退屈には三つの段階がある
おぐりんが愛読書として挙げたのが、『暇と退屈の倫理学』哲学者・国分功一郎による著書。人間にとって「退屈」とは何かを、ハイデガーやスピノザなどの思想を手がかりに考察した一冊。です。この本に登場するハイデガーマルティン・ハイデガー。20世紀ドイツの哲学者。『存在と時間』などで知られ、退屈をめぐる講義でも有名。の「退屈の三段階」が強く響いたといいます。
第一段階は、田舎の駅で電車を三時間待つような、ものごとが自分の思い通りにならないことから生じる退屈です。第二段階は、パーティーに参加して会話も葉巻もあるのに、なぜか退屈だと感じる状態。おぐりんは釣りで二時間何も釣れない時間にこの感覚があると語ります。退屈ではない時間の中に何かを求めるからこそ起きる退屈だといいます。
第三段階の「なんとなく退屈」は、自由だからこそ生じるとされます。自由の可能性の中にとどまってしまい、決断することでそれを抜け出せるという、人生レベルの話です。おぐりんは、自分が「うだつが上がらない」「澱んでいる」と感じるとき、この第三段階の退屈に近いものを言っている気がしたと振り返りました。
雪に埋もれても気づかれない自由
えばちゃんは、この三段階のうち第三段階の退屈が一番好きだといいます。ここから話は、二人の感覚の違いへと展開していきます。鍵となるのが消費と浪費『暇と退屈の倫理学』で語られる概念。浪費はものそのものを受け取り満足に至る行為、消費は観念や情報を受け取り続けて終わりがない行為とされる。の違いです。えばちゃんは時間を浪費できるのに対し、おぐりんは消費しかできないため、自由な時間になると澱んでしまうと語ります。
このまま雪に埋もれてしまっても誰にも気づかれないっていうのがね、すごい楽しかったの。
えばちゃんは雪の日、傘も持たず一人で一〜二キロ歩いた体験を語ります。誰にも行き先を伝えず、雪に降り積もられ、誰も自分がここにいることを知らない──その完全な孤立の感覚が嬉しかったといいます。雪が降ることで外界から切り離され、音もなく、景色が美しく、自分がはっきり確立される感覚です。
完全に孤立すると自分の輪郭がはっきりする。一人が嬉しい。三時間の待ち時間も楽しめる。
一人だと自分の輪郭が取れず不安になる。他人がいないと自分を確立できない。
一方おぐりんにとって、一人で夜の街を歩くのは不安の方が強い体験です。自分の輪郭がはっきりせず、境界線が見えない。「ここから先が崖なのか道なのかわからないまま歩いている」ような状態になると語ります。他人がいないと自分を確立できないため、孤立は不安につながるのです。二人の対比は「同じ公園で違う遊びをしている」ような、深い感覚の違いを浮き彫りにしました。
欠陥欠損はいつ生まれたのか
ここから本題の「欠陥欠損」に入ります。おぐりんはこれを「自分には決して埋まらない決定的な欠陥がある」という不本意な現実として説明します。
おぐりんが自分に当てはまると挙げた特性は多岐にわたります。すぐ不安になり「ここにいていいのかな」と落ち着かない、表に立つより裏で采配する、不本意な出来事があると自分を責める、要求されるとできないのではと不安になる、物が捨てられない、隠れて努力している、安心できる居場所を求めている──履歴書は「キラッキラ」なのに、自分のままその場所にいていい感覚を持てないのです。
その起点をえばちゃんが問うと、おぐりんは「小学一年生」あたりだと答えます。五つ上のお姉ちゃんが小四から受験を始め、親から厳しく指導される様子を見ながら、弟として立ち回りを覚えていったといいます。親に愛されるため、怒られないため、可愛がられるために、その場に応じて行動を選ぶ──そうした人格形成がその頃から始まった気がすると振り返りました。
芯がないのに、玉ねぎのこう一枚一枚のものはどんどん積み重なっていくみたいな感覚だなって、今振り返ると思う。
興味深いのは、周りからは「芯がないようには見えない」「むしろ誰よりも頑固に強い意志で選んでいそう」と言われる点です。しかしおぐりん自身の中では空洞で、「これを選んだ方がいいから選んでいる」と自分を洗脳しているような感覚だといいます。進学も就職も転職も起業も事後報告で、自分が決めたという実感がないのです。
「そんなことないよ」が書き換わらない理由
おぐりんは、欠陥欠損には「何かあると母港を探しに行く」癖があると語ります。ダメなところを探しに行き、卑屈になろうとする。自分が自分を嫌いになる方向に解釈を進めてしまうのです。
「そんなことないよ」と言われたら嬉しいのか、というえばちゃんの問いに対し、おぐりんは条件付きだと答えます。安全が確保されていると感じる場所で言われれば「そうなのかもな」と受け取れる。しかし評価や成果、有用性が見られるような場所で言われると、「利用されているだけなのでは」という解釈に進みやすいというのです。言葉が届いても、自己認識が書き換わらないのが特徴です。
これに対しえばちゃんは、そもそも「逃げ癖」という概念がこの世に存在すると思っていない、と応じます。「あいつ逃げ癖があるよね」と言う人の側の問題だと考えているのです。おぐりんが自分を「逃げ癖がある」と見なしていること自体が、彼のものの見方を表しているのだと指摘します。
終わり方が不時着だったからといって、その全てがダメになるわけじゃないからな。
