつは何もわかってない」とディスられることが多かったそうです。
ところがイケハヤさんが一番嫌いだったのは、ディスってくる人ではありませんでした。間に入って「まあまあ、飲みに行きましょう」と肩を組ませに来る、仲介役のおじさんだったといいます。
いるんだよマジでこのおっさんが。で、僕はこいつが大嫌い。
嫌うことは悪なのか?「ほのかに嫌い合う」という提案
イケハヤさんは、仲を取り持とうとする人がいるのは、多くの人が「嫌うこと自体を悪だ」と捉えているからだと考えています。誰かを嫌ってはいけないし、嫌い合っているのは良くないと思うから、仲良くしようぜとなる。イケハヤさんはそれは違うと昔から感じていて、この本を読んで自分は間違っていないと納得したそうです。
中島さんの主張では、人が人を好きになるのが自然であるように、人を嫌いになることもめちゃくちゃ自然なことです。それなのに社会は「嫌われたくない症候群」や「仲良し教」に染まり、嫌う感情を抑圧して抹殺しようとしている、と中島さんは批判しているとイケハヤさんは紹介します。
イケハヤさんの紹介では、中島さんがたどり着く結論が「ほのかに嫌い合う」関係です。仲良し教との違いを並べると、次のようになります。
嫌うのは悪いことなので、嫌われたくないし、嫌い合う人は仲直りさせようとする
嫌いに蓋をせず、お互い気に食わないと認めたまま、それぞれの人生を歩む
あいつは俺のことなんか嫌いなのは知ってるし、でも俺もあいつのことは嫌いだし、それでOK。
この考え方に、しゅうへいさんは大学時代を思い出したといいます。自分は何も言っていないのに、別の友達から「あいつ、お前のこと嫌いだよね」と言われ、好かれないといけないとすごく気にしていたそうです。
この導入ですごく心が楽になったもんね。
イケハヤさんによると、本はさらに、嫌いを認めたくない理由も掘り下げています。自分が誰かに嫌われるのが怖いから、誰かを嫌う自分も認められない。その構造を指摘したうえで、だから嫌いな人と仲直りする必要は一切ない、という帰結が導かれるといいます。
糸井重里さんにもアンチがいる、理不尽に嫌われるという現実
本の2つ目の論点は、人はどうやっても理不尽に嫌われる、というものです。イケハヤさんが若い頃に衝撃を受けた例として挙げたのが、糸井重里 ── コピーライター・エッセイスト。ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)を主宰し、柔らかな語り口で知られていますさんでした。
柔和で嫌われそうにない糸井さんにも、2ちゃんねる ── 匿名で書き込める日本の大型掲示板。特定の人物を批判する「アンチスレッド」が立つことも多くありましたで熱心なアンチのスレッドが伸びていたのを見て、イケハヤさんは驚いたといいます。10年以上前の話だそうです。
あんなすごい平和そうな感じで、すごい平和にほぼ日とか書いてるのにめちゃくちゃアンチついてんだけどみたいな。
本ではスピノザ ── 17世紀オランダの哲学者。感情の仕組みを幾何学のような論証で分析した『エチカ』で知られますの言葉も引用されています。他人から憎まれていると想像し、しかも自分にはその原因がないと信じる者は、かえってその相手を憎むようになる、という内容です。
イケハヤさんは、この構造は本当によくあると話します。ただ、誰かに嫌われることには理由がないことも多いと捉えれば、憎しみを向け返す必要はありません。イケハヤさんはこの本を読んで、嫌われるのは「しゃあねえな」と割り切れるようになったといいます。
さらにイケハヤさんは、自分自身が嫌いな人種として「他人から嫌われたくないと思っている人」を挙げます。敵を作らないよう穏当に駒を進める経営者のやり方は合理的だと認めつつ、好みとしては嫌いだそうです。
人から嫌われたくないっていう人のことが嫌いな僕みたいな人間もいるから。どうしようもないじゃないですか。
「嫌い」を観察すると自分が見えてくる?2人の嫌いな人
イケハヤさんから嫌いな人を尋ねられたあれこさんは、テレビやラジオの現場での経験を語ります。最初は「お前かよ」という態度だったスタッフが、司会が盛り上がると手のひらを返すことは多すぎて、あれこさんはもう気にしなくなったといいます。
人ってひっくり返すものなんだなっていうことに気づいて、もうそっからはもう最初からそういう態度取られても、ああ、多分この1日の終わりにはこの人も変わるだろうなぐらいになった。
あれこさんが嫌だったのは、人によく思われるように振る舞いながら他人を蹴落とす人です。「あの人が裏でこの仕事をクソみたいに言ってましたよ、私は大好きなんですけどね」といった、わかりやすい嘘をつく人がいたそうです。
ただあれこさんは、相手からすれば自分のほうが嫌いだったのかもしれないし、その子なりの正義があったのかもしれない、と視点の違いにも触れています。
しゅうへいさんが嫌いなのは、ある議員さんです。島に若い人が帰ってくるとすかさず会いに行き、補助金や何億円のプロジェクトの話をして「君がやったらどうだ」と勧めるものの、自分では何もやらないといいます。
こういう大人にはなりたくないなっていうのは、なんか自分もなんかそっちに行きそうで。だから自分を映し鏡として見てるのもなんかあるかも。
イケハヤさんは、本の中にも嫌いを観察することで自己理解が深まるという話があると応じます。あれこさんも、嫌いという感情の裏には自分と似たものか真逆のものが必ずある、と受け止めています。
