憧れと恐怖のはざまで飛び込んだニューヨーク
番組冒頭、聞き手の北爪さんは前回からの続きを早く聞きたいと前のめりでした。今回のゲストは、2回目の登場となるThe Source Dinerの安達真さんです。
北爪さんは同じ時代に東京でヒップホップやアメリカのカルチャーに憧れていました。だからこそ、本場に飛び込んだ安達さんとの違いに強い興味を持っていたと話されています。
俺なんか東京で憧れてた方で、雑誌とか見て「本場ってこうなんだな」って生きてたから。同じ時代で、本場に行ってる人。これはどういう感じなの、って初めてお会いするんですよ、そういう方。
安達さんは教育学部の出身で、周りは教師を目指す人ばかりでした。渡米直前には同級生から心配されたり、遊んでいるように見られたりしたそうです。
「お前大丈夫か、そんなことしてて」って行く直前も言われたりとか。みんな先生になるような人だから。「いいよね、ダチは遊んでるような感じでさ」みたいな。いやいやこっちはさ、行くと決めたけど、むちゃくちゃ緊張してるわけ。
海外は卒業旅行でタイに行ったきりで、英語もほとんど話せませんでした。それでもアメリカ映画への憧れは強く、緊張と恐怖を抱えたまま渡米を決めます。
その映画とかでさ、アメリカに憧れますよ。特攻野郎Aチームとかナイトライダーとかも見てた。すごいなみたいな。でも麻薬捜査官みたいな話もあってさ、トレーニングデイとか見て「めっちゃ怖え、俺ここ行くのか」みたいな。
学生ビザとI-20という入国の仕組み
渡米には学生ビザだけでなく、学校に通っていることを示すI-20という書類が必要でした。当時は5年のビザが取れたものの、I-20を維持しなければ滞在できない仕組みでした。
目的地はオーナーの矢作さん、通称「おじさん」が営むテアドルというカフェでした。Googleマップもないころなので、地下鉄の地図と地球の歩き方を頼りに紙で調べて向かったそうです。
当時Googleマップもなければ全部地図ね。この地下鉄の地図と地球の歩き方持って、ここに行くにはえーとみたいな、全部紙で調べていくじゃん。ここかみたいに入って、おじさんに来ましたと。
ようやく到着しても、リアクションは思ったより薄かったといいます。連絡がすぐ届く時代ではなく、「本当に来たの」といった空気だったそうです。
「フジ弁当」の配達員として街を這い上がる
英語が話せないため、カフェではすぐに働かせてもらえませんでした。そこで見つけたのが、ローアーイーストサイドにあった弁当屋「フジ弁当」の配達員でした。
店を営んでいたのは中国人の張さん、調理スタッフは南米出身のスペイン語話者が中心でした。日本の弁当を多国籍なメンバーが作る、まさにニューヨークらしい光景です。
働いてる人はみんなスパニッシュで、英語も通じないスペイン語ばっかり。南米の人たちが日本の弁当を作ってるという、マジでニューヨークだよね。
一方、配達員は日本人でした。配達先はミッドタウンのオフィス街にある三菱などの現地法人で、日本の弁当を届けるには日本人が向いていたのです。
仕事はかなりの肉体労働でした。何十個もの弁当を詰めた大きなバッグを、エレベーターのない地下鉄の階段で運び上げていったといいます。
でっかいキャリーバッグに弁当を何十個も詰めて、エレベーターもないところだからさ、重いスーツケースを一生懸命階段でこうやってね。満員電車みたいなところに無理やり乗るわけ。
9.11のテロ後で、ビルの警備は厳しくなっていました。配達員は毎回裏口で写真を撮られIDを作られ、指定の階へ上がって弁当を並べ、昼休みに一つ5ドルほどで売っていたそうです。
レベル2の語学学校とママドゥとの連帯
昼間は弁当配達、夜は語学学校というのが安達さんの生活でした。学校は8段階あるうちのレベル2、つまり最低クラスからのスタートでした。
クラスメイトは昼間働くスペイン語話者やポーランド出身の人が多く、先生はフィリピン出身のエリザベスさんでした。英語が得意でない者同士、独特の連帯感があったそうです。
その一人がアフリカ出身のママドゥさんでした。言葉は片言でも、安達さんが持ち込んだ日本のアダルトビデオを見せるなど、飾らない付き合いだったといいます。
アフリカのママドゥってやつがいて、俺の住んでるところに一緒に行って、パソコンに入ってるエロビデオを見せてやった。「お前、日本のポルノ見たい」「見たい」みたいな。わからない同士だけど、エロは共通じゃんみたいな。
英語のレベルはなかなか上がりませんでした。ニューヨークには言語ごとのコミュニティがあり、最低限の英語でも生活が成り立ってしまうからだと安達さんは振り返ります。
スパニッシュしか喋れない人もいっぱいいるわけ。でも成り立っちゃうのよ、そのコミュニティがあるから。
チップが教えてくれた街の常識
働きぶりが認められた安達さんは、午後便という一人だけの配達も任されるようになりました。日本人が多く住むイーストヴィレッジのサロンや古着屋を回る仕事です。
ここで学んだのがチップの文化でした。5ドルの弁当に1ドルのチップをくれる人たちは、チップの大切さを知っていたのです。
五ドルの弁当に一ドルのチップくれる。なぜなら、その人たちはチップが大事なことを知ってるから。だけどオフィスの人たちはチップくれないの。
対照的だったのが、ミッドタウンのオフィスにいる駐在員たちでした。会社の給料で来ていてアメリカのカルチャーへの関心が薄く、チップを払わないことが多かったといいます。
