300円を使ったらバチが当たるのか
始まりは、おぐりんの何気ないコンビニでの体験談でした。失効した宅建の手続きのため住民票などをコピーしに行ったところ、コピー機の中に前の人の300円が残金として残っていたのです。「その状況になった時、あなたはどうしますか?」という問いから、この回は動き出します。
えばちゃんは即答で「出して店員に渡す」。おぐりんも結果は同じですが、その途中の思考が違いました。一瞬「これでコピーできるやん」と考える自分がいて、そのうえで「ここで300円得をすると後ででっかいしっぺ返しが来る」と考え、徳を積むために店員に渡すと言います。おてんと様が見ている、という感覚です。
そういうところでズルをすると後で大きなしっぺ返しが来るって思ってるの。
三百円に対してお天道様が見てるからとも思わないし。
えばちゃんは、300円を使うことも渡すこともそこまで大変なことだとは思わず、代わりに「誰が困るかな」と一瞬考えると言います。おつかいでお釣りを返す必要がある人なら困るかもしれない、と。二人のスタート地点の違いが、そのまま「お金とは何か」という問いへとつながっていきます。
お金は「たまたま自分のところにあるもの」か
話はお金の所有感覚へと移ります。えばちゃんの考え方は独特です。人様のお金は人様のお金だとはっきり区別しますが、自分のところにあるお金については「たまたま自分のところにある」と捉えていると言います。強く「自分のものだ」とは思っていないのです。
人様のお金として明確に区別する
たまたま自分のところにあるだけ。必要な人のところに行けばいい
だからこそ、遊びの費用が足りない相手がいて、たまたま自分のところにお金があるなら「これを使えばいいじゃない」と思えると言います。お金という形で自分のところにあるだけで、その相手のところには何か別のものがあるはず、という感覚があるからです。
なぜお金だと受け取りにくいのか
一方でおぐりんは、返せない前提でお金を出してもらう場面には強い抵抗を感じると言います。ここで印象的なのが、おぐりんがお金を「ファイナンスのファイン」と結びつけて語る場面です。関係性が終了に向かうための交換手段としてお金を認識しているから、受け取りにくいのかもしれない、と考えを巡らせます。
具体例としておぐりんが挙げたのは、中高生の頃に電車で席を譲ったお礼におばあ様からイチゴをもらった思い出です。イチゴなら気持ちよく受け取れたのに、同じ場面でお金を渡されたら受け取れない気がする、と言います。ここでえばちゃんが核心を突きます。
イチゴなら「イチゴ大好きなんです」という反応がそのまま返報になり、あげた側にも嬉しさが生まれます。しかしお金は感謝を数字に置き換えてしまうため、その循環が起きない。だから受け取りにくいのではないか、という気づきでした。
お金が不安を増幅させるレバーになる
えばちゃんは、毎日の労働と口座に振り込まれる給料が「つながっていない」感覚を語ります。会社でわちゃわちゃやっていると、なぜか毎月お金が入る。起業してからはさらに「働かなくてもお金が入ってくることがある」と気づき、お金とは何だろうと考えることが増えたと言います。それでも根っこにあるのは「仕事をおもちゃにして遊んでいる」という感覚です。
対照的におぐりんにとって、お金は不安と強く結びついています。仕事の隙間ができれば別の仕事で埋め続けるという思考のベースには不安があると自己分析します。
お金は不安のレバー
お金があっても不安が「軽減」はしない。ただ、ない方が不安は「増幅」する。
基準は常に相対的
1億円あって9500万円に減ると、1億円の時を基準に不安になる。増えた・減ったで感じてしまう。
えばちゃんが「お金がなくなって何が起きたら最悪だと思う?」と尋ねると、おぐりんは、体が働けなくなり、入院費や治療費といった金銭的負担が親やパートナーにかかることへの不安を挙げます。ここで語られるのが、おぐりん自身のOSの話です。
本来は体と心がOSにあり、その上に仕事や家族というアプリがあるはず。しかしおぐりんは、自分のOSに仕事があり、その仕事のためのアプリとして体がある状態だと気づいたと言います。メタ認知は進んだものの「アンインストールはされていない」──捨てられず忘れられない性格ゆえに、その構造を手放せずにいるのです。
愛されているか、許されたいか
話は最初の300円に戻ります。えばちゃんは、急いでいて現金がない時にコピー機に300円が入っていたら「持ってるな」「愛されてるな私って思う」と言います。この「愛されてるな」という言葉に、おぐりんの不安の正体が浮かび上がります。
多分愛されてるなが不足しているからなんだよなぁ。不安なのは。
