聞くことと見ること、情報処理のクセ
回の冒頭は、えばちゃんが受けた検査の話から始まります。診断は軽度の聴覚情報処理障害聴力そのものには問題がないのに、聞こえた音を言葉として処理・理解することが難しい状態。特に雑音下での聞き取りに困難が出やすいとされる。APDとも呼ばれる。で、どちらかというと聴覚過敏だったといいます。テレビの音量はえばちゃんが「6」、おぐりんが「33」。この差に二人は「ネズミとゾウくらい違う」と笑います。
生き物のサイズが違うよ。33と6だ。ネズミとゾウだよ。
えばちゃんは居酒屋のような場所で、自分のテーブルと隣・後ろの会話が同じ音量で混ざって聞こえてしまうと話します。検査では、左右の耳から別々の音声を同時に流され、片方を言語として処理しつつ、もう片方を「音」として一時記憶してから答える課題があったそうです。正答率は100%でしたが、とにかく疲れる。だから「聞きながら文字を起こす」ようなマルチタスクは苦手だといいます。
一方おぐりんは、混線が起きるのは聴覚ではなく視覚だと語ります。人の距離の取り方やカバンの持ち方から情報を読み取り、すぐそちらに意識がいってしまう。ただし、講義を聞きながらメモを取れるのは「聞いていないから」だと自己分析します。音としては入っていても、自分の頭の中のパターンに当てはめているだけで、思考には入ってきていない、というのです。
『WHOLE BRAIN』4つのキャラクターとは
ここから本題の書籍紹介に入ります。取り上げるのは『WHOLE BRAIN 心が軽くなる脳の動かし方』、著者はジル・ボルト・テイラー脳卒中を自ら経験した脳科学者。左脳の機能を一時的に失った体験をもとに、脳と自己のあり方を語った研究・著作で知られる。です。彼女は脳卒中を起こした脳科学者で、その体験から「右脳・左脳」「論理・感情」といった単純な二分法ではなく、一人の人間の中に4つのキャラクターがいるという捉え方を示しました。
理性的・論理的・分析的な切れ者。時間を厳守し、自我が強く、整理整頓好きなリーダータイプ。
不安と恐怖に支配されがち。傷ついた子供、怒り、自己嫌悪が前面に出る。尊重されないと怒る面も。
好奇心と遊び心にあふれ、無邪気で怖いもの知らず。「今ここ」がとても大事。
大局的で「ありのままの自分は宇宙の一部」と捉える。世界と自分をつなぐ物語を生み出す。
4人の中でも二人が特に議論したのはキャラクター4です。えばちゃんは当初、もっと感覚的なものかと思っていたと言いますが、おぐりんは「思考なのだろう」と解釈します。世界は自分の認識・認知から立ち上がり、その物語(ストーリー)を生み出すには思考が必要だと考えるからです。同じ思考でも、キャラクター1が支配的で優秀なストーリーを紡ぐのに対し、キャラクター4は地球や動植物、その中の人間という大きな物語を描く、という違いがあるといいます。
日本橋に精霊がいる、という感覚
おぐりんは以前から「山にも川にも石にも神がいる」と感じるタイプで、山登りをしていると「人を受け入れたくない山」がわかると語ります。えばちゃんはその感覚が7年ほど理解できなかったそうですが、最近になって初めて少しわかった、と打ち明けます。きっかけは日本橋でした。
あ、この街全体がちゃんと受け入れてくれてるなっていう感覚があって。
会社から日本橋まで歩いた5〜10分ほどの間に、街全体に受け入れられている感覚があったといいます。東京は意外と植物や植栽が多く、親しみがある。「ああ、これか」と、おぐりんの言っていたことがようやくつながったのです。
おぐりんは、木にも「抱きつかれたくない木」と「いいよと言ってくれる木」の違いがあると話します。ただし、その入り口はあくまで五感──嗅覚や聴覚など。感覚で受け取ったものを「この山は自分を受け入れていないな」と判断するのは思考だ、というのが彼の整理です。二人は「こんなにも人とは分かり合えないのに、分かり合えるものがあった」と喜びつつ、別々のものを見ながら「一緒だね」と言い合っているのかもしれない、とも笑います。
二人のキャラクター配分を比べてみる
おぐりんは自分を「左脳8・右脳2」と分析します。その上で、思考と感情の割合は状況によって変わり、仕事中は左脳の思考が6、そうでない時間は左脳の感情が6に寄る、と話します。キャラクター配分をおおまかに数字にすると、次のようになります。
| キャラクター | おぐりん | えばちゃん |
|---|---|---|
| 1(理性的) | 約4 | 約3 |
| 2(不安・恐怖) | 約4 | 約1〜2 |
| 3(感覚的) | 約1(下手すると0.1) | 約4 |
| 4(宇宙とつながる) | 約1 | 約1〜2 |
