ビフォーアフター投稿のバズと、ライブ会場での「夫の奇行」
夫婦のPodcast「ここだけの話」は、前回の「夫を垢抜けさせる術」の反響から始まります。かっぴーさんがThreadsに投稿したビフォーアフター画像には、約3000のハートがついたそうです。
私のどの漫画よりハートがつきました。アニメの告知よりハートがつきました。
コメントには「タキマキ夫婦みたいなお二人」という声もあり、二人は大喜びしたといいます。かっぴーさんは「エリカピ夫婦」のような二人のコンビ名があったほうがいいと提案し、深見さんはリスナーにコメントで呼び名を募りました。
続いて深見さんが持ち出したのは、かっぴーさんの「奇行」です。『左ききのエレン』の主題歌を担当するAIさんのライブに夫婦で招待されたとき、関係者席で事件が起きたといいます。
深見さんによれば、かっぴーさんは案内してくれたマネージャーと関係者に、身振り手振りで「あっちに行って」と言わんばかりの態度をとったそうです。周囲はドン引きし、深見さんも夫の顔を見られなかったと振り返ります。
(夫が)今日は奥さんとデートだからみんなどけーみたいな感じで言い出して。
かっぴーさん本人は「どけ」とは言っていないと反論します。本人の説明では、関係者席は見渡す限り知り合いばかりで、囲まれるのが嫌だったうえ、学生時代にクラブで乗り方が変だと言われて以来、ライブで乗っている姿を見られたくないのだそうです。
しっしっみたいな感じだった。いや、なんかはっきり言わないと物事って伝わんないと思って。
深見さんは結局「めっちゃ面白かった」と認め、この話題はひとまず笑いで締めくくられました。
未熟児から始まった、大和市の写真屋の息子
今回の本題は、二人の生い立ちです。かっぴーさんは、鎌倉でも湘南でも横浜でもない神奈川県の大和市で、写真屋さんの息子として生まれました。家族は両親と姉の4人で、写真屋はすでに閉じているそうです。
かっぴーさんは生まれたとき未熟児に近い状態で、保育器 ── 低体重や未熟な状態で生まれた赤ちゃんを、温度や湿度を管理した環境で守るための医療機器ですに入っていました。祖母が「かわいそうで会えない」と見舞いに来られなかったほど、厳しい状態だったといいます。
ちっちゃかったからだいすけって名前をつけたの。そう、大きくなるようにっていう。
かっぴーさんはその経緯を思い出すと、40歳まで生きていられてラッキーだと感じるそうです。なお二人によれば、この生い立ちの話に入るまでに、すでに約50分ぶんの収録をカットしているとのことでした。
幼稚園はキリスト教系で、教会もあったそうです。かっぴーさんは珍しいのではと言いますが、仏教系の幼稚園でお寺に毎日挨拶へ行っていた深見さんは、近所にもよくあると答えています。
自転車に乗れず、走って友達を追いかけた小学生時代
かっぴーさんの小学校時代の象徴は、自転車に乗れなかったことです。乗れるようになったのは小学6年生で、それまでは自転車で移動する友達の後ろを、一人だけ走って追いかけていました。
俺だけ走ってんだよ。うわーっつって。だから小三ぐらいまでは足速かった。
背が高く足も長かったため、低学年のころは運動会でもしっかり走れていたそうです。ただ4、5年生になると運動神経の差が出て負けるようになり、かっぴーさんは「自転車に乗れないというネガをポジに変えてた」のは最初のころだけだったと話します。
机の上も中もぐちゃぐちゃで、奥からコッペパンが出てくるほどだったといい、本人は「ほんとのび太くんみたいな感じ」と表現しています。
ハーフだらけの英語科で出会った「ブライアン」
かっぴーさんにとって中学時代は、何も頑張らず、早く終わってほしいほどつまらない時期だったそうです。高校受験に向けて勉強せず、推薦で行ける学校を探した結果、英語が得意ではないものの「勉強したい」という理由で英語科を選びました。
進学したのは横浜隼人高校の国際語科です。アニメ『左ききのエレン』のスタッフが取材して制服や校舎を資料化し、見た人から「これって横浜隼人じゃん」と言われるほど再現されているといいます。
で、それ(英語科に入ったこと)がもう大失敗。
入学してみると、国際語科は英語を話せる生徒が集まる優秀な学科でした。ハーフや外国出身に見える生徒が多く、かっぴーさんは入った時点で「やばい」と悟ったそうです。
置いていかれまいと、かっぴーさんは和風の顔立ちで短髪、高校球児のような同級生を見つけて「お互い頑張ろうぜ」と声をかけます。ところが出席で彼が呼ばれた名前は「ブライアン」でした。
おめえ、ブライ、おめえブライアンっていうの?