のちにカフェで働いた際、駐在員の奥さんも同じでした。理由を尋ねると「忘れていた」と答える、その「わかっているのに払わない」姿に安達さんは面白さを感じていました。
午後便は売れる数が同じでも収入が倍近くになりました。街のカルチャーへの姿勢が、そのままチップの有無に表れていたのです。
アメリカのカルチャーが好きで来ており、配達員がチップで生活していることを理解してくれる
会社の給料で来ていてカルチャーへの関心が薄く、わかっていてもチップを払わない
辞めても滞在資格を保つI-20ハック
渡米から半年ほどでカフェの仕事に移り、朝7時から働くようになりました。すると語学学校に通えなくなり、I-20をどう維持するかという問題が生じます。
そこで使われていたのが、闇ルートでI-20を手に入れる方法でした。中国人や韓国人が営む怪しいオフィスで、実在する大学の書類が発行されていたそうです。
I-20って書類、学校辞めるとなくなるじゃない。だけど買えるの、闇ルートで。中国人とか韓国人がやってる怪しいオフィスがあって。
表面上は合法の滞在資格を保てますが、実際には通っていないため、詰められればバレてしまいます。特に問題になるのは、日本へ帰国し再入国するときでした。
安達さんは、在籍していることになっている学部や学問の内容を把握し、質問に答えられるよう備えていました。それでも運悪く入国できなくなる人もいたそうです。
こうした綱渡りを続けながら、安達さんはおよそ3年間ニューヨークに滞在します。不法就労で成り立つ側面が街にはあり、それが今のアメリカの移民政策の難しさにもつながると話されています。
相棒の裏切りと「DIY」というメッセージ
帰国のきっかけは、一緒に店をやろうと約束していた大学時代の仲間からの連絡でした。「そろそろやろう」というメールを受け、来年帰ろうと決めます。
当時付き合っていた彼女も日本へ帰りたがっていたため、自然な流れで帰国が決まりました。22、23歳で渡り、27歳ごろに帰る計画です。
ところが、アムトラックでの大陸横断の旅に出る数日前、その相棒から衝撃のメールが届きます。
久しぶりだなと思って読んだら、「俺、結婚することになったからお前と一緒に店できない」みたいな。いやいやいや、帰るって決めたんですけど、と。とりあえず帰ったらもう一回話そうと言って旅に出て。
梯子を外された形でしたが、帰国して相棒に会ったころには「もういっか」と思えていたそうです。結婚するのなら仕方がない、それは彼の人生だと受け止めました。
帰る直前、仲の良かった友達がステンシルで「DIY」とスプレーした洋服をくれました。Do It Yourselfというメッセージです。
DIYっていうとトンカチみたいなイメージあるけど、Do It Yourselfっていう「自分で全部やろうよ」ってメッセージをくれて、そうだよねと思って。誰が一緒にやるとかじゃなくて、俺がやりたいからやるんだし。
D&DEPARTMENTと引き寄せられる縁
帰国後、安達さんはお金も東京の土地勘もない状態でした。世田谷に住み、家具屋を探していてD&DEPARTMENTにたどり着きます。
下のカフェで買ったケーキが美味しく、募集の張り紙を見て面接を受けました。受けたのはこの一件だけだったそうです。
ところがD&DEPARTMENTはちょうどニューヨーク店を出そうとしているタイミングでした。ニューヨーク滞在の経験が、思いがけず役に立つ流れになります。
聞き手たちは、崩れたはずのカフェの計画が別の縁へつながっていく様子に「引き寄せの法則」を感じると話していました。
カフェを作ろうって計画が一回崩れてるんだけど、その後繋がっちゃうよね。
D&DEPARTMENTのカルチャーは、日本のものを再発掘するもので、ストリートやヒップホップとはむしろ真逆でした。それでも唯一Bボーイだったジャンボさんと通じ合い、のちに店の内装を手がける縁になったそうです。
もらった恩を渡していく生き方
安達さんの回想には、人に恵まれ、救われてきた経験が多く出てきます。聞き手たちは、大きな節目で裏切られた話がほとんどないことに気づきます。
帰国後、独立前には松本のアミジョクのキッチンを勝手に借り、料理を振る舞って周年をお祝いしたこともありました。当時はかなり図々しかったと本人も笑います。
「俺料理するからパーティーしようよ」つって、勝手にアミジョクのキッチンを使って、俺が料理して振る舞って。今そんなことしてないじゃん、アミジョクって。当時、俺すげえ図々しかったと思うの。
いまThe Source Dinerが休みの日に若い人へ店を貸すのも、こうした過去とつながっていると聞き手は指摘します。もらった恩恵を次の人へ渡す姿勢が、自然と身についているようです。
まとめ
安達真さんのニューヨーク編は、憧れの華やかさではなく、弁当配達やチップ、滞在資格の綱渡りといったリアルなサバイバルの記録でした。相棒に去られても「DIY」の言葉を胸に一人で歩き出し、その後の縁が今のThe Source Dinerにつながっています。
- 英語も話せないまま飛び込んだニューヨークで、フジ弁当の配達員として生活そのものから街に馴染んでいった
- チップの有無から、アメリカのカルチャーへの姿勢の違いを肌で学んだ
- 学生ビザやI-20をめぐる綱渡りなど、人種の坩堝で生きるための知恵が語られた
- 相棒に店の約束を反故にされても、「Do It Yourself」の精神で一人でやる覚悟を決めた
- もらった恩を次の人へ渡す姿勢が、過去の人との縁から自然に育まれている