おぐりんはキャラクター3が弱く、登場するのは釣りをしている時くらいだと言います。釣れても釣れなくても楽しく、勝ち負けがない。無邪気で「今が大事」な状態です。とはいえ月1回行くかどうかなので、割合としてはごくわずかだと苦笑します。
えばちゃんはキャラクター3が強い一方で、キャラクター1がないと働けないとも言います。興味深いのは、両者の共存のさせ方です。えばちゃんは「キャラクター3の面倒をキャラクター1が見ている」と表現します。チームの中で誰かがキャラクター3を発揮したい時、自分がキャラクター1の役割を引き受ける。だから真面目な人ほど、えばちゃんの前ではふざけ始めるのだといいます。
よどんだ大人と、言葉にならない情報
話題は年齢とキャラクターの関係へ。40代でも素敵な遊び心を持ち続ける人もいれば、「よどんだ大人」もいる、とおぐりんが問いかけます。えばちゃんの答えは端的でした。「よどんだ大人と遊ばないからわからない」。それでも、よどんでいることを誤魔化す人が一番つまらない、と続けます。
よどんでるのに、それが正解であることに執着している。思い込もうとしている。それが一番つまんない。
そうした違和感は言葉になる前に伝わってしまう、というのが二人の共通認識です。おぐりんは、言っていることとやっていることのズレや、作られた表情への違和感を挙げ、「実は言葉のほうが伝わるのは後だ」と言います。えばちゃんはそれを「言葉は情報を削ぎ落とした記号」だと表現します。生のチューリップの色・大きさ・みずみずしさ・匂いが先に伝わっていて、「赤くて大きなチューリップです」という言葉は後追いで確認するだけ、というわけです。
この流れで、情報が少ないメディアほど自己解釈の余地が大きく、アートになりやすいという話に発展します。音楽や絵画のように断定しづらいものは、受け手が自分の物語を重ねられる。逆に、TikTokのショート動画のように刺激が強く余白のないものを浴び続けると疲れてしまう、と二人は指摘します。おぐりんは、お笑い芸人のポッドキャストを聞きながらスタジオの情景を頭の中で再生できるのが楽しいと語ります。
ありのままを見るために絵を描く
ここで、頭の中に映像が浮かぶかどうかという話になります。おぐりんはビジュアルシンカー物事を言葉ではなく映像・イメージで思考するタイプの人。小説の場面や概念を頭の中で映像として再生・展開できるとされる。で、小説を読むと場面が映像として浮かび、アニメ化された作品は自分のイメージと声が違うと違和感が走るため苦手だと言います。えばちゃんもビジュアルシンカーで、「アップルパイ」と言われた瞬間に映像が浮かぶタイプです。
興味深いのは、映像は鮮明に浮かぶのに、おぐりんは絵が描けないという点です。人間を描くと「手がまっすぐ伸びたグー」のようになり、立体や奥行きのあるものが描けない。えばちゃんはその理由を「概念として描いているから」だと分析します。目の前のものを見たままではなく、記号化された「動物」「足はまっすぐ生えているはず」という概念を通して描いてしまうのです。
「足はまっすぐ生えているはず」という記号化されたイメージを通して描く。立体や奥行きが再現しにくい。
筋肉やかかとの位置など、実際の形をそのまま観察して描く。絵を逆さにして描くと概念が外れやすい。
えばちゃんは、絵を上手に描くには行ったり来たりが必要だと言います。骨格や筋肉を分析的に理解しながら描き、そこから自分が表現したいものへと変えていく。おぐりんにとって絵を描くことはキャラクター1(左脳の思考)の作業であり、遊びではない。むしろ、小説や漫画を読んで頭の中で映像化する行為こそが、彼にとってのキャラクター3的な「遊び」なのだと、話しながら気づいていきます。
分けることと統合すること
話題は映画『インサイドヘッド』へ。えばちゃんは、ディズニー映画は子供のためのものだという前提を置きつつ、この作品を「とても西洋的」だと評します。『WHOLE BRAIN』が「その人そのもの」を扱うのに対し、『インサイドヘッド』は「その人」とは別に感情のキャラクターがいて、それぞれが別々に動く構造だからです。
『インサイドヘッド』では、喜びが悲しみを否定するところから始まり、「悲しみも大事な感情だったね」と終わっていく。しかしそれでもなお、感情は分離したままだ、というのがえばちゃんの見立てです。おぐりんは、西洋と東洋のアプローチはどちらから入っても最終的に統合に意味があるはずなのに、世の中には「分けて満足」する世界も「分けないまま何も起きない」世界もある、と応じます。
最初のモヤモヤ
まだ分けられていない状態。キャラクター4的な混沌。
分ける(キャラクター1)