えばちゃんは自身の転職体験も語ります。前職で最後のプロジェクトが辛く、吐き気を覚えながら通勤していた時期、社内のキャリアコンサルタントと面談し、「全部が全部ダメな記憶にはならない」と思えて辞める決断ができたといいます。「あの会社から逃げたな」という気持ちは、その面談のおかげであまり残らなかったそうです。
ぼこを探し、埋めても埋まらない
おぐりんが自分の「でこぼこ」を語るとき、探しに行くのは「ぼこ(凹み)」の方です。突出したデコではなく、凹んでいる部分をわざわざ確認しに行く。そして「これで埋められる場所を見つけたぞ」と、知識や本を入れて埋めようとします。しかし、それによって痛みが解消されることは決してないといいます。
ぼこ(凹み)を探す
自分の足りない部分を確認しに行く
知識・本で埋める
「これで埋められる場所を見つけたぞ」
痛みは解消されない
埋めても根本の痛みにはつながらない
この気づきから、おぐりんは本を積極的に読む量を減らしたといいます。「これ以上知識を入れても、行動できない知識野郎になるだけだ」と思ったからです。自分の足りない部分やぼこを探す行動は、愛なしこの番組で扱われるメンタルモデルの一つ。「ありのままの自分では愛されない」と思い込み、つながりを求める傾向を持つとされる。の行動と少し似ているとも語られました。
七、八年前までは、おぐりんは他人の欠陥を美しいと思えず、「自分がもう一人いた方がいい」と考えていた時期があったといいます。しかし今は「自分が二人いるほど厄介なことはない」と感じ、他人の反応に反応しなくなり、「違うって素敵だな」と思えるようになりました。
自分がもう一人いた方がいいと思っていた。他人の欠点や欠陥を美しく思えなかった。自分を「毒まんじゅう」だと感じていた。
自分が二人いるほど厄介なことはないと思う。人の欠けているところを美しいと感じる。毒まんじゅうと思うことがなくなった。
2022年頃、おぐりんは「毒まんじゅう」という感覚をえばちゃんに絵にしてもらったことがあるといいます。世界とおぐりんがつながっていない絵です。自分の役割や兼務を増やして埋めていくことに違和感を覚えていたその時期、彼は「自分がそこにいていい理由」を作りに行っていたのだと振り返ります。今は何かを取りに行くことに消極的になり、影響範囲が小さくなったぶん毒まんじゅうになりにくいだけかもしれない、とも語りました。
四つのメンタルモデルは根っこが違う
終盤、二人は「愛なし」と「価値なし」のメンタルモデルの話に移ります。おぐりんは、四つのモデルそれぞれが「公園でどう遊んでいるか」を聞いてみたいと提案します。
特性を読み上げていくと、価値なしの「休まず動き続ける」「勝負できるものを無意識に選ぶ」といった要素は、欠陥欠損にも似たものがあると気づきます。おぐりんは「マグロだから」と、埋めて埋めて動き続ける自分を表現します。根っこは違っても、表層的には同じ傾向が出てくるのです。
| モデル | 核となる感覚 | 表れる傾向 |
|---|---|---|
| 欠陥欠損 | 足りない・出来損ない | ぼこを探して埋める、逃避、自己不信 |
| 一人ぼっち | 会話が通じるのは奇跡 | 孤立に自由を感じる、境界の確立 |
| 価値なし(勝ちなし) | 勝てないゲームはしたくない | 動き続ける、評価・承認を求める |
| 愛なし | ありのままでは愛されない | つながりを求める、分かり合いたい |
愛なしの特性を読むと、「つながりを失って一人になるのが怖い」「ありのままの自分では愛されないと思い込んでいる」といった点に、おぐりんは「元々あった」「思ってる」と反応します。人と分かり合いたい、分かち合いたいという思いも持っているのです。一方で「一人ぼっち」の感覚だけは自分には一番わからない、と語ります。来る者を拒み、去る者を追い、集団の中で一匹狼にはなれない自分がいるからです。
根っこが違うだけで表層的には同じの出てくるな。
最後に二人は、四つのメンタルモデルを持つ人を一人ずつゲストに呼び、最終的に四人で一つのテーマを語る「バトルロワイヤル」回を構想します。一人ぼっちと欠陥欠損という比較的珍しい二人が先にメインで喋っているのは珍しいかもしれない、と笑い合いながら、ゲスト募集へと話を締めくくりました。
まとめ
今回の回は、「欠陥欠損」というメンタルモデルを軸に、退屈の三段階から一人ぼっちの感覚、そして「ぼこを探して埋めても埋まらない」心の癖までを、二人の対話で立体的に描き出しました。同じ出来事でも、それを「逃げた」と解釈するか否かは人の見方の問題であり、メンタルモデルによって世界の見え方がまったく異なることが浮かび上がります。
おぐりんが七、八年かけて「人の欠けているところを美しい」と思えるように変化したように、こうした心の癖は固定されたものではないのかもしれません。次回予告された「愛なし・勝ちなし」回、そして四人での対話回にも期待が高まる内容でした。
- 退屈には「待たされる」「楽しいのに退屈」「なんとなく退屈」の三段階がある
- えばちゃんは孤立に自由を感じ、おぐりんは一人だと輪郭が取れず不安になる、と感覚が正反対
- 欠陥欠損は自分の「ぼこ(凹み)」を探して埋めようとするが、痛みは解消されない
- 「そんなことないよ」と言われても、安心できる場所以外では自己認識が書き換わりにくい
- 欠陥欠損・一人ぼっち・価値なし・愛なしは根っこが違っても表層の傾向は重なることがある