一度嫌いになったら戻れない?誤解が解けても消えない嫌い
イケハヤさんは、相手の話し方で嫌いになることが正直結構あると打ち明けます。人をなめているような高圧的な話し方や、壁を作って本音を言わない話し方をする人に対して、少しのやり取りで「こいつはダメだ」と感じてしまうそうです。
一方でイケハヤさんは、それは単なる自分の勘違いかもしれないとも認めます。そのうえで面白いのは、勘違いであっても一度嫌いになると、もう戻らないことだといいます。
ここでもスピノザの言葉が引かれます。誤った観念に属する積極的なものは、真なる観念が現れても、それが真であるというだけでは除去されない、という内容です。相手が実は聖人君子だとわかっても、自分の中の誤った思い込みは消えない、とイケハヤさんは例を挙げて説明しました。
まさになんかね、あの粘着質なアンチってそれですよ。
あれこさんはSNSでも同じ構造があると話します。粘着すればするほど偏った情報ばかりが入り、アンチされている側が何をしても関係なくなる。「あいつ納豆食ったんだって」でも嫌われる、というたとえに、スタジオは笑いに包まれました。
本には、その仕組みがさらに説明されています。イケハヤさんが読み上げた中島さんの文章によると、属性で人を嫌っている場合に誤解が解けても、普通は好きにはならず嫌いなままのことが多いといいます。
属性を嫌う
話し方など、相手の特定の属性が嫌いになる
時間をかけて移る
嫌いの原因が、属性から「その人自身」に変わっていく
変えようがない
誤解をいくら解いても、その人だから嫌いという状態は変わらない
だから自分が嫌われていても、最後は「しょうがない」となるしかない、というのがこの段階の結論です。
「嫌ってくれてありがとう」という著者の境地
本の3つ目の論点は、さらに一歩先に進みます。イケハヤさんによると、中島さんは息子さんや奥さんにもかなり嫌われていて、対外的にも嫌われやすい人だそうです。
それでも中島さんは、嫌いを見つめることで、世界から「嫌いの風」を浴びていると自覚できるようになったといいます。その自覚が自分を反省させ、警告を与えてくれる。自覚がなければ自分はもっとアホになっていた、と中島さんは書いているそうです。
そのうえで本には「私は自分を嫌った他人に対して、少なくともしばらく経ってから感謝するのです」とあるとイケハヤさんは紹介します。
イケハヤさんは「すぐには感謝しない」「しばらく経ってから」という一文を「可愛い」と評しています。一方であれこさんとしゅうへいさんは、奥さんがこの本を読んだらどう思うのかと気にしていて、「そういうところも嫌いなんだ」とツッコミも入りました。
イケハヤさんは最後に本の内容をまとめます。嫌いを否定せず、落ち度がなくても嫌われることを受け入れ、そのうえで嫌いを味わう。時間が経ってから「嫌ってくれてありがとう」と言えたら最強だ、という一冊です。
嫌われなきゃ表に出られない、発信者にも響く1冊
あれこさんは、フリーアナウンサー時代の大先輩に「嫌われなきゃ表に出られない」と教わったことを思い出したといいます。
ある程度の割合で嫌われてないと、それだけ自分を出せてないっていうことだから、発信とかでもそれって嫌われててもOKだって思った方がいい。
あれこさん自身も、ラジオ時代には2ちゃんねるで「いなくなれ」と書かれたそうです。その一方で、「あいつはアホだけど頑張ってるんだ」と、擁護なのかわからない書き込みをする人も現れたといいます。
あれこさんは本の主張に一つの実例も付け加えます。強く粘着していた人が最後に言葉をかけに来たことがあり、強い嫌いはそれだけ感情があるからひっくり返ることもある、と話しました。ただ、それは相手の人生のタイミングなどが重なった稀なケースだろうとも述べています。
いや、心ホント楽。この30分ぐらいで楽になった。だいぶ。
あれこさんは、イケハヤさんが嫌われて悩んだ時期に気が楽になった本を持ってきたことが意外だったと話します。イケハヤさんは、若い頃は悪意を浴びる経験自体に慣れていないものだと振り返り、これを読めば炎上してもいいと思えると笑いました。
最後に3人は、中学生や高校生など若い人にもこの本が届いてほしいと話します。番組への感想を「#本つま」で投稿することや、Spotifyなどでのレビューも呼びかけ、収録時点でレビューは135件だと紹介されました。次回はしゅうへいさんの1冊で、嫌いという現象がなぜ起こるのかがわかる本になりそうだと予告されています。
まとめ
中島義道さんの『ひとを〈嫌う〉ということ』は、嫌うことも嫌われることも自然なことだと認め、理不尽な嫌いを受け入れ、最後には感謝にまで至る道筋を示す本です。3人の体験談を通して、嫌いと向き合うことが心をラクにし、自己理解にもつながることが語られました。
- 人を嫌うことは、人を好きになるのと同じくらい自然なこと。仲良くする必要はなく「ほのかに嫌い合う」関係でいい
- 人は落ち度がなくても理不尽に嫌われ、一度その人自身が嫌いになると誤解が解けても戻らない
- 嫌いを観察すると、自分と似た部分や真逆の部分が見え、自己理解が深まる
- しばらく経ってから「嫌ってくれてありがとう」と言えるのが、中島さんのたどり着いた境地
- あれこさんの先輩が言うように、ある程度嫌われるのは自分を出せている証拠で、発信者にも響く考え方