理性的・論理的に整理する。人と共有するには一度分ける必要がある。
統合(キャラクター4)
分けたものを再びくっつける。ここに面白さがある。
えばちゃんは「一人以上いる場合は物語の共有が必要だから、一回分けなければいけない」と言います。一人なら曖昧なままでもいい。おぐりんは、若い頃は分けられること自体に満足していたが、年齢とともに「その先のくっつけるところが面白い」と思うようになったと語ります。えばちゃんは、最初の分けていないモヤモヤも、分けた後の統合も、どちらもキャラクター4だと整理します。ただし、モヤモヤから見れば同じに見えても、統合から見れば両者は別物だといいます。
おぐりんはさらに踏み込み、「人間は時計を発明すべきだったのか」と問いを投げます。時間の外在化本来は連続した体験である時間を、時計という装置によって外部化・数値化すること。分けることで元に戻れなくなるものがある、という文脈で語られる。によって、元に戻れないものが多すぎるのではないか、というのです。
キャラクター2と、罪の意識と距離感
おぐりんは自分を「キャラクター1とキャラクター2の人」だと明言します。プレッシャーを浴びるとキャラクター2(不安・恐怖)が大きくなる。えばちゃんは、キャラクター2にはその人のメンタルモデルその人の行動や感情の根っこにある、無意識の思い込みや世界観のパターン。ここでは、キャラクター2にその人の根源的な性格や傷が現れるという文脈で使われている。としての性格がそのまま出てくると指摘します。
本の中の問いに沿って、おぐりんはキャラクター2が「愛情のないやり方で人生に滲み出ている」と自己申告します。条件付きで愛する、ネガティブな自己評価、自己中心的、罪の意識──こうした感覚を挙げ、「欠陥・欠損」「原罪」だと表現します。おぐりんはそれを「前世から持ってきたもので自分のせいではない」と捉えていますが、えばちゃんは違う見方を示します。
罪があるかとか悪いかどうかでいうとないと思うの。だけど罪の意識が植え付けられたのは今世だと思う。
えばちゃんは、生活や人生で苦労しないよう手を尽くしてもらった一方で、感情を無視された瞬間が多かったのではないか、と推測します。おぐりんは、自分の感情を認識してからの記憶は中学生ごろからで、それ以前はないがしろにされた記憶があまり浮かばないと話します。えばちゃんは、それは自立していなかったからで、記憶になくても傷はついていて、そこから罪の意識が生まれるのだと応じます。
おぐりんは小学6年生の頃、受験が終わるまで一日も友達と遊ばず、録画したポケモンを食事中に見ることだけが許され、見終わると塾の復習を深夜まで続けていた日々を語ります。この個人的な記憶をきっかけに、二人は「伝えること」と「距離感」の話へと移っていきます。
支援はしなくてもいいけど、邪魔はしないでほしい。
他者との距離感がわからないっていう。僕の人生のテーマですね。
えばちゃんは「子供を操作する親」が嫌いだと語り、それはケアではないとおぐりんも同意します。ただ、ちょうど良い距離感がわからないという点では二人とも共通しています。距離を取ると興味がなくなる、あるいは「興味がないふりができるようになる」──そんな難しさを確認しながら、次回はキャラクター2をさらに掘り下げることを約束して回は終わります。
まとめ
今回は『WHOLE BRAIN』の4つのキャラクターを軸に、聴覚と視覚の情報処理のクセ、自然への感覚、絵と概念、分けることと統合すること、そして罪の意識と距離感へと、話が有機的に広がっていきました。二人は互いにかなり異なるタイプでありながら、「分かり合えないのに分かり合える瞬間」を確かめ合っています。自分の中の4人を意識すると、なぜ得意・不得意があるのか、なぜ疲れるのかが見えてくる──そんな入り口になる回でした。次回はキャラクター2の話へと続きます。
- 『WHOLE BRAIN』は、一人の中に4つのキャラクター(左脳思考・左脳感情・右脳感情・右脳思考)がいると捉える本。
- えばちゃんは聴覚過敏・キャラクター3寄り、おぐりんは視覚優位・キャラクター1と2寄りと、対照的なタイプ。
- チームでは、誰かがキャラクター1を担うことで他の人がキャラクター3を発揮しやすくなる。
- 言葉は情報を削ぎ落とした記号であり、違和感などノンバーバルな情報は言葉より先に伝わる。
- 絵を「概念」で描くと立体が描けない。見たまま観察して描くことが「ありのまま」に近づく鍵。
- モヤモヤを一度分け、再び統合するプロセスに面白さがあり、その両端はキャラクター4に通じる。
- キャラクター2にはその人の根源的な性格や傷が現れ、罪の意識や距離感の問題につながる。
