サービス名は覚えなくていい?構造を学ぶための前置き
ハイパー起業ラジオのMeta編後半は、Facebookの創業と「大学市場の掌握」から始まります。尾原さんによると、Facebookは初期に、大学生のほぼ全員が使うところまで広がったといいます。
本題に入る前に、尾原さんは聴き手への注意点を挙げました。二人ともこの時代のサービスが好きすぎて、つい固有名詞を多く口にしてしまうというのです。
(この番組は)歴史を振り返るというよりかは、構造を理解することによって皆さんのビジネスにお役立てますよって話なので、固有名称は覚えなくていいです。
ただ、インターネット老人会的に「ああ、あれあったあった」っていうのを、ついつい言ってしまうのはちょっと許してねってことですね。
けんすうさんも「大きなサービスがあったんだな」くらいで十分だと応じます。大事なのは、どのサービスが先にあり、なぜそこが負けて別のサービスが勝ち残ったのかという構造の部分です。
「SNSなんて絶対来ない」と思った理由
尾原さんは、Facebookの始まりを描いた映画『ソーシャル・ネットワーク』に触れます。ハーバード大学の寮の一室で始まったサービスが、今や単体で20億人以上が使うサービスになっていると紹介しました。
けんすうさんがこの映画を映画館で見たのは2010年か2011年ごろです。ちょうど日本にFacebookが上陸し、ダイヤモンド社 ── ビジネス誌『週刊ダイヤモンド』などを発行する日本の出版社ですの雑誌の表紙にFacebookが載るような時期だったといいます。
さらにさかのぼる2004年ごろ、けんすうさんは受験生や高校生向けの掲示板サイトを運営していました。そのため、いくつかの企業から「これから学生向けのSNSが来るのではないか」という話を聞いていたそうです。
そもそも、インターネット上で個人情報出す変な人はそんなにいないだろうっていうのが1つと、ネット上での行動と友達と繋がったら嫌なんじゃないかとか。
学生だったら別に普通にメールとかで直接やり取りできるじゃんと思って。絶対来ないと思ってやんなかったんですよね。
けんすうさんは、同じ時期に学生向けSNSをやるかどうかの分かれ道にいたのに、やりきったのがザッカーバーグで、乗れなかったのが自分だったと振り返ります。
Facebook、ミクシィ、GREEは同じ2004年スタート
尾原さんは、けんすうさんが挙げた「SNSは来ない」理由をどう乗り越えたかこそが、Facebookが勝ち残った理由だと語ります。そのうえで、多くの人が勘違いしている事実として、Facebookとミクシィ、GREEがすべて2004年に始まっていることを指摘しました。
尾原さんの説明では、ブラジルでOrkut ── Googleが運営していたSNS。ブラジルやインドで特に多くの利用者を集めましたが、2014年にサービスを終了しましたが大流行し、それが日本にも来るのではという話が出ていました。そこで日本でも、笠原さんや田中さんのように感度の高い人たちがいち早くSNSを作ったといいます。
スタート地点は同じでも、生き残ったのはFacebookでした。尾原さんは、その本質を考える入口として「知らない人が見ているかもしれない場所に、自分の個人情報を本当にアップするのか」という問いを置きます。
けんすうさんは、当時はインターネット自体が「怪しい」「危ない」と見られていたと補足します。ストーカーのような人に見られたらどうするのか、という不安がとても強かったそうです。
そうした不安の中で、Facebookが初期に結びつけた欲望は何だったのか。尾原さんは、それが「繋がりたい人と繋がる」という動機だったと説明します。
ハーバードのクラブ文化と「繋がりたい」欲望
いまのFacebookの特徴である、友達の近況が流れてくるタイムラインは、実はかなり後になって実装された機能です。尾原さんによると、初期のFacebookの中心は、その人のプロフィールと、誰と友達になっているかという2点でした。
誰と繋がっているかが露骨に表れる場として、大学生活は相性がよかったといいます。尾原さんは、日本では伝わりにくい感覚だとして、ハーバードのような名門大学にある「クラブ」を例に挙げました。
名門のクラブにはセレクションがあり、選ばれないと入れません。尾原さんはこれを、『ハリー・ポッター』でどの寮に配属されるかという感覚に近いと例えます。
