好きな作家・小川哲の初エッセイを持ってきた理由
この回で二人が取り上げるのは、小説家・小川哲さんの初エッセイ集『斜め45度の処世術』です。小川哲 ── 『地図と拳』や『君のクイズ』で知られる小説家。本作が初のエッセイ集にあたる。えなりが小川さんの大ファンで、「エッセイが出る」と聞いてすぐに買って読んだ一冊だといいます。
小川哲さんは大好きで。エッセイが出ると聞いて、「これはすぐ読まなくては」と思って買って読んだって感じです。
えなりは、小川さんの魅力をまず「小説が抜群に面白いこと」だと話します。そのうえで、作品の方向性が自分と似ているからか入りやすい、とも語ります。
断片しか知らないですけど、この人のこと、近くにいたら仲良くなれそうな人って感じがするから、すごい書くのを読むのが好きみたいな。
番組では以前、小川さんの『言語化するための小説思考』も取り上げています。今回はエッセイということで、作られた物語ではなく、著者本人の考え方をもとに話が進んでいきます。
タイトルの「斜め45度」について、たかしおはえなりにとってはむしろフラット、つまり0度なのではないかと投げかけます。
そんなに、そんなに傾いてるかな。
たかしおは、聞き手からすれば「結構尖っているよ」と感じられるはずだと笑います。この日は主に「性格がいいって何だろう」と「誕生日おめでとうが嫌」という2つのテーマを軸に話すことになりました。
「性格がいい」は本当に褒め言葉なのか
最初のテーマは「性格がいって何だろう」です。えなり自身も以前から考えていたテーマで、小川さんの「性格がいいって難しいよね」という指摘に強く共感したといいます。
えなりが挙げたのは、優しさの中身の話です。本当は相手に怒っているのに、怒るのも面倒だからうまく収めておくと、相手からは「優しい人」だと思われることがある、と自身のタイプも重ねて説明します。
一方で、学校の厳しい先生のように、愛を持って厳しく接する人は「優しい」とは思われにくい。表面的に優しくふるまう人と、厳しくする人と、性格がいいのはどっちなのかという問いが立ち上がります。
性格がいいってなんか結構難しい言葉だよなみたいな。
たかしおも、「性格がいい」という短い言葉の中に、複雑なものが詰まっていると応じます。そもそも何を「性格がいい」と呼ぶかは人によって違う、という点も指摘します。
自分はこうなりたいと思っている性格がいい、自分の見本とする性格の良さと、他人の中での性格がいいって違うくないですか。
たかしお自身は「厳しい先生」のようになりたいと考えているといいます。ただ、いざ厳しいことを言う側にまわると、相手には意図が伝わらず、表面上の厳しい言葉に傷ついて「この人と一緒にいるの嫌だな」と思われることもある、と難しさを語ります。
そこからえなりは、「性格がいい」という言葉が2つの意味で使われているのではないか、と整理します。
表面的な優しさや、その場を穏やかに収める振る舞いを指す使い方
相手を思って厳しいことも言える、内面の良さを指す使い方
このように分けて考えると、同じ「性格がいい」でも、どの場面で・どんな意図で使うかによって意味合いがまるで変わってきます。
さらにたかしおは、そもそも「性格がいい」は褒め言葉なのか、と踏み込みます。えなりも、「あの人いい人だよね」という言い方が、褒め言葉として使われていない場面が多いことに同意します。
なんか悪いことではないけど、いいように使われそう。舐められてる感もちょっとある。
たかしおは、大好きな人や憧れている人、推し活の対象に対しては、わざわざ「性格がいい」とは言わないのではないか、と続けます。
そういう明らかに好意的に思っている人に対して性格がいいって言わなくないですか。
「いい人」ほどSNSで炎上する、という仮説
話は、小川さんが本の中で提示している仮説に移ります。それは「SNSで炎上する人は性格がいい人が多い」というものです。
