なぜFacebookはたった4年で1億人に届いたのか
Facebookは2004年のわずか1年間で100万人を突破し、2007年末には1億人に到達しました。尾原さんは今回、この急成長をプロダクトではなく経営側の話として取り上げます。
じゃあなんでたった4年間で1億人に突破できたのかっていう、まあ、経営側の話ですね。
エピソード説明では、MySpaceが圧倒的なシェアを持っていた時代にFacebookがどう成長したのかがテーマとして示されています。今回の回は、その中でも初期の経営判断に焦点を当てた内容です。
ハーバードからシリコンバレーへ、半年で拠点を移した意味
SNSとしてのFacebookは、2004年2月に東海岸のハーバードで始まりました。一方で、ネットビジネスの中心地は西海岸のシリコンバレーです。
尾原さんが注目するのは、Facebookが2004年の夏には早くも活動拠点を東海岸から西海岸へ移していた点です。急加速するには、イノベーションのエコシステムの中心地に行くのが基本だといいます。
2004年当時でも全米のベンチャー投資のですね、40%はやっぱりシリコンバレーだったんですよ。
尾原さんは、経営学のクラスター理論 ── 特定の産業に関わる企業や機関が地理的に集まることで、競争力やイノベーションが高まるという考え方。マイケル・ポーターが提唱したことで知られますや、マイケル・ポーターのダイヤモンドモデル ── 国や地域の産業競争力を、要素条件・需要条件・関連産業・企業戦略などの組み合わせで説明するポーターの枠組みですにも触れます。SNSのユーザーにネットワーク外部性 ── 利用者が増えるほど、そのサービスの価値が高まる性質。電話やSNSが典型例ですが働くのと同じように、経営資源を集める場面でも「仲間外れにされたくない」という力が働くという見立てです。
やっぱり実は投資とその投資に伴う知恵みたいな話の方がネットワーク外部性あるんですよ。
尾原さんによれば、勝つか負けるかわからない投資の話は、コンテクストを共有している相手にしか伝えられません。「ここだけの話」が集まる場所に、加速が生まれるというわけです。
東京の渋谷や六本木の「超巨大版」がシリコンバレー
けんすうさんは、尾原さんの話を日本に置き換えて説明します。東京の渋谷や六本木には投資家が多く、そこにいるスタートアップは投資家と知り合う機会に恵まれます。
(東京で)イケてる3人ぐらいがあのベンチャーいいよって言ってたら投資家がみんな投資したくなるみたいなこと起こる。
これが例えば地方だと、もう知り合えないし、なんか話も聞かないので投資が集まらない。(その)超巨大版がシリコンバレーってことですよね。
尾原さんは、世界最大のアクセラレータープログラムであるYコンビネーター ── アメリカの代表的なスタートアップ支援プログラム。短期間の集中支援と少額投資で、多くの有名企業を輩出してきましたの例を挙げます。リモートが発達する前の初期には、採択されたら2ブロックの範囲に引っ越してこい、と言われていたそうです。
けんすうさんも、同じオフィスや同じビルにいれば立ち話で10分話せるような情報の流通があり、それによって最終結果がまったく違ってしまうと同意しています。
ショーン・パーカーとピーター・ティールが西海岸へ導いた
Facebookをシリコンバレーに引き寄せた人物として、尾原さんは映画でも有名なショーン・パーカー ── 音楽ファイル共有サービスNapsterの共同創業者。Facebookの初代社長を務めたことでも知られますの名前を挙げます。音楽をダウンロードできるネットワークを作り、有名人になっていた人物です。
尾原さんの説明では、ショーン・パーカーがFacebookを発見したことで、Facebookはシリコンバレーに行くべきだという話になっていきました。
さらにFacebookの最初の投資家となったのが、PayPalマフィア ── PayPalの創業メンバーや初期社員で、その後に多くの有名企業を立ち上げたり投資したりした人々の通称ですのドンとされるピーター・ティールです。西海岸に移った2004年8月に、50万ドルのシード投資をしています。
今で言えば5000万円ぐらいを、ま、シード投資したってことが生まれてるわけなんですよ。
投資を辞退したリード・ホフマンが残したもの
この投資の経緯には、もう1人の重要人物がいます。ショーン・パーカーは当時まだ事業投資に強くなかったため顧問的に動き、最初にLinkedIn創業者のリード・ホフマンを紹介しました。
LinkedInは日本ではマイナーですが、アメリカではハイキャリアの転職者がほぼ必ず入る人材系の巨大SNSです。しかもFacebookの1年前に創業しています。
