不満をぶつけられた時、どう向き合えばいいか
最初の話題は、人から会社への不満や愚痴を聞かされた時の距離感でした。おぐりんは面接の場でも、一人の人間としてつい深く関わってしまうと話します。
環境への依存を感じる不満を聞くと、つい「直接聞いてみたの?」といった助言をしてしまう。でも、それは余計なお世話かもしれないと迷っています。
そういう違和感を感じた時に、他者とどう接するんだろうっていうのが、距離感わからない人間なんで悩むんですよ。あー、言う必要なかったのかなとか。
これに対してえばちゃんは、まず「一回受け入れる」と答えます。相手の怒りや悲しみは二次感情で、その下には別の一次感情があると捉えているそうです。
「悲しかったんだね」「尊重されてないと思ったんだね」みたいなのを、直接別に言わないけど、一回受け入れる。
えばちゃんは、その不満が何年積み重なっているかは分からないと言います。それでも、一度キャッチしてもらったと感じてから、人はやっと動けるのだと話します。
受け入れると、変わらなくていいと思うこと
えばちゃんは、大人の不満も子供とそう変わらないと例えます。見たかったアンパンマンがやっていなかった時、正論を言っても悲しみは癒えないという話です。
番組表見ないのが悪いんでしょ?って言ってもさ、その怒りは静まらないじゃん。「見たかったね、アンパンマン」って言って。
さらにえばちゃんは、人が変わる勇気を持つには「その人は変わらなくていい」と思い続ける前提の時間が必要だと語ります。
その人は変わらなくていいと一生思っている前提の時間を一定持たないと、その人が変わる勇気が持てないんだよね。
ただし、それは全員に向ける感情ではないとも言います。えばちゃんは人を個別ではなく、人類を塊で見ているからだと説明します。
一方おぐりんは、人を個別で見てしまう。だからこそ相手に関係し、入り込んでしまうと気づきます。
シンパシーとエンパシーの違い
話はストレングスファインダーへ。えばちゃんは「個別化」が一位、おぐりんは共感性が上位に必ず入るタイプだと分かります。
おぐりんは、その共感性が「悪さをしている」と感じています。相手の状況に入り込みすぎてしまうというのです。ここでえばちゃんが、共感には二種類あると指摘します。
その人の感じてる感情を味わうことはできるけど、引っ張られすぎないのがエンパシーだね。同じ気持ちになって一緒に悲しんじゃったりするのがシンパシー。
相手の痛みに寄り添い、自分も同じ気持ちになる。同情や憐れみ。引っ張られやすい。
相手の立場になって心情を汲むが、引き込まれすぎず自分を保てる。
おぐりんは、映画や物語を見る時はエンパシーでも、生きている人と接する時はシンパシーかもしれないと振り返ります。
欠けているものを相手の中に見つけて、シンクロしに行くんだと思う。そうすると同一視されて、受け取るっていう状態になりにくいんだよね。僕、受け取れないんですよ。
似ている傷ほど受け取りが難しく、同族嫌悪も生まれやすい。相手は大体自分の鏡だと、おぐりんは苦しさを口にします。
スティンキーは、いじけていていい
ここで書籍『WHOLE BRAIN』のキャラクターの話へ。えばちゃんの中の「キャラクター2」は、ムーミンに登場するスティンキーだと言います。
スティンキーはいじけている。でも、えばちゃんはそれでいいと言います。むしろ、それがなかったら嘘っぽいと感じるそうです。
できない自分とか、わからない自分とか、間違えている自分っていうものに対する羞恥心がスティンキーだと思う。なかったらちょっと嘘な気がする。
そしてスティンキーは、人前でしか出てこないとも言います。悲しいということを相手に伝えたい。それが怒りという形になって表れるのだ、と。
大人になると、装いながらも「ここにありますよ」と示す。もっとひねくれると、いい人のふりをして意地悪をする形になってしまうと話されています。
受け取るボタンが押せない理由
話は冒頭の「受け取れない」に戻ります。おぐりんは、受け取るより先にシンパシーが動き、シャドーが発動してしまうと言います。
発動中は気づけず、後から「これはシャドーだった」と分かる。相手と自分の境界がなくなっている状態だと、おぐりんは表現します。
コーヒーの豆ごとコップに入ってきちゃうみたいな感じになってる。
えばちゃんは、言うか言わないか迷った時に、自分のシャドーが発動していないか一度確認するよう提案します。損してでも言うべきことと、言ってやりたい衝動は違う、と。
自分が損してもいいから言った方がいいかなっていうことは言ってもいいと思うんだけど。言ってやりたいみたいな衝動に駆られてる時は、切り替えるよね。
靴箱とライオンとウサギ
二人の人の見方の違いが、たとえ話で鮮やかになります。えばちゃんが人類を大きな箱と表現すると、おぐりんの頭には名前の貼られた小学校の靴箱が浮かびました。
えばちゃんは、自分より他の人の方が情に厚いと言います。全員が「人類」という一つの箱に入っているからです。
おぐりんは、情が厚い人と厚くない人にはっきり分かれてしまう自分を、不安定だと感じます。そのうえで、名前の入らない雑多な靴置き場と、鍵付きの靴箱が両方あってもいいのかもしれないと考えます。
一方えばちゃんは、合わない相手を無視する時のあり方をこう表現します。腐った部分は切らないと、という感覚です。
この生き物は死にましたので、もうこの世界はありません。そこから無視みたいな感じ。
後半は、権威にすり寄る人への違和感が話題に。おぐりんが「ライオンに人参を差し出すウサギ」にたとえると、えばちゃんは終始「私に関係ない」と答えます。
ライオンにニンジンをあげなきゃ会議が始まったら、やっぱりライオンのことは忘れたら?って思う。
そしてえばちゃんは、権威化される側も気の毒だと見ます。おぐりんはそれを、一歩引いた大人の見方だと受け止めました。
負けず嫌いと、可能性への信頼
自慢との向き合い方も語られます。おぐりんは、けん玉や大きな魚の投稿には「すごい」と素直に思える。それは大切なものを伝えてくれている、と解釈するからです。
えばちゃんは大きい魚の写真に「私も釣れるもん」と思いたいと言います。おぐりんは、それを負けず嫌いだと評しますが、えばちゃんの言葉は少し違いました。
負けず嫌いなのか、なんか、できんじゃないかな。
それは「できるんじゃないか」という、自分の可能性への信頼でした。しかもえばちゃんは、誰より大きい魚でなくてもいい、一人だけ見たことのない魚を釣ればいいと発想を広げます。
おぐりんは、自分にできないことが多すぎると知って負けず嫌いが減ったと話します。競技の種類を変えられるのはいい、と二人はうなずきます。
まとめ
不満や傷とどう向き合うかを、塊で見る側と個別で見る側から語り合った回でした。答えは出ませんが、受け取る前に一度立ち止まる手がかりが残ります。
- 相手の不満は、まず一回受け入れる。正論より、キャッチしてもらった感覚が人を動かす。
- 共感には、引き込まれるシンパシーと、保てるエンパシーがある。
- いじけたスティンキーは消さなくていい。できない自分への羞恥心も自分の一部。
- 言うか迷った時は、シャドーが発動していないかを一度確認する。
- 負けず嫌いの奥には、自分の可能性への信頼がある。競技を変えてもいい。