えなりの説明によれば、うがった見方をする人は「これを言ったらこういう悪口が返ってくるだろう」と先回りして考える。一方、性格のいい人はそうした深読みをせず、自分の思っていることをまっすぐ言うため、かえって炎上してしまう、という理屈です。
そういうことを深読みせずに、自分の思ってることをまっすぐパンって言うから、炎上したりしちゃうみたいなことが書いてて。
たかしおは「その視点は思いつかなかった」と驚きます。えなりも、優しい人だと言われても素直に受け止めない感覚と、思いをまっすぐ言ってしまう性質は表裏一体かもしれない、と補います。
具体例としてえなりが思い出したのが、元陸上選手・為末大さんのSNS投稿をめぐる炎上です。為末大 ── 男子400メートルハードルの元日本代表選手。引退後は発信活動も行っている。「日本人が苦手な多様性は年齢」であり、50歳ぐらいの人は20歳以上年下の異性の友人を作るとよい、という趣旨の投稿だったといいます。
この投稿は「なぜ異性に限定するのか」「若い女性の側からすると嫌ではないか」といった反発を招き、炎上したとえなりは振り返ります。ただ、為末さん本人は嫌な絡み方をするタイプではなく、実際に若い女性の友人もいて「いいな」と感じたから投稿しただけではないか、と見ています。
(為末さんは)すごいいいなと思ったから投稿しちゃって、考えられなかった。なんかまさにこの炎上なんじゃないかな。
たかしおも、その理解に納得します。えなりの「性格がいいって何だろう」という問いが、この仮説を通してより本質的なものに感じられてきた、とまとめます。
関連して、小川さんは別の章で「本当に悪い人はハラスメントで訴えられない」という趣旨のことも書いているとえなりは紹介します。表に出ないよう立ち回るため、表沙汰になる人は悪のレベルがむしろ低い、という指摘です。炎上する人よりも、炎上せずにうまくやっている人のほうが、必ずしもまっすぐとは限らない、という話につながっていきます。
「誕生日おめでとう」がなぜ嫌なのか
2つ目のテーマは「誕生日おめでとうが嫌」という話です。えなりは、自分の誕生日をまったくめでたいと思っていないと打ち明けます。
ただし、覚えていて連絡をくれること自体は嬉しいといいます。嫌なのは「おめでとう」という言葉のほうで、言われるたびに「なんか違うな」と感じるのだそうです。
誕生日だと知ったら連絡してくれるみたいな気持ちは嬉しいんですよ。でも別に誕生日はめでたくないから、おめでとうって言われるたびになんか違うなみたいなことを思う。
たかしおも共感を示します。誕生日は1つ年を重ねる日であり、見方によっては死に向かっていく日でもある。単純な成長というより、衰えのイメージのほうが強い、と語ります。
一方で、たかしおは「きっかけ」としての価値は認めます。父の日や母の日と同じで、何でもいいから声をかける日として機能する。誕生日は全員に等しくある記念日だから、その意味では大切だ、というのです。
何でもいいわけですよ、結論。声をかける日でいいんですよ。お母さんに声をかける日みたいな。
ただし、「何がめでたいのか」をきちんと説明できる人には出会ったことがない、ともたかしおは言います。ここでえなりが、小川さん自身のスタンスを紹介します。小川さんは言われる側ではなく、「誕生日おめでとうと言えない」側なのだといいます。
小川さんの理屈は、誕生日を迎えることに努力も才能もいらないから、祝う気になれない、というものです。
生まれたら誰でも持ってるし、誕生日を迎えることに別に努力も才能もいらないわけじゃないですか。だから祝おうという気にならないから言えないんだ。
たかしおは、この「何も努力していないのにおめでとうとは言えない」という見方は、自分よりも少し厳しい目だと感じたと話します。
「今日誕生日だね、ご飯行こう」という提案
えなりが出した提案が、この回の一つのハイライトになります。「誕生日おめでとう」を廃止して、もっとさらりとした言い方でいいのではないか、というのです。
誕生日おめでとうを廃止してほしいと思ってて。誕生日だねぐらいでよくないですか。今日誕生日だね、またご飯行こうよみたいなくらいでいい。