リード・ホフマンは、自分がLinkedInをやっていて競合になるかもしれないとして、投資を辞退します。ただし、その代わりにピーター・ティールを紹介しました。
自分は投資しない時でも、ま、本当にいいって思った案件に関しては、やっぱ友人を伝えていくっていう、今度投資家側のやっぱソーシャルキャピタルですよね。
尾原さんは、起業家ネットワークには中心地に集まる性質がある一方で、お互いを勝たせ合う文化も大事だと話します。
「弱いつながり」が遠くの適切な人に届く
尾原さんがもう1つの鍵として挙げるのが、英語で「ウィークタイ」と呼ばれる弱いつながりです。人のネットワークでは、同質性の高い人との関係よりも、ゆるく弱くつながっている人のほうが意外と力を発揮するといいます。
尾原さんは、エンジェルからどう投資を受ければいいかという質問への答えとして、この話を2つに整理しています。
投資家側はネットワーク外部性が強いので、その中心地にどう入っていくかが大事
最初に会った人が投資しなくても、気に入ってもらえれば信頼の連鎖で遠くの適切な人につながれる
尾原さんの見立てでは、当時のマーク・ザッカーバーグはそこまで自覚的に動いていたわけではありません。ショーン・パーカーら周囲のネットワーク屋に気に入られ、投資家ネットワークの中心地に入れたことが大きかったといいます。
「こいつを勝たせよう」のムードはなぜ生まれたか
けんすうさんは、昔の本で読んだ記述を紹介します。当時は周囲に「Facebookを勝たせよう」というムードができていたそうです。
ハーバードにいる超頭のいい若い奴がいいサービス作ってるから、これ勝たせようぜみたいなテンションだったみたいなので見たことありますね。
尾原さんは、そのムードの背景に2つの要素があったと整理します。1つは、ハーバードの大学生がたった2ヶ月で半分登録し、イエールなど他のエリート大学にも同じように広がったというサービスの爆発力です。
もう1つは経営陣のビジョンです。MySpaceとの違いを問われたFacebook側は、実名性による透明感のあるネットワークこそがインターネットで本当の価値を持つ、と答えたといいます。
投資家に有利すぎる?ピーター・ティールの転換社債
尾原さんは「マニアックなずるい話」として、ピーター・ティールの投資手法に触れます。2004年の投資は転換社債 ── 一定の条件で株式に転換できる権利が付いた社債。条件を満たさなければ、通常の借入として扱われますによるもので、10.2%を取得し、Facebook初の社外取締役にも就任しました。
条件は、2004年末にユーザーが150万人に達したら株式に転換し、届かなければ社債、つまり借金として扱うというものでした。
2004年に投資
転換社債で10.2%を取得する形
2004年末に判定
ユーザーが150万人に達したかどうか
達した場合
株式に転換
達しない場合
社債としての借金のまま
けんすうさんは、えげつなく見えるかもしれないとしつつ、リスクを下げられるからこそ大胆な投資ができるようになったと話します。誰も見たことのないサービスにも投資が集まるようになった、という点がポイントです。
尾原さんは、投資側だけが有利に見える条件にも別の側面があると補足します。25年ほど前の日本では経営者や家族が連帯保証人になることも多かった一方で、当時のアメリカでは会社への貸付はあくまで会社に対するものでした。
経営者が無限責任を負い、家族まで連帯保証人に入れることもあった
貸付は会社に対するもの。良い失敗なら2回目、3回目の起業にも挑戦できた
それ取り外すとだいぶ時価総額低く金額もちっちゃくなっちゃうよみたいなケース結構あったりして、ま、要はダウンサイドリスクとその、ま、バランスなので。
タイミングを逃さない大型調達と、ベンチャーキャピタルの歴史
尾原さんは、当時のFacebookがMySpaceとのライバル関係の中にあり、インターネットの接続環境もどんどん良くなっていたと振り返ります。2007年ごろにはiPhoneというモバイルの新市場も見え始めていました。
そうしたタイミングを逃さないために、投資側も経営者もバランスのあるリスクの中で大型調達をどう実現するかが重要だった、というのが尾原さんの見方です。
意外とベンチャーキャピタル側も起業家側も投資契約書の中身を1行1行歴史から説明とかできないので、そこまでできるとだいぶ解像度上がるよなと思ってます。
尾原さん自身もCVCとして投資する立場にあり、エピソード0で話した三木谷さんへの「貸し」の話にも触れつつ、うまくいかなかったからこそ学んだことがあると話しています。
