校則も制服もない超・自由な所沢高校
番組は、園田さんの小学校から中学校卒業までを前回聞き終えたところから始まります。
藤原さんいわく、そこまでは「何の特徴もない」優等生。舗装された道路を寄り道もせず、はみ出さずに歩いてきたような少年だったと振り返ります。
ただ、高校受験の失敗や尾崎豊を聴き始めたことで、少しずつ変化の兆しが出ていました。
進学先の埼玉県立所沢高校は、校則がないという学校でした。「上履きを履きましょう」くらいのルールしかなく、髪の色もパーマも私服もすべて自由だったと話します。
高校は高校が多分一番なんか自由で。まず校則がないんですよ。上履きを履きましょうぐらい。
卒業式ボイコット騒動と、その残り香の中での入学
所沢高校には、園田さんが入学する少し前に起きた出来事がありました。日の丸・君が代問題です。
移動でやってきた校長が、卒業式で日の丸を掲げ君が代を歌うことを強制したところ、一部の生徒が「強制されるのは違う」と卒業式をボイコット。自分たちで「卒業を送る会」を立ち上げ、体育館を使って卒業生を送り出したといいます。
この件は朝日新聞やテレビ朝日などで取り上げられ、右翼の街宣車が来るなど、一時は全国ニュースになったと語られています。
園田さんが入学したのはその後で、まだ残り香がある頃でした。新入生代表として挨拶をしたところ、入学式には街宣車が2台ほど校門前に来ていたそうです。
翌日には、園田さんの挨拶が新聞に載りました。思想的なことを言ったわけではないのに、です。
リスクを恐れる園田少年としては、自分が喋ったことが新聞に出ているのは怖いと思わなかったのですか。
怖いというより「新聞に出た」と少し嬉しく、有名人になったような気分だったと話しています。
家庭の背景もありました。母親は共産党を強く支持しており、新聞は朝日新聞と赤旗を取っていたといいます。日の丸にお辞儀をせず、君が代でも起立しなくていいという方針で育ったため、親は所沢高校への進学を喜んでくれたそうです。
価値観がぶっ壊れた、多様性のるつぼ
所沢高校は1学年10クラス、1クラス40人という大規模校でした。そして全員が自由です。
1年のクラスで一番成績が良かった生徒は、ドレッドヘアにベロピアス、スケボー通学だったと園田さんは振り返ります。
一方の園田さんは、サラサラのツーブロックにセンターパート、ベージュのチノパンに白いシャツ、ベージュのカーディガンという「優等生すぎる」服装で入学式に臨みました。
隣の席の子は金髪でアイメイクを盛ったギャルで、なぜかどこかの制服を着て緑のネイルをしていたといいます。今まで会ったことのない人種がわんさかいる状態でした。
今まで会ったことない人種がもうわんさかいるみたいな。みんなスケボーでB系のやつもいるし。そう、ビビりましたね。
怖さもありましたが、ビビると何かやられるのではと思い、「別に平気だし」という顔を頑張って作っていたそうです。真ん中の取り方がわからなかったといいます。
面白いのは、見た目が派手な子ほど成績が良いことでした。真面目に勉強して入った子の方が地味で、ドレッドやギャルの子の方がテストができる。園田さんはこの環境で「普通って何だろう」と価値観が一気にぶっ壊れたと話します。
「恋愛よりも自由だ」尾崎豊のこじらせ
この頃も尾崎豊を聴き続けていました。ハマりのピークは高校1年頃です。
そして園田さんいわく、恋愛でいえばモテ期のピークもちょうど高1でした。入学して半年ほどで何人かから告白されたそうですが、すべて断っています。
理由は「恋愛なんてくだらない」。もっと大事なもの、つまり自由とは何かということの方が、当時の自分には大事だったといいます。
理由が「いや恋愛とかくだらない」っていう。自由って何なのかっていうのが、当時自分にとって一番大事だった。だから女が可愛いとか言ってる場合じゃないみたいな。
さすがに面と向かって「自由とは何だ」とは言わなかったものの、頭の中は「こいつらくだらねえ、ちゃんと考えるべきは社会のことだ」と思いながら振っていたと話します。
振った後は、部屋の電気を消してヘッドホンで尾崎を聴きながら、尾崎の書いた小説やプロデューサー須藤晃さんの書いた書籍を読みふけっていたそうです。
真冬にママチャリで山中湖へ。公衆電話で号泣
溜め込んだものをどう表出するか。園田さんはまだわからず、やんちゃや非行に走る勇気もありませんでした。
そこで選んだのが、チャリで遠くまで行くことでした。ある高1のとき、織田裕二がツアーコンダクター役を演じるドラマを見たことがきっかけです。
劇中で、修学旅行中の子が織田裕二に会うために自転車で仙台あたりから東京まで来る。その場面を見て「これだ」と思った園田さんは、ドラマが終わった瞬間に荷造りを始めます。
これだ!と思って、そのドラマを見て終わった瞬間に荷作りして、ちょっと行ってくるつって。
時は2月の真冬。夜11時ごろに家を出て、目指すは山中湖でした。親が必死に止めるのを振り切り、ウエストポーチにライフガードとコッペパンだけを詰めてママチャリで出発します。
1時間ほどで雨が降ってきました。しんどくても、親を振り切ってきた手前、安易に帰れません。びしょ濡れで店にも入れず、電話ボックスでパンを食べ、ライフガードを飲みながら泣いたといいます。
電話ボックスに入ってパン食って、ライフガードを飲みながら、ちょっとマジ心細くなってちょっと泣くみたいな。