ブライアンは腹が立つと思わず「シット!」と口にするほど英語が身についていて、クラスでも一軍でモテていたそうです。国際語科はA組とB組の2クラスで、目立つグループとそれ以外に分かれていた、とかっぴーさんは振り返ります。
毎年の海外旅行が終わった日の家族会議
深見さんが一般家庭だったのかと尋ねると、かっぴーさんは「普通よりちょっとお金ない感じ」と答えます。深見さんは、海外旅行によく行っていたのだから裕福だったのでは、と疑問を返しました。
かっぴーさんの家では、年に1回の海外旅行が家族の楽しみでした。ところが中学の途中で家族会議が開かれ、実は父が無理をして旅行に行っていたことがわかったといいます。
「もうなんで言ってくんなかったのよ、もう」ってお母さんが言ってて、「言ってよ。伊藤家は海外旅行行く余裕ありません」
両親は一緒に働いていたのに、母は家計の状態を把握していませんでした。かっぴーさんは今思えば「なんでお母さん把握してねえんだよ」と感じるそうですが、父が隠していたのだと話しています。
姉との関係については、小さいころは姉ちゃん子だったといいます。姉の部屋のカーテンの裏に隠れて驚かそうと待ち構え、飛び出したら「気づいてたよ」と返された、という微笑ましい思い出が披露されました。
メイちゃんのようにやんちゃだった八代の幼少期
話は深見さんの生い立ちに移ります。深見さんは4人きょうだいで、大人になった今も姉妹で一緒に住むほど仲がいいとかっぴーさんは語ります。深見さんは熊本県八代市で「爆誕」し、幼稚園のころは驚くほどやんちゃだったそうです。
あの想像してもらえればわかるんですけど、あのトトロのメイちゃんみたいな感じ。
かっぴーさんが「スルーしていい話題じゃない」と促したのが、頭に石が刺さった話です。4、5歳のころ、深見さんは家の庭の岩から飛び降りる遊びにはまり、何度か成功したあとの挑戦で落ちて、おでこに石が刺さってしまいました。
田舎で親もあまり見ていない環境だったため、怖いものがなかったといいます。石が刺さり血を垂らしたまま、病院の水槽をバンバン叩いて遊び、また怒られたというエピソードもあります。
3歳の予防接種では、母に騙されて連れて行かれたことに激怒し、一人で家に帰ると言い張ったそうです。
吹奏楽と代表リレー、運動神経の対照
深見さんの運動神経は、最初からずっとよかったといいます。小学3年生で陸上部と吹奏楽部で迷い、幼稚園から習っていたピアノと音楽好きを理由に吹奏楽部を選びました。吹奏楽は高校3年生まで続け、高校ではプロかと思うほど練習していたそうです。
一方で足も速く、学校の代表リレーを走るほどでした。かっぴーさんは「生命力が溢れてる」と話し、自分のマラソンの授業の思い出と比べます。
「よーし、じゃああの伊藤がゴールしたら終わるぞ」って。伊藤待ち。
一位と俺だけだからね、拍手もらえるの。
二人の子ども時代の違いを並べると、次のようになります。
| 項目 | かっぴーさん | 深見えり子さん |
|---|---|---|
| 出身 | 神奈川県大和市 | 熊本県八代市 |
| 家族 | 両親と姉の4人家族 | 4人きょうだい |
| 実家 | 写真屋 | 葬儀屋 |
| 幼少期 | 未熟児に近い状態で誕生 | メイちゃんのようなやんちゃ |
| 運動 | マラソンでは最後にゴール | 学校の代表リレー |
葬儀屋で、明るすぎる家族
深見さんは父を「普通のサラリーマン」と紹介しますが、かっぴーさんは簡単に片付けられないと言います。深見さんの父は葬儀屋に勤めるサラリーマンで、かっぴーさんはいつ仕事が入るかわからない大変さも含めて、珍しく素晴らしい職業だと話します。
