同じ問いで割れた「今を生きているか」
前編で出た質問への答えを、えばちゃんが振り返ります。特に3つほど、意見が分かれた問いがあったと話します。
「今を生きているか」という問いでは、みつさんとおぐりんが過去を生き、えばちゃんとポリさんが今を生きているという分岐が出ました。
「銅像を作ってほしいか」では、みつさんとポリさんが「やぶさかではない」と答え、おぐりんとえばちゃんは嫌だと答えています。
一人旅をするかどうかでは、みつさんとおぐりんがする側、ポリさんとえばちゃんはしない側に分かれました。
今を生きてるのこの分岐はめちゃめちゃ新鮮でしたけど。
ポリさんは以前、写真を撮って楽しむ人の話をしていました。ですがおぐりんは、今を楽しいと思っていないので、意外と写真は撮らないと言います。
写真というよりはなんか記憶で楽しんで。あん時良かったなみたいな感じで、ちょっとニヤニヤしちゃう。
この「過去を何度も味わう」感覚を、おぐりんは「しがむ」という言葉で表現します。サトウキビをしがむように、何度も味わうと味が出てくる、という意味です。
しがむっていうのはめっちゃ的確かもしれないです。何回も味わうと味が出てくる。
一方でおぐりんは、楽しい記憶だけでなく後悔も多いと言います。あの時なぜあんな言い方をしたのか、と帰り道の電車で思い返すこともあるそうです。
楽しい記憶は高校生の頃からずっとフラッシュバックしてくるのに対し、後悔は比較的短期間のものが多いと話します。
みつさんは、自分が人生を楽しかったと感じるのは社会人以降だと言います。大学時代の記憶はポツポツで、社会人になってからの「あれ良かったな」が多いそうです。
銅像と痕跡、残したい人と残したくない人
話題は「銅像を残してほしいか」に戻ります。ポリさんは、燃やしたいという発言や銅像への興味から、自分の「価値なし」らしさを感じたと言います。
銅像は価値で発揮された証明だからね。やぶさか(ではない)。
みつさんは「めっちゃ欲しい」と答え、えばちゃんは「やぶさかではないどころじゃない」と受けます。
逆に、欠陥欠損のおぐりんとひとりぼっちのえばちゃんは、銅像を残さないでほしいと考えています。
この世界に私の痕跡を残したくないみたいな。
ポリさんは自分を「痕跡を残したい系」だと言い、二人とは真逆であることに気づきます。
欠陥欠損とひとりぼっちの、似ているようで違う世界
えばちゃんは、自分の中に価値なしの要素は少しわかるものの、欠陥欠損と愛なしはよくわからないと言います。
欠陥欠損は、この世界で自分だけが少し間違っている、欠けているような感覚だとおぐりんは説明します。常に何かが足りない感覚があると言います。
えばちゃんの「ひとりぼっち」は、世界とつながった上で、その住人として一人だという感覚です。おぐりんの感覚とは少し違うようです。
間違い探しの間違い側の方に生まれてしまっていて、その間違いの世界とこの世界の狭間側を行ったり来たりしてるイメージなんだよね。
この感覚を、おぐりんは映画『すずめの戸締まり』にたとえます。表に出ている世界ではない側で戸締まりをする人たちがいた、あちら側に自分が生まれてしまったようなイメージだと言います。
ポリさんは、住んでいる世界は一緒なのに違うと常に感じている状態か、と受け止めます。自分は「同じ世界の中だからこそ価値がない」感覚なので、別の世界があるという感覚は一切ないと語ります。
僕は基本一緒だから、一緒の中だからこそ自分に価値がないみたいな感覚だから、別の世界があるって感覚はもう一切ない。
世界と自分がつながっておらず、間違いの世界とこの世界の狭間を行き来する感覚
世界とはつながっていて、その住人として一人だという感覚
逃避と克服、そして統合のプロセス
えばちゃんは、メンタルモデルには逃避型と克服型があると説明します。痛みに対して逃げる行動に出るか、克服する行動に出るかで分かれるそうです。
