今回の相談:夫にときめいてあげたい
結婚して10年ほどのご夫婦。夫は妻のことが大好きで、愛情表現もいつも豊か。円満ではあるものの、妻のほうは夫に「ときめき」がない。夫はずっとときめいてくれているので、自分だけときめけないのが申し訳ない。どうやったらときめけますか?
相談を寄せたのは、ときめきが欲しい奥様のほうです。おしょうが確認すると、その言い回しには微妙なニュアンスがありました。単に「ときめきたい」ではなく、「ときめいてあげたい」というスタンスだったのです。
清水はこの言葉の背景をこう読み取ります。夫が大好きで、夫を喜ばせたい。だからこそ「ときめいてあげたい」という表現になっている――。おしょうも「これはリアルですね」と、生活実感のこもった相談として受け止めました。
すごい厳密に言うと、ときめいてあげたいって言ってました。
メンタルはメンタルで解決できるのか
清水がまず出した答えは「ハプニング」でした。生活のなかではルーティンが決まり、コミュニケーションも変わりません。だからこそ事故的な出来事や非日常によって日常を揺らがされ、久しぶりに見る相手の顔に出会える、という発想です。具体案として挙げたのは、なんと二人でのバンジージャンプでした。
「死ぬかもしれない」ような危機感を二人で体験し、終わった後のホクホク感から新しいコミュニケーションが生まれる。この提案におしょうは強く共感します。ポイントは、ときめきという“気持ち”の問題を、気持ちだけで解こうとしないことでした。
メンタルのことをメンタルで解決しようとするのきついよね。だから結局そのフィジカルになるよね。
「ときめかなきゃ」と気持ちを直接コントロールしようとする。無理が生じやすい。
バンジーや推し活など、身体を伴う体験でルーティンを崩す。結果として気持ちが動く。
そもそも「ときめき」って何?
話は「ときめきには賞味期限があるのでは」というテーマへ進みます。おしょう自身も「ときめきは切れていない」としつつ、当時とまったく同じかと言われれば違う、と正直に語ります。そこで二人は立ち止まり、そもそも「ときめき」という言葉の定義があやふやだと気づきました。
清水いわく、ときめきは普段の生活では使わない言葉で、「漫画の世界」や「好きな芸能人・推しに会う」ようなテンションで使うイメージだといいます。瞬発力があり、その瞬間にパッと消えてしまう。だからこそ、日常の夫婦関係に当てはめると期限があるように感じられる、というわけです。
おしょうはさらに踏み込み、大切な前提を提示します。「旦那さんも、おそらく奥さんにときめいているわけではない」というのです。結婚10年、子どもを二人育てている関係で、恋愛初期のようなときめきが続いているとは考えにくい。夫は妻を「大切にしてくれている」のであって、それをときめきという言葉で包んでいるだけではないか、という見立てでした。
瞬間的に高まり、パッと消える。賞味期限があり、推しや漫画のようなテンションで使われる言葉。
形は変化しても根底は変わらない。時間とともに熟成・深化していく。夫婦関係を支える土台。
大切にする、のかたちは人それぞれ
おしょうは、言葉に引っ張られる危うさを指摘します。「この人ときめいているな」という言葉は疑ったほうがいい、というのです。仕事の場面でも似たことがあると例に出します。「つながりを作る」より「つながりを紡ぐ」のほうが奥行きがあるように聞こえるが、実質は同じではないか――。この「紡ぐ」というワードは、この回を通じて二人のあいだで何度もネタとして繰り返されていきます。
結論として二人が導いたのは、「相手を大切に思っていれば、そこから出てくるアクションは人それぞれ」ということでした。夫のポジティブな愛情表現に劣等感を持つのではなく、奥様は自分なりのアクションで返せばいい。喜ばせたいなら、ときめいていなくてもサプライズケーキだって用意できる――そういう発想の転換です。
清水家の「諦め」という選択
ここで清水が、自分たち夫婦の話を打ち明けます。結婚して十数年。あるタイミングで夫婦のフェーズが大きく変わったといいます。それまでの数年間は、お互いにできないこと・足りないことを言い合い、時には大爆発する日々でした。
そして節目の年、清水は夫にはっきり伝えます。「これからはお互い諦めましょう」と。相手のできないことは諦めるから、自分のことも諦めてほしい。お互いに強要せず、「これはやれないよね」を前提に進んでいこう、という提案でした。
お互いのできないこと・足りないことを言い合い、時に大爆発。「やってくれよ」が止まらない日々。
「お互い諦めましょう」と宣言。強要せず、できないことを前提に受け入れて進む関係へ。
「諦め」というと一見ネガティブに聞こえます。しかし清水は、これは心が離れているのではなく、むしろ関係をより深めるための選択だと語ります。おしょうもそれに同意し、「相手を大切に思っているから、アクションとして諦めようね、なだけ」だと言い換えました。大切にしていなければ、そもそも解散すればいい話だからです。
相手のことを大切に思う根底は同じでも、そこから出てくるアクションは人によって違う――「諦め」も「愛情表現」も、その表れ方の違いにすぎない。二人はそう結論づけました。奥様も、劣等感を抱かず自分なりの形で夫と向き合えばよく、もしどうしてもときめきが欲しいなら推し活やバンジーのようにフィジカルを伴う体験を取り入れればいい、というのが最終的な提案です。
まとめ
「夫にときめいてあげたい」という切実な相談から始まった今回。二人がたどり着いたのは、ときめきという言葉に縛られすぎないことでした。ときめきは瞬発的で賞味期限があるもの。一方、夫婦を支えるのは、形を変えながら熟成していく「大切に思う気持ち」です。
おそらく夫のほうも、恋愛初期のようなときめきが続いているわけではなく、自分なりのやり方で妻を大切にしているだけ。だとすれば、奥様も自分のアクションで返せばよく、劣等感を持つ必要はありません。清水家の「諦め」という選択も、根っこは同じ「大切に思う気持ち」の表れでした。もしそれでもときめきを味わいたいなら、気持ちを直接いじるより、非日常の体験でルーティンを崩すのが近道かもしれません。
- 「ときめき」は瞬発的で賞味期限がある。夫婦を支えるのは形を変えて熟成する「大切に思う気持ち」。
- 夫もおそらくときめいているのではなく、自分なりに妻を大切にしているだけ。言葉に引っ張られすぎない。
- 相手を大切に思う根底が同じでも、そこから出るアクションは人それぞれ。劣等感を持つ必要はない。
- 気持ち(メンタル)は気持ちで解決しづらい。ときめきを求めるなら推し活やバンジーなどフィジカルな体験でルーティンを崩す。
- 清水家の「諦めましょう」という選択も、心が離れたのではなく関係を深めるための愛情表現のひとつ。