葬儀屋なのにハチャメチャ明るい家族。
深見さんによれば、母はとにかく明るすぎて怖いほどだそうです。父は自分の息子以上にかっぴーさんが好きなようで、かっぴーさんと話すときは目をキラキラさせているといいます。
25年続く下宿と、毎日同じ鍋
深見さんの実家は、他県から近くの高校に通う生徒を受け入れる下宿もしています。始めたのは深見さんが高校1、2年生のころで、そこから約25年、代わる代わる高校生を受け入れてきました。
深見さんが帰省すると、自分の部屋は潰され、増築で変な間取りになっているそうです。かっぴーさんは、映画の『変な間取り』のようだと笑います。
かっぴーさんは、何人もの学生を送り出してきた義母に本を書いてほしいと以前から考えていました。ちょうど最近、小説やエッセイ、ビジネス書の誘いが増えていることもあり、義母を出版関係者に紹介しようと思いつきます。
義母の面白いエピソードとして、かっぴーさんが挙げたのは出産後の熊本滞在です。義母は毎日食事を作ってくれましたが、何週間も薄塩味の鶏肉入りの同じ鍋が続き、かっぴーさんは5日目ごろにコンビニで明太子をこっそり買ったそうです。
机の下に明太子隠しながら明太子をたまにつまみながら食べたっていう。
深見さんは「それ小説なんないって。マイナスプロモーション」とツッコみますが、深見さんによれば義母は今もご飯作りを頑張っているそうです。
てっぺいにとって母は「本当の親」
かっぴーさんが本にすべきだと考える理由は、明太子の話ではなく、下宿の高校生たちとの関係にあります。事情を抱えた他人の子を預かり、一人ひとりと向き合う姿は、ある種の里親のようだとかっぴーさんは語ります。
下宿は赤字続きでビジネスとして成り立っていないうえ、義母は生徒の誕生日プレゼントを買ったり送迎したりもしているそうです。
象徴的なのが、かつて下宿していたてっぺいさんです。結婚が決まると真っ先に深見さんの家族に報告し、深見さんの母には奥さんを紹介したいと電話をかけてきたといいます。住んでいたのは1年だけでした。
てっぺいは誰なの?って言うとさ、別に兄弟でもないしさ、友達でもないけどさ、家族なわけじゃん。
深見さんによれば、てっぺいさんは何度も警察に捕まるほどの不良で、深見さんの母は交番へ何度も迎えに行き、真剣に叱ってきたそうです。かっぴーさんは、てっぺいさんにとって数少ない心を開いた大人だったのだろうと想像します。
しかも特に高校生、もう思春期真っ盛りの一番難しい年が一番得意なのね。お母さん。
深見さん自身は「絶対にできない」と言いつつ、人のことが大好きな母をすごいと感じているそうです。かっぴーさんはこの物語を「八代ばあちゃん」として本にしたいと話し、きょうだい4人が全員面白く仲がいいのも、この母のおかげではないかと語りました。
父が夢で伝えに来たこと
深見さんは、2年前に亡くなったかっぴーさんの父の話を切り出します。かっぴーさんが夢に父が出てきたと話していたのに、何を言っていたのか教えてくれないことが、ずっと気になっていたそうです。
夢ってあの世と繋がってるって思ってんのね、私は。
深見さんは話しながら涙を流します。かっぴーさんと父はもともとあまり話さない関係でしたが、孫の空ちゃんが生まれてからの会話量は、それまでを超えていたといいます。
空ちゃんが生まれてからの5年間、父は本当に幸せそうだったと二人は振り返ります。今もかっぴーさんの母には毎週のように来てもらっていて、深見さんは週1で孫に会えるのはこの上ない幸せだろうと語りました。