選ばれた人が集まる同質性の高いクラブがいくつかあって、そこに所属していると人脈もできるし、就職に有利とか、色々メリットもある、結構重要度の高い集まりって感じですよね。
尾原さんは、こうした環境では「あの人と繋がっておくと後々有利だ」という感情が働くと話します。さらに、ユーザーインタビューの文献から確認できる範囲として、出会いの動機もあったといいます。
尾原さんの説明では、クラブに所属する男性と付き合いたい女性がいて、男性にとっても誰と友達であるかが女性を口説く上でのステータスになっていました。最初はハーバードの学生しか入れない形で始めたことが、結果的にFacebookの成功のポイントになったと尾原さんは見ています。
クラブハウスにも通じる「優先結合の原理」
当時のライバルとして、2002年にはFriendster ── 2002年にアメリカで始まったSNS。友達の友達まで繋がれる仕組みで早い時期に人気を集めましたが登場していました。尾原さんによると、Friendsterは「友達の友達に繋がる」という仕組みを発明したサービスです。
尾原さんは、繋がりたい人と繋がり、そこからさらに繋がりたい人と繋がるという欲求をどう加速させるかが大事だと語ります。
けんすうさんは、2004年ごろの初期のGREEを思い出します。慶應のイケてる人たちが多く登録していて、各大学の頭のいい人たちと繋がる場所というイメージが強く、そこで繋がった人とは今も交流があるそうです。
尾原さんは、同じ原理で人が集まった最近の例としてクラブハウス ── 2020年ごろに話題になった音声SNS。招待制で始まり、日本でも2021年初頭に一気に広まりましたを挙げます。クラブハウスは初期、1人が2名までしか招待できない仕組みでした。
やっぱり親友もあるけど、ワンチャンこの人と繋がれたらいいなっていう憧れの人に(招待を)送りますよね。
この人とより仲良くなったり、この人に恩売りたいとか、そういった欲望で決めますよね。
尾原さんは、この性質を「優先結合の原理」と呼びました。貴重なものを渡せるとき、人は憧れの人や「繋がっているとかっこいい」と思える人に、それを差し出してしまうという性質です。
希少性
ハーバード限定、2名だけの招待など、参加の機会が限られている
優先結合
貴重な機会を、憧れの人や繋がりたい人に差し出す
繋がりの連鎖
繋がりたい人同士が集まり、さらに人を呼ぶ
尾原さんは、この原理をフルに使えたのが、世の中から憧れられるハーバードの学生しか使えない形で始めたFacebookだったと説明します。
FriendsterとMySpaceはなぜ失速したのか
Friendsterは開始から数か月で300万人まで利用者を増やしました。ところが尾原さんによると、急に増えすぎたためにサービスがひどく重くなり、障害が頻発して、途中で失速してしまいます。
けんすうさんは、当時は人が増えすぎるとインフラの負担が大きく、サービスが重くなったり、うまく動かなくなったりする例が少なくなかったと補足します。
初期にいた人って繋がりたい人なんだけど、この繋がりたい人が先に離れちゃうっていう現象を起こすと、(繋がりの広がりの)逆回転が起こってしまったのがFriendsterであり、実はクラブハウスもそうだよね。
一方で、けんすうさんがうまくいっていた印象を持つのがMySpaceです。尾原さんによると、MySpaceは2003年、Facebookの1年前に始まり、Friendsterが障害と薄い繋がりで離脱者を増やしていた時期に伸びました。
MySpaceは参加者の所属を制限せず、プロフィールページを自由にカスタマイズできる場所として広がります。Facebookが登場した2004年2月の時点で100万人を超え、2005年には2500万人に達していたといいます。
ただ、参加制限がないMySpaceは、人気のある人のプロフィールを見に行く場所として使われるようになりました。その後ニューズ・コーポレーションに買収され、2006年には1億ユーザーを抱え、米国で最も訪問者の多いサイトになったと尾原さんは話します。
