アドリブが苦手なのは、ルールにこだわるから
私はアドリブがクソほど苦手だ。これはもう自分でも実感している。
じゃあなんでできないんだろう、と歩きながら考えてみた。
たどり着いたのは、自分の行動には全て一貫した理由を持たせたい、という性分だ。
そして相手も同じように、何かしらのルールに従って動いているはずだ、動いてなきゃおかしい、と思ってしまう。
もちろん自分と相手のルールが完全に一致する必要はない。というか、絶対に一致しないんだけれど。
ただ、その裏にあるルールが全くわからない言動。あれが、私は本当に吐き気がするんだよね。
ルールは、相手との距離を測る目安
誰かと一緒にいる以上、自分だけのルールを押し通すことはできない。
だからある程度は相手のルールに則った行動もしなきゃいけない。
でも、その相手のルールが何なのかがわからないと、こんなものに振り回されて自分のルールをねじ曲げられているのか、と思ってしまう。
なんでそこまでルールにこだわるのか。それは結局、そのルールが自分と相手がどういう距離を取ればいいかの目安になるからだ。
自分と相容れないルールに従って動いている人とは、付き合う理由がない。
そのくらい、私にとってルールは相手を測るものさしなんだと思う。
ルールは謝罪では変わらない
私が言っているルールは、「打ち間違えました、すみません」みたいなことで簡単に変わるものではない。
一生そういうもの、というレベルの話だ。
ルールに従った行動に悪意はない。本人は正しいと思ってやっているからだ。
だからそこに謝罪は存在しない。
その行動によって私に何か不本意なことがあったとき、相手は私の認識から永遠に消える。謝罪が絶対にないからね。
そしてそれは、私に対しても同じことだ。
私の言葉によって誰かが離れていった場合、「戻ってきてください」という言葉も届かない。相手はその言葉を聞く機会そのものをゼロにするからだ。
でも、私はそういうものだと思っている。
ルールの見えない暴言が、いちばん怖い
だからこそ、掲示板とかでイキっている人たちを見て、いちばん気持ち悪いと感じるのは、彼らがどういうルールに従って動いているのかが全く見えないところだ。
ルールの見えない暴言というのが、本当に怖い。
「グルドン」もそうかもしれない。あそこはまだいい方だけれど、「電ファミ」にも暴言を吐く人たちはいる。
もちろんルールはわからない。
なんというか、荒くれがわんさかいて、なんなら管理者すら荒くれだ、みたいな空気すらある。
だから、全ての行動には一貫したルールがある、という前提が私の中にある分、それが見えない場所はよけいに怖く感じるのかもしれない。
職場の指示にも、私は理由を探してしまう
そもそもなんでこんなことを考えたかというと、先生と話す機会があって、自分がどう考えているかを言語化する場面があったからだ。
職場で何か指示が出たとき、私は「これにはどういうルールがあるんだろう」と考えてしまう。
でも返ってくるのは「いいからいいから」だったりする。
じゃあなんで、その「こうしてください」が成り立つのか。この業務の責任はどうなっているのか。
そこがパッケージとして考えられていないんじゃないか、と引っかかることが何度かあった。
病院に行く日に限って、職場で人間関係のトラブルが起きたりする。勘弁してくれよ、というところだ。
まとめ
結局のところ、私は自分の行動にも相手の行動にも、一貫した理由を求めてしまう人間なんだと思う。それが良いことなのかどうかは、いまの時点ではまだよくわからない。ただ、理由の見えない言動に自分がここまで反応するのは、たしかなことだ。
- 私がアドリブを苦手にしているのは、行動の裏にある理由やルールにこだわるからだ。
- ルールは相手との距離を測る目安であり、簡単に謝罪で変わるものではないと私は考えている。
- ルールの見えない暴言や指示に、私はいちばん居心地の悪さを感じる。