かっぴーさんは、深見さんと結婚して深見さんの家族を見たことで、家族についてちゃんと考えるようになり、人生観が変わったと話しています。
お風呂で天国のじいじに話しかける娘
空ちゃんは今も、一人でお風呂に入るとじいじに話しかけているそうです。かっぴーさんが聞いた内容には、続きがありました。
でも私は天国にはまだ行けません。行く予定もありませんって結構ちゃんとちゃんとお断りするんです。
父が亡くなったあと、かっぴーさんは5歳の空ちゃんに「じいじはずっと空ちゃんのことを見てるよ」と伝えていました。ところある夜、寝室でその話をすると、空ちゃんは泣き始めたといいます。
(空が)我慢できずになんか言ったのは見えなきゃやだよって泣き始めて。
看取りの経験から、二人目を望んだ理由
かっぴーさんは父の最期の数日、「今夜が峠」という状態が続く病院に通い続けました。母と姉をホテルで休ませた直後に危篤となり、すぐ呼び戻したことで、家族4人全員で看取ることができたそうです。
その経験を経て、かっぴーさんは空ちゃんにきょうだいがいてほしいと思うようになりました。二人目はなかなかできなかったものの、欲しいと思ったのは看取りを経てからだといいます。
いやなんか両脇、どっちか来れなかったらさ、一人になっちゃうし。なんか大勢いた方がさ。
人生のラストシーンを想像して、空ちゃんにとってもきょうだいがいたほうがいいと考えたそうです。かっぴーさんは、一人っ子は一人っ子でいいとも付け加えています。
空ちゃん自身も弟か妹を欲しがっていました。深見さんは嫉妬するタイプだと思っていましたが、実際には妹への愛情がすごく、7歳ながら髪を引っ張られても我慢するそうです。
宙の親であることが一番の誇りかもしれない。
深見さんは「マジで親バカじゃん」と笑いますが、かっぴーさんの言葉には娘への深い愛情がにじんでいます。
結婚
深見さんの家族を見て、家族について考えるようになる
父の看取り
家族4人で父の最期を見送る
ラストシーンの想像
病室に誰かがいてほしいと感じる
二人目を望む
空ちゃんにきょうだいがいてほしいと考える
夢の中の父は、玄関で「おお」と言った
締めに入ろうとするかっぴーさんに、深見さんは改めて夢の内容を尋ねます。かっぴーさんはついに、夢の中の父の様子を明かしました。
なんか玄関で普通におおって来て。うん、おおじゃねえよつって抱擁しただけだよ。
かっぴーさんは夢だとわかっていましたが、父はいつも通りに来たといいます。深見さんは「多分本当に来たんだと思う」と話し、かっぴーさんは自分のところに来るなら空ちゃんにも必ず会いに来ていると語りました。
親を亡くすのは大きな経験だという深見さんの言葉を受けて、かっぴーさんは自分にとって大事なのは家族だと口にします。
深見さんは意外だと驚きますが、かっぴーさんは、思い出すのはえりちゃんと宙といずみのことだろうと答えました。しんみりした空気のまま、次回は「下ネタスペシャル」と予告して回は締めくくられます。
まとめ
大和市の写真屋の息子として育ったかっぴーさんと、八代の葬儀屋で下宿を営む家に育った深見さん。正反対の生い立ちを笑いながら語るうちに、話は家族の意味へと深まっていきました。
- かっぴーさんは未熟児に近い状態で生まれ、自転車に乗れず走って友達を追い、英語科でブライアンに出会った
- 深見さんはメイちゃんのようにやんちゃで、吹奏楽と代表リレーに打ち込んだ
- 深見さんの母は約25年下宿を続け、元下宿生から本当の親のように慕われている
- 父の看取りを経て、かっぴーさんは家族といずれ迎えるラストシーンを強く意識するようになった