峠を越え、朝7時か8時に山中湖に到着。しかし凍傷になりかけていて、湖を見たらそのまますぐ折り返したそうです。感傷に浸ることもなく、ただ「寒い」の一言でした。
この突発的な行動を、園田さんは月曜には誰にも話さず、何気ない顔で登校していたといいます。学校生活では中心グループにはいるものの、深く仲のいい友達はあまりいませんでした。
藤原さんは、これも尾崎の影響ではないかと指摘します。「お前らごとき」「俺の世界線とお前らの世界線は違う」という感覚があったのではないか、と。
一応その中のポジションだけは作っとくみたいな。そんな感じでした。
ママレード・ボーイと東京都庁。建築への道
高2ごろになると、園田さんは少しずつ周囲を見直していきます。真面目に人生を考え、行きたい大学ややりたいことを持つ同級生たちを「くだらなくないかも、すごいかも」と思い始めたそうです。
高3で進路を考えるとき、周りのすごさに触れて「俺どうしよう」となり、たどり着いたのが建築でした。理由は主に2つあると語られています。
ママレード・ボーイ
主人公ゆうくんが、彼女を置いて自分の道として建築を選ぶ生き方に憧れた
東京都庁
丹下健三設計の巨大な建物群を見て、街そのものを作れるという感覚を得た
1つ目は漫画『ママレード・ボーイ』です。金髪の主人公ゆうくんが、ヒロインと別れてまで大学で建築をやるために進む姿を「かっこいい」と感じたといいます。
藤原さんは、山中湖に走った小田裕二のドラマもゆうくんも、共通して「一人で自分の道を選ぶかっこよさ」だと整理します。園田さんも、それは尾崎に重なると同意しました。
2つ目のきっかけが東京都庁です。公務員だった父の勤務時期があり、食堂に入った際に第一庁舎、第二庁舎、都議会議事堂、隣のパークハイアットという丹下健三の建物群を目にします。
家庭科の先生と昼食をとる仲だった園田さんは、建築やインテリアに興味があると相談し、間取りを作る課題を授業に取り入れてもらったり、建築を学べる大学を教えてもらったりしたそうです。
尾崎とピストルズの2枚看板。そして推薦で工学院大学へ
高校では体育祭が最大の目玉でした。連合ごとに単管でスタンドを組み、衣装をオリジナルでデザインし、日暮里へ生地を買いに行く。学年ごとに色が決まり、その時期は全員がその色に髪を染めます。
園田さんは1年で緑、2年で青、3年でオレンジ。団地暮らしだったため、緑の髪では浮いてしまい、周囲から「園田さん家の息子さんグレちゃったんじゃない」と見られたそうです。父は必死に「やめてくれ、恥ずかしい」と言っていたといいます。
この頃、尾崎の次にハマったのがセックス・ピストルズでした。パンクファッションに傾倒し、上野のアメ横で服を買っていたと語ります。
興味深いのは、尾崎とピストルズが園田さんの中で「共存」していたことです。ピストルズは英語がわからず音楽自体には入り込めないものの、尾崎は歌詞に入り込める。どちらも「社会に対して」という共通項でつながっていたといいます。
なんかどっちも社会に対してっていう、っていう共通項だけでなんか共存してました。
北爪さんも高校でピストルズを通った一人でした。隣の席の生徒が口に安全ピンをしていて驚き、シド・ヴィシャスの映像を見せられて洋楽に入っていったと振り返ります。
当時の園田さんは「27歳で死のう」と思っていたとも語ります。偉大なロックアーティストが27歳で亡くなることになぞらえ、それ以上生きたらダサいと考えていたそうです。
当時思ってたのは27で死のうと思ってました。偉大な何かになって、それ以上生きたらダサいと思ってました。
進路は、受験を避けて指定校推薦を選びました。トラウマのある入試は受けないと決めていたためです。
指定校の枠にあった工学院大学の建築都市デザイン学科は、建築も都市もあり、しかもデザインもある。園田さんには「全部完璧」に見えたといいます。
一方で慶應の枠が余った際には変更を勧められましたが、学科名に「建築」がないという理由で断りました。後から有名な建築の先生がいたと知り、悔しがったそうです。
いや、偏差値じゃなくて、俺は建築がやりたいんだ。だから慶應じゃない、偏差値じゃない。
進路が決まった後の高3は、日韓ワールドカップに沸き、5月生まれの園田さんは友達より早く車の免許を取りに教習所へ通いました。親の車で友達と走り出す。藤原さんはこれを「結局優等生」と評しています。
まとめ
自由な所沢高校で価値観を揺さぶられ、尾崎豊とセックス・ピストルズを抱えながら、園田さんは真冬のチャリ旅で溜め込んだものを発散していました。そして『ママレード・ボーイ』と東京都庁という点が、建築・都市デザインという道につながっていきます。人に迷惑をかけず、闇を自分の中に抑え込んできた高校時代が、いまの仕事のルーツとして語られました。
- 校則も制服もない所沢高校で、園田さんは「普通って何だろう」と価値観がぶっ壊れる経験をした
- 「恋愛よりも自由」と尾崎豊をこじらせ、告白を断り続けた高1時代があった
- ドラマに感化され、真冬にママチャリで山中湖を目指し、公衆電話で号泣する突発的な旅に出た
- 『ママレード・ボーイ』のゆうくんと丹下健三の東京都庁が、建築を志す2つのきっかけになった
- 尾崎とピストルズが「社会に対して」という共通項で共存し、指定校推薦で工学院大学の建築都市デザイン学科へ進んだ