たかしおは、これを「ハイセンスすぎる」と評します。パートナーからさらりとそう言われたら、男性の自分から見ても「かっこいい」と感じるだろう、と反応します。
たかしおによれば、単純に「誕生日おめでとう、ありがとう」と喜べるのは子どもの頃の話で、大人になれば打算も入ってくる。だからこそ誕生日は、関係を築く「機会」として大事だといいます。
誕生日っていうものの、のポテンシャルを生かせてないのではないか。
相手のことも誕生日という日も覚えていて、しかも大勢から「おめでとう」を言われる中で、あえて「誕生日だよね、ご飯食べに行く?」とさらりと誘う。そのさりげなさが、相手の中での株を上げるのだ、とたかしおは力説します。
「今日は暑いですね」を意味のある会話に変える
冒頭の「すっかり暑くなりましたね」という何気ない一言が、ここで回収されます。本のホームページにも「今日は暑いですねというどうでもいい雑談を意味のある会話にする方法」といった趣旨が書かれているといいます。
たかしおは、「今日は暑いですね」という雑談にも役割があると考えます。いきなり本題に入るより、挨拶や天気の話でワンクッション置くことで、会話の助走になる、というのです。
いきなり「今日の仕事のさ」って言われるより、「おはようございます。今日暑いですね。ところで今日の仕事のさ」って言われる、そういう目的を持って使えということかな。
これはお互いを知っている人同士のアイスブレイクとしては機能する、とえなりも同意します。ただし、小川さんが本で書いている「意味のある会話にする方法」はもう少し違う角度のものだといいます。
えなりによれば、小川さんが問題にしているのは、初対面の相手と二人きりになったときに、当たり障りのない会話がうまくできない、という文脈です。「新しい情報のやりとりがないから嫌だ」という感覚が根っこにあるといいます。
そこで小川さんが示すのが、メタ的な視点を取り入れる方法です。
「暑いですね」に「そうですね」と返すと、そこで会話が終わってしまう
「雑談の時ってなんで天気の話するんですかね」と問うと、面白い答えが返ってくる余地が生まれる
話す内容そのものではなく、その会話を一段上のレベルから見つめ直すことで、当たり障りのない雑談を面白い会話に変えていく、という発想です。
初対面でメタな質問は「めんどくさい」か「面白い」か
このメタ視点の使い方をめぐって、二人の反応が分かれます。たかしおは「あえて一言言いたい」と切り出します。
初対面でそんな質問されたら、「え、ちょっとめんどくさ」って思ったりしません。
たかしおは、相手が小川さんのような小説家なら「斜め上ですね、やっぱり面白い」となるだろうと言います。しかし、たとえば初対面の20代年下の女性に、いきなり「こういう時になぜ天気の話をするんですかね」と聞かれたら、回答に困るのではないか、と心配します。
これに対してえなりは、そもそも質問する相手を間違えているのでは、と返します。えなり自身は「こっち族」で、「今日は暑いですね」と言われるより、そのメタな問いのほうが面白いと感じるといいます。
私もこっち族なので、「今日は暑いですね」って言われるよりかは、そっちの方がなんかちょっと面白いって思っちゃうかも。
たかしおは、この違いを踏まえて、このエッセイは共感する人と「何を言ってるの」と感じる人にはっきり分かれそうだ、と話します。えなりも「多分分かれる」と同意します。
「なぜこの人の話はつまらないのか」の本当のねらい
続いてたかしおが気になったのは、「なぜこの人の話はつまらないのか」という目次でした。中身についてえなりに尋ねます。
えなりによれば、この章の主題は他人の話を「つまらない」と断じることではありません。むしろ、つまらなさの理由を考えること自体に意味がある、という話だといいます。
つまらない小説を読んで、なんでつまらないのかを考えると、自分が同じ轍を踏まなくて済むみたいな。
