小説『目で見ることばで話をさせて』が描く、手話の島は実在した
水野さんがこの回の入口にしたのは、小説『目で見ることばで話をさせて』です。主人公は、ある島に暮らす11歳の少女メアリーで、手話を使って暮らしています。
小説の中のメアリーが暮らす島では、耳が聞こえる人と聞こえない人が対等に暮らしています。ところがある日、研究をしたいという傲慢な科学者にメアリーが誘拐され、言葉と自由を奪われてしまいます。
えげつねえ設定。
堀元さんは、現代社会では手話を使う人が生活しづらさを感じていそうだと話します。水野さんも、母語が日本語でない場合に行政文書や案内、標識がわからないケースや、何かができないと思われる偏見があることに触れました。
そのうえで水野さんが明かしたのは、小説で描かれた「みんなが手話で話す島」が実在するという話です。
え、耳が聞こえる人も?
『JAWS』の舞台マーサズ・ヴィンヤード島と、聾者の多さ
実在する手話の島は、アメリカ東部のマサチューセッツ州デュークス郡に属するマーサズ・ヴィンヤード島です。沿岸部から8キロほど沖合に浮かぶ離島で、水野さんは「一番わかりやすい説明」として、映画『JAWS』の舞台だと紹介しました。
『JAWS』に登場する架空の町アミティのロケの多くは、この島で行われたそうです。話の中心になるのは、島の中でもウエスト・ティズベリーとチルマークという地域で、ここでは伝統的に島民が手話を使って話していました。
番組ではここで用語を整理し、聞こえる人を聴者 ── 耳が聞こえる人を指す言葉。手話や聾文化の文脈で、聾者と対になる語として使われます、聞こえない人を聾者 ── 耳が聞こえない人を指す言葉。手話を第一言語とし、独自の文化を共有する人々という意味合いで使われることもありますと呼んでいます。
マーサズ・ヴィンヤード島の人々は音声言語を捨てたわけではなく、英語を話しながら手話も使う併用の形でした。背景にあるのは、島の聾者の割合がアメリカ全体に比べて非常に高かったことです。
堀元さんは、自分たちのコミュニティでも聾者の割合がこれほど高ければ、みんな手話を使っていたかもしれないと反応しました。水野さんはこの指摘に同意し、最後にその話もするつもりだったと答えています。
聞こえるのに手話を使う?島で起きていたコードスイッチング
水野さんはリスナーにも、みんなが手話を使う世界を想像してみてほしいと呼びかけます。堀元さんの第一印象は、聞こえる人同士なら喋ればいいのでは、というものでした。
聞こえる人同士の時は一切(手話を)使わず、聞こえない人と話す時だけ手話になる、なイメージがありますね。
実際のマーサズ・ヴィンヤード島では、聴者同士でも手話を使うケースがあったといいます。音声で話している途中で、あるパートだけ手話に切り替わることも報告されています。
水野さんは、こうした切り替えをコードスイッチング ── 会話の中で複数の言語や方言、言語変種を切り替えて使うこと。二言語話者の会話などでよく見られますと説明しました。堀元さんは興奮すると英語が出る帰国子女を、水野さんは怒ると方言になる自分を例に挙げています。
なぜ喋ればいいと思ったのかを水野さんに問われた堀元さんは、音声言語のほうが優れているという気持ちがベースにあると率直に認めました。
差別的な気持ちとか偏見みたいのって持つことを防ぐのは難しいと思うんですよ。
で、僕がすべきだと思うのは、持った後に知識や理性でキャンセルすることだと考えていて。
水野さんはさらに、夜の暗がりや、相手が後ろを向いているときに手話でどう話しかけるのかという疑問を挙げます。多くの人が不便そうな島だと感じるはずだとして、ここから研究者による島民へのインタビューを見ていくことになりました。
「すっかり忘れてました」島民が語る、意識されない聾
研究者のインタビューからわかった結論は、マーサズ・ヴィンヤード島の人々は全く不便を感じていなかったらしい、というものです。水野さんは、音声言語で補えたからという程度の話ではなく「レベルが違う」と言います。
著者が聾のAさんとBさんについて共通点を尋ねたとき、島民は「腕利きの漁師でした」と答えました。二人とも聾だったのではと聞き返すと、「そうでした。すっかり忘れてました」という返事だったそうです。
それ本当の多様性って感じするな。
番組では、ほかの島民のコメントも紹介されています。「声が違う人のことを気にしないのと同じ」「ハンディキャップなんてなかった。ただ聾というだけ」「特に気遣うとかえって気を悪くするので、同じように扱っていた」といった言葉です。
すげえ。目指すべきとこそこじゃん。
島の地元紙にも、聾に関する記述はほとんどありませんでした。地元紙の1、2回の記事と、19世紀の聾者向け刊行物での断片的な言及を除けば、聾について書かれたものは何もなかったといいます。
水野さんは、新聞に「低い声の人でした」「ツーブロックでした」と書かないのと同じだと例えました。さらに島の聾者は総じて平均かそれ以上の収入があり、裕福な人もいたそうです。
水野さんによれば、マーサズ・ヴィンヤード島の状態は意識して是正した結果というより、自然とそうなっていたと読み取れるといいます。
最後のオチだけ手話にする。島民の具体的な話し方
堀元さんは、具体的にどう喋っていたのかを聞かなければ納得できないと食い下がります。水野さんが紹介したのは、外から来た記者の「音声言語と手話が渾然一体となり、ほとんど無意識のうちに使い分けられるか、併用される」という記述でした。