MySpaceはアーティストがアルバムの写真や音楽をアップする、有名人の発信を見に行く場所になりました。尾原さんは、こうした場所はだんだんメディアリッチになるため、YouTubeがライバルになってしまったと指摘します。けんすうさんも「MySpaceはYouTubeに倒されたと言うほうが正しいのかもしれない」と応じました。
| サービス | 広がり方の動機 | つまずき・特徴 |
|---|---|---|
| Friendster | 友達の友達に繋がる | 急成長で障害が頻発し、繋がりたい人が先に離れた |
| MySpace | 制限なしでプロフィールを発信 | 有名人を見に行く場になり、YouTubeと競合した |
| ハーバード限定で繋がりたい人と繋がる | ユーザーが増えすぎず、堅実に伸びた |
発信者が発信者を呼ぶのか、それともやっぱり友達が友達を呼ぶのかっていう、その循環の形っていうのが似てるようで、FriendsterとFacebookとMySpaceっていうのは全然違う。
けんすうさんは、Facebookの出発点の強みを、ハーバードに限定したことでユーザーが増えすぎず、情報が広がりすぎる怖さもなかった点だとまとめます。尾原さんも、後発なのに堅実に伸びた理由は、繋がりたい人と繋がる欲求にフォーカスしたことにあると応じました。
24時間で1200人超、ハーバードで作ったアトミックネットワーク
Facebookは2004年2月4日、ハーバード限定のSNSとしてローンチしました。当初はハーバードの公式メールアドレスを持つ人しか登録できず、それが認証の仕組みになっていたといいます。
尾原さんによると、サービス開始からわずか24時間で、ハーバードの学生1200人から1500人が登録しました。1日で学部学生の2割を獲得した計算になると尾原さんは話しています。
小さく濃い集団の中でネットワーク効果を回すことを、けんすうさんはアトミックネットワーク ── ネットワーク効果が自力で回り始める最小単位の集団のこと。アンドリュー・チェン著『ネットワーク・エフェクト』で広まった考え方ですと表現しました。尾原さんもこれに同意します。
当時のサービス名は「ザ・Facebook」でした。名前のとおり学生名鑑で、学生が写真と自分が何をしている人かを載せ、繋がりたい人と繋がれるオンラインの場として広がっていきます。
フェイスマッシュに表れた「繋がりたい」欲求の本質
Facebookの前史としてよく語られるのが、ザッカーバーグが作ったフェイスマッシュ ── ザッカーバーグがハーバード在学中に作ったサイト。学生の顔写真を2枚並べて比べさせる内容で、学内で問題になりましたです。けんすうさんは、似た仕組みのサービスとして「Hot or Not」を挙げました。
尾原さんの説明では、ザッカーバーグはハーバードのデータベースに眠っていた学生の顔写真と名前を強制的にクローリングしました。2人の女子学生のどちらがイケてるかを選ばせ続けた結果、1日で学内のランキングのようなものができ、みんなが夢中になったといいます。
けんすうさんが「ひどいサイトですね」と言うと、尾原さんも「本当にひどいサイト」と認めます。そのうえで、誰と繋がりたいかという人間の欲求の本質は同じだと話しました。
いけてる権力者とか影響力ありそうな人と繋がりたいみたいな、この辺って結構やっぱFacebookとかMeta社のサービスの根源に残し続けてる感じしますね。
尾原さんはさらに、ザッカーバーグの高校の友人も似たサービスを作っていたと紹介します。AOLのメッセンジャーのフレンドリストを集めて照合すると、誰が繋がりのハブなのかがランキングで見えてくるという仕組みでした。
尾原さんは、今ならフォロワー数や、Xの「この人にフォローされています」という表示が同じ役割を果たしていると話します。有名人にフォローされていることが権威付けになり、フォローする目安になっているというわけです。
けんすうさんも、ミクシィやGREEなど初期のSNSでは、投稿よりも誰と繋がっているかが明らかに重要だったと振り返ります。
1か月で半数、名門校へ雪だるま式に広げる
「Facebookに入ると影響力のある友達といち早く繋がれるらしい」という噂が立ち、2004年2月にハーバードで立ち上げたFacebookは、1か月でハーバードの学生の半分を獲得しました。次の一手は、名門校への拡大です。
