ten-minute walkのSはなぜ消えるのか
話の発端は、tenとminuteをハイフンでつないだ「a ten-minute walk」という表現です。
このとき、minuteは複数形のSがつきません。「ten-year-old daughter」でも同じで、yearsのSは外れます。
渡邉さんはこの現象を昔から疑問に思っていました。理屈としてSがなくなることは知っていても、なぜそうなるのかが自分の中でしっくりこなかったといいます。
ところが、今週のラジオ英会話の講義で「It's a ten-minute walk.」が再び出てきたとき、ふと答えに気づいたそうです。
big、large、beautiful、specialといった形容詞は複数形になりません。ハイフンでつないだ「ten-minute」も、名詞ではなく形容詞のように働いているから、Sが外れるのだという理解です。
それだ!と思ったんですよ。いや、それに気づいてすごい嬉しくなったんですね、僕は。今まで無理やり覚えていたもの、暗記でなんとかカバーしてきたものに、すっと筋が通った瞬間でした。
覚えさせるだけの教え方への違和感
渡邉さんは、これまで学生に説明するとき「ハイフンでつなぐときはSがなくなるよ」としか言えなかったと振り返ります。
その説明はどこか気持ち悪かったそうです。理屈ではなく暗記でカバーしていたからです。
覚えなさいっていうだけのものって、講師としてはすごく致命的だと思ってるんですよ。覚えなさいって言われても、それを覚えるのが大変なんだって話になる。だからひと手間、工夫をして覚えてもらいたいんです。
「形容詞だから」という一言でどこまでも説明がつく。その発見が、渡邉さんにとっての感動でした。
Xに投稿したら思わぬ反応が返ってきた
この気づきを、しばらく休んでいたXに久々に投稿したところ、思いのほか多くの人に見られてしまいました。
純粋に喜びを叫びたかっただけなのに、「英語の講師の方ですよね」「満点ですか」といった反応が返ってきたといいます。
人の発見した時の喜びみたいなものを、なんでこう摘むようなことしちゃうんだろうなって。僕は摘まれそうになったんですよ。SNSに慣れてなかったら、こういうこと言っちゃいけないんだと思ったかもしれない。
講師だから全部知っているべき、という空気もあったのかもしれません。
渡邉さんは、今回の気づきが中学や高校で扱う内容であることを認め、知らなかったことを反省しつつも、講師でも知らないことはあると率直に話しています。
キッチンカーの仮説と、気づく喜びの共通点
渡邉さんは、気づく喜びは英語に限らないと語ります。
最近アルバイトしているキッチンカーで、米を盛るときに容器を持つ手には力を入れない方がいいのでは、という仮説を持ったそうです。
その仮説を先輩にぶつけると、「確かにそうだよ」と返ってくることもあれば、「そこは気にしなくていい」と返ってくることもある。そうしたやりとり自体が面白いといいます。
自分が「わーこうかも」って思えることって、年齢を重ねるとどんどん減っていく。だからこそ気づいた時の喜びって嬉しいじゃないですか。それを「そんなことも知らないんですか」って受け止められかねない言い方をされるとしんどい。
だからこそ、誰かが何かに気づいたときには「それやっぱり思いますよね」と返せる方がいい、と渡邉さんは考えています。
できない部分とかを見た時に、そこを責めに行く姿勢みたいのはあんまりよろしくないよなって思ったりします。
疑問の糸を垂らし続けると、いつか筋が通る
渡邉さんには、他にも長く抱えていた疑問がありました。
たとえば現在完了です。完了、経験、継続、結果といった意味があるのに、なぜ「完了」という名前なのかが引っかかっていたそうです。
これは大西先生の「今に迫ってくる」というイメージで、渡邉さんの中では解決したといいます。
自分自身で気づいた例もあります。ing形には動名詞、現在分詞、分詞構文といった名称があり、なぜ三つに分かれるのか考え続けていました。
文中の位置によって名前が違うんじゃないかって。僕らは名前を先に知るけど、そもそもどうやって気づいたらいいんだろうって考え続けてたら、あ、位置で判断してんじゃんって思ったんですね。
冠詞についても同じです。なぜaやtheをまとめて冠詞と呼ぶのか疑問に思っていたら、名詞の塊の前につく「名詞の冠」なのだと腑に落ちたそうです。
さらに、a、the、some、my、manyなどが似た振る舞いをすると感じていたところ、大西先生が使う「限定詞」という見方に出会い、同じ視点を持つ人がいると知って嬉しくなったといいます。
これらの気づきは、わかっている人には何でもないことです。それでも、無理やり覚えていたものに筋が通る瞬間の喜びは大きいと渡邉さんは語ります。
調べなくてもいい、疑問を潰さないでほしい
渡邉さんは、自分をめんどくさがりだと認めます。
TOEIC講師とか英語講師の中で一番辞書を引いてないかもしれないってぐらい引かないです、本当に。めんどくさがりなんで。
「調べて解決しろ」というのは正論かもしれない。それでも、必ずしも調べなくてよく、疑問を持ち続けていれば誰かの言葉やふとした拍子に「そういうことか」と気づくことがある、と話します。
大事なのは、疑問を「覚えなくてはならない」と潰してしまわないことです。一定の時期は暗記で処理してよい。ただ、疑問に思っていていい、というのが渡邉さんの主張です。
そして、誰かが気づきを共有したときに、それに目を瞑らないでほしいと渡邉さんは語ります。
なんか悲しいんですよね、シンプルに。「あるよね、そういうこと」みたいな。そういうふうになってたらいいなと思いながら、今日動画を撮りました。
まとめ
この回で渡邉さんが伝えたかったのは、疑問を持ち続ければいつか解決する喜びが訪れること、そしてその喜びを摘まずに共有できる世界になってほしいということでした。ten-minute walkの小さな発見から、学び続けることの醍醐味へと話は広がっていきます。
- ten-minute walkのSが消えるのは、名詞ではなく形容詞のように働くから、と気づいた
- 覚えさせるだけの教え方に違和感があり、工夫して理解してもらいたいと考えている
- 気づきの喜びは英語に限らず、キッチンカーの仮説のような日常にもある
- 疑問の糸を垂らし続けると、いつか誰かの言葉やふとした拍子に筋が通る
- 人の気づきを責めず、共有できるコミュニティであってほしいと願っている