興味深いのは、音声で話していたのに最後のオチだけ手話にするという例です。堀元さんは芸人の身振りのような理由を想像しましたが、正解は猥談でした。
水野さんが指摘するのは、手話は注目している人にしか伝わらず、音声言語は周囲全体に伝わるという性質の違いです。そのため家庭内の問題など大っぴらにできない話では、みんなが声を出すのをやめ、向き合って手話で話し始めたといいます。
(飲み屋での下ネタは)あれ手話にすればよかったんやな。手話だったら怒られずに済んだわけだ。
ほかにも島では、風の強い日にフェンス越しで話すときや、遠く離れて声が届かないときに手話が使われました。医師に話すなと言われ、手ならいいと勘違いして手話で話して怒られた人の笑い話も残っています。
見ている相手だけに伝わる。騒音や風、距離、水中でも使える
周囲全体に伝わる。暗闇や視野の外からでも届く
水野さんは映画『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』で、海で暮らす種族が手話で話す描写に感動したと話します。堀元さんも、ダイビング体験でハンドサインを覚えてから潜ることや、修学旅行の夜のヒソヒソ話を例に挙げ、話を広げました。
手話は劣っていない。聴者の子どもが自然に覚えた理由
ここまでの話を、水野さんは手話は音声言語に劣る存在ではなく、向いている場面が違うだけとまとめます。手話は抽象的なことも伝えられる立派な言語で、伝達できる内容や速度、情報量も音声言語にそれほど劣らないといいます。
あれ、手話習った方が良くない?
マーサズ・ヴィンヤード島の聴者の子どもは、親と出かけた先で手話が普通に使われているのを見て、自然に身につけたそうです。聾の大人と話すときにも手話が必要なので、親が聴者でも地域の中で覚えていきました。
研究者がインタビューした人の中に、きちんとした形で手話を習った人は一人もいなかったといいます。著者は「手話を知らないではここではやっていけなかった」と書いています。
地域の日常
聾者が多く、大人が当たり前に手話を使う
観察
親と出かけた先や友達との間で手話を目にする
自然な習得
正式に習わず、ネイティブとして身につける
YouTubeは誰の文化か。手話を紹介することの暴力性
堀元さんは、YouTubeを1日40本ほど見て「後で見る」リストが溢れているため、手話を覚えれば手話動画と音声の動画を同時に見られると冗談を言います。水野さんは動機には同意できないとしつつ、手話を学ぶこと自体は素晴らしいと応じました。
水野さんはそこから、YouTubeは聴者の文化で音声ありきのメディアなので、聾者にはやりづらさがあるのではと話しました。例に挙げたのは、あるアーティストが手話をきちんと理解せず、歌の飾りとして使ったMVの炎上です。
この点について、エピソード説明に掲載された監修の原大介先生のコメントでは、ろう者の多くは必ずしもYouTubeを聴者の文化とは感じていないように思う、と補足されています。動画は「動き」として使えるため、手話との相性がいいという見方です。
手話って聾者の方が大事に紡いできた文化なので、それ(手話)聴者が対して学ばずに使うと一番まずい。
水野さんは、このシリーズの台本を手話言語学の先生に見てもらっていると明かしました。それでも聴者が手話を紹介する構図が暴力的に見えるかもしれないとして、聾者からの批判は甘んじて受け入れる覚悟だと語っています。
堀元さんは、ふざけた発言の直後に真面目な話をされたと恥ずかしがり、フォローしてほしかったと水野さんに抗議して笑いを誘いました。
情報保障と参考文献。早川書房の文庫化に感謝
水野さんは、以前の手話回で扱った情報保障 ── 障害などによって情報を得にくい人に対し、字幕や手話通訳などで他の人と同等の情報を提供することにも触れ、この回の字幕はYouTubeの設定で表示できると案内しました。
メインの参考文献は『みんなが手話で話した島』です。長く絶版で、水野さんが買おうとしたときは1万円を超えていたそうですが、早川書房が文庫化し、1080円と約10分の1の価格になりました。
絶版で高騰し、1万円を超えていた
早川書房の文庫化で1080円に
なんか税金とか早川に流した方がいいっすよ。マジで。いや、だってこんなもん公共じゃん。
同書はインフォーマントの記憶や記録文書を手がかりに、当時の暮らしをよみがえらせた本で、次回以降も参照されます。小説から入りたい人には『目で見ることばで話をさせて』も勧められていました。
次回は、なぜマーサズ・ヴィンヤード島に聾者が多かったのかの謎解きが予告されています。
まとめ
マーサズ・ヴィンヤード島では、聾者の割合が高かったことから、聴者も聾者も手話と音声言語を自然に使い分けていました。島民の証言からは、聾が意識にすら上らないほど社会に溶け込んでいた様子と、手話が場面によってむしろ便利な言語だったことが見えてきます。
- マーサズ・ヴィンヤード島の先天性聾者の割合は155対1で、アメリカ全体の40倍以上だった
- 島民は聾の知人について「すっかり忘れてました」と語るほど、聾を意識していなかった
- 猥談のオチや内緒話、騒音や遠距離の場面では、音声から手話への切り替えが行われた
- 聴者の子どもは正式に習わず、地域の日常の中で手話を身につけた
- 手話は劣った言語ではなく、音声言語とは向いている場面が違うだけ