尾原さんは、繋がりたい人がいる大学ごとにアトミックネットワークを回し、拡張を重ねることで、雪だるま式に大きくなっていったと説明します。
けんすうさんは、当時もこの戦略はすごいと言われていたものの、似たアイデアで失敗した他のサービスも多かったのではないかと問いかけます。尾原さんは、その理由を2つ挙げました。
なぜ日本では「繋がり自慢」が流行りにくいのか
尾原さんが挙げた1つ目の理由は文化です。繋がりたい人と繋がるというインセンティブは、アメリカだからこそ働きやすかったといいます。
日本語で素晴らしいのが匂わせって言葉で、日本が強くて。要は、俺、こいつと友達っていうのを明るく語れる国と、「いや、ちょっと繋がってるかもしんないっすね」みたいな強く言えないっすよ、みたいな。
けんすうさんも、日本では自慢していると思われたくないから、あまり言わない傾向があると応じます。
尾原さんは、ミクシィの設計にもその慎ましさが表れていると話します。友達として表示するのを9人までにしたり、コミュニティのバッジを見せたりする一方で、足跡によって「あなたに関心を持っている」と伝え、少しずつにじり寄る感覚が日本人の心理に向いていたといいます。
「こいつと友達だ」と明るく語れ、繋がりを直接見せることが動機になる
繋がりは匂わせ程度にし、足跡などで少しずつ距離を縮めるほうが向いている
けんすうさんは、ネームドロッパー ── 有名人や影響力のある人の名前を出して、知り合いであることを誇示する人を指す英語表現ですという言葉を出し、日本で「あの人と友達なんだ」と直接言うと見せびらかし屋に見えてしまうと話します。尾原さんも、それでは信頼されないと付け加えました。
バンドワゴン効果とティッピングポイント
尾原さんが挙げた2つ目の理由は、ハーバードで最初の数日に1000人が登録したという流れの作り方です。周りが使っているから自分も使うという動きが生まれました。
尾原さんは、仲間外れになりたくないというネットワーク外部性もあるものの、むしろ乗り遅れたくないから早く乗せてほしいというバンドワゴン効果 ── 多くの人が選んでいるものほど、さらに選ばれやすくなる心理効果。行列に人が並ぶ現象などが例に挙げられますを作れたことが大きかったと話します。
Facebookは海外に進出するときも、外資系企業など外国人の友達が多い層から始めたといいます。日本では、日本に住む外国人から入り、その次に繋がる日本人の友達の数が増えることをティッピングポイント ── ある数や割合を超えたところで、物事が一気に広がり始める転換点のことですと見ていたそうです。
日本の中で繋がりたい人と繋がるみたいなフレンドオブフレンドの連鎖が生まれた瞬間が、このネットワーク外部性の歯車が回る瞬間だみたいなことを言っていて。
けんすうさんは、日本で流行る前、利用者が80万人ほどだったころのFacebookは「帰国子女ばかりが使うサービス」というイメージだったと振り返ります。尾原さんは、その期間が長く続いたあと、映画『ソーシャル・ネットワーク』がきっかけでティッピングポイントを超えていったと話しました。
尾原さんは、大学を制覇した段階のFacebookは、学生というニッチに特化したブルーオーシャン戦略が結果的に功を奏したとまとめます。そこから誰もが使うドミナント戦略へどう変わっていったかは、次回に語られる予定です。
けんすうさんは、まだ始まって1年も経っていない時期の話でこの濃さだと笑い、残り20年分の話が楽しみだと締めくくりました。
まとめ
Facebookは、ミクシィやGREEと同じ2004年に始まった後発組でした。それでも、ハーバード限定で「繋がりたい人と繋がる」欲求に集中し、小さく濃いアトミックネットワークを名門校へ順に広げたことで、大学市場を押さえていきました。
- FacebookとミクシィとGREEはいずれも2004年に開始し、スタート地点は同じだった
- ハーバード限定の希少性が、憧れの人と繋がりたいという「優先結合の原理」をフルに働かせた
- Friendsterは急成長による障害で失速し、MySpaceは有名人を見に行く場になってYouTubeと競合した
- 24時間で1200〜1500人が登録した濃いネットワークを、名門校へ雪だるま式に広げた
- 繋がりを明るく見せるアメリカと、匂わせを好む日本では、向いているSNSの設計が異なる


