似ているようで全然違う兄弟
番組はひとし、たっちゃん、そしてニュージーランドから移住したももの3人でお届けしています。この回のテーマは、角井兄弟がどうやってわさびブラザーズになったのか、その原点です。
ひとしはまず、2人がどう見えるかをももに聞きます。ももの答えは、はっきりしていました。
2人は全然違うんじゃない?似てるとこもあるかもしれないけど。
見た目も性格も違う兄弟は、まわりから「本当に兄弟なの?」と聞かれることも多いようです。一方で「似てるね」と言われることもあり、反応はさまざまだと話します。
ももがそれぞれと最初に会った印象も語られます。たっちゃんとは伊豆で初対面。ひとしとはニュージーランドで会いました。
(たっちゃんの第一印象は)似てないなと思ったかも。見た目がね。
(ひとしは)優しそうな人だなと思った。
10年連絡を取らなかった兄弟の再会
ひとしは、2人が久しぶりに会うことになった経緯を掘り下げます。実は兄弟は、長い間まったく連絡を取っていませんでした。
最初どんな感じですかね。10年ぐらいはもう連絡は取ってないですね。
家を出たタイミングも違いました。ひとしが実家を出たのは25、6歳ごろ。一方でたっちゃんは、より早く家を離れていました。
僕は18ですね。僕の方が先出てますね。僕の方が一人暮らし長いですね。
再会のきっかけは、母親からの連絡だったようです。母を経由して連絡先を聞き、2013年か2014年ごろ、ひとしが大阪へ遊びに行ったと振り返ります。
当時たっちゃんが住んでいたのは道頓堀のあたり。髪の色や服装をめぐって、記憶が食い違う場面もありました。
なんか髪の毛もうちょっと今より明るい色してたよね。
多分髪の毛は黒のままです。
たっちゃんは高校卒業後に東京の美容室で3年ほど働き、その後いったん帰郷してから大阪でヘアメイクの仕事をしていました。ひとしは家を出て20歳ごろからアウトドア関係の仕事をしていて、まさか一緒にわさび農家になるとは思っていなかったと話します。
伊豆での共同生活と謎の亀
兄弟が再び関わるようになったのは、ひとしが伊豆でアウトドアの仕事をしていた頃です。たっちゃんはキャニオニングを手伝いにワンシーズン伊豆へ来ました。
ここでひとしは、たっちゃんへの仕事の声かけの背景に母親の心配があったのではと振り返ります。
お母ちゃんに多分、「たっちゃん、どうにかしてよ」って言われてたのかもしれないね。「ちょっと何か仕事ないの?」つって。
2017年か2018年ごろ、伊豆の宿泊先で3人が1ヶ月ほど一緒に暮らした時期があったようです。3人の記憶の共通の目印になっていたのが、なぜか飼っていた亀でした。
あの亀いたよね。亀いた時が最初だと思う。
大きな亀はキャベツを食べていて、弱っているのかどうか判断がつかず、爬虫類の世話に戸惑ったと笑いながら話します。ももが伊豆に通ったのはこの頃で、間に盛岡へ帰ったり富士山に行ったりしながら、3シーズンほど関わったと振り返ります。
真っ青のキッチンカーとロゴ誕生
伊豆にいた頃、後にわさびの象徴になるキッチンカーが初めて動き出します。ただし当時は、わさびとはまだほとんど関係がありませんでした。
わさびの模様は全くついてない真っ青のキッチンカーだね。
最初に出したメニューはトルティーヤ、その後にビーフ丼。まだわさび田も借りられておらず、キッチンカーの代金もほとんどたっちゃんが払っていたと明かします。
看板づくりでは、それぞれの個性が出ていました。ひとしは流木を集め、たっちゃんは道具が足りない中で工夫していました。
最初は原資がないから、お金がないから、あるもので全部、武器がないから、そのカスみたいなところからやってるから。
わさびのロゴが生まれた経緯も語られます。ひとしがフィリピンのセブ島へ語学とプログラミングの留学に行き、そこで出会った絵の上手な友人に依頼したのが始まりでした。
「こんな感じのわさびを描いて」って言って。で、LINEで送られてきたのがあの絵だったんだよ。
ロゴはそこから進化していきます。最初はたっちゃんのアナログな手描き、その後にももが加わってデジタル化が進んだと振り返ります。役割を冗談まじりに整理する場面もありました。
ひとしさんが株主で、僕がアナログでももさんがAIで。
コロナ、ニュージーランド行きの中止
話は、寿司の学校に通っていた2019年へと進みます。この頃、コロナ禍が始まりました。
ちょうど両親とももを訪ねてニュージーランドへ行く計画があり、ももが宿や休みまで手配してくれていました。しかし出発直前に状況が一変します。
飛行機の飛ぶ日の出発日の前日じゃない?あれ決まったの。
入国後の隔離やロックダウンの動きを受け、エアニュージーランドが運航を止め、旅行は中止になりました。念入りに準備していただけに、直前でのキャンセルは大きな出来事でした。
この流れの中で、伊豆でのキャニオニングの思い出も語られます。たっちゃんは無給で手伝い、ももも受付や送迎を担っていました。特に印象に残っているのが、たっちゃんの映像でした。
先に帰ってきてさ、動画をめっちゃすごい速さで編集して、お客さんが帰ってくるまでに全部終わらせてんだよね。
ツアーの最後に、その日の映像を上映する演出です。たっちゃんは、結婚式で当日の映像を流す演出をイメージしていたと話します。参加者の思い出になり、そのままYouTubeのフォローにもつながっていたようです。
わさびブラザーズ結成の日
兄弟が正式に「わさびブラザーズ」になったのはいつなのか。3人で確認していきます。当初はツアーもほとんど入らず、収入もわずかで、生活の工夫が続く日々でした。
怖い先輩もいるからさ。びっくりするような条件出されて、まだ食べられてないのにすごい条件出されちゃったりとかさ。俺らまだ何にも生産できてないのにとかね。
そんな中でも、露出は少しずつ増えていきました。2019年には初めてテレビ番組にも取り上げられます。
最初とかもう何もやったことないから、交渉とかも知らないし、手探りですよね。
結成の節目とされたのは、2020年12月ごろのイベントでした。地元のポートで、代表の祥太郎さんが西多摩新聞の順子さんを紹介してくれたことが転機になります。
地域紙に載ったことは、地域の信頼を得るうえで大きかったとひとしは振り返ります。
このイベントで、3人にとって初めての「わさび丼」を提供しました。祥太郎さんが厨房やご飯炊きで支えてくれ、2人でその手さばきを見ながら作ったと振り返ります。まだ自分たちのわさびすらない中での、デビュー戦でした。
まとめ
10年間交わらなかった兄弟が、母の心配をきっかけに再会し、伊豆の共同生活やキッチンカー、地域のつながりを経て「わさびブラザーズ」になっていった過程が、3人の記憶をたどる形で語られました。バラバラだったピースが、少しずつわさびへと集まっていく回です。
- 兄弟は10年ほど連絡を取っておらず、母を経由した連絡と大阪での再会が原点になった
- 伊豆での共同生活とキャニオニングの手伝いが、3人が一緒に動くきっかけになった
- キッチンカーは最初わさびと無関係の真っ青な車で、ロゴはフィリピンで出会った友人の絵から始まった
- 2020年12月ごろ、ポートのイベントで初のわさび丼を出したことが、わさびブラザーズ誕生の日とされた
- 西多摩新聞への掲載など、地域の人とのつながりが信頼づくりに大きく作用した