おぐりんは克服型の行動が多かった一方、欠陥欠損の人には逃避型が多い印象だとえばちゃんは話します。目立たないようにして「自分なんか」と過ごす人を見かけると言います。
おぐりんは、足りないと思ったものを頑張って埋めに行くタイプです。ですが、埋めても埋まらないと気づいてしまったとも言います。
その上で、自分が自分のままでいい安心安全の場所を見つけることが統合のプロセスだと語ります。おぐりんはここ5年ほど、そのプロセスを歩み始めたと話します。
愛なしの統合について、えばちゃんは「I'm okay」が先に来るといい、と話します。愛されたくて外に愛を求めに行くのではなく、まず自分で自分を愛する順番です。
愛を欲しがって、結局外に矢印が向いてるから、結局自分に向きにくい。
自分に矢印を向けるきっかけと、大人になってからの関係
ポリさんは、価値なしの自分にとって子どもの存在が大きかったと言います。価値がなくてもそのままでいい、という感覚の権化のようだと語ります。
価値とかじゃねえんだみたいなのはすごい子供の子育てを通じて結構感じれた。
ポリさんは、愛なしの人が自分に矢印を向けるきっかけを、他者との関係からつかめるのかと問いかけます。
えばちゃんは、ある程度距離の遠い人でないと難しいと答えます。パートナーや子どものように自他の境界が曖昧な関係だと、痛みの再演が始まってしまうからです。
I'm OK, You're OKの順番だと思うんだよね。それを身近なパートナーに全力で求めに行くと、相手が潰れちゃう。
みつさんは、どのメンタルモデルでも、社会関係をベースにつながると本来の自分を隠さなければならなくなると話します。大人になるほど、そうしたつながりが増えていくと言います。
えばちゃんは、利害関係のない緩い友人が減っていくと受けます。利害関係のある関係か、濃密な家族のような関係か、どちらかになりがちだと言います。
一方でおぐりんは、大人になってからのほうがそうした関係が増えたと感じています。自分の痛みをわかってくれる人とだけ付き合うようになったからかもしれません。
みつさんも、会社を出てからそうしたつながりができたと言います。会社の中は利害関係のみで、みんな仮面をかぶってスーツを着て仕事をしていたと振り返ります。
いわゆるJTCだとやっぱ基本こうみんな仮面をかぶってスーツを着て仕事してるから開示することがなかった。
「生きづらい」がわからない人たち
おぐりんは、年々生きやすくなっている感覚があるかと二人にたずねます。
ポリさんは、右肩上がりで生きるのが楽しくなっているとは同意しつつ、そもそも「生きづらい」と感じたことがないと言います。えばちゃんもそこに共感します。
おぐりんとみつさんは、ベースに生きにくさがある中で生きやすくなってきたという感覚です。ここでも二組の違いが見えてきます。
生きにくいっていう感じなかったかな。
えばちゃんは、日常はこんなに大変だろうけど今だけは楽しんで、というライブの呼びかけにポカンとすると言います。どれくらいの大変さなのかがよくわからないそうです。
一方おぐりんは、自分のことがすごく嫌いだったと語ります。自分にOKがないから他人にもOKが出せず、悪循環に陥っていたと言います。
足らないから、居場所が欲しいから頑張るみたいな感じで、頑張る結果、周りを無意識に傷つけたり、それが自分に返ってきて、自分がまた嫌いになり。
みつさんの生きづらさは少し違い、組織の中で個を消すことを優先されてきたことにあると言います。人事という仕事もあってか、ずっと「すいません」と言いながら生きていたそうです。
なんか昔ずっと、すいませんって言いながら生きてたって感じです。
ポリさんは、自分の場合は世の中と自分がずれる感覚がなく、むしろすり合っていると説明します。その中で価値を発揮できないことに苦しむのだと言います。
世の中のルールとかは、まあまあ自分も同化してるから、その中で価値証明できないとか、価値が発揮できないみたいなところに苦しむっていう感覚だった。