ここで出てくるのが、えばちゃんの「アイムOK、ユーアーOK」という考え方です。えばちゃんは、この「アイムOK」が「愛されてるな」と近しいと言います。特定の誰かに愛されているから自分がいていいのではなく、私という存在がこの世から愛されている──それがアイムOKだ、という感覚です。
この話を聞いて、おぐりんは自分が「愛されてる」の代わりに何という言葉を使っているかに気づきます。それは「許されてる」でした。ここが、この回の一番の核心です。
「ここにいてもいい?」と聞く。前提に罪(原罪)がある
許されたいと思って生きていない。存在そのものが世界に肯定されている
「許される」には前提として「罪がある」──おぐりんは自分に原罪があると感じています。一方えばちゃんは、原罪はあるかもしれないが「許されたいという気持ちがない」と言います。「何様ってなる」からです。えばちゃんは、おぐりんほど言語化して認識していないだけで、許されたい人はたくさんいるはずだと指摘します。むしろ、そこまで行くと怖いから見ないようにして「俺は許されたいなんて思ってない」と別のルールで生きている人も多そうだ、と。
えばちゃんは、罪があると思っていることが弱点になりやすいと指摘します。しかしおぐりんは「欠けているところは美しい」と考えています。えばちゃんはさらに一歩踏み込み、それは「欠けてるところが美しいと思っているのはおぐりんだ」と返します。だからこそ、そう言ってくれる人のそばにいるし、「欠けてるところ美しい教」を広げに行っているのではないか、という見立てです。
集団の中の自分の捉え直し
最後に、おぐりんの最近の変化が語られます。以前は周りの音や視線を過剰に気にしていました。「後ろの人に自分の頭が邪魔で見えないかな」と考えたり、自分がいない時に何か話があったのではと引っかかったり。しかし今は、意識的に気にしないアプローチをとりながらも、ちゃんと集団の中で過ごせると気づいたと言います。
周りの目線や声を過剰に気にし、自分がいない間の会話も気になっていた。誰かと一緒に作ることが苦手だった。
気にしなくても集団と過ごせると気づく。他人に作品をいじられることを喜べるようになった。
昼休みにタバコを吸いに別行動しても、戻った時に「話してたんだな」ぐらいにしか思わなくなった。以前のような取り残された感覚がなくなったのは、大きな変化だと言います。さらに、他人に自分の作品をいじられることを喜べるようになったのも収穫でした。自分の逃げた表現を、他の人がちゃんといいものに変えてくれる。そう経験できたことで「意外と集団っていいのかもしれない」と感じています。
私も疲れるし、楽しいし、ずっとこうしてたいし、早く帰りたいし。
そして、次回はいよいよ本題である書籍『ホールブレイン正式名『WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン)心が軽くなる脳の動かし方』。脳の4つの領域を「4人のキャラクター」として捉え、自分の思考や感情を理解しようとする内容。著者はジル・ボルト・テイラー。』について語ると予告されます。脳内の4つのキャラクターを紹介する、映画『インサイド・ヘッドディズニー/ピクサーの映画。頭の中の感情がキャラクターとして登場し、心の動きを描く作品として知られる。』のような回になりそうです。
まとめ
コンビニに残された300円という小さな出来事は、お金の所有感覚、感謝を数字にすることへの違和感、そして「愛されている」と「許されたい」という存在肯定のかたちの違いへと広がっていきました。えばちゃんは存在そのものを世界に肯定されていると感じ、おぐりんは罪を前提に許しを求める──同じ「ここにいていい」でも、その根っこは大きく異なります。
その違いに気づくこと自体が、おぐりんにとっては変化のきっかけになっているようです。次回からは書籍『ホールブレイン』を軸に、二人の脳内キャラクター紹介へと進んでいきます。
- 300円をめぐって、おぐりんは「おてんと様が見ている」と考え、えばちゃんは「誰が困るか」を考える。スタート地点が違う
- えばちゃんは自分のお金を「たまたま自分のところにあるもの」と捉え、必要な人のところに行けばいいと考える
- お金は感謝を数字に変えてしまうため、イチゴのような物より受け取りにくい
- おぐりんにとってお金は不安を増幅させるレバー。仕事がOSになり体がアプリになっている構造に気づいた
- えばちゃんは「愛されている(アイムOK)」、おぐりんは「許されたい(罪が前提)」という存在肯定の違いがある
- おぐりんは集団の中で気にしすぎなくなり、作品を他人にいじられることも喜べるようになった
- 次回は書籍『ホールブレイン』と脳内の4つのキャラクターの話へ