500万人で1000億円、Yahoo!の買収提案
2006年6月、FacebookはYahoo! ── 1990年代から2000年代にかけて、検索やニュースなどをまとめたポータルサイトとして大きな影響力を持ったアメリカのIT企業ですから買収提案を受けます。ユーザーは500万人ほどの時期で、提示額は10億ドル、尾原さんの換算で今の1000億円です。
500万人のユーザーを1000億で買収って、今でも多分相当高値というかかなりありえない額なのに当時で言うともっととんでもない話ですもんね。
尾原さんによると、当時のYahoo!はポータルとしてイケイケの頃でした。一方のFacebookは勢いこそあったものの、ユーザーはまだ500万人程度で、売上もほとんどなかった時期です。
20代のザッカーバーグはなぜ1000億円を断れたのか
それでもマーク・ザッカーバーグは、Yahoo!の提案は将来の価値を正しく評価できていないとして、買収を断ります。けんすうさんは、当時20代だったザッカーバーグがこの判断を冷静に下せたことに驚きます。
尾原さんは推計と断ったうえで、ザッカーバーグは5割近く、あるいはそれ以上の株を持っていたはずで、個人としては500億円ほどが入ってくる話だったと説明します。
結果的に、FacebookがIPOした2012年の時価総額は1000億ドルでした。買収提案から6年で、価値は100倍になったことになります。
尾原さんは、経営として将来価値にどこまでコミットできるかが問われたと話します。その土台には、ネットワークエフェクトで成長が累乗的に来る、ユーザーが来れば広告は必然的についてくる、という見通しがあったといいます。
プロダクトより先にあった、信念に沿った資金戦略
けんすうさんは、Facebookはサービスで伸びたように見えるが、初期から経営の部分で優れた意思決定をしていた、と今回の話をまとめます。
尾原さんは、Facebookの本質的な価値を実名主義のネットワーク、つまりユーザーが友達の状況を見に行く場所だと信じていたからこそ、変な広告を先送りし、買収提案も拒否できたと話します。
ポイントは、2〜3年は外からあれこれ言われなくても進められる資金戦略を取れたことです。尾原さんはこれを、信念と資金戦略を一致させるという意味での今回の一番の学びとしています。
けんすうさんは、Facebookの初期はプロダクトの話ばかり語られ、経営力はInstagram買収のころになってようやく注目されると指摘します。初年から経営判断が適切だったという話は初めて聞いたかもしれない、と感想を述べています。
尾原さんは、投資家ネットワークに入り込めたのはたまたまだとしつつ、そこからザッカーバーグが急速に学んで成長したことも、ハイパー起業家として学ぶべき点だと話しています。
次回予告:「いいね」ボタンはいつ生まれたのか
次回は再び執行の各論として、尾原さんもけんすうさんも大好きな「機能論と文化論の行き来」がテーマになります。
尾原さんによると、当時のFacebookはプロフィールを見に行くだけのページで、今のFacebookとはまったく違うものでした。2006年にニュースフィードの原型が生まれ、その後に「いいね」ボタンが登場します。
ちなみに「いいね」ボタンが発明されたのはいつでしょう?
2008?
すごえな、お前、やっぱり。
尾原さんは、「いいね」ボタンがハッカソンから生まれたことにも触れ、当たり前とされるSNSの基本機能がどの順番で作られたかを追うことで、新しいサービスづくりのヒントにしたいと話しています。ニュースフィード、ミニフィード、ウォール、タイムラインという4種類の違いなど、マニアックな話になる予定です。
まとめ
Facebookの急成長は、プロダクトの力だけでなく、早い段階での経営判断に支えられていたと尾原さんとけんすうさんは読み解きます。拠点の移転、投資家ネットワーク、リスクを調整した資金調達、そして巨額買収の拒否が、実名ネットワークへの信念とつながっていました。
- Facebookは2004年夏に、ハーバードからベンチャー投資の40%が集まるシリコンバレーへ拠点を移した
- 投資を辞退したリード・ホフマンがピーター・ティールを紹介したように、弱いつながりが投資を呼び込んだ
- 転換社債のようにリスクを抑える投資手法が、誰も見たことのないサービスへの大胆な投資を可能にした
- ザッカーバーグは500万人時点の10億ドル買収提案を断り、2012年のIPOでは時価総額1000億ドルに達した
- 実名ネットワークという本質的価値への信念と、それに沿った資金戦略を持てたことが最大の学びとされた