この説明を聞いて、たかしおは「小川さんごめんなさい」と心の中で謝ったといいます。読む前は、「相手の時間を奪うな」「結論から述べよ」といった、人の話を一方的につまらないと決めつける議論を想像していたからです。
たかしおが引っかかっていたのは、あなたにとってつまらなかったとしても、全人類にとってつまらないかは別の話ではないか、という点でした。普遍的につまらないものは、実はあまり多くない、とえなりも受けます。
たかしおは、面白さの重なりをイメージで語ります。二人が「わかる」と共感し合っていても、それは互いの円の一部が重なっているだけで、まったく同じではない、というのです。
円の中の10パーセントぐらいは重なってて、その10パーセントだけを取り上げて、「あ、わかる」って言ってるだけで、全く一緒はないわけだから。
だからこそ、面と向かって「つまらないよね」と言われると、傷ついて「この話は他でしないでおこう」と萎縮してしまう人もいる。断定的な評価は相手を縮こまらせる、とたかしおは注意を促します。
そんなみんな心の強い人ばっかりじゃねえんだよって言いたいみたいな。
儀礼的なやりとりと、「いい奴に思われたい」下心
話は処世術そのものへと戻っていきます。世渡り上手になるには、「性格がいいよね」と言われるぐらいがちょうどいいのかもしれない、とたかしおは言います。えなりも、性格そのものより世渡りはしやすいだろう、と応じます。
たかしおは、今回がエッセイだったからこその面白さにも触れます。小説と違い、現実に生きている小川さんの考え方をもとに話しているため、非常にリアルな議論になった、というのです。
今回なんか勝手に小川さんと3人で喋ったみたいな感じがあって。
一方でたかしおは、儀礼的なやりとりほど面白くないものはない、とも語ります。形が決まっていて、その通りにやれば大丈夫、というものには空気感がないというのです。
例として挙げるのが、ビジネスメールの「お世話になっております」です。相手がそう書いてきたら、自分もそうしないと相手だけ浮いてしまう、という感覚があるといいます。
「いや、お前めっちゃ上から目線やん」って取るのか、「あ、そんなとこまで気遣ってくれてるの優しいね」になるのかは受けて次第だよな。
そしてたかしおは、自分自身をふり返って、こうしたふるまいには「とにかく自分をいい奴にしよう」という思いが透けて見える、と正直に認めます。
めちゃくちゃ自分をとにかくいいやつにしようっていう思いが、もう透けて見えまくってるなと思って。
この赤裸々な自己分析すらも、「ちゃんとおめでとうって私に向けて言ってくれているな」と受け取ってもらいたい下心につながっている、とたかしおは笑いながらまとめます。当たり前の言葉やふるまいを疑ってみると、コミュニケーションの本質が少しずつ見えてくる回になりました。
最後に二人は、リスナーにおすすめのエッセイ本を教えてほしい、と呼びかけます。発信の場が増えた分、出会えていない面白い書き手も多いはずだ、というのがその理由です。
まとめ
小川哲さんのエッセイ『斜め45度の処世術』を入り口に、えなりとたかしおが「性格がいい」「誕生日おめでとう」「天気の雑談」といった当たり前の言葉を疑い直した回でした。当たり前をずらして見ることで、コミュニケーションの本質が見えてくる、という気づきに満ちた対話になっています。
- 「性格がいい」は「人当たりがいい」と「善意がある」で意味が分かれ、必ずしも褒め言葉ではないという見方が語られた
- 深読みせずまっすぐ発信する「いい人」ほど炎上しやすい、という小川さんの仮説を、為末大さんの例を交えて検討した
- 「誕生日おめでとう」を廃止して「今日誕生日だね、ご飯行こう」と誘う、という提案が二人の共感を集めた
- 天気の雑談も、メタな視点を加えれば面白い会話に変えられるが、その面白さは相手によって分かれる
- 「つまらない」という断定は相手を萎縮させうるため、面白さの感じ方の個人差を意識したい、という指摘が出た