えばちゃんは、辛い時はあっても生きづらいと思ったことはなく、なんなら生きやすいと言います。ポリさんも同意します。
えばちゃんは自分を「生きにくいスペックの生きやすい人」、ポリさんを「生きやすいスペックの生きやすい人」と整理します。
不幸にならない感覚と、心の中の宝石
えばちゃんは、根拠はなくても特に不幸にはならないだろうという感覚があるかと問います。
ポリさんは「めちゃめちゃある」と答えます。不安が生じることはあっても、不幸になると感じたことはないそうです。
なんか僕死なないとすらまで思ってるかも。
一方おぐりんには、その感覚が全くありません。だから保険にたくさん入っているのだろうと言います。
えばちゃんは、その感覚を「自分の中にピカピカ光る宝石がちゃんと入っている感じ」と表現します。
なんか自分の中にピカピカ光る宝石がちゃんと入ってるっていう感じ。
ポリさんには宝石がある感覚はありませんが、別の理由で不幸を想定しません。自分は王道だから、自分が不幸になるならみんなも不幸になると思っているからです。
僕がその仮に不幸になるんだったら、みんな不幸になるって思ってるんだよね。相対的にね。
みつさんの根拠は、誰かが助けてくれる、誰かに頼ろうという感覚です。えばちゃんはそれを「助けてくれる自分」がいる感覚かと確かめます。
不幸の定義そのものも人によって違いました。みつさんにとっての不幸は、誰も助けてくれない、誰ともつながれない世界です。
えばちゃんにとっての不幸は、自分では何一つできず、体が動かないのに脳だけが生きているような、生かされている状態です。
おぐりんはそれに近いと言い、さらに「周りに迷惑をかける」が加わると話します。真っ当な人間になりたいという漫画『リアル』の主人公の叫びに共感すると語ります。
ポリさんは真逆で、自分を「善良な市民」だと思っていると言います。自分の約束を守れないことがあっても「人間そんなもんでしょ、王道だし」と受け止められるそうです。
自分の約束守れないことめっちゃあるけど、まあ人間そんなんでしょ、俺だし。王道だしって思ってる。
わからない、がわかったチェックアウト
最後は一人ずつのチェックアウトです。おぐりんは、同じ人がいると嬉しいと感じたと言います。
他人と一緒の部分をたくさん探して喜ぼうと思いました。
みつさんは逆に、違いがあると嬉しいと語ります。自分はここが違うと知ることで、自分がピースとして必要だと思えたそうです。
ポリさんは、自分の次の課題は王道から一歩踏み出してオリジナリティを確立することだと気づいたと言います。もう王道には飽きがきているのだと語ります。
自分の理解できない世界はどこまでも果てしなくあるなっていうところも感じたタイム。
えばちゃんは、本当にはわからないという感覚を、全員が言葉にしているのを見て得られたと話します。どこが欠けていても、そのままで一生懸命であることが面白いと感じたそうです。
ポリさんは、これだけ自己開示をしても分かり合えない部分があるという現実は大事だと語ります。おぐりんと仕事を始めるにあたり、わからないことが多いというスタート地点に立ててよかったと言います。
まとめ
同じ問いに答えても、4人が見ている世界は驚くほど違っていました。似た答えの奥にある感覚のずれを確かめ合い、「わからない、がわかった」ことを共有した回でした。
- 「今を生きるか」「銅像を残すか」など、同じ問いへの答えが4人で割れ、感覚の違いが浮かび上がった
- 欠陥欠損は世界とつながらず狭間を行き来する感覚、ひとりぼっちは世界の中で一人という感覚で、似て非なるものだった
- 痛みへの向き合い方は逃避型と克服型に分かれ、統合には「I'm OK」が先に来る順番が大切だと語られた
- 「生きづらい」がわからない人と、ベースに生きにくさを抱える人がいて、不幸の定義そのものも人ごとに違った
- これだけ自己開示しても分かり合えない部分がある、という現実を共有できたこと自体が対話の収穫となった
